2010年01月31日

赤川漁協は馬鹿だ

「イバラトミヨが生息しているから、ニジマスの放流は止めてくれ」と言っても
「青龍寺川にイバラトミヨは生息してない」として、
釣りする場所とは思えない青龍寺川にニジマスを放流し続けた赤川漁協。
そのあげく、「内川で64年ぶりにイバラトミヨ発見」と騒いだ赤川漁協。

国交省が行っている赤川自然再生事業に協力的ではない赤川漁協が、
赤川漁協HPに抗議文ともとれる文面を載せていることに、今になって気づいた私。kao19 icon15
相変わらず馬鹿な講釈を垂れてます。
http://www.akagawa-fish.or.jp/cgi-bin/news/news.cgi?id=109



なにか新聞にでも載って、否定された腹いせのような、無知を曝けだすような幼稚なことを書いています。
国交省の会合の席上、学者先生たちを前にした自己紹介で「魚道の専門家です」と名乗った愚行に、納得してしまいます。
以下、抜粋。

赤川で釣りをされる釣り人のホームページ・bbs・ブログ等では、
「生態系に影響があり、今までの釣りが出来ない」との声が非常に多く、云々。

どのような影響が出ているのか、具体的に述べてほしい。

「組合員からも、魚の付き場を作り、酸性雨・酸性雪を中和する、河川内の森林の伐採はしないでくれ」「今まで、土留めの役割をしていた樹林帯から、土砂が流出し、淵が潰れていく」
「水量が少なく、淵の濁りがいつまでも取れない」などの声が上がっています。

本当に赤川流域で生まれ育った人たちの意見だろうか。
昔の赤川の流れを知った上で語っているとは、到底思えない。
ハリエンジュが赤川の何所で魚の付き場を作っていたというのだ。
酸性雨・酸性雪を中和するなどという話しは聞いたことが無い。

土留めの役割をしていたという意味が解らない。
本来なら下流へ流れ下るべき砂などが、ハリエンジュによって止められ、
結果地下への浸透率が著しくて以下しているから、ハリエンジュを伐採して通水性を高めようというのが、伐採の理由である。
園芸に例えたら鉢に雑草が生え、浸透性と通水性が悪化しているので、雑草を抜く作業である。
雑草を抜けば根に用土もつきますし、抜いた後に潅水すれば濁り水も出ます。
そんなことも理解できていない赤川漁協が、今更何をいわんやである。
赤川再生事業は何年前から行われいると思っているのだろう。
それだけの期間、赤川漁協は非協力的で、理解を拒んできた証のような内容といえる。

更に、近年、羽黒橋上流で飛来していたオジロワシの越冬する樹林地帯も伐採され
河床が下げられる工事をしていますので、オジロワシは、この場所で越冬できなく成りました。

オジロワシは飛来していたけど、越冬はしていません。
『河床が下げられる』とはどういう状況を言っているのだろう。
『河床が掘り下げられる』なら淵の再生のことを語っているといるのだが、意味不明だ。
河床が下げられる工事とオジロワシと、なにか因果関係でもあるというのだろうか。

オジロワシが飛来することにより、ここで越冬もしくは、渡りのカワウが激減しました。
木を伐採すれば、カワウも夕方から寝床にする事は出来なく成りますが、
日中に何処からか飛来し安全に餌場を利用する事ができると予測され、
大漁に飛来しないことを願うばかりです。
生態系を利用してのカワウの減少を目指していた、当漁協も非常に残念で成りません。

冬に飛来しているだけのオジロワシとカワウに、どんな因果関係があるのだろうか。
『木を伐採すれば、カワウも夕方から寝床にする事は出来なく成ります』ということは
赤川漁協はカワウの寝床と認識していた分けでしょうから、歓迎すべきことでしょう。
『日中に何処からか飛来し安全に餌場を利用する事ができる』ということは
何所から飛来しているか判らないことを心配しているわけで、
飛来してこないかもしれないのに、憶測で、赤川自然再生事業に非協力的なのでかね。

そもそも、オジロワシが飛来している時期に、カワウはそこで何を食べているというのでしょう。
渓流魚や稚鮎などの放流時期にオジロワシは居ないわけですから、カワウの減少を願うと言う方が可笑しいでしょう。
それにカワウは鳥なので『大漁』はありえません。

更に、早田川砂防堰堤スリット化工事
堰堤にスリットを入れる工事も、上記と同様の期間で行うことと、
説明された工法では、「サクラマスが産卵し孵化する仔魚に壊滅的打撃」を与えると予想されましたが、
当漁協の打診でご理解を頂き、工事は影響の出にくい時期まで延期され、工法も見直していただきました。

早田川は国交省の管轄でありませんし、赤川自然再生事業の一環ではありません。
しかもスリット化ではなく魚道設置のはずです。
河川管轄も工事主体も、更にはなぜ此所に堰堤が造られたのかさえ赤川漁協は理解してないのですね。
そもそも堰堤工事の段階で、何も意見しなかったのは赤川漁協です。
何も意見しなかったから今の堰堤が造られてしまったのです。
そして今になり他者が陳情し続けた結果、魚道を設置してもらえることになったのです。
国道112号線橋脚工事で「サクラマスが産卵し孵化する仔魚に壊滅的打撃」を与えたのは、赤川漁協ではないですか。
本末転倒なことを偉そうに言わないでもらいたい。


「その場所は、20数年前に木の伐採が行われ、自然の力が時間をかけ生態系を再生させた場所である、頭首工下流の他河川敷では、オオタカ(絶滅危惧II類(VU))の営巣も見られ貴重な生態系を確立している、しかし、頭首工下流では、ハリエンジュ(特定外来生物)の伐採が行われているが、これ以上生態系のサイクルを絶ち切られてはたまりません! せっかくの自然再生力が創り上げたダムや頭首口で寸断した下流域のあるべき姿なのですから… 」と語られています。赤川漁業協同組合としても、各関係機関との協力で、より良い赤川の環境を目指したいと考えております。

ブラックバスを密放流してバス釣りを楽しんでいるバサーが、
『バスが密放流されて以来、あるべき自然環境に成ったのだから、バスを駆除してこれ以上生態系を変えるようなことはしないでくれ。』
『下水の側溝の中にやっと土が堆積して、草が生えてアマガエルもバッタも生息しているんだから、そっとしておいてくれ。』
と言ってるような意味合いなのかしら。
前記しましたけど、河川敷という植木鉢の中に、ハリエンジュという雑草が生い茂り、水捌けが悪くなったので、
ハリエンジュを伐採して川全体の濾過を良くして保水力を高めようという改善作業です。

ハリエンジュが根を張り巡らせていることで砂利が絞まり、水捌けが悪くなり、
雨が降っても地下へ浸透していかないから地表を流れ、川も増水しやすく、濁りやすくなっている。
四万十川など清流と呼ばれる大河の河川敷は、土が入り込んでいないのでジャリジャリ動きます。
土で石が埋まってしまっている赤川の河川敷とは大違いです。
水槽の底に敷く砂利も、目詰まりをおこしたら濾過能力が落ちてしまいます。
今の赤川の河川敷は、目詰まりした水槽の砂利と同じ。洗浄すれば驚くほど汚れが出る状況なのです。
それが理解できない赤川漁協は馬鹿としか言いようがありません。

なによりも、個人のHPやBlogでこんな文章を掲載するならまだしも、
こんな駄文を赤川漁業協同組合公式HPに掲載してしまっては漁協の総意とみなされ、恥を晒しています。
いったい誰が責任を取るつもりなのでしょう。
意見があるなら自分でHPやBlogを立ち上げて、そこで発言しれいれば良いのです。
若手の暴走もいい加減にしてほしいものです。





  

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Posted by さくら at 19:03Comments(0)その他10サクラマス

2010年01月30日

今更ですが.10

『サクラソウ127園芸品種の葉緑体DNA型(ハプロタイプ)』の内
「今更ですが.8」で「大須磨」「秋の装」「雪月花」を、
「今更ですが.9」ではハプロタイプ α の「連鶴」「絞竜田」「南京小桜」を検証。
今回ハプロタイプ G の8品種を検証しましたので、「今更ですが.10」として掲載します。

今回合わせえて14品種を紹介したことになりますが、
本来『品種識別、親子関係、由来に関する情報』の出典元を探るのが趣旨ですが、
東京のさくらそう会世話人代表である鳥居恒夫氏が、さくらそう界では巨頭の1人であるがゆえに
意に反して、どうしても個人批判的な内容になってしまい、私自身少々後味悪く思っております。
残り113品種を調べて掲載することが、なんか嫌になってきました。
悪意はありませんでの、趣旨の旨を、悪しからずご理解願いします。

サクラソウ127園芸品種の葉緑体DNA型(ハプロタイプ)『品種識別、親子関係、由来に関する情報』

ハプロタイプ G
六玉川  長花柱花 江戸後期
岩戸神楽 長花柱花 江戸後期 「一の谷」は同品
喰裂紙  2倍体 長花柱花 江戸後期
五大州  2倍体 長花柱花 明治
飛燕   2倍体 長花柱花 明治?
美女の舞 2倍体 長花柱花 大正末期 鈴鹿義一
国の光  2倍体 長花柱花 昭和初期 大鐘あぐり
隠れ蓑  3倍体 短花柱花 江戸後期 「嵐山」「嵯峨の春」「雨竜」と同品

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六玉川(むたまがわ) G 長花柱花 江戸後期
(鈴鹿166ページ「六玉川」:表白裏薄色大輪)
(鳥居139ページ「六玉川」:長柱花 江戸末期 類似品種: 記載無し。)


趣旨とズレてしまうけど、
こうして色々なサイトに掲載されたサクラソウの画像を並べて見比べると
鳥居著『色分け花図鑑 桜草』を参考にしているという有名サイトの中にも
『このサイトだけ、花が違う。』と感じることが多々あり、
品種を正しく伝えることの難しさを感じます。

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岩戸神楽 長花柱花 江戸後期 「一の谷」は同品
(鈴鹿160ページ「岩戸神楽」:裏薄紅内白切咲大輪)
(鳥居20ページ「岩戸神楽」:長柱花 江戸末期か 類似品種記載無し。神楽を舞うときの幣帛を連想した命名かと思われる。)
鳥居氏の「岩戸神楽」品種命名由来は憶測にしか思えない。さくらそう会も総意しているのだろうか。

(鈴鹿143ページ「一の谷」:忠度 箙 通盛)
(鳥居「一の谷」の掲載無し。)
本城正憲氏が『岩戸神楽』と『一の谷』を同品と同定した理由はなに? 出典はどこ?

web上に「一の谷」の画像と記述無し(みつけられず)。


埼玉県花と緑の振興センターにも『一の谷』はありませんでしたが、
『岩戸神楽』と同品種として「浮線綾」が紹介されてあり、このとき初めて知りました。
(鳥居91ページ「浮線綾」:江戸末期 類似品種記載無し。変わっているのは緑斑が入ることである。「浮線綾」とは本来は「綾織」で、のちに紋様の呼び名となった。神官の袴などにみられるのもで、「浮陵」と書くのは間違いである。)

勉強不足なので解説が理解できません。
掲載画像を見ると花弁に緑斑が見受けられません。
『緑斑が入ることもある』なら、「花筏」と類似品で何か関係あるのかしら。
無関係なら、鳥居氏の鉢が桜草ヴィールス病なのかしら。
本来は「綾織」なら「浮線綾」で良いのでは?
『神官の袴などにみられるのもで、「浮陵」と書くのは間違いである。』というのは、
鳥居氏の解釈でしかないのではないか?

