2012年06月21日

桜草の自生地復活?.2

2012年06月06日『桜草の自生地復活?』の記事へ
Blog 山形 気ままブログ のbinさんがコメントを寄せてくださいましたが
赤川河川敷へサクラソウを植えた自生地復活の活動に一切関わりありませんし面識もありません。

このBlogは『庄内地方に桜草は自生していたのか?!』と調査していたときに
何かしら情報を寄せていただけたらと思い開設したもので
今でこそ胸を張って『庄内地方に桜草は自生していた!』と広言できますが、
2007年の段階では、断言できませんでした。

それに、淡水魚の生息調査でも、具体的な個体の保護活動はしていません。
保護活動はしていませんが、生物は全て繋がりを保って生きているので、生息調査は重要であり
生息調査なくして具体的な個体の保護活動は有り得ないと考えます。
桜草には野生種と園芸品種があり、他所からの持ち込みも考えられます。
不確実な状況で、自生地は消滅したのに自生地を創ろうとは思いませんし、同意もしかねます。

遊佐町の白井新田のハッチョウトンボ生息地は、
保全しようとして湿地帯を乾燥させてしまい、消滅させてしまい、
真室川からハッチョウトンボを移植させたそうですが、
個体よりも生息地が貴重なので、これは何とか理解できます。
このように、自生地が残っているなら復活させれば良いでしょうけど
新たに創るというのは納得できません。
メダカのビオトープのように、身近な場所に植えて親しんでもらうなら理解できます。
生物多様性とは、その個体よりも、生息地が肝要だと捉えていますから。

消滅したものを復活させようとは考えませんが、知ってもらう活動には賛成です。
桜草は繁殖力が強く良く増えますから、桜草愛培者を参考に、私も余剰苗を無償で配布しています。
ただ、桜草は手間を惜しむと増えませんし、逆に或る年突然消滅してしまいますので
庭への地植えだけは止めてくださいとお願いしています。
どうしても庭への地植えしたいのであれば、鉢栽培され、
余剰苗を植えて様子をみてからにしてください。とお願いしています。
人間の都合で移植して根付くくらいなら、桜草自生地は消滅しませんよ。

そもそも自分たちで桜草を有せず活動を始めたことが不快です。
『愛好者』が植えたと新聞紙面に記載されていますが、
桜草を所有してないのに、なんの『愛好者』なのでしょう。
桜草を栽培したことがないなら自分たちで栽培して桜草を知り
余剰苗を毎年植えて作って行くべきです。
『サクラソウについて調査』しているそうですが、
インターネットで検索しても、それも『調査』と言えますものね。

カブトムシで町起こしイベントを起こっている地域では
カブトムシの自生地を創らず養殖で繁殖させ、それを使い活動をしています。
ハッチョウトンボやギフチョウは貴重で、仮に生息地は創ったとしても個体は小さいですし、
行っても確実に観られるわけではありませんから、集客した観光地化はできません。
桜草も同じで、自生させたとしても菜の花畑のように咲かず、
小岩井農場の桜草自生地も散策コースの一部でしかありません。
桜草を使った観光地創りを目指すより
身近な場所に花壇を造るか、会員で桜草を栽培して余剰苗を配布される活動の方が
宜しいのではないでしょうか。






2007年04月16日『俳人 阿部月山子
2007年05月07日『安野悌次先生
2007年05月07日『櫛引町丸岡地区.2
2010年05月21日『蒼樹会の展示会

2007年(平成19年) 4月14日(土)付け紙面より
絶滅危惧種 サクラソウ復活へ 南庄内水と緑の環ネットワーク「親株」の情報求める
http://www.shonai-nippo.co.jp/cgi/ad/day.cgi?p=2007:04:14:1326
2007年(平成19年) 6月17日(日)付け紙面より
いっぱいになぁれ サクラソウ 親株の提供受け赤川で試験植栽 水と緑のネット
http://www.shonai-nippo.co.jp/cgi/ad/day.cgi?p=2007:06:17:1439
2009年(平成21年) 5月24日(日)付け紙面より
群生夢見て サクラソウを植栽 赤川沿いに市民団体 希少種の増株図る
http://www.shonai-nippo.co.jp/cgi/ad/day.cgi?p=2009:05:24:2745


■6月5日付朝刊 地域ニュース読みくらべ
【鶴岡】サクラソウ復活へ活動5年目
http://yamagata-np.jp/localnews_pickup/
環境省のレッドデーターブックでは、山形県は『現状不明』とされ、秋田県と新潟県は『データが無い県』で、青森県、宮城県は『絶滅危惧1類 (CE)』、岩手県は『絶滅危惧2類 (VU)』、福島県は『準絶滅危惧 (NT)』となっています。  

Posted by さくら at 19:00Comments(0)日本桜草12

2012年06月21日

赤川水系再生への働き

Blog 無題・休題−ハバネロ風味− のcakeさんより昨日の記事のコメント欄へ
『酒田河川国道事務所で、赤川の整備計画について、住民からの意見を求めているそうですよ。』
と書き込みをいただきました。
多くの人に関心を持ってもらうことは歓迎すべきことなので、是非意見を寄せてあげてください。

赤川水系河川整備計画
http://www.thr.mlit.go.jp/sakata/office/works/river/aka-seibi-top.html
赤川水系河川整備計画(素案)への意見募集
http://www.thr.mlit.go.jp/sakata/office/works/river/aka-seibi-iken.html


コメント欄へ返信すると長文になるので、Blogネタにしてみました。
本来、このような募集などは不要です。公共事業は常に事業案も計画も公開して意見も受け付けており、改まって意見募集する必要はないのです。

街を創るとき、上水道や下水道準備、道路拡張、バイパス道の建設予定など、予算の確保がありますから、何年後にどうするか事前に計画しますよね。それと同じで河川国道事務所へ問い合わせれば教えてくれますし、問えば何でも回答してくれ要望も常時受け付けてくれます(ただし記録されるかは別問題)。

