2010年01月26日

今更ですが.8

2010年01月22日『今 更ですが.7』で紹介した
サクラソウ127園芸品種の葉緑体DNA型(ハプロタイプ)、倍数性、花柱型』の
『品種識別、親子関係、由来に関する情報』の記述が気になったので、
夜な夜な調べていますが、収拾できずにいます。

その最大の要因は
鳥居恒夫著 さくらそう会写真『色分け花図鑑 桜草―名前の由来と品種がわかる―』
2006年(平成18年)2月20日初版発行 株式会社学習研究社。
の内容です。

鳥居恒夫氏とさくらそう会を悪く言うつもりは毛頭ありません。
『品種識別、親子関係、由来に関する情報』の記述に関して知りたいだけなのですが
どうしても鳥居恒夫氏とさくらそう会への苦言になってしまうのです。
面識も無いので、私が一方的に此所から非難する形になるのは不本意ではありますが、
さくらそう愛好者の将来のためにも、改めるべき箇所は改めてもらう必要があると考えます。


2010年01月24日『同一の遺伝子型』から始まった『今更ですが.1〜7』に登場する
サクラソウ集団における遺伝的多様性の保全 に関する分子生態遺伝学的研究』は、
本城正憲氏の筑波大学大学院 生命環境科学研究科 生物圏資源科学専攻 博士(農学)学位論文』です。
論文(博士(農学)学位論文)ですから、いい加減な内容であってはいけません。

論文によると、研究に使われた材料(サンプル)は
『筑波大学農林技術センターおよび埼玉県農林総合研究センター園芸研究所で栽培されている
江戸時代中期から昭和にかけて作り出された園芸品種127品種から、2002年および2003年の4月に葉を採取した(表15)。
(中略)
葉の採取の際には、花弁形態と鉢に挿してあるラベル、および鳥居(1985)の写真、記述とを照らし合わせて、
実際に栽培している株とラベルの品種名に相違がないか確認した。』
と書かれています。

本城正憲氏の論文における参考文献とは
鳥居恒夫著『さくらそう』日本テレビ放送網株式会社 (1985)(昭和60年4月17日発行3990円)
鈴鹿冬三著『日本サクラソウ』日本放送出版協会(1976)
ですが、
鳥居恒夫著『さくらそう』日本テレビ放送網株式会社 (1985)は絶版になってり入手不可能。
私は読んだことも見た事もありません。
そこで手持ちの
鳥居恒夫著 さくらそう会写真『色分け花図鑑 桜草―名前の由来と品種がわかる―』
2006年(平成18年)2月20日初版発行 株式会社学習研究社
鈴鹿冬三著『NHK趣味の園芸:作業12か月 日本サクラソウ』
昭和51年(1976年)5月1日第1刷発行 平成8年(1996)2月10日第16刷発行 日本放送出版協会
上記2冊を使い、『品種識別、親子関係、由来に関する情報』の記述内容を調べはじめました。

最初に、ページ数が少なく文章が簡素な鈴鹿冬三著『日本サクラソウ』昭和51年から行いました。
鈴鹿氏の文章は短く簡潔で、花の色や形など園芸愛好者向けの記述が主で、
本城正憲氏の研究と『品種識別、親子関係、由来に関する情報』に関係する記述は少なかったです。

次ぎに、鳥居恒夫著『色分け花図鑑 桜草』2006年を調べました。
私はこの本を2009年01月21日の記事『日本桜草の本.2』で絶賛しました。
そして今回、鈴鹿著『日本サクラソウ』1976年を読んだ後に、改めて読み返す形となりましたが
鳥居氏の鈴鹿氏(浪華さくらそう会)への対抗心と
己(&さくらそう会)の功名心が行間に満ちあふれ
どうでもいい主観と偏見と、憶測に満ちた酷い内容であることに気づいたのです。


