2007年04月22日
2007年04月20日
以前撮影した画像
1枚目。これが鶴岡市砂田町で、初めてみつけたピンクの日本桜草です。
鉢の半分しか生えていないのは、「年々枯れていって、今はこれしかない」状態だそうです。
鶴岡市野中のメダカの学校に植えられた時の日本桜草です。
翌年から株そのものが確認できませんでした。
枯れてしまったか、誰かが持っていってしまったのかもしれません。
最後は私の日本桜草です。
この鉢の状態で、ン十年生き延びてきました。
自分に反省するとともに、今まで生き延びてきてくれたことに感謝です。
2007年04月19日
温海町鼠ヶ関
「綺麗なクリンソウですけど、日本桜草はみたことないですか?」と尋ねると「んでね。これは日本桜草だ。クリンソウでね。」と、酒田市旭新町のケースと逆に勘違いされていました。
日本桜草とクリンソウの違いを説明してあげると、「あれ〜、んだばアレが日本桜草だったがの。」と言いだして驚きました。「これ(クリンソウ)と似た野草が自生しており、『クリンソウは珍しくないので、珍しい日本桜草の方を採ってきた』人から分けてもらった花なんだ。」そうです。
日本桜草を見たことがないというので、植え替えから1週間後に白とピンクの日本桜草を植えた小さなプランター各1個を渡してきました。ピンクの日本桜草は酒田市本楯からもらった株です。
GWごろに自生地を教えてもらうのを楽しみにしているところです。
2007年04月18日
鶴岡市本町
植物好きな方でしたし、今まで栽培されてきているので、枯らすこともないでしょう。今度は自分の日本桜草を持って訪ねていきたいと思います。
2007年04月18日
鶴岡市野中
この記事を書いていて、段々おもいだしてきました。
この時、メダカの学校の主催者の奥さんに日本桜草の事を訊ねました。すると、「これは貴重な花なんですよ」と言うだけで口を濁し、去ってしまれた記憶があります。
その後メダカの学校を何度か訊ねましたが、地植えされた日本桜草はみかけませんでした。今度改めて訪ねてみようと思います。
2007年04月17日
仮説:媒体は先生
櫛引町丸岡地域に自生していた日本桜草は、鶴岡市(田川地区)の人たちにとっては単なる野草でしかなく、身近すぎて園芸の対象として考えていなかったと推察します。でも酒田市(飽海郡)の人たちにとっては珍しい花です。中でも白は珍しいので、白を採取して持ち帰った。
その後昭和40年代初頭に田んぼの基盤整備で自生地は消滅。鶴岡市にはピンクだけが残った。一方酒田市では、当初から「これは珍しい花なんだよ」と言われながら人手に広がっていき、大切に育てられてきた。だから酒田市に白い日本桜草が残ったのではないでしょうか。
ひょっとしたら、田んぼの基盤整備で自生地が消滅したことを先生たちは知っており、ゆえに「今はもうなくなった、貴重な花なんだよ」と言っていたのかもしれないですよね。
2007年04月17日
酒田市本楯
尋ねると、開口一番「これは貴重な花なのよ」と言うので驚きました。「おばちゃん、どうして貴重な花だと知ってるの?」「これは、今は居なくなったけど、昔先生だったお向かいさんから『貴重な花だよ』と言って分けてもらった花なんだよ」と言われました。
ああ、やっぱり此処にも学校の先生が登場しました。先生の赴任先を調べていけば、先生同士のつながりも見えてくるかもしれませんが、今の段階でそこまで深く追求する気持ちはありません。でも、調べるなら、みなさんご高齢なので、早く調べないと。
白い日本桜草があることを伝えると、とても驚かれてましたので、今年3月に私の白い日本桜草を届けてきました。先方は、私がピンクを持ってないのを知り「持っていきなさい、持っていきなさい。良いから持って行きなさい。私は貰った白を植えないといけないから、持って行きなさい。」と、ピンクが植えられている丸いプランターを、そのまま1鉢くださいました。それが今ウチにあるピンク(庄内紅)です。
2007年04月16日
俳人 阿部月山子
でも、私の他にも私と同じ日本桜草を育てている方を知り、質問したい事項もできたので、2005年に思い切って出展者を訪ねることにしました。
その時は会場に居られなかったのですが、近くにお住いということで会場の方が電話で連絡してくださると、直ぐに会場へ駆けつけてきてくださいました。藤島町ふじの花まつりに園芸種の日本桜草が出展されていたのは、俳人阿部月山子さんでした。ちなみに男性です。自宅では500鉢ほどの日本桜草を栽培しているそうです。