自然に興味がある人、とくに釣り人からは「いつの間にか勝手に工事された。」「自然破壊だ。」というセリフをよく聞くのですが、釣り人は自分が釣りたい魚と自分のフィールド以外には無関心ですし、自分の釣りする期間以外はフィールドに現れません。エコでも自然保護でも、自分がやれることをやるのが前提ですけど、上記のように公共事業に関する計画は、問えば常時事前に知ることができるのですから、無関心も甚だしいと言えるでしょう。

行政は飽くまで『問われたら答えます』『聞かれた話しますよ』というスタンスなので、釣具屋や赤川漁協で愚痴りあって待っていても、情報は得られません。インターネット上に情報が流れたら、既に計画内容は決定しており、手遅れと思って良いでしょう。今回意見を発しても取り扱ってもらえる可能性は低く、正直どうでも良いです。私としては、自生地復活を目指して桜草を植えた赤川河川敷に、駐車スペースや階段が設置されたら良いでしょうね、と思う程度です。



赤川自然再生事業
http://www.thr.mlit.go.jp/sakata/office/works/river/aka-shizen-f.html
国土交通省 魚がのぼりやすい川づくりの手引き
http://www.mlit.go.jp/river/shishin_guideline/kankyo/kankyou/sakana_tebiki/index.html

赤川では、国土交通省が行う自然再生事業の対象河川として全国4箇所の1つに選ばれ、赤川自然再生事業が行われています。5年計画が更に5年延長されましたが、赤川漁協は事業内容を理解できないばかりか抵抗し無関心無関与無知ぶりを露呈しました(附随した釣り人(とくにサクラマス釣り愛好者)も何と愚かしいことか)。そんな中、孤軍奮闘しているのが、赤川でサクラマスの巻き網漁を行ってきた鶴岡夢童の会を主宰する岡部夏雄さん。馬渡床止工の設計を根本から変えさせ、上流の中州を守ったのは岡部夏雄さんと加茂水族館の村上館長。魚類に与える影響と改善策、湧き水と湧水の調査記録とサンプルを示した岡部さんと熱意で激昂してまで断固反対を貫いた村上館長。これらのような資料も熱意も無い赤川漁協は「すばらしいですね」と言うだけで反対すらしなかった。

この人に聞く:「鶴岡淡水魚 夢童の会」代表・岡部夏雄さん /山形
毎日新聞 2012年05月06日 地方版
http://mainichi.jp/area/yamagata/news/20120506ddlk06040023000c3.html
サクラマス:一生を紹介 写真など100点以上展示−−15日まで酒田で /山形
毎日新聞 2012年04月11日 地方版
http://mainichi.jp/area/yamagata/news/20120411ddlk06040016000c.html

本来なら川の守り人として『赤川のことなら赤川漁協に聞け! 』と言われるべきなのに、マスコミにすら相手にされない赤川漁協は、赤川漁協はHPに掲載しながら削除しましたが、身内の漁法を否定し非難することで無知な釣り人に「我々も頑張っているんですよ〜」とアピールしているに過ぎず、アフォな釣り人はそれを鵜呑みにする。内部の見苦しい姿勢をネットで公開して何の得があるというのでしょう。網を使えば魚を一網打尽に出来ると信じている大人もおり、愚かしい限りで情けなくなります。

スキューバダイビングで巻き網漁を行えると、本気で信じているのですから、無知ぶりには呆れてしまいます。川でスキューバダイビングを楽しむ人がいないのは、海と比べて透明度が悪いという他に、流れがありとても危険だからです。それなのに巻き網漁を行うなんて、正気の沙汰ではありません。スキューバダイビングをされる方なら激しく同意されることでしょう。

サクラマスは大型の魚で、春に産卵のため川へ遡上し、夏を淵で過ごし、秋に渓流まで上り産卵します。赤川の淵は深く、湧き水や伏流水が豊富なので水温が冷たく、夏を越し易い環境にあるようです。また、湧き水や伏流水地に雨で増水して濁っている時に岡部さんが潜って観てみたところ、そこは澄んでおり、魚が多く避難していたそうです。サクラマスの稚魚は酸素を吸収する能力が低いので、酸素含有量が多い渓流でしか孵化できないそうです。鮭の稚魚は酸素を吸収する能力が高いので、本流や牛渡川のような湧水河川のでも孵化できる。
(庄内の独立小河川でサクラマスが遡上しない川は、月光川だけです。以前は遡上していましたが、今は遡上していません。夏を過ごせる深くて涼しい淵が存在しなくなったからでしょう。「月光川は水が綺麗だ」とばかり言っていないで、魚の生息環境にも注目してほしいものです。)

これからサクラマスの資源を守って行くには、上りやすい魚道を作り、渓流の堰堤を遡上できるよう改善して、産卵できる流程を伸ばしてをいくしかありません。そんな風に赤川を良くするには、国や県が積極的に働きかけてくれているのに計画を理解できず、足並みを揃えられない赤川漁協を変えるか廃止してしまうことは有効策の一つと言えるでしょう。赤川に味方せず、釣り人を扇動し釣り人の立場でしか赤川と魚を視ることができないのですから。



河川造りでネックなのは、堰堤や床止め工が、「土手に対して直角にしか造れない。」と言われることです。
下記画像は旧朝日村東岩本地区ですが、画像の場所では流芯は左岸です。
この橋の上流では、右岸に流芯があり、深い淵があります。
川の流れが右岸から左岸へ移行しているのですから、
床止め工は流れに対して直角か、流芯部が低くなる床止め工は造れないものなのでしょうか。
川は蛇行して流れているのですから、流れも蛇行させるべきで、
直線に流しては淵や瀬は形成されないと思うのですが・・・。