きちんと『名前の由来と品種がわかる』本が欲しい。

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喰裂紙(くいさきがみ) G 2倍体 長花柱花 江戸後期
(鈴鹿:記載無しですが、146ページ『鶴の毛衣(ツルノケゴロモ)』の項に「喰裂紙」に関する記述あり。
純白、切弁抱え咲大輪で、同品種といわれているものに喰裂紙、吹雪笠などがありますが、昭和35年の筆者の記録では、喰裂紙より花弁の切れ込みが多く、より優秀花であるとなっています。10年ほど前より、どう間違ったのか、喰裂紙とほとんど同品種になってしまっています。花つきは至って良好で、栽培も容易です。古花。)
(鳥居57ページ「喰裂紙」:長柱花 江戸末期 類似品種 母の愛 白滝 山下白雨。横向き咲き。)




サクラソウ127園芸品種の葉緑体DNA型(ハプロタイプ)の中に「母の愛」もあるので
「母の愛」項を設けた際に改めて記載すると思うが、一応此所にも記しておく。
(鈴鹿165ページ「母の愛」:白大輪鋸歯弁)
(鳥居64ページ「母の愛」:長柱花 垂れ咲き 大正12(1923)年 永井誠也発表 類似品種 喰裂紙 白滝 山下白雨。
鳥居63ページ「連鶴(受け咲き)」の芽変わりとされるが、「母の愛」はもうひとつ別品種が存在するので、間違いがあった疑いも残る。)
鳥居氏の客観的な解説は素直に読めたが、「もうひとつ別品種が存在する」それを詳しく教えてほしいし。
また、こういう曖昧な情報を参考にした研究は、如何なものであろう。

個人的に「喰裂紙」も好きな花の一つなのですが、
東京のさくらそう会HPのリンク先の『類似品種061喰裂紙、151母の愛』では、
『母の愛は喰裂紙に比べ花弁先端のかがりが深く、咲き方が深く抱える』ということと
喰裂紙は横向きに咲き、母の愛は垂れ咲きという2点を相違点としてあげています。
展示会出展作品の中には、「垂れ咲きの喰裂紙」が出ていることもあります。
東京のさくらそう会の見解によれば、右下は「母の愛」ということになってしまいます。


鳥居氏の主張は正しいのだろうか。鳥居氏の「喰裂紙」と「母の愛」は本物なのだろうか。
鳥居著『色分け花図鑑 桜草』をバイブルとされている方にも、「垂れ咲きの喰裂紙」が載ってました。
鳥居氏の主張というかさくらそう会は、まいどまいど根拠が示されていないので、悩まされます。


鳥居氏の粗探しをしている分けではないが、
『色分け図鑑 桜草』を読むと、どうしても苦言を述べずにはいられなくなる。
(鳥居69ページ「山下白雨(さんかはくう):短柱花 1997年度認定 鳥居恒夫発表。
 古花の「喰裂紙」より大輪で、少し遅く咲き、長く楽しめる。繁殖は中程度だが、確実にふえ、「喰裂紙」を育てる人が少なくなった。)
著者自身の作出命名品種の自画自賛には呆れてしまう。
何をもって『確実にふえ』ると断言するのか、根拠を示していただきたい。
何をもって『「喰裂紙」を育てる人が少なくなった』と発言されるのかお教えいただきたい。
花の楽しみ方、愛でる想いは人それぞれなのだから、他の花を引き合いに出し、踏み台に使うような記述は控えるべきである。

(鈴鹿:165ページ「母の愛」。163ページ「 白滝 」。)
(鳥居:「鶴の毛衣」「吹雪笠」の記述無し。)
web上に「吹雪笠」の記述と画像無し。



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五大州(ごだいしゅう) G 2倍体 長花柱花 明治
(鈴鹿163ページ「五大州」)
(鳥居78ページ「五大州」:長柱花 明治中期 類似品種 浜千鳥。
 類似する浜千鳥より桃色が鮮明で、糸覆輪からも判別できる。)
(鳥居88ページ「浜千鳥」:長柱花 昭和前期か 類似品種 五大州。
 五大州に似て、玉咲きに近いつかみ咲きとなるが、明るい桃色ではなく、沈んだ色調だけに地味である。)

『・・・』

「五大州」と「浜千鳥」は、鈴鹿著『日本サクラソウ』に関係無いのに、
「浜千鳥」が悪く書かれています。『なんでだろう』と考えた時、
此処まで10品種(大須磨・秋の装・雪月花・連鶴・絞竜田・南京小桜・六玉川・岩戸神楽・喰裂紙・五大州)と調べてきて、
鳥居氏の性格というか手法を漸く理解しました。

鳥居氏の文法は、一方のイメージを悪くすることで、もう一方の浮き上がらせる、対比法。
一方を悪く記載するのは、好みの花を高く評価付けさせるための誘導であり、一種の自己顕示欲の現れだったんですね。
「五大州」の類似品種として「浜千鳥」を掲げ、「浜千鳥」を『沈んだ色調だけに地味』と、こき下ろす。
「山下白雨」でも、なぜ「喰裂紙」を引き合いに出したのか不思議でした。
他にも品種の説明に余計な主観を記載するのが理解できませんでしたが、此処に来て納得です。



埼玉県花と緑の振興センターでは
「五大州」の類似品種に「浜千鳥」「桜の笑」「国の光」を掲げていました。
「国の光」は、「国の光」の項の時に紹介するとして
埼玉県花と緑の振興センターの「浜千鳥」「桜の笑」は似てますけど、
他の栽培者の「浜千鳥」とは、似てない気がします。




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飛燕(ひえん) G 2倍体 長花柱花 明治?
(鈴鹿165ページ「飛燕」)
(鳥居89ページ「飛燕」:長柱花 昭和初年か 類似品種 夕栄 朝日潟 濡燕。
 この色調のなかでは大輪咲きで、強い個性を持たないが、このような花があることで、他の花が引き立って見える。)


資料の中では『明治?』だが、鳥居著『色分け花図鑑 桜草』では『昭和初年か』となっている。
『品種識別、親子関係、由来に関する情報』に関係は無いが、
「このような花があることで、他の花が引き立って見える。」と、また余計な記述をしているので、類似品種を調べてみる。

(鈴鹿167ページ「夕栄」)
(鳥居94ページ「夕栄」:長柱花 江戸末期 類似品種 飛燕 濡燕 朝日潟。
 花形よく、花つき多く、草姿が整って咲きそろう優秀花。性質も強く育てやすく、段咲きとなりやすい。)
段咲きとなりやすい品種を『草姿が整って咲きそろう優秀花』と言える基準は何だろう?



(鈴鹿159ページ「朝日潟」)
(鳥居72ページ「朝日潟」:短柱花 江戸末期か 類似品種 濡燕 飛燕。)
類似品種に、なぜか「夕栄」の記載が無い。



(鈴鹿165ページ「濡燕」:裏薄紫表底紫吹掛平咲大輪)
(鳥居85ページ「濡燕」:短柱花 江戸末期 類似品種 朝日潟 夕栄。花弁の裏側は淡桃色、表は底紅で目がある。花形、花色ともに野生品に近く、花茎は長く伸びる。葉はやや小型で鋸歯は丸い。「華錦」「老の友」の名で存在したのは同品種。)
類似品種に、なぜか「飛燕」の記載が無い。

(鈴鹿151ページ「老の友(オイノトモ)」:内曙白裏薄桃色重弁平咲大輪で、花茎もよくそろい、至ってつくりやすい品種。風情にはとぼしいが花つきもよく、ほのかな感じの色彩で初心者に人気があります。すこし似たものに「濡燕」があるがまったくの別品。「濡燕」は内紫ボカシ裏薄紫の単純な桜弁で、重弁ではなく、また「翁の友」は別品種です。)
(鳥居「老の友」の記載無し)
『品種識別、親子関係、由来に関する情報』に関係は無いが、
鳥居氏が何をもって「濡燕」と「華錦」&「老の友」を同品種としたのか、根拠を示していただきたい。
web上に「老の友」の画像無し。




鳥居氏と東京のさくらそう会を品種認定基準に取り入れている埼玉県花と緑の振興センターHPに
「濡燕」の記載は無いが、『濡乙鳥 認定番号140 ぬれつばめ』が載っている。


(鈴鹿161ページ「翁の友」)
(鳥居141ページ「翁の友」:長柱花 江戸末期か 類似品種 隠れ蓑 泥中の玉。)
(鳥居138ページ「隠れ蓑」ハプロタイプ G:短柱花 江戸末期 類似品種 泥中の玉 翁の友。
 異種同名が多く、「嵐山」「嵯峨の春」「雨竜」などはまったく同じもの。)
サクラソウ127園芸品種の葉緑体DNA型(ハプロタイプ)の中に「隠れ蓑」もあるので
「隠れ蓑」に関することは、「隠れ蓑」項を設けた際に改めて記載する。

「飛燕」の『名前の由来と品種がわかる』だけでよい話しなのに、
どうして次々関連していくのだろう。
鳥居氏の解説が下手なだけという話しなのだろうか。疲れる。

(鈴鹿「華錦」の記載無し)
(鳥居「華錦」の記載無し)

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美女の舞(びじょのまい) G 2倍体 長花柱花 大正末期 鈴鹿義一
(鈴鹿158ページ「美女の舞」:鈴鹿義一の作出命名。
 昭和2年の押花帳に、すでに残されているから、多分大正末期の作と思われる。類似品に「勇獅子」がある。)
(鳥居71&88ページ「美女の舞」:長柱花 大正末(1923)年頃 鈴鹿義一発表 類似品種 勇獅子。
 古花の勇獅子に似るが、弁先のかがりが繊細で狂いが少なく、花は少し小形。花色が明るい点で判別できる。)

鳥居氏が絶賛し、桃色の花のトップページ(71ページ)に画像が載っている。
一方で鈴鹿氏は、義父である鈴鹿義一氏の作出命名でありながら、客観的に簡素に綴っている。
鳥居氏は、好みの花はドーン!と紹介するけれど、好きじゃない花は良く言わない人のようだ。



それにしても、鈴鹿氏が義父の作出年代を「多分大正末期の作と思われる」としているにも関わらず
なぜ他人である鳥居氏が「大正末(1923)年頃」と言えたのであろう。出典を明かしてほしい。

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国の光 G 2倍体 長花柱花 昭和初期 大鐘あぐり
(鈴鹿122ページ「国の光」)
(鳥居78ページ「国の光」:長柱花 昭和初(1927)年頃 大鐘あぐり発表。類似品種記載無し。
 大鐘女史の最優秀花で、はじめは鐘光、のちに国の光とされた。)