頂戴した名刺には、山形県俳人協会副会長・NHK庄内文化センター講師と書かれています。ふじの花まつり会場で俳句を詠むのに、阿部月山子さんが関係されていて、だからふじの花まつりなのに、会場の一角に日本桜草もあったんですね。これで納得です。
阿部月山子さんにも日本桜草への想いから、日本桜草が在来か否かを調べていると話しをすると、「そういう考えで日本桜草をみたことはないけど、これらは鶴岡市内に自生していた日本桜草です」といって、展示されていたピンクの日本桜草幾を指してくれました。「私が持っているのは白い日本桜草です」というと、暫く考え込んでから「ああ!?、ひょっとしたらアレかな。ちょっと待っててください。今自宅から持ってきますから!」と言って会場を飛び出して行かれました。
ご自宅から持ってこられた鉢は、間違いなく私のと同じ白い日本桜草でした。「これだけが何なのか判らなくてねえ。ずっと隅っこで育てていたんですよ」とのこと。白い日本桜草は在来種である可能性が高まりました。もちろんピンクも。
後日、阿部月山子さんに酒田市へ来ていただき、一緒に酒田の日本桜草巡りをしました。鶴岡市では見たことがない白い日本桜草が随所で栽培されていることに感動されていました。そしてみな同じ品種であることを確認し、「在来種かもね」ということになりました。(^^)
その時に阿部月山子さんから頂戴したのが京鹿子(実は名札の差し間違いで、京鹿子ではなかった。仕方ないので私が勝手に秀美と同定して現在も栽培中)です。そして阿部月山子さんと一緒に南千日町を訪ねた時、間引きされ捨てられていたのが可哀想で、黄色い西洋桜草(私が勝手に月の都同定して現在も栽培中)を拾ってきました。
2007年04月16日
酒田市旭新町
その方はお庭で地植えされて育てていましたが、日本桜草をクリンソウと思い込んで育てていました。白とピンクの他にもパンジーなどもありました。入手先を尋ねましたが「友人から貰った」そうで、それ以外は深く尋ねられませんでした。突然オヤジが遣ってきて、今どき「庭に咲いている花について教えてください」と言ってこられたら、そりゃあ警戒しますよね。
集落や住宅街を見て回り、何かの理由で不審者扱いされて、日本桜草を口実に言い逃れしようとしていると思われたくはないので、こうしてBlogを立ち上げたという気持ちも無きにしもあらずです。日本桜草は自生地を失った身近な花だけに、庄内の日本桜草について今のウチに調べてみたいのです。
2007年04月16日
酒田市南千日町
薄黄色と白とピンクの花が地植えされているのが遠くに見えました。花の小ささと丈の低さ、密集の度合いから日本桜草だと思いました。早速訪ねてみると、白とピンクの日本桜草は在来種でしたが、それらより花弁1個分長く成長している黄色い花は、
尋ねてみると、やはり30年以上前から育てており「本間美術館裏の御成町に住む、元学校の先生だった方から分けてもらった花です。裏庭にも植えてるけど、たくさん増えてしまって、欲しかったらあげるよ。」とのこと。私に分けてくれた方と違う先生でしたが、此処にも元学校の先生が関係してきました。
教えてもらった御成町に住む元学校の先生宅とおぼしき家にも直ぐ訪問したのですが、お留守で逢えませんでした。陽当たりの良い玄関周りに、日本桜草はありませんでした。今度また訪問してみます。
2007年04月15日
酒田市若竹町
ご近所をみてみると、在りました有ました。門柱の塀沿いに、白とピンクの花が見えます。日本桜草です。早速尋ねてみると、教育委員会から教えてもらった住所に住まわれていた方が先生で、その方から株分けしてもらった日本桜草でした。ついでに先日の電話の件も話してみたら「あら、その先生なら昨年お亡くなりになったわよ」とのこと。緑ヶ丘に移られたのは確かのようですが、私がまごまごしていたばかりに、なんとも残念。合掌。
後日教頭先生の奥さんに電話してくれたそうで、ご自宅には日本桜草があるとのことでした。「今度案内しますね」と言われましたが、昨年は都合がつかずまだ行ってません。
2007年04月15日
教頭先生を訊ねる
それでも思い切って現琢成小学校へ電話しました。教頭先生に出てもらい、自己紹介から始まり、事の全てを延々と説明して、1972-1973年頃の教頭先生の連絡先を教えてほしいと伝えました。個人情報保護法もあり教育委員会に問い合わせてほしいと言われ、酒田市教育委員会に電話し直した気がします。
