2023年02月28日
高知県立 牧野植物園
どういう経緯で展示されるようになったのか、
苗と鉢は何処から仕入れたのか気になります。
https://www.makino.or.jp/spot/detail.php?id=14
越智英一郎氏の桜草鉢っぽいのを使われています。
孫半土とおぼしき鉢もみられます。
2018年03月19日
桜草鉢 孫半土 売ってます!
もう4週間近く経っても1件の入札がありません。
とはいうものの実はコレ、
桜草鉢の孫半土=孫半斗である5〜6号サイズではなく27cm×高さ23cmと大型なんです。
恐らく内径で24cmの8号鉢サイズだと思われます。
『色分け花図鑑 桜草』を読みますと、鳥居恒夫氏は画像を添えて
『5升入りの水瓶を半斗鉢といい、
口径5-6寸(15-18cm)の小形のものは孫半斗鉢(孫半と略称)と呼び、
植木鉢に活用して、いろいろな草木が植えられていた。』
と、孫半土鉢を説明しています。
そこには口径35cmの鉢も載せて紹介していますから、
今回の鉢も価値ある貴重な鉢であることは間違いありません。
↓
旧家/火鉢/壺/つぼ★27×23㎝★陶器
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/d272823273
↓『色分け花図鑑 桜草』掲載口径35cmの鉢
2013年11月06日
登り窯焼きは12月
伝市窯では、12月に登り窯に火を入れるそうですから、注文されるなら今がチャンスですよ♪
登り窯焼きなので、全て下記画像のような跡が付く分けではありませんが、味わいありますよね。
さくらそう鉢寸胴=丸形5.5号と香炉型6号は、同じ値段。
ガス窯焼き 600円/鉢
登り窯焼き 900円/鉢
輸送方法は佐川急便のみ。
梱包料1箱に付き600円。1箱に12鉢まで梱包可能です。
注文は1鉢単位でOK。在庫があれば即発送。
ガス窯焼きだけでしたら納期は早いです。
代金振り込みは商品到着後の後払いになります。
市野伝市窯
〒669-2135 兵庫県篠山市今田町上立杭488
TEL:079-597-2413
FAX:079-597-2475
e-mail:qsms37022@maia.eonet.ne.jp
注文の際はFAXとTELが一番助かるそうです。
2012年04月26日 伝市鉢 購入しました
http://nihonsakurasou.n-da.jp/e350391.html
2013年08月30日
越智英一郎氏の桜草鉢.2
故越智英一郎氏がさくらそう会へ寄稿された記事を紹介いたします。
我が家のさくらそう鉢 越智英一郎
桜草の鉢について何か書けとのことでしたが、ペンをとってもなかなかうまく書けぬので、一たんはお断りしようかと思ったのですが、これが最後になるかもしれぬと思い、書いてみることにしました。
鉢のことの前に話しておきたいのは、前にご覧に入れた鉢に桜草の花を浮べた人形のことです。これは小生の甥で、今治市外の朝念村に登り釜を作り、製陶に精進している山内達雄君の細君の瑠璃チャンが、拙宅の桜草を見て、ヒントを得たと云って作ったもので、題して「花開く」と箱書きがしてあります。拙宅では桜草の花時になると、この鉢に花を浮かべて眺めるのを、毎春の楽しみとしております。
往年「さくらそう会」に入会の直後、会より孫半斗鉢分譲のニュースがありました。直接現物を引取るのが条件でしたが、丁度長男が学生の頃で、荻窪の親類に下宿していたもので、十五個程を分けて頂き、帰郷の度ごとにネズミが引くように三〜四個ずつ持帰りさせました。
この孫半斗鉢の写しを作ってもらう気になり、諸方の窯元を訪ねて製作を依頼しました。先づ松山市郊外の砥部(トベ)を皮切りに、九州の小鹿田(オンタ)、備前の伊部(インベ)、土佐の能茶山(ノサヤマ)と次々歩き廻りました。砥部と小鹿田は鉢そのものは立派だが、小さ過ぎたり色が気に入らず断念しました。伊部のは値もあまり高くなく、できも立派でしたので前後二回依頼し、東京の会員方にもおすすめしようと思っているうちに、業者が介入したのか急に大幅な値上げとなりました。大山さんも窯元を訪ねられたようでしたが、価格の点で断念されたようでした。
能茶山窯は登り窯で、松材を使って古くより大小様々の鉢を焼き、独特の色を「さび」と云っておりました。窯主の谷清之助氏は、ちょっと現代離れした仁で、作っている五郎八茶碗(昔、四国遍路が持ち歩いた一番安物の茶碗)が、抹茶茶碗として東京の茶人達に評判がよく、博多のある百貨店より注文があったので三十個程送ったが、全部割れてしまったということで、代金は一文も貰えなかったと言って、けろりとしていました。荷造りの下手なことはよく知っていましたが、全部割れたとはあきれてました。
この人の鉢は、孫半斗の写しとしては大へんよく、伊部の整然とした美しさのものより、ボーッとした感じのこの方が自分には好ましく思われます。価格も非常に安かったので、当時の二、三の会友にもすすめて、次々に百、二百と注文をしました。土佐からは遠いようですが、時には所用ができたからと云って、砥部の知人のところまでまとめてとどけてくれ、こちらの車で引取ったこともありました。
千葉在住の会友榊原洋子夫人(故人)にも、鉄道便で100個送ったことがありましたが、破損がひどかったので、次には船便で送り、これはうまくついたようでした。
花友でもあり、陶芸家としても有名な京都の河合卯之助氏(故人)が言っていました。「陶器は生き物です。手を経ると共に変ってゆきます。李朝の陶磁器でも、もう少し土中にあったら腐っていたでしょう。丁度掘り出す時期が良かったのです。云々。」と。
毎年沢山のさくらそうを植えかえていると、時にオヤと思うことがあります。手にした鉢が無キズの孫半斗鉢であるのに驚き、あらためてよく見ると能茶山窯の鉢でした。たしかに作者の人柄を、にじませているようです。
我家では伊部、能茶山に、一花友が譲ってくれた手作りの超特級信楽焼の五〇個を加え、七〇〇鉢で毎年植えかえにいそしんでいます。老歳八六才、この後何年作れますことやら。
さくらそう
佳き人の息ふれにけり
杏史
(一九八六年七月)
越智さんの桜草鉢 鳥居恒夫
四国壬生川の越智さんをお訪ねしたのは、一九八三年の十一月で、丁度ご丹精の嵯峨菊の盛りで、ご夫妻に歓待していただいて、想い出深い一夜を過ごさせていただいた。
翌朝拝見したお庭は、休眠中の桜草の鉢で一ぱいであったが、その中で私の目にとまったのが、土佐の能茶山窯の桜草鉢であった。見本として一鉢頂戴したのだが、お言葉に甘えてサクラソウが植えてある鉢を、私は無理にとりかえていただいたのであった。写真のものがそれで、直径五寸、孫半斗鉢を写したとされるが、深さは浅くお椀のような形で、色は茶色である。沢山並んでいた能茶山鉢の中でも、特に目についたものだった。越智さんのお話にある通りで、この鉢を見ていると、これを作った陶工の人柄にふれて、気持ちがなごむのが自分でもわかるのである。