大城氏の資料では「昭和初期」だが、鳥居氏では昭和初年頃となっている。
微妙な表現の違いではあるが、
そこに『丸々コピーしていないぞ』という大城氏の気持ちを窺い知ることができて、お面白い。
と同時に、鳥居氏の作出年代に信憑性がないと判断し、後々問題視されることを避け
具体的な数字の記載を止め、幅を持たせた記述にしているようにも見受けられる。

例えば論文に、
香炉峰:越路の雪と同じ可能性
越路の雪:「田子の浦」「香炉峰」現存品はまずこれ。
旭鶴:「入日の灘」と同じ可能性
上記のような「同じ可能性」「現存品はまずこれ」などという抽象的な表現が許される訳はないと思うのですが、
「参考文献記載内容である」と主張することができます。
でも、作出年代に関しては研究趣旨からそのような言い訳は通用しないと判断して、幅を持たせたのだと思います。

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隠れ蓑 G 3倍体 短花柱花 江戸後期 「嵐山」「嵯峨の春」「雨竜」と同品
(鈴鹿153ページ「隠れ蓑」:底曙白裏桃色切弁、抱えやや垂れ咲きの大輪。花茎剛直、花つきも至ってよく、桜花爛漫といった感じです。古花で名花の1つですが、「嵯峨の春」「嵐山」「名取川」などの類似品があります。)
(鳥居138ページ「隠れ蓑」ハプロタイプ G:短柱花 江戸末期 類似品種 泥中の玉 翁の友。
 最も優良な普及品種。それだけに異種同名が多く、「嵐山」「嵯峨の春」「雨竜」などはまったく同じもの。)
『最も優良な普及品種』の根拠は何所にあるのだろう。
曖昧な根拠を元に『それだけに異種同名が多く』と断言できるのだろうか。
憶測もいい加減にしてほしい。



鈴鹿=類似品:「嵯峨の春」「嵐山」「名取川」などの類似品があります。
鳥居=異名同種:「嵐山」「嵯峨の春」「雨竜」などはまったく同じもの。
(鈴鹿163ページ「嵯峨の春」:表白裏縁へりぼかし大輪)
(鈴鹿159ページ「嵐山」:薄色曙表白重鋸歯大輪)
(鈴鹿「名取川」記載無し)
(鳥居「嵐山」「嵯峨の春」「雨竜」当然記載無し)
鳥居氏は同定した理由を示してほしい。
大城氏の論文には参考文献の資料として掲載されただけで、
研究結果として『「嵐山」「嵯峨の春」「雨竜」と同品』と同定され、記載されているわけではない。
あくまで鳥居氏の主張に過ぎないことを、我々は理解しなければいけない。

鳥居恒夫著『色分け花図鑑 桜草』2006年のサブタイトルは「名前の由来と品種がわかる」であるが
わずか14品種を調べただけでも、内容が怪しい事が、窺い知れてくる。
またこのような内容の書物を参考文献にして、良いものだろうかと首を傾げてしまう。

(鈴鹿161ページ「翁の友」)
(鳥居141ページ「翁の友」:長柱花 江戸末期か 類似品種 隠れ蓑 泥中の玉。)
(鈴鹿164ページ「泥中の玉」)
(鳥居141ページ「泥中の玉」:長柱花 江戸末期 類似品種 隠れ蓑 須磨の曙。)
(鈴鹿163ページ「須磨の曙」)
(鳥居141ページ「須磨の曙」:長柱花 昭和前期か 類似品種 泥中の玉。
 非常によく似通った品種が多く、言葉で説明することがむずかしい。同じ条件で栽培することで、その違いを知ることができる。)

類似品種を辿っていけば、最後は何たる言い草。
鈴鹿氏が何か綴っていたら対比法が使えたであろうに、主観が尽き果てた末の本音というべきであろう。
なんとも情けない専門家。さくらそうへの愛情の不足を垣間みる思いがした。
web上に「雨竜」の画像無し。
「嵐山」の読み方は「あらしやま」だと思うのだが「武蔵嵐山(らんざん)」というのも在った。同品種か否か、私には判らない。
人気の品種を育てるのも良いが、web上に載ってないような品種を集めて育てるのも一興かと思う今日この頃。





埼玉県花と緑の振興センターHPによると、「泥中の玉」の類似品種は「隠れ蓑・花孔雀」となっていた。



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Posted by さくら at 20:22Comments(0)日本桜草について

2010年01月28日

今更ですが.9

サクラソウ127園芸品種の葉緑体DNA型(ハプロタイプ)『品種識別、親子関係、由来に関する情報』
ハプロタイプ α
連鶴   短花柱花 明治?
絞竜田  2倍体 長花柱花 江戸後期 絞り、縞が安定せず紅色無地のものを「竜田の夕」と呼ぶ
南京小桜 2倍体 短花柱花 江戸中期 (享保)  最も古い、野性的

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連鶴(ツレヅル) α 短花柱花 明治?
(鈴鹿「連鶴」:記載無し)
(鳥居63ページ「連鶴」:短柱花 明治中期 類似品種: 白蜻蛉。)



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絞竜田(シボリタツタ) α 2倍体 長花柱花 江戸後期
(鈴鹿163ページ「絞竜田」:シボリタツタ)
(鳥居149ページ「絞竜田」:長柱花 江戸末期 類似品種: 落葉衣。絞りがよく出ると見事だが、紅無地になることも多く、これを「竜田の夕」と呼んで区別する。)
竜田の夕(たつたのゆうべ)
(鈴鹿「竜田の夕」:掲載無し)
(鳥居149ページ「竜田の夕」:長柱花 江戸末期 類似品種: 京鹿子 京撫子。「絞竜田」の紅無地になったもの。竜田とは紅葉の名所の竜田川のこと。「絞竜田」から変化したので、このように表現。)
(「京鹿子」:鈴鹿162ページ 鳥居 23ページ 割愛)
(「京撫子」:鈴鹿162ページ 鳥居 40ページ 割愛)

鳥居氏は限られたスペースの中で『竜田とは紅葉の名所の竜田川のこと。』と命名の由来を上手に述べていますが、
今イチ意味が判りません。紅葉の名所の竜田川地区で作出されたのでしょうか。それとも地名にあやかったという意味でしょうか。
いやいや、そもそも記載された由来事由は本当なのでしょうか。
鈴鹿著『日本サクラソウ』謡曲中からの日本サクラソウ品名の項144ページには
『竜田川:竜田 逆矛』『竜田姫:竜田』とありますが、「絞竜田」と「竜田の夕」の記載はありません。
出典は他にあるのでしょうか?
まさか「同じ竜田だから、命名由来も同じであろう」という鳥居氏の根拠無き憶測ではないでしょうね。




落葉衣(おちばころも)
(鈴鹿151ページ「落葉衣」:(オチバゴロモ)鴇色地に紅絞切り弁平咲中輪で、小絞りのものや、砂子絞り、ときには無地花も出ます。絞り系統のものは、はっきりと固定していないものが多いので、このような変化がみられるが、他の絞り系のものと比べて可憐です。人気品種ですが、性質はやや弱い、江戸時代の古花。(鴇色=トキ色=朱鷺色のことらしい。))
(鳥居147ページ「落葉衣」:短柱花 江戸末期 類似品種: 記載無し。絞りの葉は易変遺伝子によるので、時には真っ赤な花が咲くこともあり、よい絞りの株を維持するために、赤無地の株は淘汰しなくてはならない。)

今更ですが.8』【前代未聞 2倍体 短花柱花 江戸後期】にも記載しましたが、
(鈴鹿著147ページ「前代未聞」:この花と同一のものに有名な「木枯」(短柱花)があるが、差異は長柱花と短柱花だけの差であるといわれています。)
(鳥居著149ページ「前代未聞」:短柱花。江戸末期。「木枯」と間違えている人が実に多いが、短柱花であること、草丈が低いことで見分けられる。)
(鳥居著147ページ「木枯」:長柱花。江戸末期。「木枯」と間違えている人が実に多いが、短柱花であること、草丈が低いことで見分けられる。まったく紅無地になったものを「花大将」と呼ぶ。)
(鳥居著147ページ「花大将」:長柱花。江戸末期。「木枯」が紅無地になったもの。)
とそれぞれ書かれており、鳥居氏の主張では、「木枯」が紅無地になったものが「花大将」です。

「絞竜田」の紅無地になったものが「竜田の夕」。
「木枯」が紅無地になったものが「花大将」。
なのに「落葉衣」の赤無地の株は無名扱いで、しかも、どうして淘汰しなくてはいけないのでしょうか?
理由が解りません。とても乱暴な主張であり記述に思えるのですが、
それに同調している東京のさくらそう会の会員は、不思議に思わないのでしょうか。
そもそも「淘汰しなくてはいけない」などと記述する意味はなく
下衆な私は、これも鈴鹿氏への当てつけに思えてなりません。



竜田姫(タツタヒメ)
(鈴鹿157ページ「竜田姫」:移り白、地紅絞りのかがり平咲中輪。弁幅は広く縦の絞りが多く出る。花茎は剛直。
(鳥居「竜田姫」:掲載無し)
「絞竜田」「竜田の夕」とは関係無いのかしら。



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南京小桜 α 2倍体 短花柱花 江戸中期 (享保)  最も古い、野性的
(鈴鹿149ページ:現存しているサクラソウの品種中最古のもの(享保時代)といわれています。)
(鳥居32ページ:江戸中期(享保年間・1716-36年といわれている。)。以下、長文ゆえ省略。)

鳥居氏の南京小桜の説明は「色分け図鑑桜草」の中でももっとも広く説明されている品種になっている。
私は『品種識別、親子関係、由来に関する情報』を調べているので、深く追求しませんが、
鳥居氏の南京小桜説明の中に記載されている『櫻草作傳法』と『地錦抄附録』について
浪花さくらそう会長の山原氏が自身のBlog『日本の桜草と美術』の中で
『櫻草作傳法』と『地錦抄附録』について書かれているので、鳥居氏の解釈を留意しながら読み比べると、面白いです。

山原氏のBlog『日本の桜草と美術』
カテゴリ桜草栽培史 2008年07月11日
桜草栽培史18 江戸での桜草栽培状況について(再)
カテゴリ桜草栽培史 2008年07月15日
桜草栽培史19ー江戸での桜草栽培状況について(再々)

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Posted by さくら at 19:05Comments(4)日本桜草について

2010年01月26日

今更ですが.8

2010年01月22日『今 更ですが.7』で紹介した
サクラソウ127園芸品種の葉緑体DNA型(ハプロタイプ)、倍数性、花柱型』の
『品種識別、親子関係、由来に関する情報』の記述が気になったので、
夜な夜な調べていますが、収拾できずにいます。

その最大の要因は
鳥居恒夫著 さくらそう会写真『色分け花図鑑 桜草―名前の由来と品種がわかる―』
2006年(平成18年)2月20日初版発行 株式会社学習研究社。
の内容です。