酒田市教育委員会でも一から事情を説明して、2日後に当時の教頭先生と思われる方の住所と電話番号を教えて貰うことが出来ました。教頭先生の住所は酒田市若竹町でした。住所を頼りに訪ねてみると、門の表札が違う方になってました。玄関先からお庭が見渡されましたが、日本桜草はありませんでした。
近所の八百屋さんに尋ねてみると、そこは確かに教頭先生の自宅でしたが、10年ほど前に引っ越したそうです。しかしラッキーなことに、引っ越し先の住所を教えて貰うことが出来ました。
住所は酒田市緑ヶ丘でした。仲介してくれた八百屋さんに迷惑を掛けてはいけないので、まずは電話を掛けてご都合を確かめてみることにしました。電話を掛けると御本人とおぼしき年輩の男性が出られました。
「以前、旧琢成小学校で教頭先生を務められていた○○さんのお宅でしょうか?」「違います。ウチには学校の先生だった者はおりません!」「おりません!」
私が失言してご不快な思いをさせたとは思えないのですが、「おりません!」「おりません!」、何を尋ねても「おりません!」「おりません!」と強く否定されるだけで、それ以上は何も聞けませんでした。
2007年04月15日
酒田市浜中
2007年04月14日
松森胤安 両羽博物図譜
桜草種
桜草は野州石原新田の草野に自生するを見、此事古書にも見ゆ。我が地方にては、ただ人手の植ふる所に止まるが如し。子種に変するが爲に、其品衆多際限なし。大花小花其の他品別するに暇なし、しかるとも、単葉を常とし重葉のもの有りと聞くも、予は未だ これを見ず。図は混雑して誌す。
原文
葉は蕪菜に似てかつ雛縮柔軟、中より一茎を抽し、五・六寸にしてその上端に数花を開く。花は桜花形をなす故に、此名あり。九輪に比すれば大いに品佳あり。
絵の説明
絵の分類・名前: 桜草 一品原種
絵の日時: 明治十九年五月廿一日
絵のその他注記:
原文
絵の説明
絵の分類・名前: 胡蝶
絵の日時:
絵のその他注記:
絵の分類・名前: 隅田川
絵の日時:
絵のその他注記:
絵の分類・名前:
絵の日時: 明治八年之邸産
同十九年五月九日
絵のその他注記:
この文面には『我が地方にては、ただ人手の植ふる所に止まるが如し。』と記載されています。これは、庄内地方に原種は存在しないと読めますが、松森胤安が庄内に自生している日本桜草を本当に見ているなら写生して記録しているはずであり、これは聞きかじった口述を記録したとも考えられます。また、撫子などは凄い数を写生していますが、西洋文化を取り入れたばかりの明治時代では、とても珍しくて新鮮に見えたから強い関心を示したとしか思えません。その一方で日本桜草に関しては『図は混雑して誌す。』と呆気ない取り扱いで、興味と接する機会が無かったんでしょうね。
松森胤安は学者や研究者ではありません。松山藩で家老を勤め、明治維新後は区長・中学校長・県会議員として活躍した人物だそうですから、私は松森胤安を単なるドを越したメモ魔だと解釈しています。両羽博物図譜は大変貴重な資料であることは間違いありませんが、内容は100%正しいとは考えていません。松森胤安は見たモノを緻密に写生し、ちょっと調べて聞きかじった文章をつけ足したただけに過ぎないと、考えています。
18.魚類図譜川魚部には酒田魚という項目があり『暫く酒田魚の假名を設けて識者を待つ』と記していますが、記録された画をみればワカサギだと判ります。広く知られていませんが、ワカサギは現在もで新井田川と赤川で採捕されています。多くの人は、ワカサギは池や湖(ダム湖)に生息する魚と思い込んでいるようですが、あれは放流された姿であり、本来は海と川を行き来する遡河性の魚なんです。何処にでも居るメダカが絶滅危惧種に指定されていますが、バケツの中でも繁殖できるメダカとは比べモノにならないほど貴重な存在なんですよ。
閑話休題
櫛引町丸岡地区は藤沢周平が生まれ育った地の隣りなので、藤沢周平文学の中に、春の風物詩として日本桜草の記述がないかと期待しましたが、探せませんでした。
ナマズが庄内に遣ってきたのは120-140年前と言われています。ライギョに関しては元温海町の教諭が発行された、昭和25年にガリ版刷りで庄内の自然を記した図鑑?に、『赤川で確認され始めた』と記載されています。アメリカザリガニやウシガエル、タイリクバラタナゴもその頃から入ってきたのでしょう。牛渡川の岩魚は昭和27年に放流された移入個体です。