赤川に設置される魚道は、なぜか古い設計が多く、魚が上り易いのか大いに疑問です。
既に出来上がっている堰堤や床止め工に新たに魚道を設置するには
凸に突き出たタイプの古い設計の魚道は設置は容易でも、
魚には凸に突き出た魚道を見つけるのは困難なので、スムーズに遡上できません。
凹ませたセットバック式=引き込み式の魚道が魚を誘導しやすく、スムーズに魚が上ると思えます。
全国各地に凹ませた魚道があるのですから、赤川でも取り入れてほしいものです。
黒川床止め工の魚道は、最後の曲げた箇所に、国交相の妥協を垣間みる思いです。(^^;



国土交通省 魚がのぼりやすい川づくりの手引きに登場する魚道イラストが
凹ませたセットバック式=引き込み式なのは、紙面上による構図の関係???。




閑話
内水面の魚族保護で、今一番の問題は土地改良区、美土里ネットです。
建物や道路に耐用年数が設定してあるように、土地改良区、美土里ネットが管理している灌漑用水路にも耐用年数が設定されており、50年?だそうです。桜草の自生地が基盤整備で消滅したのが昭和40年代初頭。それから間もなく50年が経ち、あちこちで灌漑用水路の作り替えが行われていく予定です。

素堀の水路がコンクリート化されていった昭和40年代は、魚は工事区外の素堀の区間へ逃げられましたが、コンクリート化された現代の水路では逃げ場はありません。貴重な魚は、魚が貴重なのではなく、魚の生息地が貴重なわけで、お魚SOS救出作戦など詭弁であり偽善、本末転倒。それで近年、地元小学生を使ったお魚SOS救出作戦が各地で多く開催され、好意的にマスコミに取り上げられていますが、真実が報道されていません。

コンクリートを剥がし新しく造るのですから、土手のノリ面も掘り返されます。ホタルは土の中でサナギになり羽化しますから、ホタルにも影響するでしょう。

ここの一番の問題は、農地は公地でも自然環境でもないということ。灌漑用水路は上下水道と同じで効率が全てであり、生態系に配慮する義理はないのです。農地なので、自然環境への配慮で意見を述べる機会も窓口も無く、予算も限られているので自然環境に考慮した水路造りは望み薄で、誰にも止められないのです。今までも灌漑用水路や用水池で魚や水辺の生き物が棲んできたので、これからも生き延びてほしいと願うばかりです。  


Posted by さくら at 15:00Comments(0)その他12

2012年06月06日

桜草の自生地復活?

昨日からデートのお誘いの電話がかかって来きます。
5月の下旬にも別の女性からお誘いがありました。
桜草を栽培しているおば様たちから。face02

おば様たちからの電話は、
2012年05月25日に朝日新聞に、2012年06月05日は山形新聞に載った
赤川に移植された桜草の記事を読んだからでした。

山形新聞は13面の庄内の地域版に載りました。
山形新聞の方には、山形新聞で俳句の指導をなされている
阿部月山子さんこと阿部義郎さんのコメントが載っています。
内容は朝日新聞に載った大類さんと同じようなもので、
『鶴岡で再びサクラソウが咲き誇るように、自生地の復活を目指したい。』
と紹介されています。

朝日新聞 サクラソウ見ごろ 鶴岡の赤川河川敷 2012年05月25日
http://mytown.asahi.com/yamagata/news.php?k_id=06000001205250001


山形新聞HP 6月5日付朝刊 地域ニュース読みくらべ 【鶴岡】サクラソウ復活へ活動5年目
http://yamagata-np.jp/localnews_pickup/



電話の内容としては
「ウチの桜草はとてもよく増えるのに、あの人たちのは、どうして増えないのかしら。」
というものでした。

庄内地方の桜草の自生地は消滅したので私は知りませんから、聞いた話ししか出来ませんが、
桜草は葦原の中にポツラポツラと間ばらに散らばって咲くそうですから
移植したエリアで300本が限界で、そこまで増えたのですから、私には十分な成果に思えます。
彼らはそれに満足していない様子から、三川町の菜の花畑のような桜草のお花畑を造り、
新しい観光地として集客に結びつけ、地域活性まで考えて行動したいのではないか。と話しておきました。

桜草はとても丈夫で繁殖力強い植物ですが、誰か熱心に面倒してくれる人物や組織がないと増えません。
メダカも繁殖力強く、爆発的に増える魚ですが、増やそうと思って面倒みているから増えるのであって、
その辺へ勝手に放流しても増えませんし、逆に消滅してしまうことでしょう。
桜草も同じです。熱心に面倒みるから増えるのであって、
毎日の水やりが面倒になって家の庭に植えたら育だちませんし増えません。消滅するのが見えています。
そんな植物が、自然環境下に移植され、増えて自生するわけがありません。
そんな安易な行為で根付くくらいなら、自生地が消滅したりしませんよ。
鉢植えの桜草は、植え替えを怠るだけで、或る年突然消滅してしまうくらい過弱いのですから。
何もせずに放置したまま今日まで5年も育ち増えた赤川の桜草は、十分立派だと思います。

庄内地方に桜草が自生していたということを後世に伝え、桜草を広く知ってもらうことには同意しますが
『鶴岡で再びサクラソウが咲き誇るように、自生地の復活を目指したい。』と言われても
自生地が消滅したのですから、自生地の復活などありえないでしょう。
何かを遣りたいから桜草に目をつけ、何かを遣りたい自分たちのために活動しているのでしょうから、
旧櫛引町の赤川河川敷などに、浮間ケ原桜草圃場横浜日産スタジアムのような花壇を作り、活動していけば良いのです。


横浜日産スタジアムの活動をBlogで拝見すると
苗を育てたり草刈りを行ったりと、かなり手間ひまかけて面倒みながら育てているのが分かります。
鉢植え栽培だと簡単に増えますが、自然環境下だと、そうはいかないという良い例だと思います。
  