東京の『さくらそう会』のHPにある『認定品種306種』は、
Myoshiのホームページへようこそ!!』にリンクが張られています。
『Myoshiのホームページへようこそ!!』の『認定品種の写真と解説 さくらそう会の認定品種(306種)』の冒頭には、
下記のような記述があります。
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さくらそうの園芸品種はさくらそう会(世話人代表鳥居恒夫)で306種を認定しています。
さくらそうの品種は江戸時代から愛好家の間で綿々と受け継がれてき文化遺産です。
しかし正確な品種を間違いなく栽培するのは難しく、
頼みは「さくらそう 鳥居恒夫著日本テレビ出版」でしたがこれが絶版になり入手できません.
平成18年2月に待望の「色分け花図鑑 桜草」鳥居恒夫著が 学習研究社からが発売になりました。
この本がさくらそうの品種の基準です。
さくらそうの品種を正確に区別するのは大変難しいことですが、
見分け方を鳥居先生から伝授していただき、これを写真で写しこみ解説するつもりです。
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これを読みますと、
東京の「さくらそう会」は、鳥居氏を奉りあげた宗教団体のように感じます。
鳥居恒夫著「色分け花図鑑 桜草」が、さくらそうの品種の基準とは、呆れます。
浪華さくらそう会のように、理事や会員が歴史と個々の栽培経験を基に語り合うのではなく
「鳥居さんが言ったんだ。」「鳥居さんがそう考えるなら、その通りでしょう。」と
疑う事を知らない教団の信者のように鵜呑みにして、
『我々の言うことを信じないことは過ちである』と脅しながら、普及活動しているかのようです。
東京の「さくらそう会」の会員は、鳥居氏の著物を読んで、疑問や矛盾を抱かないのでしょうか。

浪華さくらそう会の山原氏は、私の2009年01月21日の記事『日本桜草の本.2』にコメントを下さり
「まあ、気楽に写真を見るのには良いものでしょう。」と言われましたが、私はそれすら許せません。
内容は根底から怪しく、誤った知識と見解の記述が桜草愛好者へ与えてしまう負の影響は甚大です。
全国の桜草愛好者と桜草文化の未来のためにも
『色分け花図鑑 桜草』は回収して絶版にすべきではないかと考えるほど酷い本だと感じています。


また、本城正憲氏が参考文献に掲げた
『鳥居恒夫著『さくらそう』日本テレビ放送網株式会社 (1985年)(昭和60年4月17日発行3990円)』と、
私が今回見比べた
『鳥居恒夫著 さくらそう会写真『色分け花図鑑 桜草』2006年(平成18年)2月20日初版発行 株式会社学習研究社』
では、『品種識別、親子関係、由来に関する情報』に関する記述に大きな違いはないと思えますが、
本城正憲氏は、内容を検証しなかったミスを犯しました。
否、本として書かれているという“事実”に基づいているのだから
鳥居恒夫著『さくらそう』 (1985)の内容を検証して“真実”を証明する必要はないわけで、
『検証しなかったミスを犯した。』というのは言い過ぎかもしれませんが、
鳥居恒夫著『色分け花図鑑 桜草』2006年を読むと、資料が根底から間違っていることになるのです。

例えば【前代未聞 2倍体 短花柱花 江戸後期】における両氏の記述に違いがあります。
鈴鹿著『日本サクラソウ』昭和51年(1976年)。147ページ記載。
『この花と同一のものに有名な「木枯」(短柱花)があるが、差異は長柱花と短柱花だけの差であるといわれています。』
鳥居著『色分け図鑑桜草』2006年。149ページ記載。
『前代未聞』の項:短柱花。江戸末期。「木枯」と間違えている人が実に多いが、短柱花であること、草丈が低いことで見分けられる。』
鳥居著『色分け図鑑桜草』2006年。147ページ記載。
『木枯』の項:長柱花。江戸末期。「木枯」と間違えている人が実に多いが、短柱花であること、草丈が低いことで見分けられる。』