上記のように、移入された時期がわかれば、それはそれで私は納得します。庄内の日本桜草が移入個体というなら移入個体でも構いませんが、明治の時代に、何処から移入されたというのでしょうか。松森胤安の『明治八年之邸産 同十九年五月九日』とは、私が所有し、現在庄内各所で見かけた白い日本桜草とは花が違いますし、松森胤安のどこの家の庭かわかりません。ピンクが一般的なのに、どうしてそれに触れた記述がないのかも不可思議です。
酒田市立図書館
http://library.city.sakata.lg.jp/library/index.html
両羽博物図譜検索
http://library.city.sakata.lg.jp/asp/ym_ir.asp
35. 植物図譜 桜梅花草部 日本桜草画像
http://library.city.sakata.lg.jp/MATUMORI/image/g35/030.jpg
18.魚類図譜川魚部 酒田魚画像
http://library.city.sakata.lg.jp/MATUMORI/image/g18/041.jpg
2007年04月14日
土門尚三さん
突然見ず知らずの者からの電話にも関わらず、時間を割いて、快く対応していただきました。自己紹介から始まり、このBlogに書いているような日本桜草への想いを語りました。結論から言うと、土門尚三さんは『庄内の日本桜草は在来ではない。福寿草と同じ移植であろう。』と考えていることでした。また、『植物学としては、その植物よりも、その植物の自生地が重要であり、例え庄内の日本桜草が在来種だったとしても、自生地が消滅した今となっては、学術的価値はない』と諭された気がしました。
言われてみたら確かにおっしゃる通りです。
月山から‘月山竹’を平野部の畑に移植して、その竹の子は‘月山竹’と言えるのか。だだちゃ豆を農協の都合で勝手に品種認定して早生品種まで作り、それが本当のだだちゃ豆だろうか。そう考えると、妙に納得してしまいます。土門尚三さんは櫛引町山谷集落で一度だけ自生しているのを見たことがあるそうですが、『庄内の日本桜草は在来ではない。福寿草と同じ移植であろう。』という具体的な見解は聞けませんでした。
環境省のレッドデーターブックでは、山形県は『現状不明』とされ、秋田県と新潟県は『データが無い県』で、青森県、宮城県は『絶滅危惧1類 (CE)』、岩手県は『絶滅危惧2類 (VU)』、福島県は『準絶滅危惧 (NT)』となっています。これを見ると日本海側には自生していないと考えることも出来ます。山形県では蔵王に桜草の自生地が在るとされていますが、庄内地方と蔵王が結びつきません。
秋田県にはとても貴重な日本ザリガニの生息地がポツンと存在します。山形県と秋田県には、もっとも古いDNAを持つイバラトミヨの生息地があります。山形県と新潟県には、全国で最上川水系と信濃川水系のみに生息するウケクチウグイいます。長野県以南では珍しくないカブトエビが、長野県から一気に飛んで酒田市にだけカブトエビが生息しています。植物の事は詳しくありませんが、酒田市沖の飛島のトビシマカンゾウなど、固有の植物(個体群)もあります。鳥海山で初めて発見されたゲンゴロウや昆虫もいます。斯様にして、その地にしか居ない生物が多々存在するのも山形の自然の特徴です。
庄内の日本桜草が在来種ではない証拠もありません。庄内の日本桜草の自生地が消滅しているとしても、在来種としての価値・意義はあると考えます。
2007年04月13日
遊佐町立図書館
円形の図書館の裏側に地植えされた日本桜草を発見。図書館の裏面に、ぐるりと図書館を囲むようにたくさん植えられている。でも・・・咲いていた花はピンクと白だが、園芸種も混じってました。
図書館に勤務されておられる年輩の男性に尋ねてみると、町民が集まった時に「昔は日本桜草が咲いていたよね」という話しになり、数軒が今でも日本桜草を所有していることが判り、そこから保全のために植えたのだそうです。
自生地は「今は無くなったが、月光川の岸辺に小島のような丘陵地帯が昔あり、そこに自生していた」そうです。本当に自生していたなら、丸岡地区のように、その地区の方の庭先に自生していると思い、具体的な位置を知りたくて尋ねましたが、「あそこの、そっちの。昔の話しで今は無いから。」と、確認できませんでした。図書館勤務の人間が、突然やってきた変なオヤジに地元のことが話せないと、不審がられたんでしょうね。
2007年04月13日
旧青山本邸