Posted by さくら at 19:00Comments(2)日本桜草12

2012年06月06日

TOYOTAの偽善

トヨタ アクア|TOYOTA AQUA SOCIAL FES
美しい山形をつくるため、シンボルである最上川のゴミの回収と調査を行います。
『美しい山形、そして最上川を未来に引き継ぐために、云々』
『本気で考えているから、しっかりと。最上川を想う人、集まれ!』
http://aquafes.jp/projects/8/

所詮は大企業と大手広告代理店に因る自然を出汁に使った偽善のお祭り。
FESなんだから、賑やかになればそれで良い。中味は企業PRイベントなんだから、それで成功。



トヨタは言わずと知れた自動車メーカーだから、ゴミを分析して
プラスチックやアルミ、鉄などのリサイクル方法、
リサイクルが容易な製品造りで社会貢献できることでしょう。

しかし唱い文句は “最上川” だし、企画そのものがAQUAです。
最上川を未来に引き継ぐために、本気で考えて、最上川を想う人を募るなら
ゴミ拾いじゃなくて、外来種の駆除を行うべきでしょう!

それならサイトの画像にも納得ですし、凄いぞ!と共感しますが
トヨタは何故この黒い魚を取り上げたのでしょう。
この黒い魚が最上川を未来に引き継ぐシンボルとなる魚だというのでしょうか。
トヨタは何をもって
『本気で考えているから、しっかりと。最上川を想う人、集まれ!』
と言っているのでしょう。
呆れてまうし、今の最上川の現状を皮肉っているわけでもないから笑えず、怒りを覚えます。

最上川に無関係で深いメッセージも無く、魚種名に無関心のまま、色彩の鮮やかさだけで採用した画像なんでしょうけど、
ギギは国内移入種。その内にブラックバスやコクチバス、ブルーギルを登場しかねない愚行です。face09



> 最上川は源流から河口まで山形県を流れる、山形県の母なる川。
> 美しい山形、そして最上川を未来に引き継ぐために、云々。


何も考えず上っ面だけの美辞麗句を並べ、行間を埋めるべく口先だけで語るから、こういう愚行を行ってしまう。
メッセージ性不要な魚の画像で良ければ、山形県の魚サクラマスを使えば良かったのだ。
大手広告代理店は、各県に魚が制定されていることも、山形県の魚が何なのかも知らなかったのでしょうね。



閑話
仮にギバチと勘違いしたとしても、山形県内に生息していないと私は考えていますから、余計に滑稽です。
山形県レッドデーターブックの淡水魚篇は、
『庄内淡水魚探訪記』の著者である岡部夏雄氏の指摘で、発刊が遅れに遅れ
執筆者に採捕地点を尋ねても公表せず、誰にも知らされておらず、サンプルも写真も無い
資料と中味の信憑性が問われている一冊なので、あてになりません。
昔は生息していたと言われていますが、
山形県の淡水魚の生息状況において数々の発見をしてきた岡部さんをもってして採捕されていませんし
ときおり聞くギバチの採捕情報はギギやアカザの誤認ばかりです。
魚を知らない人は、ギギやアカザも知らないわけで、
そんな人がギギやアカザを採捕すると、見た事がない魚=貴重と考えるのは当然の心理でしょうし
ネットや図鑑で調べれば、貴重な魚が取り上げられますから直ぐ目に付いて、
「これじゃない?」「これかしら」「貴重なんだって」「珍しい魚だもんね」「ギバチよ」となるのかと。

最近は身近な自然環境に関心を持つ方が増えてくれ、嬉しいのですが、
鶴岡の内川でン十年ぶりにイバラトミヨ発見。と赤川漁協の組合員が発表したり
山形大学農学部前の水路でイバラトミヨ発見。と大学がニュースになったりしていますが、
岡部夏雄さんは『庄内淡水魚探訪記』を赤川漁協にも寄贈しており、イバラトミヨは確認済み。
山形大学農学部前の水路でざっこしめしている小学生は、「前から居っだけよ」と言う始末。
そもそも内川の水が山形大学農学部前の水路を流れているのだから、生息していて当たり前。
知らない人が読めば喜ばしいニュースも、知っている者には愚かな話題が多いのが現実。

年輩の方々も貴重種といわれる魚の名前だけは覚え始めたようで
「此処にはシナイモツゴも生息している。」と良く聞かれるようになりましたが、
そういう場所に限って『生息していませんから!』ということが常です。
地主さんが「こんな場所さ、魚なんか居っだろが?」というような場所にしかシナイモツゴは残っていません。
貴重種は、個体も貴重ですが生息地が何より貴重なので、その場所を視ると想像ついちゃうんですよ。

ギバチは庄内地方には生息したおらず、生息しているとすれば内陸地方ですが、
内陸地方は盆地なので川と水路には落差工が多く設置され、流程が分断され魚が遡上できませんし
内陸地方はバス釣り愛好者が多く、水源となる山間地の池や沼、堤に
ブラックバスやスモールマウスバスが密放流によって蔓延していることからも
謙虚で真摯な岡部さんは、消滅と断定できる材料がないので、生息の可能性を否定していませんけど
私は山形県内にギバチは既に消滅したと捉えています。

ギバチを採捕したこともないので、憶測で語りますけど、ギバチは清流の魚。
イバラトミヨやヤリタナゴ、ホトケドジョウやシマドジョウと同じような清流の魚で
川底が石の場所を好むでしょうから、ヤリタナゴの生息地に近く、水路がコンクリート張りされたら消滅というイメージ。
移入種のギギは鮒や鯉が棲む場所、流れが弱い淀んだ場所に生息。
山間の沢を塞き止め造られた灌漑用水池に、ブラックバスやブルーギルが密放流され
灌漑用水池からの水路はコンクリート三面張り。
淀んだ場所のブラックバスやブルーギル、ギギは、コンクリート三面張りの滑り台を伝って下流へ到達。
下流で駆除しても上流で営巣しているのですから駆除しきれず。下流の魚は消滅。
そんな構図でギバチが生息しているとは考え難いのです。
ギバチが採捕されず移入種のギギが増えたのは、こういう川と水路の様変わりも原因でしょうね。  