私方には大山玲瓏氏が収集された桜草鉢を、そっくりお引受けして大切に保存している。この様々な桜草鉢を、神代植物公園でのある研究会の際に並べて見せたことがあった。その折りには花友であり学友でもある伊丹清君もやって来て、これをしばらく眺めていた。私は彼のことだから、きっと能茶山の鉢に目をつけるだろうと確信しながらも、黙ってその目の動きを追っていた。次の瞬間彼の手が伸びて、能茶山の鉢を取りあげたのである。
植木鉢は草花を育てる容器で、主役はあくまでの中の草花、引立役である植木鉢が美し過ぎたり立派であると、草花が負けてしまう。しかし草花と一体となって、上品な美しさをかもし出すだけの、風格のあるものであってほしい。一見しただけでは汚くも見え、あちこち欠けてはいるものの、孫半斗鉢には大量生産の植木鉢にはもち得ない風格がそなわっており、手づくりだけに持ち上げたとき手に納まりがよくて軽く、持ち運びしやすいという機能性もあわせ持っている。もとは台所などで使われた雑器だという孫半斗鉢は、まさに民芸品そのものである。
越智さんが、能茶山窯の桜草鉢をほめられたのは、孫半斗鉢の心がそこに写されているからではないだろうか。
さくらそう会のさくらそう鉢
江戸時代以来使われてきた孫半斗鉢は、台所の雑器であった壺に底穴を明けて植木鉢に利用したものでありましたが、サクラソウ作りには最適なものでしたので、新たに求めることが困難となった大正の頃から、多くの人がこれをモデルとした植木鉢を各地の窯元へ発注をして試作してました。
当会でも早くから世話人代表だった大山玲瓏氏が苦労されて、始めは益子のちに信楽で作らせました。その後伊丹清世話人によって、深谷市の加藤製陶所で試作がなされ、改良の結果現在の形のものが生産されるようになったわけです。
サクラソウもよく育ち、直接注文して送っていただけるので、大へん安価に手に入れられることは、実に有難いことです。今期までは昨年と同じ価格で提供していただけることになっていますが、窯元の経営を続けてゆく努力は、なかなか大へんだと思います。多くの関係者の努力でできたさくらそう鉢です。どうぞ大切に扱っていただけますように。
2013年08月30日
越智英一郎氏の桜草鉢.1
ひょんなことから愛媛県西条市在住の秋川さんと知り合いとなり、桜草栽培で故越智英一郎氏に師事され故越智英一郎氏が焼かせた桜草鉢も所有されておられると知った私は、浦澤さんも一度見ただけの鉢を入手できる千載一遇とばかりに「Blogで広く桜草愛栽者に紹介したいので、是非とも!」と大変厚かましく無心し、各1鉢譲っていただいた次第です。
2013年03月22日『新規入手.5』に記載しましたが、仙台さくらそう会の浦澤さんは、神奈川県の故熊澤タケオ氏を介して、故越智英一郎氏とも交流があり、苗の交換も行ったとか。しかしながら鉢を譲渡していただくことは無かったそうです。当時は貨物列車で輸送されていましたので、鉢が割れてしまう確率がとても高かったこともあったそうです。浦澤さんにこの鉢を見てもらうと鳥居邸でみた鉢だそうです。そして故越智英一郎氏がさくらそう会へ寄稿された記事をコピーしてくださいました。これは『越智英一郎氏の桜草鉢.2』で紹介いたします。ちなみに、故越智英一郎氏の実生品種は次ぎの通りです。淡蜻蛉、小猿、小天狗、桜三里、笹鳴、鶴龜、春の波、ふくろう。
一つの鉢をアングルを変えて何枚も撮影しています。サムネイル画像ですが、開くと大きいです。
備前焼で焼かせた桜草鉢
能茶山窯で焼かせた鉢。
色合いが陽射しやカメラアングル、露出で変わってしまうので、
こちらも一つの鉢をアングルを変えて何枚も撮影しています。サムネイル画像ですが、開くと大きいです。
今回の画像掲載でBlog容量500MBを越えましたのでカテゴリー『その他13』から1〜4月分を削除して、
使用容量:464.94 MB / 500 MB =残り35MBとなりました。
2012年06月05日
小石川植物園の鋸峰
【2011年4月18日】
サクラソウは江戸時代から受け継がれてきた、日本を代表する古典園芸植物です。
本園ではいくつもの古い品種を栽培・保存しています。この機会にぜひご観賞ください。
http://www.bg.s.u-tokyo.ac.jp/koishikawa/kaika/Kaika_pages/2011/20110418/20110418.html
↑
浦澤さんは、鋸峰は小石川植物園に孫半土鉢を寄贈した永井誠也氏の実生品種と言われていました。
日本桜草総銘鑑に因りますと、鋸峰の記述は、実際園芸昭和10年5月号掲載と鳥居さんの本のみ。
浦澤さんの情報元は不明ですが、
2011年01月26日『vol.6 世界のプリムラ編集委員会.2』伊丹氏いわく、
当時(大正時代)に永井誠也と並びさくらそう界の両雄と称された
『大鐘あぐりは(中略)、惜しいことに関東大震災ですべて灰燼に帰した』そうです。
とのことなので、永井氏が孫半土鉢とともに小石川植物園へ寄贈された可能性はありますよね。
真実は不明でも、今の段階では小石川植物園の鋸峰が本家本元という事は事実であり、
古典園芸の桜草界として嬉しい情報ではないでしょうか。
小石川植物園の担当者がそれらを知りながら従事してくれていたら嬉しいですね。
2012年06月05日
桜草鉢.7 その他
『信楽』『广人』の落款があります(广(まだれ)の中は読めませんでした)。
伝市窯に焼いてもらった寸胴鉢を手土産に持って行いったところ、大変気にいってくれました。
すると、
「これに似た黒い鉢がありまして、奈良にあります高鴨神社の鈴鹿義一さんが清水で焼かせた
黒い切り立ち型の鉢が昔ありました。タキイ肥料で販売されていました。」
と話してくれました。
黒い釉薬鉢は信楽だと思っていましたが、清水焼きもあるのですね。
『西の越智に東の松木』と呼ばれていた時があったそうです。
愛媛県(松山市?)の故越智英一郎さんが
孫半土鉢を真似て備前焼で焼かせた桜草鉢は見事でした。ただ高台が無い鉢だでしたね。
愛媛県には桜草栽培者が居ませんから、あの鉢は今どうなったのでしょうね・・・。
(越智英一郎 実生品種:淡蜻蛉、小猿、小天狗、桜三里、笹鳴、鶴龜、春の波、ふくろう。)
故松木俊一さんは孫半土鉢で栽培されていた方で、
亡くなられてからは息子の松木俊朗さんが栽培を引き継ぎました。
息子さんも亡くなった今は、息子さんの奥さんが栽培しているそうです。
(松木俊一 実生品種:石橋(同名あり)、白珠、太陽の塔、武蔵嵐山(昭前)、雪祭。)
永井誠也さんは孫半土鉢だけで栽培されていて、死ぬ前に小石川植物園に全部寄贈したんだけど、
小石川植物園の保存が悪いのか、灰色に痛んでいて、あそこまで痛むと趣きが無くなっていて駄目ね。
あの孫半土鉢は、今どうなっているんでしょうね・・・。
(永井誠也(大正) 実生品種:天下、小笹の雪(同名あり)、関台紅(大5)、高長桃色、母の愛、吉野川。)
『塩のような白い結晶が噴き出してきて』『灰色に痛んでいて』というのは、こういうことなんでしょうか。
