2013年09月10日

12年 開花一覧表

2012年04月29日『開花同定.1』:#110大明錦、#55宇宙、#14駒止、#1花車、#85糸の綾、#20青葉の笛、白鈴。
2012年05月01日『開花同定.3』:#50萩の上風、#94大盃、#100濡れ燕、#70玉の冠、#95鞍馬、#57白鷹、#24月の都。
2012年05月01日『開花同定.4』:#97妙智力、#88翁遊び、#101東唄。
2012年05月01日『開花同定.5』:#98唐舟、#23銀覆輪、#14駒止、#41朱の玉垣。
2012年05月02日『開花同定.6』:#23銀覆輪=#98唐舟=#22花大将=#29寿=#103金綾台=同じ花車?
2012年05月02日『開花同定.7』:#14駒止=#11天の羽衣=#12竹取姫=同品。銀世界?
2012年05月02日『開花同定.8』:#10隠れ蓑は品種間違い?。
2012年05月02日『開花同定.9』:#65松の雪、#73七賢人、#13朱鷺の雛、#75明烏。#107汐煙、#77神代の冠、#80美女の舞。#61綾波。
2012年05月03日『開花同定.10』:#24夕栄、全然違う。#20青葉の笛、全然違う。
2012年05月05日『神代の雪という品種』:神代の雪
2012年05月05日『開花同定.11』:#67鳥海=庄内白、#6南京小桜、#101東唄、#24月の都、#18銀孔雀、#26白球、#3京鹿の子、#13朱鷺の雛、#48戦勝、#49千鳥遊び、#39香炉峰。
2012年05月05日『開花同定.12』:#1花車=(#22花大将=#23銀覆輪=#29寿=#66唐獅子)。#5枝珊瑚=(#35凱歌=#31三顧庵=#42初桜)。銀世界=(#11天の羽衣=#12竹取姫=#14駒止)。#20青葉の笛=大明錦。#21三田自慢=銀覆輪。#27唐子遊葉は紅葉橋?。#36羅生門=夕栄。#25夕栄=秋の装。#71鏡帛=紫雲の望。
2012年05月06日『開花状況 新規入手品』:『八重品種の有頂天と以心伝心』『春の苑、石山寺、春の波(芽吹かず)』『中瀬紅、緑竜、岩木桜』
2012年05月06日『開花同定.13』:#17初姿(?)、#50荻の上風(?)、『#10隠れ蓑(正)、#30岩戸神楽(誤)、#38天女(誤)=#41朱の玉垣(誤)』、#4富士越(?)。#34京霞:間違い、花車?。
2012年05月07日『花茎無く開花しない』:千葉乙女、#93大明錦、光栄(心の光、光る雪は芽吹かず)。芽吹かず=『故郷の空、紅獅子』『水の音、フルブレル、ピリカ、ツヅラ錦』『有頂天、濁り酒、瑞雲、パラダイス』
2012年05月07日『開花同定.14』:#15秋の装(正)=#25夕栄。#70玉の冠(正)、#45通小町(正)。
2012年05月07日『開花同定.15』:#59.前代未聞未?、#60.都桜?、#61.綾浪(正)、#63.田子の浦(正)、#64.西王母(正)、#65.松の雪(正)。
2012年05月13日『無いのに、在る』:#85糸の綾=雪月花。
2012年05月13日『仙台さくらそう展』:白篝、剣菱、花筏、武蔵嵐山。
2012年05月14日『花車と銀世界』:#1花車=(#22花大将、#23銀覆輪、#29寿、#98唐舟、#103金綾台)。#1花車と#34京霞は花びらと花央が違う。銀世界=(#11天の羽衣、#12竹取姫、#14駒止)。
2012年05月15日『故斎藤教頭先生の奥さんの弟さん』:#1花車と、品種不明の#34京霞と同じ花。
2012年05月14日『#109は朝霧で○』:#109は朝霧で正解。
2012年05月14日『#32赤トンボは寿』:#32赤トンボは誤り。正しくは寿でした。
2012年05月15日『#3京鹿の子に寿』:#3京鹿の子に寿が混入。混入していた寿2芽は、#2赤トンボ=寿と1鉢へ。#71.鏡帛は、#2紅葉橋と紫雲の望と同品で、絞り竜田の紅無地と思われるので、移しました。
2012年05月15日『#71と#2、紫雲の望は同品』:紫雲の望=(#71鏡帛、#2紅葉橋)=絞り竜田の紅無地。
2012年05月15日『#38と#41は同品』:#38天女と#41朱の玉垣は同品ですが同定できず。
2012年05月16日『#15と#5、#25は同品』:#5枝珊瑚の4芽の内の3芽と#25夕栄=#15秋の装(正)。
2012年05月16日『#5と#31、#35、#72、#8は同品』:#5枝珊瑚の4芽の内の1芽と#31三顧案、#35凱歌、#72大神楽、#8十二単重の4芽の内の2芽は同品なれど同定できず。枝珊瑚?
2012年05月16日『#8 十二単重』:#8十二単重の4芽の内の2芽は十二単重で正しいと思う。
2012年05月16日『#37勇獅子は品種不明』:2013年有明同様花茎低く開花。
2012年05月16日『#42と#4は別品種』:#42初桜と#4富士越は同品かと思ったが、良く観ると違う。
2012年05月16日『獅子奮迅は百千鳥』:高鴨神社購入獅子奮迅は、フリルが消えたので百千鳥。
2012年05月17日『宮城県の野生種』:亘理郡山元町の深山、釜房ダム建設現場救助苗=釜房。
2012年05月17日『品種紹介 石山寺』:夏越しに失敗して根腐れをおこし、2013年は貧相に1輪だけ開花。
2012年05月17日『八雲と天晴 抜き取り』:八雲の混入品を移植。
2012年05月26日『新庄市山野草展』:同定不能と風車と前代未聞。  