鈴鹿著によれば、「前代未聞」は長柱花であり、短柱花は「木枯」ということになります。
鈴鹿氏の『日本サクラソウ』は昭和51年(1976年)の著書で
鳥居氏の『さくらそう』 は1985年の著書です。
先人が「前代未聞は長柱花」と言っているのに、何を根拠に「前代未聞は短柱花」と主張するのでしょう。
さくらそう会HPのリンク先には
『さくらそうの品種は江戸時代から愛好家の間で綿々と受け継がれてき文化遺産です。』
と、記載されています。私も温故知新が古典園芸の鉄則だと思っています。
だとすれば鳥居氏は間違いであり、本城正憲氏の資料も誤りとなります。

鳥居著『桜草』 2006年には、他にもとんでもない事が随所に書かれています。
鳥居恒夫氏とさくらそう会批判が目的ではないので、
『品種識別、親子関係、由来に関する情報』の記述に関する事項から紹介します。

【富士越 2倍体 長花柱花 明治 柴山政愛 】
鳥居著『色分け図鑑 桜草』2006年。90ページ記載。
明治後期 柴山政愛発表。昭和40(1965)年頃までは最大輪花であった。
この花が広まったのは1952年にさくらそう会が発足して、苗の配布に努めたことによる。
最大輪花でありながら、花の表に色がにじむために、最高の評価はないが、人気は高く、大きすぎるという評もあった。
なお、この富士越は実は二代目で、初代が枯れたのちに、再び命名されたものである。

『実は二代目で、初代が枯れたのちに、再び命名された』とは、どういう意味であろう。
そのまま受け取れば、柴山政愛が作出命名した「富士越」ではないということになる。
そんな株を本城正憲氏はデーターにしてしまったのだろうか。
二代目を「富士越」と称して全国に配布してしまったのだろうか。

東京のさくらそう会は『綿々と受け継がれてき文化遺産』を黙殺し、
わけがわからない花を二代目と認定した会の認識を楯に「これが「富士越」です。」と主張。
そして『この本がさくらそうの品種の基準です。』などという主張は通らないし、通してはいけない。
何よりも意味不明な二代目を取り上げながら、作出年代と作出者を掲げるなど、言語道断である。


また、鳥居著『色分け花図鑑 桜草』2006年の解説に、ちょっと長文の箇所があると、
その内容は必ず鈴鹿著『日本サクラソウ』昭和51年への当て付けになっており、
正反対のことや否定する事が記されており、閉口します。
例えば【ハプロタイプ A 大須磨 2倍体 短花柱花  江戸後期】
鳥居著『色分け図鑑 桜草』2006年。146ページ記載。
『「大須磨」:花に斑が入るところだけが見どころで、野生のなかから発見さえたものであろう。』

花の美しさと愛でる気持ちは人それぞれなのに、
『花に斑が入るところだけが見どころ』と書く必要はあるでしょうか。
『変なこと書く人だなあ』『もしや』と思い
鈴鹿著『日本サクラソウ』昭和51年(1976年)を見てみると
『156ページ「大須磨」:色調が面白く可愛げがある。』と書いてありました。
東京のさくらそう会50周年記念事業にもされている書籍で、悲しいことです。

浪華さくらそう会のHPの掲載されている15年度会誌紹介に、
会長の山原氏が、こんなことを書かれていましたので、一部を紹介します。
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小澤征爾氏の活動を紹介するテレビ番組を見る機会がありました。
彼は今世紀でもっとも高い評価を得ている指揮者でしょう。
彼は指揮をする前に、その曲を徹底的に読み込む作業をします。
作曲者の意図、曲の時代背景など十二分に把握した上で、音を再構築していきます。緻密で妥協の許さない仕事です。
その上で、それを演奏者により現実の音楽として再現するのです。
その豊かな構成力とともに演奏者の力を自在に引き出す能力に長けているといわれています。
彼の手にかかれば、オーケストラはその持てる力を百二十%も発揮するのです。魔法にかかったかのように。
一方で、素人の演奏者が合奏し、その家族や知人がそれを聴いています。
技量は高くなくとも、演奏を、音楽そのものを楽しんでいる姿に、彼は感動するのです。
音楽そのものの持つ力、美しさに対する大きな感受性を持っていることが、
彼を偉大ならしめている基礎となっているように思われます。
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『品種識別、親子関係、由来に関する情報』の記述を調べたいだけのに
上記の理由から次々と疑問がわき、調べる事が増え、どんどん横道へ反れてしまい、収集がつきません。
サンプルとなった127園芸品種に関すること全部を一度にアップすることは、今の私には無理です。
ローカルディスク上でも整理するのが面倒なので、小出しにアップしたいと思います。