小石川植物園は古くから桜草に関係した施設であり、
昔の仙台市野草園は、園長が地元宮城県内の野生の桜草など、桜草栽培に熱心だったそうです。
諸先輩が使用された桜草鉢は貴重な存在なので、まとめて誰かが引き継がれるのが理想とされ
このような公共の植物園に寄贈されるのも良いのですが、
職員に古典園芸としての桜草への情熱がないと、
貴重な鉢も単なる鉢に成り下がり消耗品として扱われているようで残念です。
鉢の価値も理解していただき、歴史とともに伝え残してほしいものです。
この記事を書いていて思い出しましたわ。
仙台市野草園で割れた尾崎哲之助の鉢屑が捨てられてありました。驚きました。
驚いて周囲も探してみましたが、欠片のピースが大きく足りませんでしたので諦めましたが
現在は優秀な接着剤が在るわけですから、割れても捨てずに直して使ってほしいものです。
2012年06月05日
桜草鉢.6 市野ゲンエモン
無知でもあり全てが初めて知ることばかりで、わくわく胸躍り記憶力の悪さに拍車が掛かる私。
全てを記憶するのは無理なので、関心ある事だけ記憶しようとしますが、無理でした。
しかも時間の経過とともに記憶も曖昧になってしまいました。
それでも一つの情報になればという思いから、この記事を書きます。
仙台市野草園で見つけた、もう一つの桜草鉢。
「あ、これも初代伝市窯へ私が依頼して焼いてもらった鉢です!」
「100鉢ほど寄贈したのに、この1鉢しかないのかなあ・・・。」
と見せてくれたのが、コレ。市野ゲンエモンさんに焼いてもらったそうです。
2012年02月11日『淡路島 温室植物園』で紹介した、淡路島の鉢に似てました。
浦澤さんは、尾崎哲之助の鉢を作陶した爺さんは伝市窯の隣りの人で、
亡くなった後に依頼され復刻品を焼いたのは伝市窯と話してくれました。
そしてこの鉢も『初代伝市窯へ私が依頼して焼いてもらった鉢』とおっしゃいましたが、
私は無知であり調べる術も無いので憶測でしかないのですが、
この鉢は「市野ゲンエモンさんに焼いてもらった」とも言われておられ
私が伝市窯伝市窯と言うものだから
伝市窯=丹波焼きと解釈され、私に合わせてくださっているだけのかも知れません。
落款は在りますが、私には読めませんし解りません。
市野ゲンエモンさんに焼いてもらった鉢を、なぜ仙台市野草園に寄贈したのかというと、
サンプルの時には、『桜草鉢として、まあ使えるかな。』と半分妥協して注文したところ
仕上がって送られた来た鉢がサンプルと違って、高台が高くなっていてガッカリしたからだそうです。
2012年06月04日
桜草鉢.5 京王百花園
仙台さくらそう会の浦澤儀一さんは今年77歳。鳥居恒夫氏は1歳年下とのこと。15歳の年の差になりますね。
山原さんのBlog日本の桜草と美術2011年02月25日『桜草短型鉢の由来』には、
桜草鉢のことが記載され、京王百草園と尾崎哲之助が登場します。
この記事を今まで何度か繰り返し拝見していましたが、正直理解できずにいました。
しかし、浦澤さんから話しを聞いた後に読み返すと、合致する内容になっているではありませんか。
(2010年11月25日『私の使用する桜草鉢』もあり。)
山原さんのBlogに掲載されている、山原さん所有の丹波短型鉢も、
写真撮影時のアングルの違いから違った形状の鉢に見えましたが、
よく見ると同じです。特に右の緑の鉢は、全く同じですよね。
緑の鉢には釉薬がかかっていますが、実は仙台市野草園に1鉢だけ釉薬鉢がありました。
浦澤さんは私に指摘されるまで存在を知らなかったようで、初めて見たそうです。
山原さんはBlogの中で『丹波鉢の短型鉢』と表記さえています。
浦澤さんは、伝市窯で模して焼いてもらった鉢と言われました。
今の市野伝市窯で焼かれたのか分かりませんけど、『丹波の鉢』であるようですね。
> 桜草にふさわしいものと直感して購入した。他では売っていなかったようである。
> こんな珍しい形の鉢がどうして作られたのか、今までよくわからなかった。
桜草にふさわしいと直感されたとは流石。尾崎哲之助同レベルの素晴らしい美的センス。
鉢の由来をよくわからなかったというのは、浦澤さんとの15歳の年の差からだったのですね。
(現代の第一人者に対する失礼をお許しください。(^^; )
> 彼の著『朝顔抄ー花とともに六十年』を繰ってみると。
> 知り合いから譲られた清水六兵衛作の桜草鉢を見本に
> 丹波で桜草鉢を作らせたという記事にであった。
清水六兵衛作の鉢を参考にされたことは浦澤さんも言われてました。
丹波のどの窯で焼いたのかは山原さんのBlogには書かれていませんが
浦澤さんは、伝市窯の隣りに、この鉢だけを焼いていた爺さんがいて、そこで焼いたと言われてますから
京王百草園勤務の尾崎哲之助の依頼を受け、専門に造り続けていたのでしょうね。
最後は土が無くなったので製作を止め、亡くなってしまったので伝市窯へ依頼した。
と浦澤さんは話してくれました。
閑話
ちなみに、岐阜の5つ子ちゃんのお父さんは
名古屋芸工大を卒業後、清水焼きで4年間修行された後に独立。
奥さんの実家の敷地内に窯を設けたそうです。
真意ははかりかねますが、陶芸家と鉢職人は何かプライドが違うらしく
始めは鉢を作る事を渋り、しばらく浦澤さんの依頼を断っていたそうです。
現在も焼かれているかは未確認、不明です。
閑話休題
> 京王百草園となった今でも春には桜草の展示が行われていて、
> そこに彼の丹波短型鉢が使われているのである。
> 鉢に横筋が入っていたり、凹みがあったりするのだが、
> 紛れもなく全体の形は私のものと同じである。
山原さん所有の丹波短型鉢は、螺旋状ではなく横筋なので、
最初の爺さんが亡くなった後に伝市窯で焼いてもらった復刻品ということになります。
凹みがあったりする鉢も復刻されたか分かりませんが、
最初の爺さんが焼いた鉢は、螺旋状の溝になっています。
尾崎哲之助さんは朝顔の第一人者だそうです。
朝顔の一般的な仕立ては3本の支柱を使う行灯仕立てだそうですから、凹みがる鉢は、
外側を凹ませて内側に凸さることで、3本の支柱がズレないようにしたのかもしれませんね。
> ところでこの型の鉢がなぜ関東で普及しなかったのであろうか。
> (中略)
> そして「さくらそう会」は伝統的な孫半斗鉢にこだわって、
> 尾崎氏由来の丹波鉢や香炉型の朝顔鉢に関心を寄せなかったようである。
関東で普及しなかった鉢が、なぜ仙台に大量に在るのだろうか。
それはどうやら、当時から現在と同じく、満足いく桜草鉢が存在しなかったからのようです。
浦澤儀一さんは、ご近所に住まわれていた先代の仙台さくらそう会の佐々木三郎さんから
昭和39年に苗を貰ったことを機に桜草栽培を始め、直ぐに東京のさくらそう会へ入会したそうです。
佐々木三郎さんは昭和34-35年頃から桜草栽培を始め、東京のさくらそう会へ入会して品種を蒐集。
当時は種苗業者でも桜草は取り扱っておらず、