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2012年07月02日

古花 丹頂

以前から気になっている品種があります。
鳥居恒夫著『色分け花図鑑 桜草』P31掲載の『丹頂』です。
鳥居氏によれば江戸時代以来の名花だそうで、私も綺麗だと感じ、憧れをもってみてました。
ゆえに気づき書いたのが2011年01月23日『vol.5 田村景福.3』でした。

さて、浪華さくらそう会の山原茂氏のBlog『日本の桜草と美術』
2012年05月04日『桜草の写真』に、古花である『丹頂』が紹介されていましたが、
鳥居恒夫著『色分け花図鑑 桜草』P31掲載の『丹頂』
花と緑の振興センターのHPに掲載されている『丹頂』
とは違うようです。

そこで山原さんに訊ねてみましたところ、下記のような返信をいただきました。
『私のところではかなり古くから作っているのですが、鳥居さんの本の品種とは違っているようです。
 私の方の品種が間違っているかもしれませんが、決め手になる情報がありません。
 私のところから外には出していませんので、このまましばらく静観しておきます。』


山原さんのと同じ『丹頂』が、ネット通販サイトと山野草とミニ盆栽誌通販コーナーに載っています。
浦澤儀一さんが昭和39年後から育てている『木枯』が、鳥居氏の本の品種と違っていました。
鳥居氏の『春の雪』と、鳥居氏以外の『春の雪』は違っていました。
古くから栽培してきた山原さんの『丹頂』も、鳥居氏の『丹頂』と違っていました。
これらは偶然なのでしょうか!?



鳥居氏の本やインターネットを参考に、古典園芸である桜草の同定を一人で行うのは危険です。
鳥居恒夫氏と東京のさくらそう会は、なんの根拠も示しておらず、勝手に改名と品種の乗っ取りを行っているのですから。

桜草は古典園芸であり、古くから伝わってきたものを、後世に残すのも愛好者の努め。
鳥居恒夫氏と東京のさくらそう会の品種と
古くから栽培してきた方々の品種に違いが視られるなら、
桜草が古典園芸である以上、古い方が正しいと言えるのではないでしょうか。

写真集としてなら最高の内容ですが、
図鑑とするならお粗末すぎて廃盤にすべき内容の悪書、鳥居恒夫著『色分け花図鑑 桜草』。
それを資料として、改名行為まで行い販売する植物園。
なんの問題意識もないのか、是正しない東京のさくらそう会。
桜草は江戸の花と唱いながら、関東地方の桜草の品種は、とても怪しいものに成り下がっているようで残念です。
  


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2012年07月02日

東邦植物園 八重咲さくらそう

東邦植物園ネットショップ販売サイト『八重咲さくらそう
>> 八重咲き品種には横文字(カタカナ名)がありますが
>> 当園で扱うときは独断で和名を付けて販売するつもりです。
>> 日本桜草を横文字で扱うのはいささか違和感がありますので。


作出者に無断で品種名を改名する行為は、作出者と花への冒涜であり、邪道です!

>> 桜草収集について
>> 名前だけで収集すると名前が違っても同一品種を入手してしまう場合が多々あります。ご注意を。
>> たとえば「松の雪」と「青柳染」が同一品種であったりします。当然青柳染は当園では扱いません。


イワヒバでは、そんなことは気にしないで、勝手に命名して販売していますよね。ダブルスタンダード。

独断で和名を付けられた品種を購入した人が、
オリジナルの横文字の八重咲き品種を購入される可能性を、東邦植物園は考えていないのでしょうか。
古典園芸品種の「松の雪」と「青柳染」を、
「鳥居恒夫著『色分け花図鑑桜草』に書いているから」という理由だけで同一品種と断定していおきながら
作出者に無断で『違和感がある』という私的感情だけで勝手に改名して販売して、平気なのかしら。
東邦植物園の方とは面識がありませんが、厚顔無恥と化した老害行為ですね。古典園芸を愚弄してます。



東邦植物園HPには『鳥居恒夫著「桜草」を頼りに品種確定いたします。』と表記されてあり、
鳥居恒夫氏と、鳥居恒夫氏が世話人代表を務める東京のさくらそう会の影響を強く受けておられるようです。
品種名の勝手な改名や花の乗っ取り行為は、東邦植物園さんも平気なようですが、
これの行為を東京のさくらそう会の一般の会員さんたちは、どう受け止めて考えていらっしゃるのかしら。

後進である我々にははた迷惑な行為であり、一言でいえば邪道。
鳥居恒夫氏や東京のさくらそう会の会員の方々は、ご存命の内に是正され、
東邦植物園と鳥居恒夫氏が改ざんされた事実ではなく、
正しい真実の道を後進に残していただきたいものです。  

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2012年06月21日

桜草の自生地復活?.2

2012年06月06日『桜草の自生地復活?』の記事へ
Blog 山形 気ままブログ のbinさんがコメントを寄せてくださいましたが
赤川河川敷へサクラソウを植えた自生地復活の活動に一切関わりありませんし面識もありません。

このBlogは『庄内地方に桜草は自生していたのか?!』と調査していたときに
何かしら情報を寄せていただけたらと思い開設したもので
今でこそ胸を張って『庄内地方に桜草は自生していた!』と広言できますが、
2007年の段階では、断言できませんでした。