鳥居恒夫氏とさくらそう会を悪く言うつもりは毛頭ありません。
『品種識別、親子関係、由来に関する情報』の記述に関して知りたいだけなのですが
どうしても鳥居恒夫氏とさくらそう会への苦言になってしまうのです。
面識も無いので、私が一方的に此所から非難する形になるのは不本意ではありますが、
さくらそう愛好者の将来のためにも、改めるべき箇所は改めてもらう必要があると考えます。


2010年01月24日『同一の遺伝子型』から始まった『今更ですが.1〜7』に登場する
サクラソウ集団における遺伝的多様性の保全 に関する分子生態遺伝学的研究』は、
本城正憲氏の筑波大学大学院 生命環境科学研究科 生物圏資源科学専攻 博士(農学)学位論文』です。
論文(博士(農学)学位論文)ですから、いい加減な内容であってはいけません。

論文によると、研究に使われた材料(サンプル)は
『筑波大学農林技術センターおよび埼玉県農林総合研究センター園芸研究所で栽培されている
江戸時代中期から昭和にかけて作り出された園芸品種127品種から、2002年および2003年の4月に葉を採取した(表15)。
(中略)
葉の採取の際には、花弁形態と鉢に挿してあるラベル、および鳥居(1985)の写真、記述とを照らし合わせて、
実際に栽培している株とラベルの品種名に相違がないか確認した。』
と書かれています。

本城正憲氏の論文における参考文献とは
鳥居恒夫著『さくらそう』日本テレビ放送網株式会社 (1985)(昭和60年4月17日発行3990円)
鈴鹿冬三著『日本サクラソウ』日本放送出版協会(1976)
ですが、
鳥居恒夫著『さくらそう』日本テレビ放送網株式会社 (1985)は絶版になってり入手不可能。
私は読んだことも見た事もありません。
そこで手持ちの
鳥居恒夫著 さくらそう会写真『色分け花図鑑 桜草―名前の由来と品種がわかる―』
2006年(平成18年)2月20日初版発行 株式会社学習研究社
鈴鹿冬三著『NHK趣味の園芸:作業12か月 日本サクラソウ』
昭和51年(1976年)5月1日第1刷発行 平成8年(1996)2月10日第16刷発行 日本放送出版協会
上記2冊を使い、『品種識別、親子関係、由来に関する情報』の記述内容を調べはじめました。

最初に、ページ数が少なく文章が簡素な鈴鹿冬三著『日本サクラソウ』昭和51年から行いました。
鈴鹿氏の文章は短く簡潔で、花の色や形など園芸愛好者向けの記述が主で、
本城正憲氏の研究と『品種識別、親子関係、由来に関する情報』に関係する記述は少なかったです。

次ぎに、鳥居恒夫著『色分け花図鑑 桜草』2006年を調べました。
私はこの本を2009年01月21日の記事『日本桜草の本.2』で絶賛しました。
そして今回、鈴鹿著『日本サクラソウ』1976年を読んだ後に、改めて読み返す形となりましたが
鳥居氏の鈴鹿氏(浪華さくらそう会)への対抗心と
己(&さくらそう会)の功名心が行間に満ちあふれ
どうでもいい主観と偏見と、憶測に満ちた酷い内容であることに気づいたのです。


東京の『さくらそう会』のHPにある『認定品種306種』は、
Myoshiのホームページへようこそ!!』にリンクが張られています。
『Myoshiのホームページへようこそ!!』の『認定品種の写真と解説 さくらそう会の認定品種(306種)』の冒頭には、
下記のような記述があります。
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さくらそうの園芸品種はさくらそう会(世話人代表鳥居恒夫)で306種を認定しています。
さくらそうの品種は江戸時代から愛好家の間で綿々と受け継がれてき文化遺産です。
しかし正確な品種を間違いなく栽培するのは難しく、
頼みは「さくらそう 鳥居恒夫著日本テレビ出版」でしたがこれが絶版になり入手できません.
平成18年2月に待望の「色分け花図鑑 桜草」鳥居恒夫著が 学習研究社からが発売になりました。
この本がさくらそうの品種の基準です。
さくらそうの品種を正確に区別するのは大変難しいことですが、
見分け方を鳥居先生から伝授していただき、これを写真で写しこみ解説するつもりです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

これを読みますと、
東京の「さくらそう会」は、鳥居氏を奉りあげた宗教団体のように感じます。
鳥居恒夫著「色分け花図鑑 桜草」が、さくらそうの品種の基準とは、呆れます。
浪華さくらそう会のように、理事や会員が歴史と個々の栽培経験を基に語り合うのではなく
「鳥居さんが言ったんだ。」「鳥居さんがそう考えるなら、その通りでしょう。」と
疑う事を知らない教団の信者のように鵜呑みにして、
『我々の言うことを信じないことは過ちである』と脅しながら、普及活動しているかのようです。
東京の「さくらそう会」の会員は、鳥居氏の著物を読んで、疑問や矛盾を抱かないのでしょうか。

浪華さくらそう会の山原氏は、私の2009年01月21日の記事『日本桜草の本.2』にコメントを下さり
「まあ、気楽に写真を見るのには良いものでしょう。」と言われましたが、私はそれすら許せません。
内容は根底から怪しく、誤った知識と見解の記述が桜草愛好者へ与えてしまう負の影響は甚大です。
全国の桜草愛好者と桜草文化の未来のためにも
『色分け花図鑑 桜草』は回収して絶版にすべきではないかと考えるほど酷い本だと感じています。


また、本城正憲氏が参考文献に掲げた
『鳥居恒夫著『さくらそう』日本テレビ放送網株式会社 (1985年)(昭和60年4月17日発行3990円)』と、
私が今回見比べた
『鳥居恒夫著 さくらそう会写真『色分け花図鑑 桜草』2006年(平成18年)2月20日初版発行 株式会社学習研究社』
では、『品種識別、親子関係、由来に関する情報』に関する記述に大きな違いはないと思えますが、
本城正憲氏は、内容を検証しなかったミスを犯しました。
否、本として書かれているという“事実”に基づいているのだから
鳥居恒夫著『さくらそう』 (1985)の内容を検証して“真実”を証明する必要はないわけで、
『検証しなかったミスを犯した。』というのは言い過ぎかもしれませんが、
鳥居恒夫著『色分け花図鑑 桜草』2006年を読むと、資料が根底から間違っていることになるのです。

例えば【前代未聞 2倍体 短花柱花 江戸後期】における両氏の記述に違いがあります。
鈴鹿著『日本サクラソウ』昭和51年(1976年)。147ページ記載。
『この花と同一のものに有名な「木枯」(短柱花)があるが、差異は長柱花と短柱花だけの差であるといわれています。』
鳥居著『色分け図鑑桜草』2006年。149ページ記載。
『前代未聞』の項:短柱花。江戸末期。「木枯」と間違えている人が実に多いが、短柱花であること、草丈が低いことで見分けられる。』
鳥居著『色分け図鑑桜草』2006年。147ページ記載。
『木枯』の項:長柱花。江戸末期。「木枯」と間違えている人が実に多いが、短柱花であること、草丈が低いことで見分けられる。』

鈴鹿著によれば、「前代未聞」は長柱花であり、短柱花は「木枯」ということになります。
鈴鹿氏の『日本サクラソウ』は昭和51年(1976年)の著書で
鳥居氏の『さくらそう』 は1985年の著書です。
先人が「前代未聞は長柱花」と言っているのに、何を根拠に「前代未聞は短柱花」と主張するのでしょう。
さくらそう会HPのリンク先には
『さくらそうの品種は江戸時代から愛好家の間で綿々と受け継がれてき文化遺産です。』
と、記載されています。私も温故知新が古典園芸の鉄則だと思っています。
だとすれば鳥居氏は間違いであり、本城正憲氏の資料も誤りとなります。

鳥居著『桜草』 2006年には、他にもとんでもない事が随所に書かれています。
鳥居恒夫氏とさくらそう会批判が目的ではないので、
『品種識別、親子関係、由来に関する情報』の記述に関する事項から紹介します。

【富士越 2倍体 長花柱花 明治 柴山政愛 】
鳥居著『色分け図鑑 桜草』2006年。90ページ記載。
明治後期 柴山政愛発表。昭和40(1965)年頃までは最大輪花であった。
この花が広まったのは1952年にさくらそう会が発足して、苗の配布に努めたことによる。
最大輪花でありながら、花の表に色がにじむために、最高の評価はないが、人気は高く、大きすぎるという評もあった。
なお、この富士越は実は二代目で、初代が枯れたのちに、再び命名されたものである。

『実は二代目で、初代が枯れたのちに、再び命名された』とは、どういう意味であろう。
そのまま受け取れば、柴山政愛が作出命名した「富士越」ではないということになる。
そんな株を本城正憲氏はデーターにしてしまったのだろうか。
二代目を「富士越」と称して全国に配布してしまったのだろうか。

東京のさくらそう会は『綿々と受け継がれてき文化遺産』を黙殺し、
わけがわからない花を二代目と認定した会の認識を楯に「これが「富士越」です。」と主張。
そして『この本がさくらそうの品種の基準です。』などという主張は通らないし、通してはいけない。
何よりも意味不明な二代目を取り上げながら、作出年代と作出者を掲げるなど、言語道断である。


また、鳥居著『色分け花図鑑 桜草』2006年の解説に、ちょっと長文の箇所があると、
その内容は必ず鈴鹿著『日本サクラソウ』昭和51年への当て付けになっており、
正反対のことや否定する事が記されており、閉口します。
例えば【ハプロタイプ A 大須磨 2倍体 短花柱花  江戸後期】
鳥居著『色分け図鑑 桜草』2006年。146ページ記載。
『「大須磨」:花に斑が入るところだけが見どころで、野生のなかから発見さえたものであろう。』

花の美しさと愛でる気持ちは人それぞれなのに、
『花に斑が入るところだけが見どころ』と書く必要はあるでしょうか。
『変なこと書く人だなあ』『もしや』と思い
鈴鹿著『日本サクラソウ』昭和51年(1976年)を見てみると
『156ページ「大須磨」:色調が面白く可愛げがある。』と書いてありました。
東京のさくらそう会50周年記念事業にもされている書籍で、悲しいことです。

浪華さくらそう会のHPの掲載されている15年度会誌紹介に、
会長の山原氏が、こんなことを書かれていましたので、一部を紹介します。
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小澤征爾氏の活動を紹介するテレビ番組を見る機会がありました。
彼は今世紀でもっとも高い評価を得ている指揮者でしょう。
彼は指揮をする前に、その曲を徹底的に読み込む作業をします。
作曲者の意図、曲の時代背景など十二分に把握した上で、音を再構築していきます。緻密で妥協の許さない仕事です。
その上で、それを演奏者により現実の音楽として再現するのです。
その豊かな構成力とともに演奏者の力を自在に引き出す能力に長けているといわれています。
彼の手にかかれば、オーケストラはその持てる力を百二十%も発揮するのです。魔法にかかったかのように。
一方で、素人の演奏者が合奏し、その家族や知人がそれを聴いています。
技量は高くなくとも、演奏を、音楽そのものを楽しんでいる姿に、彼は感動するのです。
音楽そのものの持つ力、美しさに対する大きな感受性を持っていることが、
彼を偉大ならしめている基礎となっているように思われます。
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『品種識別、親子関係、由来に関する情報』の記述を調べたいだけのに
上記の理由から次々と疑問がわき、調べる事が増え、どんどん横道へ反れてしまい、収集がつきません。
サンプルとなった127園芸品種に関すること全部を一度にアップすることは、今の私には無理です。
ローカルディスク上でも整理するのが面倒なので、小出しにアップしたいと思います。