品種を蒐集するには、さくらそう会へ入会するしかなかったそうですが、閉鎖的なところがあり、
なかなか譲ってもらえなかったそうで、桜草鉢も同様だったご様子。
東京のさくらそう会の諸先輩たちは、江戸時代からの孫半土鉢を使い、展示されていたそうですが、
当然の如く地方の新参者に孫半土鉢を譲ってくれる者はいませんし、
肝心の孫半土鉢もさすがに劣化して痛んでいたり割れたりで、展示するだけの鉢数が揃わなくなり、
鉢不足を懸念されていたそうです。その当時購入できた桜草鉢が、大鐘あぐり女史の益子の鉢で、
佐々木三郎さんは購入されていたそうですが使っている内に塩みたいな白い結晶が湧き出てきて駄目で、
信楽で焼いたけど、それも芳しくなかったそうです。
「さくらそう会」は伝統的な孫半土鉢にこだわり、
益子や信楽で、孫半斗鉢を参考にした鉢を求めていたわけですが、
仙台では、益子から仙台へ鉢を送ってもらっても梱包が悪くて結構な数が割れてしまうことから
「どうせなら!」と思い切り、浦澤さんは全国に桜草鉢を求め歩き回り、
奈良の高鴨神社の鈴鹿冬三さんと京王百草園の尾崎哲之助さんを訪ねに行かれたそうです。
(京王百草園には、当日は激しい雨で最寄りの駅からでることができず、行けなかったそうです。)
そんなこともあり、尾崎哲之助さんの丹波鉢の短型鉢を購入されたそうです。
購入先は、今は無くなったそうですが仙台市の陶器店から取り寄せてもらい、購入したそうです。
(割れた時に損失を被ることありませんから)
しかし大量に仕入れたのでかなり売れ残り、最後は仙台市野草園が引き取ったそうです。
浦澤さんは話し好きで、いつもたくさん話してくれますし
素晴らしい記憶力でスラスラと話してくれるので、会話が楽しくてしかたありません。
しかし、聞き手である私が無知なので話しを膨らませませんし、記憶力も悪く、覚えきれないのが難点。
なので一旦話しを整理しますと、
・尾崎哲之助さんが焼かせた、丹波の窯元の爺さんの名前は不明。
・伝市窯の隣りの窯の爺さんと言われますが、真偽を私は確認していませんし術がないので不明。
・爺さん亡き後の復刻品を焼いたのが本当に伝市窯なのかも、同様に確認していませんし不明。
でも、高台を見た時『あれ、伝市鉢に似てるぞ???』と直感したのは確かです。
これ以上のことは、今は分かりません。
2012年06月04日
桜草鉢.4 尾崎哲之助
色々と鉢の話しを聞かせていただきました。
仙台さくらそう会では買い求めたり窯元に依頼して作陶してもらったり、
各種の鉢を100-500鉢単位でまとめて入手していたそうですが、
当時の仙台市野草園が熱心に桜草栽培に取り組んでいたこともあり寄付された鉢が多いとのこと。
当時は桜草鉢はありふれた品で、いつでも購入できるはずだった。
どれが貴重だという感覚もなく、良い物(好い物)を求めて探求した時代。
今のように鉢が無くなり、若手が苦労するとは思ってみなかった。
と言われてました。
東京のさくらそう会が現在使っている深谷鉢の以前は、
姉妹で栽培なされていた大鐘あぐり女史が益子焼で作らせた鉢だったが
使っている内に鉢から白い塩のような粉(結晶体)が出てきた。
それで苦情が出て、信楽焼きに移ったけど、3年も経つと口が欠けてきてもろくて駄目だった。
それで一旦途絶えたが、伊丹清氏が孫半土鉢を参考に焼かせたのが、今の深谷鉢とのこと。
先代の仙台さくらそう会の故佐々木三郎さんは、益子焼の鉢を所有されていたそうです。
浦澤さんの話しを聞いていますと、
昔は「桜草栽培は同じ鉢で統一して栽培すべきでる」という教え(風潮)があったように感じます。
『当時は桜草鉢はありふれた品で、いつでも購入できるはずだった。』
『どれが貴重だという感覚もなく、良い物(好い物)を求めて探求した時代。』
ということもあるのでしょう、
1つ2つの鉢を資料的な要素で所有しておくという発想も気運も当時はなかったようです。
過去には東京のさくらそう会が孫半土鉢を売りに出したこともあったそうですが、
「まとめ買いすること」「東京まで直接引き取りに来ること」が条件だったこともあり
少しばかり購入しても展示に使えないので浦澤さんと仙台では購入しなかったそうです。
さて、前置きが長くなりましたが、いよいよ本題。
浦澤さんが岐阜の5つ子ちゃんのお父さんに焼いてもらった際に、参考にした鉢の話しです。
仙台市野草園で浦澤さんから桜草鉢の話しをお伺いしていると
仙台さくらそう会の諸先輩方が仙台市野草園に寄付した鉢を見せてもらうことになりました。
園内を歩いていると浦澤さんが歩みを止め突然説明し始めました。
「京王百花園に務めておられた朝顔の第一人者である尾崎哲之助が、
清水六兵衛の鉢を参考に、今の伝市窯の隣りの窯で焼かせたのがコレです。」
と示した鉢は、独りで居る時に園内でみつけたあの鉢でした。
(尾崎哲之助作出実生品種:葵上、欣喜、光栄、式部の誉、野火、花筺、藤の里、武蔵野。)
『京王百花園?!』
『尾崎哲之助!?』
浪華さくらそう会の山原さんがBlogに書かれていたような・・・。
「コレは螺旋状に溝があり、風が当たることで鉢の温度を抑えるのだそうです。」
「実はコレにはもう一つ、胴を指で押して凹ませた鉢もありましたが
仙台ではコレだけ500鉢を購入したのですが、
鳥居恒夫先生が
『開口部が外側に開いており、葉を痛めるので、桜草鉢としては駄目です。」と言われたので、
仙台野草園に寄贈しました。」
とのことしたが、胴を指で押して凹ませた鉢とは、2012年03月08日『朝顔鉢』で紹介した鉢ですよね。
胴を指で押して凹ませた理由もお伺いすると
「面積が広がるので温度を抑え蒸れにくくなるからじゃないかしら。」とのことでした。
この鉢を含め、初代の仙台さくらそう会の会長は500鉢ほど所有していたそうですが
お亡くなりになった後に宮城県内の方がまとまって引き取ったものの、
翌年、埼玉県のさつき栽培愛好者と、巨大なさつきの盆栽1鉢と全部交換してしまったそうです。
埼玉県の何所の誰かは分からないそうですが、埼玉県内にも、この鉢があるということになります。
「伝市窯の隣りの窯の人は年輩の爺さんで、名前は分かりませんが、この鉢ばかりを焼いていたそうです。
しかし土が無くなり焼けなくなり、爺さんも亡くなり
それで隣りの伝市窯へ依頼するように、模して焼かせたのがコレです。
コレは模したので螺旋ではなく横線なんですね。」
「尾崎哲之助さんは朝顔の螺旋仕立てを考案され、螺旋仕立て鉢も造られた方です。」
とのことでしたが、私は螺旋仕立てを知りません。
知りませんが、“横線”の鉢は、山原さんの養生鉢も横線だったような・・・。
続く。
2012年06月04日
桜草鉢.3 仙台市野草園
インターネット上でも見た事が無く初めて見る鉢ですが味わいがあり、桜草鉢に使えそうです。
また、何処か量産的な形状の中に、数鉢だけ、手作りっぽい風格を醸し出している鉢もありました。
鉢底の高台は伝市鉢ソックリなので驚きました。
欲しい〜!