鳥居恒夫著『さくらそう』(1985年)や東京のさくらそう会の会報、浪華さくらそう会の会報、
これまで発見されてきた桜草栽培の資料を読んでもいないので、
私の思い込みに因る間違った解釈、歴史認識に過ちがあるやもしれません。
その際には遠慮なくコメントください。真摯に受け止め、勉強させていただきたく所存です。

ということで、まずは各1品種しかなかった下記3品種について。
ハプロタイプ A 大須磨 2倍体 短花柱花  江戸後期
ハプロタイプ δ 秋の装 短花柱花 江戸後期
ハプロタイプ I  雪月花 短花柱花 江戸後期

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大須磨 A  2倍体 短花柱花  江戸後期
(鈴鹿156ページ「大須磨」:色調が面白く可愛げがある。)
(鳥居146ページ「大須磨」:短柱花 江戸末期 類似品種: 記載無し。
 花に斑が入るところだけが見どころで、野生のなかから発見さえたものであろう。
 かつて同様のものに小須磨があり、それより大形であったため命名。)

『花に斑が入るところだけが見どころ』とは、鈴鹿氏を意識しての当てつけだろうか。
花への愛情を疑ってしまうし、作出命名者や先人に対して失礼。なんとも酷い言い方。第一こんなことを記載する必要はない。
『野生のなかから発見さえたものであろう』と書いているが、
本城正憲氏のDNA分析結果を知った上での発言であろうから、その旨を書くべきではなかろうか。
『かつて同様のものに小須磨があり、それより大形であったため命名』とあるが、本当かしら。
「小須磨」という品種が存在の有無は私には判らないが、日本語的にその説明は変である。
「白蜻蛉」「朝日」が先にあったから「大白蜻蛉」「大朝日」と命名されたように、先に存在しら品種は「須磨」ではないのかしら。
何も無いのに「小須磨」と命名するという解釈は変である。

「楊貴妃」を検索中に「須磨」「大須磨」の文字がヒット。どこのサイトだと思いきや、山原氏のBlogでした。
カテゴリ桜草栽培史 2009年03月20日
桜草栽培史34 桜草名寄控翻刻
『桜草名寄控』を再読してその重要性を再認識させられたところ、若い知人にこのリプリントを送るに際して翻刻をしたので、
せっかくなので大方の利用に供しようと思う。
この『名寄控』は前後に手が変わっている。前半は1860頃に、後半は20数年後の明治に入ってしばらくしてから纏められたようである。

萬延元申年(1860)閏三月吉日
桜草名寄控    染植重
『楊柳笛 青葉の笛 須磨 大須磨 玉光梅 猩々舞 汐衣 江戸紫 千鳥貝』

『小須磨』なんて無いじゃないの。思った通り『須磨』『大須磨』。
鳥居氏の解説は、一つ一つ個別に読むと説得され納得してしまうが
鈴鹿氏を読んだ後に通して読んでみると、憶測だらけの酷い内容で
鈴鹿氏を意識していることが行間に溢れていてます。