それに、淡水魚の生息調査でも、具体的な個体の保護活動はしていません。
保護活動はしていませんが、生物は全て繋がりを保って生きているので、生息調査は重要であり
生息調査なくして具体的な個体の保護活動は有り得ないと考えます。
桜草には野生種と園芸品種があり、他所からの持ち込みも考えられます。
不確実な状況で、自生地は消滅したのに自生地を創ろうとは思いませんし、同意もしかねます。

遊佐町の白井新田のハッチョウトンボ生息地は、
保全しようとして湿地帯を乾燥させてしまい、消滅させてしまい、
真室川からハッチョウトンボを移植させたそうですが、
個体よりも生息地が貴重なので、これは何とか理解できます。
このように、自生地が残っているなら復活させれば良いでしょうけど
新たに創るというのは納得できません。
メダカのビオトープのように、身近な場所に植えて親しんでもらうなら理解できます。
生物多様性とは、その個体よりも、生息地が肝要だと捉えていますから。

消滅したものを復活させようとは考えませんが、知ってもらう活動には賛成です。
桜草は繁殖力が強く良く増えますから、桜草愛培者を参考に、私も余剰苗を無償で配布しています。
ただ、桜草は手間を惜しむと増えませんし、逆に或る年突然消滅してしまいますので
庭への地植えだけは止めてくださいとお願いしています。
どうしても庭への地植えしたいのであれば、鉢栽培され、
余剰苗を植えて様子をみてからにしてください。とお願いしています。
人間の都合で移植して根付くくらいなら、桜草自生地は消滅しませんよ。

そもそも自分たちで桜草を有せず活動を始めたことが不快です。
『愛好者』が植えたと新聞紙面に記載されていますが、
桜草を所有してないのに、なんの『愛好者』なのでしょう。
桜草を栽培したことがないなら自分たちで栽培して桜草を知り
余剰苗を毎年植えて作って行くべきです。
『サクラソウについて調査』しているそうですが、
インターネットで検索しても、それも『調査』と言えますものね。

カブトムシで町起こしイベントを起こっている地域では
カブトムシの自生地を創らず養殖で繁殖させ、それを使い活動をしています。
ハッチョウトンボやギフチョウは貴重で、仮に生息地は創ったとしても個体は小さいですし、
行っても確実に観られるわけではありませんから、集客した観光地化はできません。
桜草も同じで、自生させたとしても菜の花畑のように咲かず、
小岩井農場の桜草自生地も散策コースの一部でしかありません。
桜草を使った観光地創りを目指すより
身近な場所に花壇を造るか、会員で桜草を栽培して余剰苗を配布される活動の方が
宜しいのではないでしょうか。






2007年04月16日『俳人 阿部月山子
2007年05月07日『安野悌次先生
2007年05月07日『櫛引町丸岡地区.2
2010年05月21日『蒼樹会の展示会

2007年(平成19年) 4月14日(土)付け紙面より
絶滅危惧種 サクラソウ復活へ 南庄内水と緑の環ネットワーク「親株」の情報求める
http://www.shonai-nippo.co.jp/cgi/ad/day.cgi?p=2007:04:14:1326
2007年(平成19年) 6月17日(日)付け紙面より
いっぱいになぁれ サクラソウ 親株の提供受け赤川で試験植栽 水と緑のネット
http://www.shonai-nippo.co.jp/cgi/ad/day.cgi?p=2007:06:17:1439
2009年(平成21年) 5月24日(日)付け紙面より
群生夢見て サクラソウを植栽 赤川沿いに市民団体 希少種の増株図る
http://www.shonai-nippo.co.jp/cgi/ad/day.cgi?p=2009:05:24:2745


■6月5日付朝刊 地域ニュース読みくらべ
【鶴岡】サクラソウ復活へ活動5年目
http://yamagata-np.jp/localnews_pickup/
環境省のレッドデーターブックでは、山形県は『現状不明』とされ、秋田県と新潟県は『データが無い県』で、青森県、宮城県は『絶滅危惧1類 (CE)』、岩手県は『絶滅危惧2類 (VU)』、福島県は『準絶滅危惧 (NT)』となっています。  

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2012年06月06日

桜草の自生地復活?

昨日からデートのお誘いの電話がかかって来きます。
5月の下旬にも別の女性からお誘いがありました。
桜草を栽培しているおば様たちから。face02

おば様たちからの電話は、
2012年05月25日に朝日新聞に、2012年06月05日は山形新聞に載った
赤川に移植された桜草の記事を読んだからでした。

山形新聞は13面の庄内の地域版に載りました。
山形新聞の方には、山形新聞で俳句の指導をなされている
阿部月山子さんこと阿部義郎さんのコメントが載っています。
内容は朝日新聞に載った大類さんと同じようなもので、
『鶴岡で再びサクラソウが咲き誇るように、自生地の復活を目指したい。』
と紹介されています。

朝日新聞 サクラソウ見ごろ 鶴岡の赤川河川敷 2012年05月25日
http://mytown.asahi.com/yamagata/news.php?k_id=06000001205250001


山形新聞HP 6月5日付朝刊 地域ニュース読みくらべ 【鶴岡】サクラソウ復活へ活動5年目
http://yamagata-np.jp/localnews_pickup/



電話の内容としては
「ウチの桜草はとてもよく増えるのに、あの人たちのは、どうして増えないのかしら。」
というものでした。

庄内地方の桜草の自生地は消滅したので私は知りませんから、聞いた話ししか出来ませんが、
桜草は葦原の中にポツラポツラと間ばらに散らばって咲くそうですから
移植したエリアで300本が限界で、そこまで増えたのですから、私には十分な成果に思えます。
彼らはそれに満足していない様子から、三川町の菜の花畑のような桜草のお花畑を造り、
新しい観光地として集客に結びつけ、地域活性まで考えて行動したいのではないか。と話しておきました。