でも、何処かで見た事あるような形状なんだけど・・・。
この後、浦澤さんと合流して、この鉢の正体を教えていただきました。次へ続く。
2012年06月03日
桜草鉢.2 仙台堤焼き
今は使われていない登り窯で焼いてもらったそうです。
土の関係で、外側が剥がれ落ちる割れ方をするので、駄目だったそうです。
香炉型鉢はいつ頃、何処で、誰に因って造られ始めた形状なのでしょうか???
仙台でも焼かれたのですから、昔は全国各地の窯で焼かれたのでしょうね。
鉢の大きさは一般的なサイズです。
岐阜に5つ子ちゃんのお父さんに焼いてもらった浦澤さんの鉢は、
この左側の鉢を参考にしています。この鉢の正体は、後日。
2012年06月03日
桜草鉢.1 岐阜の5つ子
これは陶芸家となった岐阜の5つ子ちゃんのお父さん=夢庵窯の関理史(まさふみ)さんが
仙台市長町出身ということもあり生活支援を兼ね、焼いてもらった鉢だそうです。
窯のサイズ的に一度に50鉢しか焼けなかったので、
3回に分けて送ってもらい、合計400鉢焼いてもらったそうです。
値段は「奥さんには1鉢500円」と伝えているそうですが、本当の値段は秘密。
(今現在通販で伝市窯の手作り登り窯焼き香炉鉢6号を買うのと、同じ金額でした。)
外径は5号サイズですが厚みがあるので内径は13-13.5cmと小振りです。
(この鉢を作る際に参考にした鉢は、後日紹介します。 )
↑最初の桜草鉢は開口部の外側にツバがついていますが
鳥居恒夫氏から『このような形状は桜草の栽培には適していません』と指摘され
↓次ぎからは、ツバを無くしたそうです。角があると葉茎が痛みやすくなるからだそうです。
「黒も焼いてみましたが、どうですか?」と送られてきたサンプル。これは断ったそうです。
昔からの桜草愛栽家である諸先輩方には桜草鉢など関心薄いことかもしれませんが、
桜草栽培を始めたばかりの我々には、少なくとも私にはとても興味深い事項です。
桜草が古典園芸である以上、鉢についても知っておきたいと願ており
桜草愛栽家である諸先輩方からネット上に桜草鉢の情報を掲載していただけると嬉しい限りです。
鳥居恒夫氏は全国各地の愛好者の桜草鉢を蒐集されているそうですから、
何かしらの形で発表されることを、熱望します。
2012年06月03日
伝市鉢 釉薬鉢.2
『露出調整-0.7で撮影した伝市鉢香炉型は、写り具合で茶色っぽさが強調されただけで、肉眼でみる現物は黒です。』
などと書きましたけど、日焼けするほどの陽射しの元で見てみると、
下図の porsche911clubcoupe のブリュースター・グリーンを茶色とか黒と呼ぶ人はいないのと同じで、
明らかに濃いグリーンでした。訂正します。
2012年04月27日
伝市鉢 釉薬鉢
よく見てもらえば分るように、
信楽焼きの釉薬鉢と違って、真っ黒ではありません。
土の色の影響もあるのか、茶色っぽさがある黒です。
私には茶色っぽく感じるのですが、
伝市窯の釉薬には黒の他に、グレーとグリーンがありますから、
グリーンっぽいと表現するべきかもしれませんね。
また、表面が信楽焼きの釉薬鉢と違ってツルツルではありません。
全部がそうではないので、仕上がりのムラと言いましょうか、ポツポツが見受けられます。
下記画像は、茶色っぽさを伝えるために採用した画像であり、
肉眼でみる現物はどうみても黒であり、露出調整0.0の画像ほど酷くありません。
信楽焼の香炉型6号と並べてみました。
露出調整-0.7で撮影した伝市鉢香炉型は、写り具合で茶色っぽさが強調されただけで、肉眼でみる現物は黒です。
最初に信楽焼の釉薬鉢を入手してしまったせいか
釉薬鉢=表面ツルツルという印象を持っていたので、
伝市釜の釉薬鉢のポツポツには、正直幻滅です。
艶も違いますし、使用している土の影響なのでしょうから、致し方ないですね。
また、個人的に釉薬はもっと下の方まで施してある方が好みです。
これは注文の際に指示しておけば、善処してくれるのではないでしょうか。
釉薬鉢、『型作りの鉢の登り窯焼き』と『型作りの鉢のガス窯の普通焼き』の値段は下記の通り。
6号:釉薬1200円/登窯900円/ ガス窯600円
5号:釉薬1000円/登窯800円/ ガス窯500円
5号登り窯焼きと4号の価格は尋ねていないので知りません。伝市窯さんへお訊ねください。
輸送方法は佐川急便のみ。
梱包料1箱に付き600円(梱包する箱に種類あれど一律600円)
一番大きな今回の箱には6号と5号が12鉢梱包可能です。
注文は1鉢単位でOK。在庫があれば即発送。
代金振り込みは商品到着後の後払いになります。
市野伝市窯
〒669-2135 兵庫県篠山市今田町上立杭488
TEL:079-597-2413
FAX:079-597-2475
e-mail:qsms37022@maia.eonet.ne.jp
注文の際はFAXとTELが一番助かるそうです。
2012年04月27日
伝市鉢 寸胴型
香炉型5号、香炉型6号、丸型6号ともにガス窯の普通焼きです。
よく見てもらえば分るように、胴の部分が気持ち膨らんでいます。
浪華さくらそう会の山原さんのBlog『日本の桜草と美術』を改めて見返すと、
2010年11月25日『私の使用する桜草鉢』に、伝市窯の寸胴型が紹介されています。
↓丹波・伝市窯・桜草鉢…昭和50年頃、浪華さくらそう会が伝市窯で作ってもらった鉢。寸胴型5,5寸。
山原さんは『寸胴型5,5寸』と紹介されていますが、
伝市窯の寸胴型はワンサイズしかないため、号数表記は行われません。
伝市窯では、香炉型と丸型でも5.5号や4.5号は製造されていません。
窯元は不明ですが、昔は香炉型5.5号や4.5号は販売されていたようです。