Posted by さくら at 12:00Comments(0)その他12

2012年06月05日

小石川植物園の鋸峰

東京大学大学院理学系研究科附属植物園・本園 通称:小石川植物園
【2011年4月18日】
サクラソウは江戸時代から受け継がれてきた、日本を代表する古典園芸植物です。
本園ではいくつもの古い品種を栽培・保存しています。この機会にぜひご観賞ください。
http://www.bg.s.u-tokyo.ac.jp/koishikawa/kaika/Kaika_pages/2011/20110418/20110418.html



浦澤さんは、鋸峰は小石川植物園に孫半土鉢を寄贈した永井誠也氏の実生品種と言われていました。
日本桜草総銘鑑に因りますと、鋸峰の記述は、実際園芸昭和10年5月号掲載と鳥居さんの本のみ。
浦澤さんの情報元は不明ですが、
2011年01月26日『vol.6 世界のプリムラ編集委員会.2』伊丹氏いわく、
当時(大正時代)に永井誠也と並びさくらそう界の両雄と称された
『大鐘あぐりは(中略)、惜しいことに関東大震災ですべて灰燼に帰した』そうです。
とのことなので、永井氏が孫半土鉢とともに小石川植物園へ寄贈された可能性はありますよね。
真実は不明でも、今の段階では小石川植物園の鋸峰が本家本元という事は事実であり、
古典園芸の桜草界として嬉しい情報ではないでしょうか。face02

小石川植物園の担当者がそれらを知りながら従事してくれていたら嬉しいですね。  


Posted by さくら at 19:00Comments(0)日本桜草12

2012年06月05日

桜草鉢.7 その他

この鉢は浦澤さん宅に在った鉢で、桜草鉢ではありませんが、ご紹介。
『信楽』『广人』の落款があります(广(まだれ)の中は読めませんでした)。




伝市窯に焼いてもらった寸胴鉢を手土産に持って行いったところ、大変気にいってくれました。face01
すると、
「これに似た黒い鉢がありまして、奈良にあります高鴨神社の鈴鹿義一さんが清水で焼かせた
 黒い切り立ち型の鉢が昔ありました。タキイ肥料で販売されていました。」
と話してくれました。
黒い釉薬鉢は信楽だと思っていましたが、清水焼きもあるのですね。


『西の越智に東の松木』と呼ばれていた時があったそうです。
愛媛県(松山市?)の故越智英一郎さんが
孫半土鉢を真似て備前焼で焼かせた桜草鉢は見事でした。ただ高台が無い鉢だでしたね。
愛媛県には桜草栽培者が居ませんから、あの鉢は今どうなったのでしょうね・・・。
(越智英一郎 実生品種:淡蜻蛉、小猿、小天狗、桜三里、笹鳴、鶴龜、春の波、ふくろう。)
故松木俊一さんは孫半土鉢で栽培されていた方で、
亡くなられてからは息子の松木俊朗さんが栽培を引き継ぎました。
息子さんも亡くなった今は、息子さんの奥さんが栽培しているそうです。
(松木俊一 実生品種:石橋(同名あり)、白珠、太陽の塔、武蔵嵐山(昭前)、雪祭。)


永井誠也さんは孫半土鉢だけで栽培されていて、死ぬ前に小石川植物園に全部寄贈したんだけど、
小石川植物園の保存が悪いのか、灰色に痛んでいて、あそこまで痛むと趣きが無くなっていて駄目ね。
あの孫半土鉢は、今どうなっているんでしょうね・・・。
(永井誠也(大正) 実生品種:天下、小笹の雪(同名あり)、関台紅(大5)、高長桃色、母の愛、吉野川。)


『塩のような白い結晶が噴き出してきて』『灰色に痛んでいて』というのは、こういうことなんでしょうか。


小石川植物園は古くから桜草に関係した施設であり、
昔の仙台市野草園は、園長が地元宮城県内の野生の桜草など、桜草栽培に熱心だったそうです。
諸先輩が使用された桜草鉢は貴重な存在なので、まとめて誰かが引き継がれるのが理想とされ
このような公共の植物園に寄贈されるのも良いのですが、
職員に古典園芸としての桜草への情熱がないと、
貴重な鉢も単なる鉢に成り下がり消耗品として扱われているようで残念です。
鉢の価値も理解していただき、歴史とともに伝え残してほしいものです。

この記事を書いていて思い出しましたわ。
仙台市野草園で割れた尾崎哲之助の鉢屑が捨てられてありました。驚きました。
驚いて周囲も探してみましたが、欠片のピースが大きく足りませんでしたので諦めましたが
現在は優秀な接着剤が在るわけですから、割れても捨てずに直して使ってほしいものです。face09  

タグ :浦澤さん

Posted by さくら at 12:00Comments(0)日本桜草12

2012年06月05日

桜草鉢.6 市野ゲンエモン

なんでもスラスラ話してくださる記憶力抜群の浦澤儀一さん。
無知でもあり全てが初めて知ることばかりで、わくわく胸躍り記憶力の悪さに拍車が掛かる私。
全てを記憶するのは無理なので、関心ある事だけ記憶しようとしますが、無理でした。
しかも時間の経過とともに記憶も曖昧になってしまいました。
それでも一つの情報になればという思いから、この記事を書きます。



仙台市野草園で見つけた、もう一つの桜草鉢。
「あ、これも初代伝市窯へ私が依頼して焼いてもらった鉢です!」
「100鉢ほど寄贈したのに、この1鉢しかないのかなあ・・・。」
と見せてくれたのが、コレ。市野ゲンエモンさんに焼いてもらったそうです。