鳥居恒夫著『さくらそう』(1985年)や東京のさくらそう会の会報、浪華さくらそう会の会報、
これまで発見されてきた桜草栽培の資料を読んでもいないので、
私の思い込みに因る間違った解釈、歴史認識に過ちがあるやもしれません。
その際には遠慮なくコメントください。真摯に受け止め、勉強させていただきたく所存です。

ということで、まずは各1品種しかなかった下記3品種について。
ハプロタイプ A 大須磨 2倍体 短花柱花  江戸後期
ハプロタイプ δ 秋の装 短花柱花 江戸後期
ハプロタイプ I  雪月花 短花柱花 江戸後期

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大須磨 A  2倍体 短花柱花  江戸後期
(鈴鹿156ページ「大須磨」:色調が面白く可愛げがある。)
(鳥居146ページ「大須磨」:短柱花 江戸末期 類似品種: 記載無し。
 花に斑が入るところだけが見どころで、野生のなかから発見さえたものであろう。
 かつて同様のものに小須磨があり、それより大形であったため命名。)

『花に斑が入るところだけが見どころ』とは、鈴鹿氏を意識しての当てつけだろうか。
花への愛情を疑ってしまうし、作出命名者や先人に対して失礼。なんとも酷い言い方。第一こんなことを記載する必要はない。
『野生のなかから発見さえたものであろう』と書いているが、
本城正憲氏のDNA分析結果を知った上での発言であろうから、その旨を書くべきではなかろうか。
『かつて同様のものに小須磨があり、それより大形であったため命名』とあるが、本当かしら。
「小須磨」という品種が存在の有無は私には判らないが、日本語的にその説明は変である。
「白蜻蛉」「朝日」が先にあったから「大白蜻蛉」「大朝日」と命名されたように、先に存在しら品種は「須磨」ではないのかしら。
何も無いのに「小須磨」と命名するという解釈は変である。

「楊貴妃」を検索中に「須磨」「大須磨」の文字がヒット。どこのサイトだと思いきや、山原氏のBlogでした。
カテゴリ桜草栽培史 2009年03月20日
桜草栽培史34 桜草名寄控翻刻
『桜草名寄控』を再読してその重要性を再認識させられたところ、若い知人にこのリプリントを送るに際して翻刻をしたので、
せっかくなので大方の利用に供しようと思う。
この『名寄控』は前後に手が変わっている。前半は1860頃に、後半は20数年後の明治に入ってしばらくしてから纏められたようである。

萬延元申年(1860)閏三月吉日
桜草名寄控    染植重
『楊柳笛 青葉の笛 須磨 大須磨 玉光梅 猩々舞 汐衣 江戸紫 千鳥貝』

『小須磨』なんて無いじゃないの。思った通り『須磨』『大須磨』。
鳥居氏の解説は、一つ一つ個別に読むと説得され納得してしまうが
鈴鹿氏を読んだ後に通して読んでみると、憶測だらけの酷い内容で
鈴鹿氏を意識していることが行間に溢れていてます。

別のことを調べていたら、またまた山原氏のBlog『日本の桜草と美術』がヒット。
カテゴリ桜草栽培史 2008年07月15日
桜草栽培史19ー江戸での桜草栽培状況について(再々)
戸田にて見事の絞り花見出し賞美され、【 須磨浦 】と名付られ、
人々名花と賞し今以て所々に翫植してあるなり。
その後に至り好事の人々、実を取蒔て種々丹精し、花の替りを出し候事になり、
実蒔の替花にて南京小桜と名付し花初りのよし辻武助の咄にし候。

(鳥居32ページ「南京小桜」:最古の品種と伝えられる。『櫻草作傳法』(写本)によると、
 享保以降にタネをまいて変わり花を作り出すことが始まり、
 実生花として初めて生まれたのが南京小桜とあるが、野生品に近い。)
鳥居氏は『色分け花図鑑 桜草』南京小桜の項で上記のように書かれているが、
最古の品種以前に、【 須磨浦 】と名付けられた品種があるとも書かれている。
この後に、小須磨という品種が生まれて、大須磨が誕生したのだろうか。
それとも、須磨浦の後に須磨が生まれ、小須磨が誕生して、大須磨と言うのだろうか。
いずれにせよ、
『かつて同様のものに小須磨があり、それより大形であったため命名』という大須磨の命名由来には無理がある。
根拠があるなら示してほしい。

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秋の装 δ  短花柱花 江戸後期
(鈴鹿146ページ「秋の装」:どことなくさびしさが感じられて案外希望者が多いです。古花。)
(鳥居112ページ「秋の装」:短柱花 江戸末期 類似品種: 十州の空 貴妃の夢
 花弁が厚く、しっかりと広がり、端正な姿にはさびしさとともに品位がある。)
(鳥居116ページ「十州の空」:短柱花 江戸末期か 類似品種: 貴妃の夢)
(鳥居113ページ「貴妃の夢」:短柱花 昭和前期か 類似品種: 秋の装 十州の空)
(鈴鹿146ページ 「十州の空」:紫色系の名品の1つ。)




『秋の装』では、突っ込むべき箇所は無いように思えたが、鳥居氏が「秋の装」の類似品種として紹介している「貴妃の夢」が気になった。
鈴鹿氏の本に「貴妃の夢」は載って無いが、「楊貴妃」は太文字記載されていた品種だと気づいたからだ。
それと、鳥居116ページ「十州の空」の類似品種欄には「秋の装」が記載されていない。
此所でも鈴鹿氏を意識したようだ。鳥居氏への不信感があるので「貴妃の夢」と「楊貴妃」も調べてみることにした。

(鈴鹿147ページ 「楊貴妃」:表曙白裏桃色、桜弁抱え、ややつかみ咲大輪で、非常にあでやかな花です。)
鳥居著『色付け図鑑 桜草』に「楊貴妃」は載っていない。
「楊貴妃」は存在する品種なのか否か、私には判らないのでネット検索したら埼玉県花と緑の振興センター サクラソウ保存品種一覧がヒット。そこにはまたしても驚愕の事が書かれていた。
『認定番号26 酒宴の床(うたげのとこ)表の花色:白/裏の花色:桃/花弁の形:広/花弁先端の形桜/花容:深抱え咲き/僅長柱花。 楊貴妃と同じ』
ちなみに
(埼玉県花と緑の振興センター「楊貴妃」:未認定 ようきひ)
(筑波大学農林技術センターは画像のみ「楊貴妃」:画像無し)
(筑波大学農林技術センターは画像のみ「貴妃の夢」:画像あり)



「楊貴妃」と「酒宴の床」が同品種といわれてしまっては、調べるしかない。
(鈴鹿147ページ:楊貴妃(ヨウキヒ)表曙白裏桃色、桜弁抱え、ややつかみ咲大輪で、非常にあでやかな花です。)
(鈴鹿148ページ:酒宴の床(シュエンノトコ)江戸時代の名花の1つ。桃色表移白広桜弁大抱咲最大輪。
 関西方面で、一時は「桃の節句」と混同されたこともありましたが、まったくことなります。)
(鳥居著『色付け図鑑 桜草』に「酒宴の床」は載っていない。)

(うたげのとこ)と(シュエンノトコ)、どちらが正しい読みなんでしょう。
読み方に関しても鈴鹿氏と鳥居氏では見解が違うのですが、書籍として古いのは鈴鹿氏であり、読み方や漢字の記載は古い記述に従うべきだと思います。
誰であれ勝手に替えることは許されず、替えるにしても浪華さくらそう会のように、根拠を示して広言すべきです。

鈴鹿氏は「桃の節句」と混同された史実を語っていますので、今度は「桃の節句」を調べます。
(鈴鹿158ページ:桃の節句(モモノセック)薄桃色系の最大輪の見事な花である。)
(鳥居著『色付け図鑑 桜草』に「桃の節句」は載っていない。)
(埼玉県花と緑の振興センターに「桃の節句」は載っていない。)
(筑波大学農林技術センターは画像のみ「桃の節句」:画像無し)
鳥居氏(さくらそう会)と埼玉県花と緑の振興センター、筑波大学農林技術センターは一蓮托生。同じスタンスのようです。

多勢に無勢。悔しいかな、関東地域はさくらそう会の支配下にあるようですが、
そもそも公の機関が、東京のさくらそう会という民間組織が勝手に行っている品種認定制度を取り入れるというのは、如何なものであろうか。
公共の機関として軽卒過ぎやしまいか。

ちなみに、
東京大学大学院教授の鷲谷いづみ著『サクラソウの目 繁殖と保全の生態学 第2版』2006年5月31日初版第1刷のあとがきを読むと、
浪華さくらそう会と山原茂会長が登場。
参考文献・書籍には、浪華さくらそう会(1990年)特集・櫻草作傳法, 浪華さくらそう会誌, 第25号と記載されており、
鳥居氏と東京のさくらそう会は一切登場しない。

おっと、此処にきて(私には)新発見。
2007年発行『世界のプリムラ』(誠文堂新光社)に掲載された
文久元辛酉仲春(1861年)発行、尾陽金城東(尾張=現在の名古屋)で出版された「櫻草見立相撲」に
「楊貴妃」は東前頭3枚目で載っていますが、「貴妃の夢」も「酒宴の床」も見当たりません。
ちなみに、「須磨」は頭取として載っています。

浪華さくらそう会長 山原氏の旧Blog『日本桜草』2007年03月25日掲載『世界のプリムラ
浪華さくらそう会HP『平成19年度 浪華さくらそう会誌目次

調べる範囲をちょっと広げると、毎回こんな調子で、鳥居氏(さくらそう会)の主張がくつがえります。
こういう処の情報を参考にしている公の機関と研究者のデーターは、信頼がおけません。

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雪月花  I  短花柱花 江戸後期
(鈴鹿157ページ「雪月花」:江戸時代の作出。「神楽の雪」という品種があるが、同品と考える。)
(鳥居62ページ「雪月花」:短柱花 江戸末期 類似品種: 記載無し)
(鈴鹿147ページ「神楽の雪」:古花で有名な、「雪月花」と同品と思われます。
 だれの命名かは不明で再調査の上、同品であれば「雪月花」としたいものです。)

めずらしく鳥居氏が反論していません。
しかし、類似品種欄を記載しないのがなぜ?
此所も鈴鹿氏を意識しているようです。
鈴鹿氏の文章はいつも簡潔で、気持ち良く読めます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