桜草はとても丈夫で繁殖力強い植物ですが、誰か熱心に面倒してくれる人物や組織がないと増えません。
メダカも繁殖力強く、爆発的に増える魚ですが、増やそうと思って面倒みているから増えるのであって、
その辺へ勝手に放流しても増えませんし、逆に消滅してしまうことでしょう。
桜草も同じです。熱心に面倒みるから増えるのであって、
毎日の水やりが面倒になって家の庭に植えたら育だちませんし増えません。消滅するのが見えています。
そんな植物が、自然環境下に移植され、増えて自生するわけがありません。
そんな安易な行為で根付くくらいなら、自生地が消滅したりしませんよ。
鉢植えの桜草は、植え替えを怠るだけで、或る年突然消滅してしまうくらい過弱いのですから。
何もせずに放置したまま今日まで5年も育ち増えた赤川の桜草は、十分立派だと思います。

庄内地方に桜草が自生していたということを後世に伝え、桜草を広く知ってもらうことには同意しますが
『鶴岡で再びサクラソウが咲き誇るように、自生地の復活を目指したい。』と言われても
自生地が消滅したのですから、自生地の復活などありえないでしょう。
何かを遣りたいから桜草に目をつけ、何かを遣りたい自分たちのために活動しているのでしょうから、
旧櫛引町の赤川河川敷などに、浮間ケ原桜草圃場横浜日産スタジアムのような花壇を作り、活動していけば良いのです。


横浜日産スタジアムの活動をBlogで拝見すると
苗を育てたり草刈りを行ったりと、かなり手間ひまかけて面倒みながら育てているのが分かります。
鉢植え栽培だと簡単に増えますが、自然環境下だと、そうはいかないという良い例だと思います。
  


Posted by さくら at 19:00Comments(2)日本桜草12

2012年06月05日

小石川植物園の鋸峰

東京大学大学院理学系研究科附属植物園・本園 通称:小石川植物園
【2011年4月18日】
サクラソウは江戸時代から受け継がれてきた、日本を代表する古典園芸植物です。
本園ではいくつもの古い品種を栽培・保存しています。この機会にぜひご観賞ください。
http://www.bg.s.u-tokyo.ac.jp/koishikawa/kaika/Kaika_pages/2011/20110418/20110418.html



浦澤さんは、鋸峰は小石川植物園に孫半土鉢を寄贈した永井誠也氏の実生品種と言われていました。
日本桜草総銘鑑に因りますと、鋸峰の記述は、実際園芸昭和10年5月号掲載と鳥居さんの本のみ。
浦澤さんの情報元は不明ですが、
2011年01月26日『vol.6 世界のプリムラ編集委員会.2』伊丹氏いわく、
当時(大正時代)に永井誠也と並びさくらそう界の両雄と称された
『大鐘あぐりは(中略)、惜しいことに関東大震災ですべて灰燼に帰した』そうです。
とのことなので、永井氏が孫半土鉢とともに小石川植物園へ寄贈された可能性はありますよね。
真実は不明でも、今の段階では小石川植物園の鋸峰が本家本元という事は事実であり、
古典園芸の桜草界として嬉しい情報ではないでしょうか。face02

小石川植物園の担当者がそれらを知りながら従事してくれていたら嬉しいですね。  


Posted by さくら at 19:00Comments(0)日本桜草12

2012年06月05日

桜草鉢.7 その他

この鉢は浦澤さん宅に在った鉢で、桜草鉢ではありませんが、ご紹介。
『信楽』『广人』の落款があります(广(まだれ)の中は読めませんでした)。




伝市窯に焼いてもらった寸胴鉢を手土産に持って行いったところ、大変気にいってくれました。face01
すると、
「これに似た黒い鉢がありまして、奈良にあります高鴨神社の鈴鹿義一さんが清水で焼かせた
 黒い切り立ち型の鉢が昔ありました。タキイ肥料で販売されていました。」
と話してくれました。
黒い釉薬鉢は信楽だと思っていましたが、清水焼きもあるのですね。


『西の越智に東の松木』と呼ばれていた時があったそうです。
愛媛県(松山市?)の故越智英一郎さんが
孫半土鉢を真似て備前焼で焼かせた桜草鉢は見事でした。ただ高台が無い鉢だでしたね。
愛媛県には桜草栽培者が居ませんから、あの鉢は今どうなったのでしょうね・・・。
(越智英一郎 実生品種:淡蜻蛉、小猿、小天狗、桜三里、笹鳴、鶴龜、春の波、ふくろう。)
故松木俊一さんは孫半土鉢で栽培されていた方で、
亡くなられてからは息子の松木俊朗さんが栽培を引き継ぎました。
息子さんも亡くなった今は、息子さんの奥さんが栽培しているそうです。
(松木俊一 実生品種:石橋(同名あり)、白珠、太陽の塔、武蔵嵐山(昭前)、雪祭。)


永井誠也さんは孫半土鉢だけで栽培されていて、死ぬ前に小石川植物園に全部寄贈したんだけど、
小石川植物園の保存が悪いのか、灰色に痛んでいて、あそこまで痛むと趣きが無くなっていて駄目ね。
あの孫半土鉢は、今どうなっているんでしょうね・・・。
(永井誠也(大正) 実生品種:天下、小笹の雪(同名あり)、関台紅(大5)、高長桃色、母の愛、吉野川。)