2012年02月11日『淡路島 温室植物園』で紹介した、淡路島の鉢に似てました。



浦澤さんは、尾崎哲之助の鉢を作陶した爺さんは伝市窯の隣りの人で、
亡くなった後に依頼され復刻品を焼いたのは伝市窯と話してくれました。
そしてこの鉢も『初代伝市窯へ私が依頼して焼いてもらった鉢』とおっしゃいましたが、
私は無知であり調べる術も無いので憶測でしかないのですが、
この鉢は「市野ゲンエモンさんに焼いてもらった」とも言われておられ
私が伝市窯伝市窯と言うものだから
伝市窯=丹波焼きと解釈され、私に合わせてくださっているだけのかも知れません。
落款は在りますが、私には読めませんし解りません。




市野ゲンエモンさんに焼いてもらった鉢を、なぜ仙台市野草園に寄贈したのかというと、
サンプルの時には、『桜草鉢として、まあ使えるかな。』と半分妥協して注文したところ
仕上がって送られた来た鉢がサンプルと違って、高台が高くなっていてガッカリしたからだそうです。

  


Posted by さくら at 06:00Comments(0)日本桜草12

2012年06月04日

桜草鉢.5 京王百花園

浪華さくらそう会の山原さんは、Blogを拝見しますと2011年に定年退職されたようなので、今年61歳。
仙台さくらそう会の浦澤儀一さんは今年77歳。鳥居恒夫氏は1歳年下とのこと。15歳の年の差になりますね。

山原さんのBlog日本の桜草と美術2011年02月25日『桜草短型鉢の由来』には、
桜草鉢のことが記載され、京王百草園と尾崎哲之助が登場します。
この記事を今まで何度か繰り返し拝見していましたが、正直理解できずにいました。
しかし、浦澤さんから話しを聞いた後に読み返すと、合致する内容になっているではありませんか。face08
(2010年11月25日『私の使用する桜草鉢』もあり。)


山原さんのBlogに掲載されている、山原さん所有の丹波短型鉢も、
写真撮影時のアングルの違いから違った形状の鉢に見えましたが、
よく見ると同じです。特に右の緑の鉢は、全く同じですよね。


緑の鉢には釉薬がかかっていますが、実は仙台市野草園に1鉢だけ釉薬鉢がありました。
浦澤さんは私に指摘されるまで存在を知らなかったようで、初めて見たそうです。


山原さんはBlogの中で『丹波鉢の短型鉢』と表記さえています。
浦澤さんは、伝市窯で模して焼いてもらった鉢と言われました。
今の市野伝市窯で焼かれたのか分かりませんけど、『丹波の鉢』であるようですね。


> 桜草にふさわしいものと直感して購入した。他では売っていなかったようである。
> こんな珍しい形の鉢がどうして作られたのか、今までよくわからなかった。


桜草にふさわしいと直感されたとは流石。尾崎哲之助同レベルの素晴らしい美的センス。 kya-
鉢の由来をよくわからなかったというのは、浦澤さんとの15歳の年の差からだったのですね。
(現代の第一人者に対する失礼をお許しください。(^^; )


> 彼の著『朝顔抄ー花とともに六十年』を繰ってみると。
> 知り合いから譲られた清水六兵衛作の桜草鉢を見本に
> 丹波で桜草鉢を作らせたという記事にであった。


清水六兵衛作の鉢を参考にされたことは浦澤さんも言われてました。
丹波のどの窯で焼いたのかは山原さんのBlogには書かれていませんが
浦澤さんは、伝市窯の隣りに、この鉢だけを焼いていた爺さんがいて、そこで焼いたと言われてますから
京王百草園勤務の尾崎哲之助の依頼を受け、専門に造り続けていたのでしょうね。
最後は土が無くなったので製作を止め、亡くなってしまったので伝市窯へ依頼した。
と浦澤さんは話してくれました。

閑話
ちなみに、岐阜の5つ子ちゃんのお父さんは
名古屋芸工大を卒業後、清水焼きで4年間修行された後に独立。
奥さんの実家の敷地内に窯を設けたそうです。
真意ははかりかねますが、陶芸家と鉢職人は何かプライドが違うらしく
始めは鉢を作る事を渋り、しばらく浦澤さんの依頼を断っていたそうです。
現在も焼かれているかは未確認、不明です。
閑話休題


> 京王百草園となった今でも春には桜草の展示が行われていて、
> そこに彼の丹波短型鉢が使われているのである。
> 鉢に横筋が入っていたり、凹みがあったりするのだが、
> 紛れもなく全体の形は私のものと同じである。


山原さん所有の丹波短型鉢は、螺旋状ではなく横筋なので、
最初の爺さんが亡くなった後に伝市窯で焼いてもらった復刻品ということになります。
凹みがあったりする鉢も復刻されたか分かりませんが、
最初の爺さんが焼いた鉢は、螺旋状の溝になっています。


尾崎哲之助さんは朝顔の第一人者だそうです。
朝顔の一般的な仕立ては3本の支柱を使う行灯仕立てだそうですから、凹みがる鉢は、
外側を凹ませて内側に凸さることで、3本の支柱がズレないようにしたのかもしれませんね。




> ところでこの型の鉢がなぜ関東で普及しなかったのであろうか。
> (中略)
> そして「さくらそう会」は伝統的な孫半斗鉢にこだわって、
> 尾崎氏由来の丹波鉢や香炉型の朝顔鉢に関心を寄せなかったようである。