以上、たった3品種を調べるだけでも時間が掛かりますし、上手くまとめるのも困難です。
私は鳥居氏と東京の『さくらそう会』を否定するために調べ始めたのでありませんが、
そこは避けて通れそうにありませんので、悪しからずご理解願います。
調べ終えた品種毎に記事をアップすることもできますが
ハプロタイプ別にアップしていくつもりです。
今後は気がむいた時に調べていきますので、次ぎの更新を気長にお待ち下さい。  


Posted by さくら at 18:34Comments(0)日本桜草について

2010年01月25日

試行錯誤

HP『くまさんの庭』Blog『草花好きのひとりごと』のくまさんが、
今年は用土を少し替えたという。桜草栽培は試行錯誤なんですね。face01

私はスリット鉢に感化され、通気性を良くしてみようと、
プランターの底部側面に10mmの穴を空けてみました。
無駄な事かもしれませんが、やってみたくなるんです。kao18


今までドリルで穴を空けてましたが、
今回は木工用ロータリーバーを使って、10mmまで広げました。
底部に開けた穴も、木工用ロータリーバーで少し広げました。


底部側面に穴を空けた事で気になることが、一つあります。
それは投入してあるミミズが逃げ出し易くなったかもしれない。ということです。kao18  


Posted by さくら at 19:31Comments(0)日本桜草について

2010年01月22日

今更ですが.7

本城正憲 著『サクラソウ集団における遺伝的多様性の保全 に関する分子生態遺伝学的研究
の133ページに載っている図15
『Statistical Parsimony法により構築された葉緑体DNAハプロタイプの系統ネットワーク』
に品種名を記入して作った系統図は『今更ですが.6』で紹介済みですが、
品種名を記入する際には、下記サイトを参考にしました。
筑波大学で行われている食と緑のマイスター育成講座の、
ガーデニングマイスタープログラムの課題テーマとして作成された『桜草の世界』から
サクラソウ127園芸品種の葉緑体DNA型(ハプロタイプ)、倍数性、花柱型』です。


『サクラソウ127園芸品種の葉緑体DNA型(ハプロタイプ)、倍数性、花柱型』
を見易くハプロタイプ別に並べ替えたのが下記です。
(ブラウザーで見え方が変わってしまい、行間がズレて、乱れて見える時もあるようです。)
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表サクラソウ127園芸品種の葉緑体DNA型(ハプロタイプ)、倍数性、花柱型
品種名 ハプロタイプ 倍数性 花柱型 作出年代 作出者 『品種識別、親子関係、由来に関する情報』

ハプロタイプ γ
萩の上風  長花柱花 ?
銀世界   長花柱花 江戸中期 (寛政~文化)
高砂染   長花柱花 江戸中期(寛政~文化) 「綾千鳥」と同品
薫る花風  長花柱花 江戸後期 (天保)
化粧の舞  長花柱花 江戸後期 「霞の衣」と同品
甘泉殿   長花柱花 江戸後期 「漢泉殿」とも書く。「清見潟」は同品
所縁の袖  長花柱花 江戸後期 「強勇競」「雲井鶴」現存品と同品
手拍子   長花柱花 江戸後期 「雨後の月」現存品と同。野生の白花に近い。
三国紅   長花柱花 江戸後期 野生品に近い
槇の尾   長花柱花 江戸後期?
九十九獅子 長花柱花 江戸後期
由加里の袂 長花柱花 明治?
桃園    長花柱花 明治?
夕陽紅   長花柱花 大正7年頃 田村景福
上絞    長花柱花 昭和初年 大鐘あぐり 「土佐の海」現存品は同品
春告鳥   長花柱花 昭和57年認定 尾崎康一
牡丹獅子  短花柱花 江戸後期 「乙女の袖」現存品と同品
銀孔雀   短花柱花 明治 「露の衣」現存品と同品
枝珊瑚   短花柱花 江戸後期
雨中の桜  短花柱花 明治
若藤    短花柱花 明治?
四季の峰  短花柱花 大正?
藤の里   短花柱花 昭和30年頃 尾崎哲之助
山下白雨  短花柱花 昭和58年 鳥居恒夫
朱鷺の雛  等花柱花 江戸後期
誰が袖   等花柱花 明治? 「産衣」と同品
衣通姫   短花柱花 明治?
小笹の雪  等花柱花 大正5年頃 永井誠也
京鹿子   2倍体 長花柱花 ?
香炉峰   2倍体 長花柱花 江戸(文化) 表裏とも純白つかみ垂咲大輪やや狂咲、越路の雪と同じ可能性
紫雲竜   2倍体 長花柱花 江戸後期 (天保) 「紫雲」「紫雲山」は同品
青海原   2倍体 長花柱花 江戸後期 (天保)
越路の雪  2倍体 長花柱花 江戸後期 「田子の浦」「香炉峰」現存品はまずこれ。「白珠」の親
十二単   2倍体 長花柱花 江戸後期 「嵩山」「花の宴」と同品
三保の古事 2倍体 長花柱花 江戸後期 「天女」の親。交配親に多用
獅子奮迅  2倍体 長花柱花 江戸後期 稀に獅子咲きでない花あり
芙蓉    2倍体 長花柱花 江戸後期
旭鶴    2倍体 長花柱花 明治 「朝日鶴」とは別、「入日の灘」と同じ可能性
陽炎    2倍体 長花柱花 明治? 「明石潟」「明月」現存品と同品
雪の肌   2倍体 長花柱花 明治?
綾波    2倍体 長花柱花 明治
富士越   2倍体 長花柱花 明治 柴山政愛
三田自慢  2倍体 長花柱花 大正3年頃 伊集院兼知
瑤台の夢  2倍体 長花柱花 大正7年頃 田村景福
紫宸殿   2倍体 長花柱花 昭和57年 中村長次郎 「手中の玉」の実生
高根の雪  2倍体 長花柱花 昭和57年 高木勇
西王母   2倍体 短花柱花 江戸後期 (天保)
一念力   2倍体 短花柱花 江戸後期?
通小町   2倍体 短花柱花 江戸後期
天が下   2倍体 短花柱花 明治
人丸    2倍体 短花柱花 明治後期 溝口正直
初桜    2倍体 短花柱花 昭和30年 高木勇 自然に結実
春裳    2倍体 短花柱花 昭和56年 峰岸優
白鷹    2倍体 短花柱花 昭和57年
唐縮緬   2倍体 等花柱花 江戸後期
初姿    2倍体 等花柱花 昭和30年 高木勇 昭和20年以降にできた実生新花第1号。自然に結実。
汐煙    3倍体 長花柱花 
白珠    3倍体 長花柱花 昭和37年 松木俊一 「越路の雪」の実生
獅子頭   3倍体 短花柱花 江戸後期 「紫雲の重」と同品
天女    3倍体 短花柱花 昭和57年 中村長次郎 「三保の古事」の実生
神風    4倍体 短花柱花 明治 荒井与左衛門 「西王母」の自然4倍体

ハプロタイプ E
臥竜梅  長花柱花 江戸中期 (寛政~文化)「神代冠」に似る
薄蛇の目 長花柱花 江戸後期? 野性的
白兎   長花柱花 山内勝貞
吹上桜  長花柱花 昭和初年 鈴鹿義一 改良親としての評価高い
興亜の春 長花柱花 昭和15年頃 小石川植物園 元の名は「ウラルの春」
青葉の笛 2倍体 長花柱花 江戸中期? 野生種に近い
残雪   2倍体 長花柱花 明治? 丸弁で欠刻がなくサクラソウらしくない
朝霧   2倍体 長花柱花 大正
匂う梅  2倍体 短花柱花 江戸中期 (寛政~文化)野性的。梅型絞、「源氏鏡」現存品と同品
駅路の鈴 3倍体 長花柱花 江戸中期 (寛政~文化) 最も古い部類。野性的。

ハプロタイプ β
霞の衣 長花柱花 江戸後期 「蝶遊」「化粧の舞」現存品と同品
鞍馬  長花柱花 ?  自然によく結実する
花孔雀 長花柱花 大正 田村景福 「手中の玉」と同じ可能性
艶姿  長花柱花 昭和初年 鈴鹿義一
無礼講 短花柱花 昭和57年 「南京絞」とも呼ばれる
赤蜻蛉 2倍体 短花柱花 明治?
折紙付 2倍体 長花柱花 昭和初期 池田喜兵衛 「遠山霞」とも呼ばれる
風車  2倍体 長花柱花 昭和10年頃 大鐘あぐり
玉紅梅 2倍体 長花柱花 江戸後期
北斗星 2倍体 短花柱花 昭和10年頃
瑠璃殿 2倍体 短花柱花 江戸後期 「還城楽」現存品と同品

ハプロタイプ H
蛇の目傘 長花柱花 江戸中期 (寛政~文化)
千鳥貝 長花柱花 江戸後期
妙智力 長花柱花 江戸後期
夕栄  長花柱花 江戸後期 野性的、段咲きになりやすい
飛竜  長花柱花 江戸後期 「錦葉集」に同品
錦葉集 長花柱花 江戸後期 「飛竜」現存品と同品
花大将 長花柱花 江戸後期 「木枯」の紅花品;易変因子による花色変異(絞り、縞)のうち紅一 色のもの
母の愛 長花柱花 大正12年頃 永井誠也
母の恵 長花柱花 昭和10年頃
墨田の花火 長花柱花 昭和初年 戸田康保 「戦勝」と実生兄弟
前代未聞 2倍体 短花柱花 江戸後期
松の雪 2倍体 長花柱花 江戸後期 (天保)
万才楽 2倍体 長花柱花 ?
蜃気楼 2倍体 長花柱花 ?  昭和57年
朝日  2倍体 長花柱花 明治? 伊藤重兵衛 濃紅かがり弁平咲き
玉珊瑚 2倍体 短花柱花 明治?
紅女王 2倍体 短花柱花 明治20年頃 荒井与左衛門
羅生門 2倍体 短花柱花 江戸後期? 「墨染衣」現存品、「墨絵の竜」と同品
白鷲  3倍体 長花柱花 江戸後期
鈴の音 3倍体 長花柱花 江戸後期 「玉宝山」「銀月の名」現存品と同品
目白台 3倍体 短花柱花 昭和2年頃  戸田康保 他種との交雑品とも言われるがその可能性は低い
緋の重 4倍体 短花柱花 昭和57年 塚越豊 「緋の袴」から変化

ハプロタイプ P
旭の袂 長花柱花 江戸中期 (寛政~文化) 「王昭君」現存品と同
舞扇  長花柱花 江戸後期 古い記録では「舞扇子」と記載
鋸峯  長花柱花 大正?
小桜源氏 短花柱花 江戸中期(寛政~文化)  野性的
窓の梅 等花柱花 昭和38年 尾崎康一
梅ヶ枝 2倍体 長花柱花 江戸後期
寿   2倍体 長花柱花 ?
春湖  2倍体 長花柱花 大正13年  西田信常
戦勝  2倍体 長花柱花 昭和初年 戸田康保 「墨田の花火」と実生兄弟