『塩のような白い結晶が噴き出してきて』『灰色に痛んでいて』というのは、こういうことなんでしょうか。


小石川植物園は古くから桜草に関係した施設であり、
昔の仙台市野草園は、園長が地元宮城県内の野生の桜草など、桜草栽培に熱心だったそうです。
諸先輩が使用された桜草鉢は貴重な存在なので、まとめて誰かが引き継がれるのが理想とされ
このような公共の植物園に寄贈されるのも良いのですが、
職員に古典園芸としての桜草への情熱がないと、
貴重な鉢も単なる鉢に成り下がり消耗品として扱われているようで残念です。
鉢の価値も理解していただき、歴史とともに伝え残してほしいものです。

この記事を書いていて思い出しましたわ。
仙台市野草園で割れた尾崎哲之助の鉢屑が捨てられてありました。驚きました。
驚いて周囲も探してみましたが、欠片のピースが大きく足りませんでしたので諦めましたが
現在は優秀な接着剤が在るわけですから、割れても捨てずに直して使ってほしいものです。face09  

タグ :浦澤さん

Posted by さくら at 12:00Comments(0)日本桜草12

2012年06月05日

桜草鉢.6 市野ゲンエモン

なんでもスラスラ話してくださる記憶力抜群の浦澤儀一さん。
無知でもあり全てが初めて知ることばかりで、わくわく胸躍り記憶力の悪さに拍車が掛かる私。
全てを記憶するのは無理なので、関心ある事だけ記憶しようとしますが、無理でした。
しかも時間の経過とともに記憶も曖昧になってしまいました。
それでも一つの情報になればという思いから、この記事を書きます。



仙台市野草園で見つけた、もう一つの桜草鉢。
「あ、これも初代伝市窯へ私が依頼して焼いてもらった鉢です!」
「100鉢ほど寄贈したのに、この1鉢しかないのかなあ・・・。」
と見せてくれたのが、コレ。市野ゲンエモンさんに焼いてもらったそうです。


2012年02月11日『淡路島 温室植物園』で紹介した、淡路島の鉢に似てました。



浦澤さんは、尾崎哲之助の鉢を作陶した爺さんは伝市窯の隣りの人で、
亡くなった後に依頼され復刻品を焼いたのは伝市窯と話してくれました。
そしてこの鉢も『初代伝市窯へ私が依頼して焼いてもらった鉢』とおっしゃいましたが、
私は無知であり調べる術も無いので憶測でしかないのですが、
この鉢は「市野ゲンエモンさんに焼いてもらった」とも言われておられ
私が伝市窯伝市窯と言うものだから
伝市窯=丹波焼きと解釈され、私に合わせてくださっているだけのかも知れません。
落款は在りますが、私には読めませんし解りません。




市野ゲンエモンさんに焼いてもらった鉢を、なぜ仙台市野草園に寄贈したのかというと、
サンプルの時には、『桜草鉢として、まあ使えるかな。』と半分妥協して注文したところ
仕上がって送られた来た鉢がサンプルと違って、高台が高くなっていてガッカリしたからだそうです。

  


Posted by さくら at 06:00Comments(0)日本桜草12

2012年06月04日

桜草鉢.5 京王百花園

浪華さくらそう会の山原さんは、Blogを拝見しますと2011年に定年退職されたようなので、今年61歳。
仙台さくらそう会の浦澤儀一さんは今年77歳。鳥居恒夫氏は1歳年下とのこと。15歳の年の差になりますね。

山原さんのBlog日本の桜草と美術2011年02月25日『桜草短型鉢の由来』には、
桜草鉢のことが記載され、京王百草園と尾崎哲之助が登場します。
この記事を今まで何度か繰り返し拝見していましたが、正直理解できずにいました。
しかし、浦澤さんから話しを聞いた後に読み返すと、合致する内容になっているではありませんか。face08
(2010年11月25日『私の使用する桜草鉢』もあり。)


山原さんのBlogに掲載されている、山原さん所有の丹波短型鉢も、
写真撮影時のアングルの違いから違った形状の鉢に見えましたが、
よく見ると同じです。特に右の緑の鉢は、全く同じですよね。


緑の鉢には釉薬がかかっていますが、実は仙台市野草園に1鉢だけ釉薬鉢がありました。
浦澤さんは私に指摘されるまで存在を知らなかったようで、初めて見たそうです。


山原さんはBlogの中で『丹波鉢の短型鉢』と表記さえています。
浦澤さんは、伝市窯で模して焼いてもらった鉢と言われました。
今の市野伝市窯で焼かれたのか分かりませんけど、『丹波の鉢』であるようですね。


> 桜草にふさわしいものと直感して購入した。他では売っていなかったようである。
> こんな珍しい形の鉢がどうして作られたのか、今までよくわからなかった。


桜草にふさわしいと直感されたとは流石。尾崎哲之助同レベルの素晴らしい美的センス。 kya-
鉢の由来をよくわからなかったというのは、浦澤さんとの15歳の年の差からだったのですね。
(現代の第一人者に対する失礼をお許しください。(^^; )


> 彼の著『朝顔抄ー花とともに六十年』を繰ってみると。
> 知り合いから譲られた清水六兵衛作の桜草鉢を見本に
> 丹波で桜草鉢を作らせたという記事にであった。


清水六兵衛作の鉢を参考にされたことは浦澤さんも言われてました。
丹波のどの窯で焼いたのかは山原さんのBlogには書かれていませんが
浦澤さんは、伝市窯の隣りに、この鉢だけを焼いていた爺さんがいて、そこで焼いたと言われてますから
京王百草園勤務の尾崎哲之助の依頼を受け、専門に造り続けていたのでしょうね。
最後は土が無くなったので製作を止め、亡くなってしまったので伝市窯へ依頼した。
と浦澤さんは話してくれました。