香炉型6号、5.5号、4号を重ねてみると、↓こんな感じ。
伝市窯の寸胴型を、丸型6号と5号と一緒に並べてみました。
するとどうでしょう、寸胴型は、存在しない丸型5.5号と言えそうなほど、馴染んで見えます。
重ねてみると違和感なく、↓こんな感じ。左:丸型6号と5号、右:丸形6号と寸胴型と丸型5号が見事に納まりました。(笑)
他の鉢とも並べて、見比べてみましょう。
一般的な駄温鉢5号は開口部が5寸というだけで、植え付け位置となる胴の部分が狭いことが良く分ります。
桜草栽培では5号4芽植えが主流ですが、鉢の形状が違うので、駄温鉢5号では狭いということを理解いただけると思います。
今度は100円ショップのプラ6号鉢と比べてみます。こうして見てみると、丸型6号鉢も、さして大きくないです。
↓寸胴鉢(5.5号)はスッポリ納まりました。
寸胴鉢は6号鉢ほど重くなく、
丸型5号より気持ち大きいですから4芽植えも快適で、
桜草栽培に良さ気です。
釉薬鉢、『型作りの鉢の登り窯焼き』と『型作りの鉢のガス窯の普通焼き』の値段は下記の通り。
6号:釉薬1200円/登窯900円/ ガス窯600円
5号:釉薬1000円/登窯800円/ ガス窯500円
5号登り窯焼きと4号の価格は尋ねていないので知りません。伝市窯さんへお訊ねください。
輸送方法は佐川急便のみ。
梱包料1箱に付き600円(梱包する箱に種類あれど一律600円)
一番大きな今回の箱には6号と5号が12鉢梱包可能です。
注文は1鉢単位でOK。在庫があれば即発送。
今回色々頼んだので1ケ月掛かりましたが、
ガス窯の普通焼きだけでしたら、納期はもっと早いそうです。
代金振り込みは商品到着後の後払いになります。
市野伝市窯
〒669-2135 兵庫県篠山市今田町上立杭488
TEL:079-597-2413
FAX:079-597-2475
e-mail:qsms37022@maia.eonet.ne.jp
注文の際はFAXとTELが一番助かるそうです。
2012年04月26日
伝市鉢 購入しました
伝市窯へ発注して丁度一ヶ月で到着しました。
5号-6号の場合、1箱に1包4鉢3列で12鉢入り。
梱包はこんな感じで、しっかりしています。
え〜、これから購入した鉢を紹介する前に、まず始めに皆さんにお伝えしたいことがあります。
今回初めて伝市窯の商品を手にし、伝市窯に改めて電話して知ったことですが、
伝市鉢には色々な選択肢があるのでした。私、勘違いしておりました。
話しを桜草栽培に限って伝市窯も伝市鉢の説明をしますと
桜草栽培に使用される鉢の形状は一般的に、寸胴型、丸型、香炉型の3タイプがあります。
使用するサイズは、人それぞれですが一般的に、4号、5号、6号です。
製造方法は、型で作る『型』と、ロクロを回して作る『手作り』の2通りがあります。
それらの鉢に釉薬を施すことも受け付けており、釉薬にはグレーとグリーンと黒の3色があります。
焼き方にには、ガス窯を使った普通焼きと、登り窯で松を使って焼く登り窯焼きがあります。
で、私は何を勘違いしていたかと言いますと、
『登り窯を使った登り窯焼き(焼き方)』と『手作り(製造方法)』を区別していなかった事です。
山とミニ盆栽誌 2011年早春 vol.84 & 2012年早春 vol.89 に掲載された通信販売欄のタイトルは
『丹波立杭焼 市野伝市 登り窯鉢』とされ、
錦幸園のwebサイトでも『伝市鉢 登り窯』と記載され、下記のような『手作り』の鉢が紹介されています。
私は↑これを『手作り=登り窯焼き』と思い込んでいました。
ところが、これは『手作り鉢の香炉型の登り窯焼き』と呼ぶのが正しかったのです。
それなのに『香炉型の登り窯焼き』と注文をだしてしまうと、
『型作りの香炉型の登り窯焼き』が送られてくることになるので要注意。
「ロクロで作った手作り鉢には、登り窯焼き以外で、他に何があるというのですか?」
と訊ねたら
「ガス窯の普通焼きがあります。」
とのこと。
「ロクロで作った手作り鉢を、ガス窯で焼くのですか!?」
と訊ねると
「はい。少しでも予算を抑えたいお客さんが居られ、要望があれば行います。」
とのこと。
さらに、型で作った鉢を登り窯で焼く、『型作り鉢の登り窯焼き』もあるとか。
それが、栽培歴長い桜草愛好者の諸先輩方が普通に使っている香炉型鉢でした。
登り窯で焼くので自然釉がのり、艶がでてテカる。
なので、諸先輩方が普通に使っている艶とテカりがある香炉型鉢を注文する際には
『型作りの香炉型鉢の登り窯焼き』と指定する必要があります。
そこで質問してみました。
「型作りの丸型は『ガス窯の普通焼き』ばかり見かけるのですが、登り窯焼きもできるのですか?」
と訊ねたら「はい、そうです。注文をいただけましたらできます。」とのこと。
つまり伝市釜の伝市鉢は
寸胴型、丸型、香炉型の3タイプに
型から作る型作りとロクロで作る手作りがあり
ガス窯の普通焼きと登り窯焼きの2種類の焼き方が選べるのです。
それにグレーとグリーンと黒の3色の釉薬鉢。
ご注文なされる際には、これらを指定して注文することになります。
伝市窯では登り窯の薪に松の木を使うそうで、灰の掛かり具合で模様が付くそうですから
2012年02月21日『伝市窯の鉢』で紹介した鉢は、ガス窯の普通焼きなのかもしれません。
浪華さくらそう会の山原さんのBlog『日本の桜草と美術』を改めて見返すと、
2010年11月25日『私の使用する桜草鉢』に登り窯焼きとガス窯の普通焼きが載っていました。
山原さんのBlogに掲載された下記画像の解説では、下記のように紹介されています。
[左]丹波・伝市窯・桜草鉢…昭和50年頃、浪華さくらそう会が伝市窯で作ってもらった鉢。