ハプロタイプ G
六玉川  長花柱花 江戸後期
岩戸神楽 長花柱花 江戸後期 「一の谷」は同品
喰裂紙  2倍体 長花柱花 江戸後期
五大州  2倍体 長花柱花 明治
飛燕   2倍体 長花柱花 明治?
美女の舞 2倍体 長花柱花 大正末期 鈴鹿義一
国の光  2倍体 長花柱花 昭和初期 大鐘あぐり
隠れ蓑  3倍体 短花柱花 江戸後期 「嵐山」「嵯峨の春」「雨竜」と同品

ハプロタイプ α
連鶴   短花柱花 明治?
絞竜田  2倍体 長花柱花 江戸後期 絞り、縞が安定せず紅色無地のものを「竜田の夕」と呼ぶ
南京小桜 2倍体 短花柱花 江戸中期 (享保)  最も古い、野性的 。

ハプロタイプ A 大須磨 2倍体 短花柱花  江戸後期
ハプロタイプ δ 秋の装 短花柱花 江戸後期
ハプロタイプ I  雪月花 短花柱花 江戸後期
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

『サクラソウ集団における遺伝的多様性の保全 に関する分子生態遺伝学的研究』と
『サクラソウ127園芸品種の葉緑体DNA型(ハプロタイプ)、倍数性、花柱型』とも
参考文献は同じで、
『倍数性は山口(1981)による。』
『作出年代、作出者、品種判別や親子関係、由来に関する情報は、
 鈴鹿(1976)および鳥居(1985)に基づく。』
となっています。

山口聡(1981)『園芸植物の細胞遺伝学III』染色体II21-22,615-621
鳥居恒夫(1985)『さくらそう』日本テレビ,東京
鈴鹿冬三(1976)『日本サクラソウ』日本放送出版協会  

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2010年01月21日

今更ですが.6

本城正憲 著『サクラソウ集団における遺伝的多様性の保全 に関する分子生態遺伝学的研究
の133ページに載っている図15
『Statistical Parsimony法により構築された葉緑体DNAハプロタイプの系統ネットワーク』
に品種名を記入して系統図を作ってみました。
サムネイルにしてありますのでクリックして見てみてください。
文字の色の違いが、見易くするためであり、深い意味はありません。face01

丸で囲まれたハプロタイプは野生集団のみから、
四角で囲んだものは野生集団と園芸品種・栽培野生系統の両方から、
四角で囲みさらにアスタリスクをつけたもの(βとγ+秋の装など)は
品種または栽培野生系統のみから見出されたハプロタイプを示す。
丸および四角の大きさはハプロタイプの観察数を表す。



私は見易くするために適当に文字の色を使いましたが
研究者の論文では色分することでDNAの違いを現しているようです。
色を見ても、庄内は独特なDNAのようです。face02



DNAのデーター数値の読み取り方は解りませんが、
八ヶ岳のサクラソウはハプロタイプNが主なのに、1ツだけMが在り、
仙台、泉にも、ハプロタイプの種類があるようで
近い範囲でもタイプが違うことが興味深く感じました。



遊佐町のサクラソウは、遊佐町内を出入りしている形跡がありません。
荒鍋の大滝ばあちゃんの庄内紅は、自生地から採ってきた最後の株です。
同じ櫛引町内でも、安野悌次先生の自宅から離れた集落にも移植された野生種が残っています。
野生種か否か、まだ判断つきませんが、三瀬地区にもあります。
119ページ 図1.葉を採取した集団と日本におけるサクラソウの現存分布
の軽井沢と日高では、スケールが5kmで
120ページ 図2.八ヶ岳A集団におけるサクラソウの分布
ではスケールが200mでしかありません。
そんな狭い範囲でもハプロタイプの種類が違います。
庄内は広く、櫛引と立川と遊佐は離れてますから
遊佐町産と立川産、三瀬産のDNAも調べてほしいと思います。face03


サクラソウ集団における遺伝的多様性の保全 に関する分子生態遺伝学的研究』には
DNA分析した数値の表も載ってましたが、数値の見方が全く解りません。
浪華さくらそう会の山原さんは『鹿島』から数々の個性的な品種を作出しました。
『鹿島』との関係は明白なんだから、山原さん作出品種をDNA分析してほしいものです。face01
  


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2010年01月18日

今更ですが.5

日本桜草の原種や自生地に興味と関心がある人は、是非これを読んで下さい。
生物多様性モニタリングと情報利用
保全生態学研究室
鷲谷 いづみ

2009年01月19日『日本桜草の本』で紹介済みですが
自生する環境と自生地を知ることで、日本桜草を栽培する参考にもなると思います。face01


サクラソウは地下茎によるクローン成長も行い、クローン成長で増えたそれぞれの株をラメット、
これらの遺伝的に同一なラメットの集まりをジェネットと呼ぶ。
ジェネットは毎年新しいラメットを形成しながら、数十年以上生きる。

故安野悌次先生が提供した庄内紅は、ハプロタイプπであるが、ジェネットは1個だった。
つまりクローンを繰り返して長年生き伸びているに過ぎないのだ。
しかし庄内地方では、全域で広く栽培されているし、
何所(誰)から入手したかも、栽培者から聞き取りしている。
個々を調べれば、ハプロタイプπのジェネットの数は増えるかもしれない。
ひょっとしたらハプロタイプまでも。(^^;  


Posted by さくら at 18:40Comments(0)日本桜草について

2010年01月18日

今更ですが.4

下記は、2010年01月16日『ハプロタイプπ』に書いた文章です。
--------------------------------------------------------------------
『サクラソウの分子遺伝生態学 エコゲノム・プロジェクトの黎明』より
10.サクラソウの日本における種内変異と地理的分野の項。
178ページ掲載 表10-1 供試したサクラソウ野生個体群。
個体群 No.20
個体群名 鶴岡
個体群内のジェネット数 野生絶滅
葉緑体DNA解析したジェネット数 1
180ページ掲載 図10-2(Honjo et al.2004より改図)
庄内地域に20という数字とπが記載されています。
--------------------------------------------------------------------
でもこれ、2010年01月09日『同一の遺伝子型』に書いた、
本城正憲 著『サクラソウ集団における遺伝的多様性の保全 に関する分子生態遺伝学的研究
の内容なんです。

そこには、鶴岡のサクラソウに関しては、
『第3章 葉緑体DNA配列を指標としたサクラソウ野生集団における系統分化の把握』の項32ページに
鶴岡集団、浮間集団、日南植栽集団、高野集団、三良坂B集団については、
各地域の民家の 庭で系統保存されている株から葉を採取した。
山形県の鶴岡集団では、
茅屋根を葺く材料の茅を刈った場所である約50m2の茅谷地にサクラソウが散在していたが、
昭和45年5月の耕地基盤整 備で水田に変わったため、
サクラソウの野生個体は絶滅した(安野悌次氏 私信)。
と記載されていて、2007年05月07日安野悌次先生で紹介した、安野悌次先生の株なのです。



サクラソウが生えている場所には、ミョウガが植えられており、
花が終わる頃にミョウガが芽吹き、初夏にはミョウガの葉の中に没します。
上には柿の葉も生い茂り日陰になる場所です。
秋には枯れたミョウガの葉と落ちた柿の葉が地表を覆うので、増土も要りません。
この環境は、葦原に自生していたという、見たことない環境を想像させますよね。


71ページの『謝辞』を読むと、2009年01月31日横山潤准教授に紹介した横山潤准教授が協力されています。
これらかも、庄内地方には以前サクラソウは自生しており
研究者からも野生種として認知されていたことを、うかがい知ることができます。  


Posted by さくら at 18:38Comments(0)日本桜草について

2010年01月17日

今更ですが.3

2010年01月09日『同一の遺伝子型』で紹介しました、
本城正憲 著『サクラソウ集団における遺伝的多様性の保全 に関する分子生態遺伝学的研究』で
全8マイクロサテライト遺伝子座において同一の遺伝子型を示した=遺伝的に非常に近い関係
と知り、花の画像を並べて見比べてみたのですが、随分違ったので驚きました。

庄内の野生種の白=仮称“庄内白”は、他所の野生種と違って、園芸品種に近いイメージがあります。
花の画像を並べて見比べるだけでも、遺伝的に非常に近い関係にあるのではないかと思ってしまいます。

日本桜草の花の写真を撮るのは難しくて、見た目通りの色合いが出し辛いのですが
くまさんのHP 『くまさんの庭』の‘薄蛇の目’(うすじゃのめ)のサイトを見た時には、
“庄内白”に似ていたのでドキ!っとしました。
花の写真だけみるとソックリなんですが、全体を観るとやはり違うのが判ります。



“夢千代”も似てるんですよねえ。情報が無いだけに自分で入手して、育てて見比べてみたいです。



“庄内白”に似ていると思い、最近ドキ!っとした品種が“白鈴”。↓
(最初の1枚にはドキ!っとしたけど、違いました。)


“白鈴”の画像が他にもないか検索していくと、
浪華さくらそう会のHPの『私の実生法』という項に“白鈴”が載っており
なんと山原氏が生み出した作であることが判明。
近年新しく作られた品種と知り驚きました。しかも親が“鹿島”と知り2度ビックリです。face08
他にも桃園蜃気楼・流れ星・空穂猿・群千鳥まで山原氏が生み出した作だったとは。

個々を見比べたら“庄内白”と“白鈴”は似ていますが、
親が“鹿島”だとすると遺伝的に非常に近い関係にあるとは思えなくなりました。
これも山原氏が記録を残し公表してくれていたから判った事で、
有り難いことですし、作出する人はこうあってほしいものです。





作り出された“白鈴”を『庄内白に似ている。』と思ってしまった分けですが
山原氏は『私の実生法』の中で、下記のように述べています。
-------------------------------------------------------------------------------------------
私が一番最初に選んだ実生親は「鹿島」です。
中型の花ですが、さっぱりとして小粋な雰囲気を持った明治時代の作です。
この花の弁先が房のようになればいいなと思ったことでした。
それが、二・三百本もできた苗の内、ただ1本に房が出現しました。
これが「桃園蜃気楼」なのです。親と良く似たものが多いなかに、これが一番目立っていました。
この姉妹に「流れ星」「金田の夕」が生まれています。
このほかに「白鈴」「竜晴」といった桜弁に先祖返りしたものも出ました。
-------------------------------------------------------------------------------------------
“白鈴”は桜弁に先祖返りしたものだそうで、
“庄内白”は原種なのかな。と嬉しく感じました。face02



最後に、山原氏が【鹿島】を親に作出した品種たちの花の画像を集めてみました。
特徴ある個性的な花ですが、“鹿島”を親にもつ、遺伝的に非常に近い関係なんですよね。
【 流れ星 】(1979年播種の「鹿島」の実生)
くまさんのBlog草花好きのひとりごと2007-05-12 『さくらそう‘流れ星’』に山原氏ご本人がコメントをされてました。


【 空穂猿 】(「流れ星」から空穂猿、群千鳥)
Blog『趣味でさくらそう』2009/3/23より。
空穂猿はとても面白い花容で目を引きますが、かなり肥培しないと花数が増えにくい感じです。


【 群千鳥 】(「流れ星」から空穂猿、群千鳥)
画像は良く見かけていた気がしたけど、探すと無いのね。
実物を見たことないから何とも言えないけど、気のせいか違って見えるし。