閑話
ちなみに、岐阜の5つ子ちゃんのお父さんは
名古屋芸工大を卒業後、清水焼きで4年間修行された後に独立。
奥さんの実家の敷地内に窯を設けたそうです。
真意ははかりかねますが、陶芸家と鉢職人は何かプライドが違うらしく
始めは鉢を作る事を渋り、しばらく浦澤さんの依頼を断っていたそうです。
現在も焼かれているかは未確認、不明です。
閑話休題


> 京王百草園となった今でも春には桜草の展示が行われていて、
> そこに彼の丹波短型鉢が使われているのである。
> 鉢に横筋が入っていたり、凹みがあったりするのだが、
> 紛れもなく全体の形は私のものと同じである。


山原さん所有の丹波短型鉢は、螺旋状ではなく横筋なので、
最初の爺さんが亡くなった後に伝市窯で焼いてもらった復刻品ということになります。
凹みがあったりする鉢も復刻されたか分かりませんが、
最初の爺さんが焼いた鉢は、螺旋状の溝になっています。


尾崎哲之助さんは朝顔の第一人者だそうです。
朝顔の一般的な仕立ては3本の支柱を使う行灯仕立てだそうですから、凹みがる鉢は、
外側を凹ませて内側に凸さることで、3本の支柱がズレないようにしたのかもしれませんね。




> ところでこの型の鉢がなぜ関東で普及しなかったのであろうか。
> (中略)
> そして「さくらそう会」は伝統的な孫半斗鉢にこだわって、
> 尾崎氏由来の丹波鉢や香炉型の朝顔鉢に関心を寄せなかったようである。


関東で普及しなかった鉢が、なぜ仙台に大量に在るのだろうか。
それはどうやら、当時から現在と同じく、満足いく桜草鉢が存在しなかったからのようです。

浦澤儀一さんは、ご近所に住まわれていた先代の仙台さくらそう会の佐々木三郎さんから
昭和39年に苗を貰ったことを機に桜草栽培を始め、直ぐに東京のさくらそう会へ入会したそうです。
佐々木三郎さんは昭和34-35年頃から桜草栽培を始め、東京のさくらそう会へ入会して品種を蒐集。
当時は種苗業者でも桜草は取り扱っておらず、
品種を蒐集するには、さくらそう会へ入会するしかなかったそうですが、閉鎖的なところがあり、
なかなか譲ってもらえなかったそうで、桜草鉢も同様だったご様子。

東京のさくらそう会の諸先輩たちは、江戸時代からの孫半土鉢を使い、展示されていたそうですが、
当然の如く地方の新参者に孫半土鉢を譲ってくれる者はいませんし、
肝心の孫半土鉢もさすがに劣化して痛んでいたり割れたりで、展示するだけの鉢数が揃わなくなり、
鉢不足を懸念されていたそうです。その当時購入できた桜草鉢が、大鐘あぐり女史の益子の鉢で、
佐々木三郎さんは購入されていたそうですが使っている内に塩みたいな白い結晶が湧き出てきて駄目で、
信楽で焼いたけど、それも芳しくなかったそうです。

「さくらそう会」は伝統的な孫半土鉢にこだわり、
益子や信楽で、孫半斗鉢を参考にした鉢を求めていたわけですが、
仙台では、益子から仙台へ鉢を送ってもらっても梱包が悪くて結構な数が割れてしまうことから
「どうせなら!」と思い切り、浦澤さんは全国に桜草鉢を求め歩き回り、
奈良の高鴨神社の鈴鹿冬三さんと京王百草園の尾崎哲之助さんを訪ねに行かれたそうです。
(京王百草園には、当日は激しい雨で最寄りの駅からでることができず、行けなかったそうです。)

そんなこともあり、尾崎哲之助さんの丹波鉢の短型鉢を購入されたそうです。
購入先は、今は無くなったそうですが仙台市の陶器店から取り寄せてもらい、購入したそうです。
(割れた時に損失を被ることありませんから)
しかし大量に仕入れたのでかなり売れ残り、最後は仙台市野草園が引き取ったそうです。



浦澤さんは話し好きで、いつもたくさん話してくれますし
素晴らしい記憶力でスラスラと話してくれるので、会話が楽しくてしかたありません。
しかし、聞き手である私が無知なので話しを膨らませませんし、記憶力も悪く、覚えきれないのが難点。
なので一旦話しを整理しますと、
・尾崎哲之助さんが焼かせた、丹波の窯元の爺さんの名前は不明。
・伝市窯の隣りの窯の爺さんと言われますが、真偽を私は確認していませんし術がないので不明。
・爺さん亡き後の復刻品を焼いたのが本当に伝市窯なのかも、同様に確認していませんし不明。
 でも、高台を見た時『あれ、伝市鉢に似てるぞ???』と直感したのは確かです。
これ以上のことは、今は分かりません。  


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2012年06月04日

桜草鉢.4 尾崎哲之助

仙台市野草園で開催されたさくらそう展で仙台さくらそう会の浦澤さんと合流。
色々と鉢の話しを聞かせていただきました。
仙台さくらそう会では買い求めたり窯元に依頼して作陶してもらったり、
各種の鉢を100-500鉢単位でまとめて入手していたそうですが、
当時の仙台市野草園が熱心に桜草栽培に取り組んでいたこともあり寄付された鉢が多いとのこと。