[右]丹波・香炉型鉢…登窯で焼かれたものらしく自然釉の景色がみられる。
この場合、伝市窯に注文する際には
[左]が『型作りの香炉型6寸のガス窯の普通焼き』
[右]が『型作りの香炉型6寸の登り窯焼き』となります。
でも、登り窯で焼いた場合でも、自然釉の景色が現れない場合の方が多いようです。
自然釉の景色を期待されて注文されるなら、予め問い合わせて確認された方がよろしいかと。
同じく山原さんのBlogから2011年04月29日『雛壇飾りを始める』の画像。
下段右から2つ目は多分『型作りの香炉型6寸のガス窯の普通焼き』
それ以外は全部『型作りの香炉型6寸の登り窯焼き』になります。
伝市鉢には選択肢があるのですから、伝市窯から直接購入されることをお薦めします。
鉢の特性を考慮して、用途に合わせて選べるのは魅力です。それに直売ゆえ安価なことも。
特性に大きさ違いはないと思いますが、
登り窯焼きとガス窯の普通焼き、釉薬鉢を敢えて比較して無理矢理こじつけすると、
登り窯焼きは自然釉が掛かっている分だけ、ガス窯の普通焼きよりは通気性が悪い。
ガス窯の普通焼きは通気性と排水性が良い=保水力が弱い。蒸れにくく、気化熱で温度も抑えられる。
釉薬鉢は通気性と排水性が悪い=保水力が高い。過湿に注意、夏場に蒸れてしまうかも。
と言えるのかもしれません。本当に大差はないと思います。
個人的に見た目から登り窯焼きが気になりますが
丸形はガス窯の普通焼きで広く普及して評判も良いようなので
通気性と排水性の良さから、ガス窯の普通焼きが桜草栽培にむいているのかもしれません。
そう考えると内側まで釉薬が施されている深谷鉢は
通気性と排水性の悪さから、機能はプラ鉢と同じと言えそうです。
深谷鉢で上手に育てて居られる諸先輩も多くみかけますが、苦労されておらえる方も少なくないようです。
私的に深谷鉢の機能的利点が思い浮かばず、新規に購入してまで使う価値はあるのかと・・・お薦めはしません。
信楽の香炉型をガス窯の普通焼きしたような鉢も見受けられますけど、ここはガス窯の普通焼きの色合いだけみてください。(^^;
↓左:登り窯焼きがメイン。右:ガス窯の普通焼きがメイン。
型で作られた鉢にも、『登り窯焼き』と『ガス窯の普通焼き』の2種類がある。
ロクロを使って作られた手作り鉢にも、『登り窯焼き』と『ガス窯の普通焼き』の2種類がある。
ご注文の際には、正しく指定してください。
ロクロを使って作られた手作り鉢の
『手作り鉢の登り窯焼き』と『手作り鉢のガス窯の普通焼き』の値段は下記の通り。
6号:登窯1800円/ ガス窯1500円
5号:登窯1500円/ ガス窯1200円
4号:登窯1200円/ ガス窯 900円
手作りなので寸胴型も作ってくれるそうですし、各種鉢の形状の変更にも対応とのこと。
釉薬鉢、『型作りの鉢の登り窯焼き』と『型作りの鉢のガス窯の普通焼き』の値段は下記の通り。
6号:釉薬1200円/登窯900円/ ガス窯600円
5号:釉薬1000円/登窯800円/ ガス窯500円
5号登り窯焼きと4号の価格は尋ねていないので知りません。伝市窯さんへお訊ねください。
輸送方法は佐川急便のみ。
梱包料1箱に付き600円(梱包する箱に種類あれど一律600円)
一番大きな今回の箱には6号と5号が12鉢梱包可能です。
注文は1鉢単位でOK。在庫があれば即発送。
今回色々頼んだので1ケ月掛かりましたが、
ガス窯の普通焼きだけでしたら、納期はもっと早いそうです。
代金振り込みは商品到着後の後払いになります。
市野伝市窯
〒669-2135 兵庫県篠山市今田町上立杭488
TEL:079-597-2413
FAX:079-597-2475
e-mail:qsms37022@maia.eonet.ne.jp
注文の際はFAXとTELが一番助かるそうです。
2012年03月08日
朝顔鉢
鎌倉のお金持ちが使っていたものだそうです。
似たような鉢を何所かで見たと思ったら、HP『趣味でさくらそう』さんでした。
コラム > 鉢について:http://shumien.web.fc2.com/sakurasou/column/hachi.htm
コラム > 割れた鉢を修復する:http://shumien.web.fc2.com/sakurasou/column/syufuku.htm
この鉢の由来や経緯は知りませんけど、気になる形ですね。
2012年03月04日
孫半土鉢.7
ブラタモリ 2012年2月9日放送 『 街の樹木・植物 』に出ていた画像を紹介します。
四季花くらべの内 嘉永6(1853)年出版(嘉永6年=黒船来航=第13代将軍誕生=幕末の江戸時代後期)。
鈴鹿冬三著『日本サクラソウ』昭和51(1976)年
このものにのみ利用された面白い鉢があり、今日に伝わってきたのが、この孫半土です。
鳥居恒夫著『色分け花図鑑 桜草』2006(平成18)年
江戸時代中期(中略)当時はまだ、量産の植木鉢が無く、
小形のものは孫半斗鉢と呼び、植木鉢に活用して、いろいろな草木が植えられていた。
↑
此処でも先達に噛み付いています。
江戸時代は全て手作りですから何をもって量産の植木鉢と呼ぶのか分りませんが
艶やかなな鉢で賑わっていたようです。
鈴鹿氏は桜草にのみ利用された面白い鉢が孫半土鉢だと書いていますが、
↓これが匣鉢(さや)ではないのでしょうか。匣鉢でないなら、量産の植木鉢。
古典園芸の画像をネット上でみつけました。
しかし桜草は『連』という閉鎖的な組織で栽培されていましたからでしょうか
描かれていません。
孫半土鉢は、今の時代なら、渋くて落ち着いた味わいある鉢と言えますけど
江戸中期から後期の趣味としては、時代の波に乗ってなく、地味過ぎやしませんか?