浪華さくらそう会HP『17年度会誌紹介』の中で山原氏が
「同名二種…群千鳥」と書いてました。
浪華さくらそう会HPのコンテンツ『壁紙』の中に群千鳥の画像もありました。↓


【 桃園蜃気楼 】トウエンシンキロウ 白底紫紅 紫紅 深かがり 浅抱え 大




【 桃園蜃気楼 】ではありません。【 桃園 】と【 蜃気楼 】です。↓

  


Posted by さくら at 18:42Comments(2)日本桜草について

2010年01月15日

今更ですが.2

2009年12月13日『アユ学』で紹介しました、
東北大学名誉教授の谷口順彦氏著『アユ学 アユの遺伝的多様性の利用と保全』(築地書館)を読んでみますと
マイクロサテライトDNAやミトコンドリアDNAなどから、各地各河川の遺伝的類縁関係が判っているようです。


2010年01月09日『同一の遺伝子型』で紹介しました、
本城正憲 著『サクラソウ集団における遺伝的多様性の保全 に関する分子生態遺伝学的研究』でも
各地のサクラソウや園芸品種の遺伝的類縁関係が判っているようですが、
数値で表記されているだけなので素人には難解で、私には解読不可能。
『アユ学』のように系統図で示してもらえたり、
仮称『庄内白』を、DNA分析してもらえたら良いのですが、それは叶わぬ夢。
今は、山原氏が歴史見解を記されたBlogカテゴリー『桜草栽培史 』が頼りです。(^^)
山原氏のBlog『日本の桜草と美術』『日本桜草』。

仮称『庄内白』が庄内在来の品種なら、庄内地方だけに在って当然。と納得です。
しかし、もし『庄内白』が園芸品種だとしたら、全国各地に存在するはずです。
と同時に庄内地方には、もっと多くの園芸品種が流入したはずです。
山形県の場合、園芸品種が持ち込まれたとすれば、お城が在った米沢や山形市、鶴岡市。
日本一の大庄屋と言われた本間さまの港町酒田市に残っていてよいはずなのに、在りません。

2007年04月16日『俳人 阿部月山子』で紹介した阿部さんは
自宅で500鉢ほど日本桜草を栽培していながら、
『庄内白』を知らずに(白の存在に気づかずに)いました。
庄内で『庄内白』と『庄内紅』を30-40年間栽培している人は大勢居ますが、その人たちの所に園芸品種は在りません。
一方、阿部さんの日本桜草栽培年数は知りませんが、多くの園芸品種を栽培されていながら、『庄内白』を知らなかった。

私に『庄内白』を譲渡してくださった故斎藤教頭先生は、
最初に『庄内白』を入手され、その数年後に鶴岡の小学校女性教諭から『庄内紅』をもらって、
それからサカタのタネの通販を利用して園芸品種を購入するようになり
最後には100種類以上の日本桜草を所有するようになった。と、奥さんが話してくれました。
サカタの種社の通販スタイルは『10品種当社選択で幾ら』という販売方式だったため
日本桜草の品種を選んで注文することは出来なかったそうです。
そのため、所有済みの品種が混ざることも多く、届いた芽を見ては故斎藤教頭先生は一喜一憂。
毎年注文して、コツコツと品種を増やしていったそうです。

何も知らず、『庄内白』と『庄内紅』を30-40年間以上栽培している人たち。
たくさんの園芸品種を所有しながら、『庄内白』を知らなかった阿部さん。
100種類以上の園芸品種を所有した故斎藤教頭先生の最初は『庄内白』だった。
2007年05月08日『遊佐町サクラソウの会.1』に記した故菅原デンサクさんは、
『庄内白』を所有していた。と故安野悌次先生が生前語ってくれました(2007年05月07日『安野悌次先生』)。
菅原デンサクさんの庭には、今でも『庄内白』と『庄内紅』が咲いています。

故斎藤教頭先生は学校の生徒に日本桜草の芽を分けていたほどですから
余剰苗は同僚の先生たちに分けていたかもしれません。
遊佐町には“庄内白”の他に白い日本桜草が2種類在り、
1ツは画像は無いのですが、かがり弁(たぶん雪月花)。
もう1ツは画像はあるのですが、判別つきません(下記画像)。
でも、この2種類は、遊佐町以外ではみかけません。


庄内地方は、
頑張れば何とか独りででも見て回れる(調査できる)広さですし
三方を山に、残りの一方が海という、囲われた土地でもあるので、
調査しやすいと感じています。
あとは圏外を調べるだけです。  


Posted by さくら at 21:10Comments(0)日本桜草について

2010年01月15日

今更ですが.1

2010年01月09日『同一の遺伝子型』に書いたように、
今更ながらですが、
浪華さくらそう会のHP『桜草の世界にようこそ』、
浪華さくらそう会の会長の山原氏のBlog『日本の桜草と美術』『日本桜草』、
事務局を努められている廣田氏のBlog『日本桜草守の独り言
を読んで勉強しています。face03

私は故斎藤教頭先生にもらったサクラソウを
他で見た事がないことに気づいてからサクラソウを意識するようになったのですが、
「サクラソウを栽培しているよ。」と言った人たちが、パンジーやビオラ、マラコイデスを差しながら
「これがサクラソウ。これ以外にサクラソウなんてない。」「庄内にサクラソウは自生していなかった。」
と言われたことから発奮。所有している『サクラソウは、在来種なのか否か。』を調べるようになりました。
なので、園芸品種のサクラソウに興味が無かったので、古典園芸品種の歴史などにも関心はなく
今まで浪華さくらそう会のHPや山原氏や廣田氏のBlogを深く読むことはありませんでした。

しかし今は、『白の日本桜草は、庄内地方に自生していた野生種』と、一応自分なりの結論を出せたことと
くまさんからたくさんの園芸品種を頂戴したことから、園芸品種に関心を持つようになりました。
というのも、『白の日本桜草は、庄内地方に自生していた野生種=仮称『庄内白』は、
全国各地の野生種の白と違って、花筒(花柱)と花央が赤く、園芸品種に近い花容なので、
園芸品種の方(古典園芸品種の歴史)からも検証してみようと思った次第です。

「庄内の在来種」とか「庄内の野生種」とかイチイチ書くの面倒ですし、くどくなるので
今年からは、仮称“庄内白”と表記したいと思います。kao3


↓各地の野生種の白たち。


花筒(花柱)と花央が赤い園芸品種を一部紹介。
↓こんなに多く似た花が在れば、“庄内白”も園芸種である可能性も無きにしも在らずですわ。





今日の最低気温-1.6度(-0.2度)。最高気温0.6度。11:50=-0.9度。18:10=0.5度。18:40=0.1度。
明日の予想最低気温-2度。予想最高気温2度。降雪確立午前70%、午後80%。
波の高さ4mのち3m。

  


Posted by さくら at 20:06Comments(0)日本桜草について

2010年01月09日

同一の遺伝子型

本城正憲 著『サクラソウ集団における遺伝的多様性の保全 に関する分子生態遺伝学的研究
51ページ 1.マイクロサテライト変異より抜粋。
分析した127品種のうち、「錦葉集」と「飛竜」、「越路の雪」と「香炉峰」、「霞の衣」と「化粧の舞」、
「神風」と「西王母」、「牡丹獅子」と「衣通姫」、「国の光」と「六玉川」、「槇の尾」と「獅子奮迅」は
それぞれ、全8マイクロサテライト遺伝子座において同一の遺伝子型を示した。

詳しい事は分りませんが、
『同一の遺伝子型を示した』ということは兄弟みたいなもの?
そう思って各品種の花の画像を比べてみることにしました。
日本桜草の花の色は、写真には捉えられない範囲とかで、
ピンクなのに紫っぽく写ったり、紫が青っぽく写る時もあるので、
花の色の違いは深く考えないでください。(^^;

「錦葉集」と「飛竜」
Blog日本桜草2008年03月17日『桜草栽培史16 銘鑑訂補拾遺1』より抜粋。
近年「錦葉集」を「金葉集」と書く向きがあるようであるが、
何十年も使ってきた「錦葉」の名を変える必要はまったくない。


「越路の雪」と「香炉峰」
埼玉県花と緑の振興センター 『サクラソウ保存品種一覧』より抜粋。
「越路の雪(こしじのゆき)江戸後期   田子の浦・香炉峰と同じ?」


「霞の衣」と「化粧の舞」


「神風(正しくは大和神風)」と「西王母」
埼玉県花と緑の振興センター サクラソウ保存品種一覧より抜粋。
神風 227 じんぷう 類似品種 西王母。
西王母 108 せいおうぼ 類似品種 神風。
山原氏のBlog日本桜草2007年02月19日
桜草の品種改名について』必読。
このBlogへのコメントより 山原茂 at 2009年01月22日
認定制度には問題があります。古花の品種混乱を正すのはともかく、認定から漏れたものの中にもよい花があります。さらに新花の認定などは、東京の「さくらそう会」の中だけの話で、全国の新花を対象としたものではありません。さらにまたかってに品種名を変えているのです。「大和神風」を「神風」に。品種名は公のもので、東京の「さくらそう会」と言えど、鳥居さんと言えど、自由になるものではありません。
山原氏『私の実生法
倍数体  4倍体………大和神風  「大和神風」も「西王母」の変化したものではないかと言われています。


「牡丹獅子」と「衣通姫」
埼玉県花と緑の振興センター
衣通姫113 そとおりひめ 類似品種 槇の尾。←類似品種が「牡丹獅子」じゃないのね。


「国の光」と「六玉川」
埼玉県花と緑の振興センター
国の光62くにのひかり 類似品種 五大州・桜の笑・浜千鳥。


↑『国の光』で検索した画像を集めてみましたけど、どれが本物か分りかねました。
埼玉県花と緑の振興センターのサイトには、類似品種 五大州・桜の笑・浜千鳥とあるので
五大州・桜の笑・浜千鳥に似た画像が、本物かと。(^^;
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八重咲きの日本桜草の中にも同じ品種名でありながら、花が違うのがありました。
3枚とも“雪美人”として紹介されていましたが、
実物を見る機会も訊ねる機会もないので、どれが本当の“雪美人”なのか判りません。


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「槇の尾」と「獅子奮迅」
埼玉県花と緑の振興センター
槇の尾175 まきのお 類似品種 衣通姫。
獅子奮迅85ししふんじん 類似品種 大力無双・百千鳥。


同一の遺伝子型ということで、花の色や形が似ているかと思いきや、全部がそうではないようですし、
『全8マイクロサテライト遺伝子座において同一の遺伝子型を示した』とは、
そういうことでもないのかもしれないですね。でも勉強になりました。面白かったです。(^^;

今日の最低気温1.8度。最高気温5.0度。11:50=4.2度。18:40=4.0度。
(11:55のNHK天気予報では、今朝の最低気温2.1度(平年比+3.0度)3月中旬から上旬並みと言ってたけど・・・。)
明日の予報最低気温1度。予報最低気温4度。
明日の降雪確立午前午後とも70%。  


Posted by さくら at 20:12Comments(2)日本桜草について