関東で普及しなかった鉢が、なぜ仙台に大量に在るのだろうか。
それはどうやら、当時から現在と同じく、満足いく桜草鉢が存在しなかったからのようです。

浦澤儀一さんは、ご近所に住まわれていた先代の仙台さくらそう会の佐々木三郎さんから
昭和39年に苗を貰ったことを機に桜草栽培を始め、直ぐに東京のさくらそう会へ入会したそうです。
佐々木三郎さんは昭和34-35年頃から桜草栽培を始め、東京のさくらそう会へ入会して品種を蒐集。
当時は種苗業者でも桜草は取り扱っておらず、
品種を蒐集するには、さくらそう会へ入会するしかなかったそうですが、閉鎖的なところがあり、
なかなか譲ってもらえなかったそうで、桜草鉢も同様だったご様子。

東京のさくらそう会の諸先輩たちは、江戸時代からの孫半土鉢を使い、展示されていたそうですが、
当然の如く地方の新参者に孫半土鉢を譲ってくれる者はいませんし、
肝心の孫半土鉢もさすがに劣化して痛んでいたり割れたりで、展示するだけの鉢数が揃わなくなり、
鉢不足を懸念されていたそうです。その当時購入できた桜草鉢が、大鐘あぐり女史の益子の鉢で、
佐々木三郎さんは購入されていたそうですが使っている内に塩みたいな白い結晶が湧き出てきて駄目で、
信楽で焼いたけど、それも芳しくなかったそうです。

「さくらそう会」は伝統的な孫半土鉢にこだわり、
益子や信楽で、孫半斗鉢を参考にした鉢を求めていたわけですが、
仙台では、益子から仙台へ鉢を送ってもらっても梱包が悪くて結構な数が割れてしまうことから
「どうせなら!」と思い切り、浦澤さんは全国に桜草鉢を求め歩き回り、
奈良の高鴨神社の鈴鹿冬三さんと京王百草園の尾崎哲之助さんを訪ねに行かれたそうです。
(京王百草園には、当日は激しい雨で最寄りの駅からでることができず、行けなかったそうです。)

そんなこともあり、尾崎哲之助さんの丹波鉢の短型鉢を購入されたそうです。
購入先は、今は無くなったそうですが仙台市の陶器店から取り寄せてもらい、購入したそうです。
(割れた時に損失を被ることありませんから)
しかし大量に仕入れたのでかなり売れ残り、最後は仙台市野草園が引き取ったそうです。



浦澤さんは話し好きで、いつもたくさん話してくれますし
素晴らしい記憶力でスラスラと話してくれるので、会話が楽しくてしかたありません。
しかし、聞き手である私が無知なので話しを膨らませませんし、記憶力も悪く、覚えきれないのが難点。
なので一旦話しを整理しますと、
・尾崎哲之助さんが焼かせた、丹波の窯元の爺さんの名前は不明。
・伝市窯の隣りの窯の爺さんと言われますが、真偽を私は確認していませんし術がないので不明。
・爺さん亡き後の復刻品を焼いたのが本当に伝市窯なのかも、同様に確認していませんし不明。
 でも、高台を見た時『あれ、伝市鉢に似てるぞ???』と直感したのは確かです。
これ以上のことは、今は分かりません。  


Posted by さくら at 19:00Comments(0)日本桜草12

2012年06月04日

桜草鉢.4 尾崎哲之助

仙台市野草園で開催されたさくらそう展で仙台さくらそう会の浦澤さんと合流。
色々と鉢の話しを聞かせていただきました。
仙台さくらそう会では買い求めたり窯元に依頼して作陶してもらったり、
各種の鉢を100-500鉢単位でまとめて入手していたそうですが、
当時の仙台市野草園が熱心に桜草栽培に取り組んでいたこともあり寄付された鉢が多いとのこと。

当時は桜草鉢はありふれた品で、いつでも購入できるはずだった。
どれが貴重だという感覚もなく、良い物(好い物)を求めて探求した時代。
今のように鉢が無くなり、若手が苦労するとは思ってみなかった。
と言われてました。

東京のさくらそう会が現在使っている深谷鉢の以前は、
姉妹で栽培なされていた大鐘あぐり女史が益子焼で作らせた鉢だったが
使っている内に鉢から白い塩のような粉(結晶体)が出てきた。
それで苦情が出て、信楽焼きに移ったけど、3年も経つと口が欠けてきてもろくて駄目だった。
それで一旦途絶えたが、伊丹清氏が孫半土鉢を参考に焼かせたのが、今の深谷鉢とのこと。
先代の仙台さくらそう会の故佐々木三郎さんは、益子焼の鉢を所有されていたそうです。

浦澤さんの話しを聞いていますと、
昔は「桜草栽培は同じ鉢で統一して栽培すべきでる」という教え(風潮)があったように感じます。
『当時は桜草鉢はありふれた品で、いつでも購入できるはずだった。』
『どれが貴重だという感覚もなく、良い物(好い物)を求めて探求した時代。』
ということもあるのでしょう、
1つ2つの鉢を資料的な要素で所有しておくという発想も気運も当時はなかったようです。
過去には東京のさくらそう会が孫半土鉢を売りに出したこともあったそうですが、
「まとめ買いすること」「東京まで直接引き取りに来ること」が条件だったこともあり
少しばかり購入しても展示に使えないので浦澤さんと仙台では購入しなかったそうです。


さて、前置きが長くなりましたが、いよいよ本題。
浦澤さんが岐阜の5つ子ちゃんのお父さんに焼いてもらった際に、参考にした鉢の話しです。
仙台市野草園で浦澤さんから桜草鉢の話しをお伺いしていると
仙台さくらそう会の諸先輩方が仙台市野草園に寄付した鉢を見せてもらうことになりました。
園内を歩いていると浦澤さんが歩みを止め突然説明し始めました。
「京王百花園に務めておられた朝顔の第一人者である尾崎哲之助が、
 清水六兵衛の鉢を参考に、今の伝市窯の隣りの窯で焼かせたのがコレです。」
と示した鉢は、独りで居る時に園内でみつけたあの鉢でした。face08
(尾崎哲之助作出実生品種:葵上、欣喜、光栄、式部の誉、野火、花筺、藤の里、武蔵野。)