別のことを調べていたら、またまた山原氏のBlog『日本の桜草と美術』がヒット。
カテゴリ桜草栽培史 2008年07月15日
桜草栽培史19ー江戸での桜草栽培状況について(再々)
戸田にて見事の絞り花見出し賞美され、【 須磨浦 】と名付られ、
人々名花と賞し今以て所々に翫植してあるなり。
その後に至り好事の人々、実を取蒔て種々丹精し、花の替りを出し候事になり、
実蒔の替花にて南京小桜と名付し花初りのよし辻武助の咄にし候。

(鳥居32ページ「南京小桜」:最古の品種と伝えられる。『櫻草作傳法』(写本)によると、
 享保以降にタネをまいて変わり花を作り出すことが始まり、
 実生花として初めて生まれたのが南京小桜とあるが、野生品に近い。)
鳥居氏は『色分け花図鑑 桜草』南京小桜の項で上記のように書かれているが、
最古の品種以前に、【 須磨浦 】と名付けられた品種があるとも書かれている。
この後に、小須磨という品種が生まれて、大須磨が誕生したのだろうか。
それとも、須磨浦の後に須磨が生まれ、小須磨が誕生して、大須磨と言うのだろうか。
いずれにせよ、
『かつて同様のものに小須磨があり、それより大形であったため命名』という大須磨の命名由来には無理がある。
根拠があるなら示してほしい。

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秋の装 δ  短花柱花 江戸後期
(鈴鹿146ページ「秋の装」:どことなくさびしさが感じられて案外希望者が多いです。古花。)
(鳥居112ページ「秋の装」:短柱花 江戸末期 類似品種: 十州の空 貴妃の夢
 花弁が厚く、しっかりと広がり、端正な姿にはさびしさとともに品位がある。)
(鳥居116ページ「十州の空」:短柱花 江戸末期か 類似品種: 貴妃の夢)
(鳥居113ページ「貴妃の夢」:短柱花 昭和前期か 類似品種: 秋の装 十州の空)
(鈴鹿146ページ 「十州の空」:紫色系の名品の1つ。)




『秋の装』では、突っ込むべき箇所は無いように思えたが、鳥居氏が「秋の装」の類似品種として紹介している「貴妃の夢」が気になった。
鈴鹿氏の本に「貴妃の夢」は載って無いが、「楊貴妃」は太文字記載されていた品種だと気づいたからだ。
それと、鳥居116ページ「十州の空」の類似品種欄には「秋の装」が記載されていない。
此所でも鈴鹿氏を意識したようだ。鳥居氏への不信感があるので「貴妃の夢」と「楊貴妃」も調べてみることにした。

(鈴鹿147ページ 「楊貴妃」:表曙白裏桃色、桜弁抱え、ややつかみ咲大輪で、非常にあでやかな花です。)
鳥居著『色付け図鑑 桜草』に「楊貴妃」は載っていない。
「楊貴妃」は存在する品種なのか否か、私には判らないのでネット検索したら埼玉県花と緑の振興センター サクラソウ保存品種一覧がヒット。そこにはまたしても驚愕の事が書かれていた。
『認定番号26 酒宴の床(うたげのとこ)表の花色:白/裏の花色:桃/花弁の形:広/花弁先端の形桜/花容:深抱え咲き/僅長柱花。 楊貴妃と同じ』
ちなみに
(埼玉県花と緑の振興センター「楊貴妃」:未認定 ようきひ)
(筑波大学農林技術センターは画像のみ「楊貴妃」:画像無し)
(筑波大学農林技術センターは画像のみ「貴妃の夢」:画像あり)



「楊貴妃」と「酒宴の床」が同品種といわれてしまっては、調べるしかない。
(鈴鹿147ページ:楊貴妃(ヨウキヒ)表曙白裏桃色、桜弁抱え、ややつかみ咲大輪で、非常にあでやかな花です。)
(鈴鹿148ページ:酒宴の床(シュエンノトコ)江戸時代の名花の1つ。桃色表移白広桜弁大抱咲最大輪。
 関西方面で、一時は「桃の節句」と混同されたこともありましたが、まったくことなります。)
(鳥居著『色付け図鑑 桜草』に「酒宴の床」は載っていない。)