当時は桜草鉢はありふれた品で、いつでも購入できるはずだった。
どれが貴重だという感覚もなく、良い物(好い物)を求めて探求した時代。
今のように鉢が無くなり、若手が苦労するとは思ってみなかった。
と言われてました。

東京のさくらそう会が現在使っている深谷鉢の以前は、
姉妹で栽培なされていた大鐘あぐり女史が益子焼で作らせた鉢だったが
使っている内に鉢から白い塩のような粉(結晶体)が出てきた。
それで苦情が出て、信楽焼きに移ったけど、3年も経つと口が欠けてきてもろくて駄目だった。
それで一旦途絶えたが、伊丹清氏が孫半土鉢を参考に焼かせたのが、今の深谷鉢とのこと。
先代の仙台さくらそう会の故佐々木三郎さんは、益子焼の鉢を所有されていたそうです。

浦澤さんの話しを聞いていますと、
昔は「桜草栽培は同じ鉢で統一して栽培すべきでる」という教え(風潮)があったように感じます。
『当時は桜草鉢はありふれた品で、いつでも購入できるはずだった。』
『どれが貴重だという感覚もなく、良い物(好い物)を求めて探求した時代。』
ということもあるのでしょう、
1つ2つの鉢を資料的な要素で所有しておくという発想も気運も当時はなかったようです。
過去には東京のさくらそう会が孫半土鉢を売りに出したこともあったそうですが、
「まとめ買いすること」「東京まで直接引き取りに来ること」が条件だったこともあり
少しばかり購入しても展示に使えないので浦澤さんと仙台では購入しなかったそうです。


さて、前置きが長くなりましたが、いよいよ本題。
浦澤さんが岐阜の5つ子ちゃんのお父さんに焼いてもらった際に、参考にした鉢の話しです。
仙台市野草園で浦澤さんから桜草鉢の話しをお伺いしていると
仙台さくらそう会の諸先輩方が仙台市野草園に寄付した鉢を見せてもらうことになりました。
園内を歩いていると浦澤さんが歩みを止め突然説明し始めました。
「京王百花園に務めておられた朝顔の第一人者である尾崎哲之助が、
 清水六兵衛の鉢を参考に、今の伝市窯の隣りの窯で焼かせたのがコレです。」
と示した鉢は、独りで居る時に園内でみつけたあの鉢でした。face08
(尾崎哲之助作出実生品種:葵上、欣喜、光栄、式部の誉、野火、花筺、藤の里、武蔵野。)


『京王百花園?!』
『尾崎哲之助!?』
浪華さくらそう会の山原さんがBlogに書かれていたような・・・。


「コレは螺旋状に溝があり、風が当たることで鉢の温度を抑えるのだそうです。」
「実はコレにはもう一つ、胴を指で押して凹ませた鉢もありましたが
 仙台ではコレだけ500鉢を購入したのですが、
 鳥居恒夫先生が
『開口部が外側に開いており、葉を痛めるので、桜草鉢としては駄目です。」と言われたので、
 仙台野草園に寄贈しました。」
とのことしたが、胴を指で押して凹ませた鉢とは、2012年03月08日『朝顔鉢』で紹介した鉢ですよね。
胴を指で押して凹ませた理由もお伺いすると
「面積が広がるので温度を抑え蒸れにくくなるからじゃないかしら。」とのことでした。




この鉢を含め、初代の仙台さくらそう会の会長は500鉢ほど所有していたそうですが
お亡くなりになった後に宮城県内の方がまとまって引き取ったものの、
翌年、埼玉県のさつき栽培愛好者と、巨大なさつきの盆栽1鉢と全部交換してしまったそうです。
埼玉県の何所の誰かは分からないそうですが、埼玉県内にも、この鉢があるということになります。


「伝市窯の隣りの窯の人は年輩の爺さんで、名前は分かりませんが、この鉢ばかりを焼いていたそうです。
 しかし土が無くなり焼けなくなり、爺さんも亡くなり
 それで隣りの伝市窯へ依頼するように、模して焼かせたのがコレです。
 コレは模したので螺旋ではなく横線なんですね。」


「尾崎哲之助さんは朝顔の螺旋仕立てを考案され、螺旋仕立て鉢も造られた方です。」
とのことでしたが、私は螺旋仕立てを知りません。
知りませんが、“横線”の鉢は、山原さんの養生鉢も横線だったような・・・。

続く。  


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2012年06月04日

桜草鉢.3 仙台市野草園

仙台市野草園で開催されたさくらそう展へ行った際に、園内で見つけた鉢。
インターネット上でも見た事が無く初めて見る鉢ですが味わいがあり、桜草鉢に使えそうです。
また、何処か量産的な形状の中に、数鉢だけ、手作りっぽい風格を醸し出している鉢もありました。
鉢底の高台は伝市鉢ソックリなので驚きました。face08
欲しい〜! face03
でも、何処かで見た事あるような形状なんだけど・・・。face06


この後、浦澤さんと合流して、この鉢の正体を教えていただきました。次へ続く。kao18  


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2012年06月03日

桜草鉢.2 仙台堤焼き

浦澤さん所有の仙台の堤焼きの香炉型鉢。
今は使われていない登り窯で焼いてもらったそうです。
土の関係で、外側が剥がれ落ちる割れ方をするので、駄目だったそうです。


香炉型鉢はいつ頃、何処で、誰に因って造られ始めた形状なのでしょうか???
仙台でも焼かれたのですから、昔は全国各地の窯で焼かれたのでしょうね。
鉢の大きさは一般的なサイズです。