『京王百花園?!』
『尾崎哲之助!?』
浪華さくらそう会の山原さんがBlogに書かれていたような・・・。


「コレは螺旋状に溝があり、風が当たることで鉢の温度を抑えるのだそうです。」
「実はコレにはもう一つ、胴を指で押して凹ませた鉢もありましたが
 仙台ではコレだけ500鉢を購入したのですが、
 鳥居恒夫先生が
『開口部が外側に開いており、葉を痛めるので、桜草鉢としては駄目です。」と言われたので、
 仙台野草園に寄贈しました。」
とのことしたが、胴を指で押して凹ませた鉢とは、2012年03月08日『朝顔鉢』で紹介した鉢ですよね。
胴を指で押して凹ませた理由もお伺いすると
「面積が広がるので温度を抑え蒸れにくくなるからじゃないかしら。」とのことでした。




この鉢を含め、初代の仙台さくらそう会の会長は500鉢ほど所有していたそうですが
お亡くなりになった後に宮城県内の方がまとまって引き取ったものの、
翌年、埼玉県のさつき栽培愛好者と、巨大なさつきの盆栽1鉢と全部交換してしまったそうです。
埼玉県の何所の誰かは分からないそうですが、埼玉県内にも、この鉢があるということになります。


「伝市窯の隣りの窯の人は年輩の爺さんで、名前は分かりませんが、この鉢ばかりを焼いていたそうです。
 しかし土が無くなり焼けなくなり、爺さんも亡くなり
 それで隣りの伝市窯へ依頼するように、模して焼かせたのがコレです。
 コレは模したので螺旋ではなく横線なんですね。」


「尾崎哲之助さんは朝顔の螺旋仕立てを考案され、螺旋仕立て鉢も造られた方です。」
とのことでしたが、私は螺旋仕立てを知りません。
知りませんが、“横線”の鉢は、山原さんの養生鉢も横線だったような・・・。

続く。  


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2012年06月04日

桜草鉢.3 仙台市野草園

仙台市野草園で開催されたさくらそう展へ行った際に、園内で見つけた鉢。
インターネット上でも見た事が無く初めて見る鉢ですが味わいがあり、桜草鉢に使えそうです。
また、何処か量産的な形状の中に、数鉢だけ、手作りっぽい風格を醸し出している鉢もありました。
鉢底の高台は伝市鉢ソックリなので驚きました。face08
欲しい〜! face03
でも、何処かで見た事あるような形状なんだけど・・・。face06


この後、浦澤さんと合流して、この鉢の正体を教えていただきました。次へ続く。kao18  


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2012年06月03日

桜草鉢.2 仙台堤焼き

浦澤さん所有の仙台の堤焼きの香炉型鉢。
今は使われていない登り窯で焼いてもらったそうです。
土の関係で、外側が剥がれ落ちる割れ方をするので、駄目だったそうです。


香炉型鉢はいつ頃、何処で、誰に因って造られ始めた形状なのでしょうか???
仙台でも焼かれたのですから、昔は全国各地の窯で焼かれたのでしょうね。
鉢の大きさは一般的なサイズです。


岐阜に5つ子ちゃんのお父さんに焼いてもらった浦澤さんの鉢は、
この左側の鉢を参考にしています。この鉢の正体は、後日。face01
  


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2012年06月03日

桜草鉢.1 岐阜の5つ子

仙台さくらそう会の浦澤儀一さんが使用されている桜草鉢を紹介します。
これは陶芸家となった岐阜の5つ子ちゃんのお父さん=夢庵窯の関理史(まさふみ)さんが
仙台市長町出身ということもあり生活支援を兼ね、焼いてもらった鉢だそうです。
窯のサイズ的に一度に50鉢しか焼けなかったので、
3回に分けて送ってもらい、合計400鉢焼いてもらったそうです。
値段は「奥さんには1鉢500円」と伝えているそうですが、本当の値段は秘密。
(今現在通販で伝市窯の手作り登り窯焼き香炉鉢6号を買うのと、同じ金額でした。)

外径は5号サイズですが厚みがあるので内径は13-13.5cmと小振りです。
(この鉢を作る際に参考にした鉢は、後日紹介します。face01


↑最初の桜草鉢は開口部の外側にツバがついていますが
鳥居恒夫氏から『このような形状は桜草の栽培には適していません』と指摘され
↓次ぎからは、ツバを無くしたそうです。角があると葉茎が痛みやすくなるからだそうです。


「黒も焼いてみましたが、どうですか?」と送られてきたサンプル。これは断ったそうです。



昔からの桜草愛栽家である諸先輩方には桜草鉢など関心薄いことかもしれませんが、
桜草栽培を始めたばかりの我々には、少なくとも私にはとても興味深い事項です。
桜草が古典園芸である以上、鉢についても知っておきたいと願ており
桜草愛栽家である諸先輩方からネット上に桜草鉢の情報を掲載していただけると嬉しい限りです。

鳥居恒夫氏は全国各地の愛好者の桜草鉢を蒐集されているそうですから、
何かしらの形で発表されることを、熱望します。  

タグ :浦澤さん

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2012年06月03日

伝市鉢 釉薬鉢.2

2012年04月27日『伝市鉢 釉薬鉢』で紹介した際は室内でしたから
『露出調整-0.7で撮影した伝市鉢香炉型は、写り具合で茶色っぽさが強調されただけで、肉眼でみる現物は黒です。』
などと書きましたけど、日焼けするほどの陽射しの元で見てみると、
下図の porsche911clubcoupe のブリュースター・グリーンを茶色とか黒と呼ぶ人はいないのと同じで、
明らかに濃いグリーンでした。訂正します。






  

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