(うたげのとこ)と(シュエンノトコ)、どちらが正しい読みなんでしょう。
読み方に関しても鈴鹿氏と鳥居氏では見解が違うのですが、書籍として古いのは鈴鹿氏であり、読み方や漢字の記載は古い記述に従うべきだと思います。
誰であれ勝手に替えることは許されず、替えるにしても浪華さくらそう会のように、根拠を示して広言すべきです。

鈴鹿氏は「桃の節句」と混同された史実を語っていますので、今度は「桃の節句」を調べます。
(鈴鹿158ページ:桃の節句(モモノセック)薄桃色系の最大輪の見事な花である。)
(鳥居著『色付け図鑑 桜草』に「桃の節句」は載っていない。)
(埼玉県花と緑の振興センターに「桃の節句」は載っていない。)
(筑波大学農林技術センターは画像のみ「桃の節句」:画像無し)
鳥居氏(さくらそう会)と埼玉県花と緑の振興センター、筑波大学農林技術センターは一蓮托生。同じスタンスのようです。

多勢に無勢。悔しいかな、関東地域はさくらそう会の支配下にあるようですが、
そもそも公の機関が、東京のさくらそう会という民間組織が勝手に行っている品種認定制度を取り入れるというのは、如何なものであろうか。
公共の機関として軽卒過ぎやしまいか。

ちなみに、
東京大学大学院教授の鷲谷いづみ著『サクラソウの目 繁殖と保全の生態学 第2版』2006年5月31日初版第1刷のあとがきを読むと、
浪華さくらそう会と山原茂会長が登場。
参考文献・書籍には、浪華さくらそう会(1990年)特集・櫻草作傳法, 浪華さくらそう会誌, 第25号と記載されており、
鳥居氏と東京のさくらそう会は一切登場しない。

おっと、此処にきて(私には)新発見。
2007年発行『世界のプリムラ』(誠文堂新光社)に掲載された
文久元辛酉仲春(1861年)発行、尾陽金城東(尾張=現在の名古屋)で出版された「櫻草見立相撲」に
「楊貴妃」は東前頭3枚目で載っていますが、「貴妃の夢」も「酒宴の床」も見当たりません。
ちなみに、「須磨」は頭取として載っています。

浪華さくらそう会長 山原氏の旧Blog『日本桜草』2007年03月25日掲載『世界のプリムラ
浪華さくらそう会HP『平成19年度 浪華さくらそう会誌目次

調べる範囲をちょっと広げると、毎回こんな調子で、鳥居氏(さくらそう会)の主張がくつがえります。
こういう処の情報を参考にしている公の機関と研究者のデーターは、信頼がおけません。

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雪月花  I  短花柱花 江戸後期
(鈴鹿157ページ「雪月花」:江戸時代の作出。「神楽の雪」という品種があるが、同品と考える。)
(鳥居62ページ「雪月花」:短柱花 江戸末期 類似品種: 記載無し)
(鈴鹿147ページ「神楽の雪」:古花で有名な、「雪月花」と同品と思われます。
 だれの命名かは不明で再調査の上、同品であれば「雪月花」としたいものです。)

めずらしく鳥居氏が反論していません。
しかし、類似品種欄を記載しないのがなぜ?
此所も鈴鹿氏を意識しているようです。
鈴鹿氏の文章はいつも簡潔で、気持ち良く読めます。

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以上、たった3品種を調べるだけでも時間が掛かりますし、上手くまとめるのも困難です。
私は鳥居氏と東京の『さくらそう会』を否定するために調べ始めたのでありませんが、
そこは避けて通れそうにありませんので、悪しからずご理解願います。
調べ終えた品種毎に記事をアップすることもできますが
ハプロタイプ別にアップしていくつもりです。
今後は気がむいた時に調べていきますので、次ぎの更新を気長にお待ち下さい。  


Posted by さくら at 18:34Comments(0)日本桜草について