みな立派な鉢ですよ。
↓
千葉県立中央博物館 デジタルミュージアム
浮世絵に見る江戸時代の園芸
http://www.chiba-muse.or.jp/NATURAL/special/ukiyoe/iwasatop.htm
第7回 江戸時代の花たち 書物に見る江戸時代の園芸文化
解説:小笠原亮(伝統園芸植物研究家・雑華園文庫主人)
http://www.aboc.co.jp/nature/flowermuseum/07.html
今回調べて感じたことは
江戸時代に桜草鉢は発展し損ね、実は今が熟成期なのではないか。ということです。
江戸時代に量産の植木鉢が無かったから孫半土鉢を使ったのではなく、
桜草が『連』により普及していなかったので、鉢が作られなかっただけ。
代用で使った孫半土鉢は栽培に悪くなかったから、そのまま使い続けた。
桜草の孫半土鉢は伝統ではなく、熟成しなかった古典園芸ではないのか。
鉢の選択が増えた現代で、孫半土鉢に固執する愛栽者が少なく、
全国的には香炉型や伝市鉢の丸形を使う方が多いのは、その現れではないでしょうか。
そんなことを感じたシリーズでした。
2012年03月03日
孫半土鉢.6
農業世界 昭和15(1940)年11月号付録
何でも古老の語るところによりますと、昔焼物を製る時に、この中に入れて焼いたものださうで、元々鉢として製ったものではないらしいのです。従つて底には孔(あな)があいてをりませんから、日本櫻草の栽培にこれを用ひます場合には、鑿(のみ)の如きもので底に水抜き用の小孔を穿つてから使つたものです。
加藤亮太郎著『日本桜草』加島書店(昭和34(1959)年5月)
この鉢は、実は植物を植える為めに作ったっものではなく、貴重な陶磁器類を焼く時の外枠として用いたものだそうです。
したがって、底には他の鉢に見られるような水抜穴がありません。
そこで、鉢として用いる場合には、中央に穴をあけて用いたものです。
鈴鹿冬三著『日本サクラソウ』NHK出版(昭和51(1976)年5月)
このものにのみ利用された面白い鉢があり、今日に伝わってきたのが、この孫半土です。(中略)。
この鉢は、実は植木鉢ではなく、貴重な陶磁器類を焼く時の外枠「さや」として用いたものといわれています。武士の家などでは、これを味噌壺や梅干し壺に利用したとも言われています。
したがって底には水抜き穴がありません。鉢として利用する場合には、中央に穴を開けて用いたものです。
鳥居恒夫著『色分け花図鑑 桜草』2006(平成18)年
江戸時代中期(中略)、量産の植木鉢が無く、そこで台所で塩や味噌を入れていた小鉢を集めてきて、底に水はけの穴をあけ、桜草を植えた。(中略)、日用品として大量に江戸の町でも使われた。(中略)、植木鉢に活用して、いろいろな草木が植えられていた。
世界のプリムラ』 2007(平成19)年 桜草鉢について 伊丹執筆
何処の家の台所にもある瀬戸物の小さな壷、塩入れか何かに使われていた蓋のない壷に目をつけた人は、コツコツと底に穴をあけ、「これでいけるッ」とつぶやいたに違いない。瀬戸物屋に頼んでおけば、安価でいくらでも手に入った。
『農業世界』と『日本桜草』では、陶磁器類を焼く時の外枠と紹介。
『日本サクラソウ』でも、陶磁器類を焼く時の外枠「さや」と紹介。
さらに、武士の家などでは、これを味噌壺や梅干し壺に利用したとも言われています。と書いています。
それなのに、鳥居恒夫氏と伊丹淸は、
・台所で塩や味噌を入れていた小鉢を集めてきた。
・日用品として大量に江戸の町でも使われていた。
・何処の家の台所にもある瀬戸物の小さな壷、何かに使われていた蓋のない壷。
・瀬戸物屋に頼んでおけば、安価でいくらでも手に入った。
と記しています。
何度も書いていますが、鳥居氏が『色分け花図鑑 桜草』の中で
先達たちにないことを断言している箇所は鵜呑みにしてはいけないので、ウソだと疑うことです。
なので先に、鳥居氏が書いていないけど先達たちが書いている
陶磁器類を焼く時の外枠「さや」とはなんぞや? という処をネット検索。
でました、直ぐにヒット。
匣SAYAから発信・やきものの話 ~桃山陶~
2010年12月10日 – 匣」ってなあに?: http://yokohama-now.jp/home/?p=2576
「匣」、又は「匣鉢」と書いて、焼物業界では「さや」と読んで、やきものを焼成する時に使用するある道具を指します。「匣」は通常辞書などでは、「こう」とか「はこ」という読みがなでしか出てきませんので、「さや」という読みかなは、この焼物の世界だけの当て字という事になります。
『ウィキペディア(Wikipedia)』匣鉢
鎌倉時代の藤四郎は南中国の匣鉢を瀬戸に伝えたらしい。
Blog『備前焼 やきもん屋』 匣鉢 2009-01-28
『匣鉢=はこ・はち』と書いて『サヤ』と読む。他の窯業地では『エンゴロ』とも言う。焼成時に素地を保護する『箱』の事。
孫半土鉢という甕が、何のために焼かれたのか、答えは出ましたね。匣鉢だったんですね。
塩や味噌、梅干しを入れた家もあたったでしょうけど、不自然なことが多いと思ってました。
味噌、梅干しを入れるなら、もっと大きいと思います。
日用品として大量に江戸の町でも使われ、何処の家の台所にもあると言うわりには
時代劇にでてこないし、蓋が無いのか不自然。
蓋が無い壺が、日用品として大量に江戸の町に入るだろうか。
ニーズがあるなら、甕は細分化され、お洒落な形と色彩となり蓋付きも誕生したのではないのか。
瀬戸物屋に頼んでおけば、安価でいくらでも手に入った品が、なぜ消えた?
日用雑記なら骨董として伝わっていそうなのに、それもない。
鳥居氏と伊丹氏はさくらそう会は、此処でも巧みな言葉を使っていたんですね。
公的施設の広報には、それを信じた文言が載っていますけど
『本来食器容器として作られた瀬戸焼の陶器』は、過ちになります。
鳥居恒夫氏が世話人代表を努めますさくらそう会の活動は、
さくらそう界に多大な迷惑をかけ、世間と愛好者に誤った認識を広めてしまったようです。
鳥居氏と伊丹氏の記述は、確かに事実ですが、真実ではありませんでした。
さくらそう界は、世話人たちが存命の内に、訂正してほしいものです。
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Blog『赤城山のうっさん陶芸工房』に、 匣鉢に徳利を入れて焼いた様子が紹介されていました。
匣鉢の使われ方のイメージになりましたので、紹介しておきます。
氷晶石から出るフッ素ガスを使った窯変の徳利のテストです
http://blogs.yahoo.co.jp/showwajidai/24846789.html
氷晶石からでる”ガス”を使って窯変のテストをした結果の徳利の写真です
http://blogs.yahoo.co.jp/showwajidai/24922412.html
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5 - 2 京焼の匣鉢についての研究ノート 木村茉莉
江戸時代の鳴滝乾山窯の匣鉢と現代の匣鉢は、サイズ・成型方法・胎土の点で全く異なるが、 多くの種類のものを使用するという点では共通性がある。 また、 鳴滝乾山窯から時代が新しくなるにつれて、 口径と底径が徐々に一致するようになり、 口縁部の歪みが減っている事が分かる。 口部の厚みは、 1cm代のものから2cmを超えるものへ移り、 再び1cm代へ戻っている。 それは器高にも言えることで、 グラフを並べてみるともっとも厚い時期は明治期だったと考えて良いだろう。 この時代の匣鉢が最も厚い理由は、 現在のような耐火粘土が開発されていなかったことが大きな原因だったと考えられるが、 現代よりも窯がフル作動し、
産や磁器生産も本格化し始める頃であったため、器壁が厚くなければ焼成に耐えられなかった可能性もある。
http://www.arc.ritsumei.ac.jp/archive01/jimu/publications/kidachi/kyoyaki/13/kidachi_kyoyaki-13.pdf
↑
上記を読み
『農業世界』には、稍分厚(ややぶあつ)・相當(そうとう)質の堅い鉢、
『日本桜草』では、厚ぼったい、質の堅い、
鈴鹿冬三著『日本サクラソウ』では、縁の厚さ1.5cm、1.2cmくらい、質は比較的堅く、
筆者も何鉢か開けましたが、堅いわりには比較的もろいので簡単に開けられます。
と書かれた理由を知る思いがしました。
スカスカで弱いから厚くした。だから硬いけど、比較的もろい。
スカスカで弱いなら素焼き鉢みたいなものかしら。
釉薬が塗られているとはいえ、厚い素焼き鉢みたいなものなら、通気性や通水性は保たれてそう。
さくらそう会が斡旋する深谷鉢が、
外見だけど真似して瓦のように作られた鉢だとしたら、似て異なる別物ということになるかも。
上手に栽培されておられる方もたくさん居られますが、栽培には適さないのかもしれませんね。
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