庭を見渡しても探せなかった。女将さん?が通り掛かったので尋ねてみると、確かに植えているとのこと。案内してもらうと、陽当たりの良い砂地に植えられていた。話しを聞いたら「遊佐町の図書館から貰ってきた」と言う。なんだから知らないが、遊佐町立図書館に日本桜草があるという。
■旧青山本邸
山形県遊佐町大字比子字青塚155
2007年04月12日
酒田市宮野浦
まるでデジャブーのようだった。つい先日鶴岡市長者町でみたプランターと同じ状況じゃいか。駐車場から見える距離である。車で見に行くと、『間違いない!』白とピンクの日本桜草でした。此処でも白とピンクです。これは在来種でしょ。
後日訪問すると、少し戸惑われたようで、余り詳しい話しは聞かせて貰えませんでしたが、昔から育てているとのことでした。でも嬉しい。私以外にも酒田で白い日本桜草が見れたのですから。(^^)
2007年04月12日
鶴岡市長者町
初めてみつけた私と同じ白い日本桜草が、数本のプランターで咲いている。その隣りには丸岡でみたピンクの日本桜草が同じくプランター一杯に咲いている。感動した。もしも園芸種として購入して栽培した種類なら、こんな地味な花を購入はしないだろう。何百という園芸品種があるのに、この2色だけというのは不自然だ。丸岡でみたピンクと私が持っている白は、庄内の在来種だと確信した瞬間だった。
早速訪問してみたが、生憎お留守だった。次の日、自分が育てている白い日本桜草の鉢を持って訪問してみると、その家のお母さんが対応してくださった。やはり40年近く前に入手して以来、「綺麗で可憐で可愛いから育て続けている」とのこと。残念ながら入手した経緯は忘れてしまったが、「酒田に居る妹には分けてあげたので、まだ咲いてるはず。」「近所にもあげたけど、みんな枯らしてしまってるようだ。」「此処は陽射しが強いので、ホースで朝晩たっぷり水をやっている。」「増えて増えて、今日も間引きしたばかりで、株分けしますから持って行って。」と言われました。
すべてが嬉しかったー!(^^)
2007年04月11日
櫛引町丸岡地区
見知らぬ男が車で集落内をウロウロして警察沙汰になるのは嫌なので、手始めに神社とお寺の境内を散策して探ってみることにした。立派な境内で、脇を水路も流れていたが、日本桜草は見当たらなかった。
再び車に乗って丸岡集落内に入った。中橋〜青龍寺〜寿とうろつき、農作業していた数名と出逢えたが、日本桜草の情報は得られなかった。丸岡集落に戻ると・・・。
ああ?!! 有りました!!
道路に面した陽当たりの良い駐車スペースに、プランター植えされたピンクの日本桜草を発見しました。幾ばくかの恥ずかしさがありましたが、思い切ってお宅を訪問して尋ねてると、お庭の奥にピンクの日本桜草が地植えされ群生しているが見えました。大切に栽培しているというよりは、長年放置してある感じがあり、この地が自生地だと確信しました。
訊ねてみると、昔は青龍寺川一帯および田んぼの畦道にたくさん自生していたが、昭和40年代初期に行われた田んぼの基盤整備で、自生地は全部コンクリートになってしまったとのこと。今、庭で咲いているのは、その時「可哀想だから」と自分の田畑から移植してきたモノだそうです。移植後は「後は勝手に自生している。よく増えてのー。」「そんなに探していたなら、持っていけ。」と言われました。自生地を失った日本桜草でしたが、地元の方々はちゃんと残して守ってくれていたんですね!
日本桜草とようやく出逢えたことが、とても嬉しく、心うきうきで運転していると、庭先に植えられているピンクの日本桜草が不思議と次々目に飛び込んでくるから不思議です。その都度お宅訪問して尋ねてみましたが、みな同じ内容のことを話してくれました。
「此処に咲いているのはピンクばかりですが、白はなかったですか?」と尋ねてみると、暫く考えて思い出し「ああ、そういえば有ったかも。白いのもたまに咲いていたかもしれない。」と語ってくれました。そして最後に訪れたお宅のお爺さんから、遂に核心に触れる情報を得ました。
「白は有ったよ。でもね(でも無い)。」
「なんで?」
「持ていぐがらや。白は珍しがったから、咲くと他から来た人が来てみんな持ていくんだもの、ねぐなんなや。」
なるほど。桜草は地元では野草でしかなかったので、保護も移植も行われなかった。酒田では桜草は珍しい花なので自生地から採ってきた。どうせ採るなら珍しい白を採るのが園芸愛好家の心情というもの。そして「この白は珍しい貴重な花だがら、大事にしろよ。」と言われ続け、もらった人も貴重な花なので大切に育て続けた結果、自生地では消滅したけど酒田には残った。という事なんでしょうね。