岐阜に5つ子ちゃんのお父さんに焼いてもらった浦澤さんの鉢は、
この左側の鉢を参考にしています。この鉢の正体は、後日。face01
  


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2012年06月03日

桜草鉢.1 岐阜の5つ子

仙台さくらそう会の浦澤儀一さんが使用されている桜草鉢を紹介します。
これは陶芸家となった岐阜の5つ子ちゃんのお父さん=夢庵窯の関理史(まさふみ)さんが
仙台市長町出身ということもあり生活支援を兼ね、焼いてもらった鉢だそうです。
窯のサイズ的に一度に50鉢しか焼けなかったので、
3回に分けて送ってもらい、合計400鉢焼いてもらったそうです。
値段は「奥さんには1鉢500円」と伝えているそうですが、本当の値段は秘密。
(今現在通販で伝市窯の手作り登り窯焼き香炉鉢6号を買うのと、同じ金額でした。)

外径は5号サイズですが厚みがあるので内径は13-13.5cmと小振りです。
(この鉢を作る際に参考にした鉢は、後日紹介します。face01


↑最初の桜草鉢は開口部の外側にツバがついていますが
鳥居恒夫氏から『このような形状は桜草の栽培には適していません』と指摘され
↓次ぎからは、ツバを無くしたそうです。角があると葉茎が痛みやすくなるからだそうです。


「黒も焼いてみましたが、どうですか?」と送られてきたサンプル。これは断ったそうです。



昔からの桜草愛栽家である諸先輩方には桜草鉢など関心薄いことかもしれませんが、
桜草栽培を始めたばかりの我々には、少なくとも私にはとても興味深い事項です。
桜草が古典園芸である以上、鉢についても知っておきたいと願ており
桜草愛栽家である諸先輩方からネット上に桜草鉢の情報を掲載していただけると嬉しい限りです。

鳥居恒夫氏は全国各地の愛好者の桜草鉢を蒐集されているそうですから、
何かしらの形で発表されることを、熱望します。  

タグ :浦澤さん

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2012年06月03日

伝市鉢 釉薬鉢.2

2012年04月27日『伝市鉢 釉薬鉢』で紹介した際は室内でしたから
『露出調整-0.7で撮影した伝市鉢香炉型は、写り具合で茶色っぽさが強調されただけで、肉眼でみる現物は黒です。』
などと書きましたけど、日焼けするほどの陽射しの元で見てみると、
下図の porsche911clubcoupe のブリュースター・グリーンを茶色とか黒と呼ぶ人はいないのと同じで、
明らかに濃いグリーンでした。訂正します。






  

タグ :伝市

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2012年05月27日

前代未聞と木枯

鳥居恒夫氏が世話人代表を務める東京のさくらそう会では、
なんの根拠も示さず無いまま、独自の判断で『この花を○○と呼びます。』と品種を同定しています。
桜草と取り扱う園芸店でも
「鳥居恒夫著『色分け花図鑑 桜草』を参考に品種名をつけています。」
と言われるお店が多々みかけますが、
根拠も示さず独自の判断で品種を同定しているわけですから、いい迷惑です。
否、根拠を示さず民間の愛好会が身勝手な独自判断で品種同定しておきながら
図鑑と名乗っている以上は、回収&廃盤とすべき内容であり、有害図書と言えるでしょう。


さて、ウチの桜草はまだ10数鉢ほど花が残っていおり(今月中に全部摘みます)。
その中に、2012年02月18日『芽分け 新規入手.8』で紹介した
仙台さくらそう会の浦澤儀行さんからいただいた木枯があります。
雌しべの長さを見てみると短柱花でした。

2006年発行鳥居恒夫著『色分け花図鑑 桜草』では、
木枯は長柱花、前代未聞は短柱花と記されています。
だからといってこれを参考に
「あら、木枯は長柱花だから、それは前代未聞じゃないの。間違っているわね。」
と、独自の同定を行うのは禁物です。
なぜなら、桜草は古典園芸であり、代々受け継がれてきた品種たちだからです。

鳥居恒夫氏の著書1985年発行『さくらそう』を見た事も読んだこともありませんが、
昭和51年1976年発行鈴鹿冬三著『NHK趣味の園芸作業12か月 日本サクラソウ』では
木枯は短柱花、前代未聞の長柱花と紹介されています。

鈴鹿冬三氏は、義父である鈴鹿義一氏が東京の桜草愛好者から入手された苗を、受け継いだ方です。
言い換えたら鈴鹿冬三氏の苗は、江戸時代直系の、伝統の苗と言えるでしょう。
対して鳥居恒夫氏の木枯は何処から入手されたか記されていませんし
関東大震災やら大空襲を受けた東京で苗の引き継ぎは正しく上手くできたのでしょうか。

鳥居恒夫氏は大山玲瓏氏の指導を受けたそうです。
大山玲瓏氏は『農業時代』の編集長を務められた方であり
浪華さくらそう会を創立された加藤亮太郎氏が昭和34年に発行した著書『日本桜草』には
大山玲瓏氏、鈴鹿冬三氏も協力された旨がはしがきに記載されています。
鳥居恒夫氏は、そんな兄弟子とも言える鈴鹿冬三氏の
『木枯は短柱花、前代未聞は長柱花』という記載を
なんの根拠も示さず
『木枯は長柱花、前代未聞は短柱花。』『間違って栽培している者が多い。』
と言い換えてしまってよいものでしょうか。

浦澤儀一さんは昭和39年1964年に桜草栽培を始めた方であり、
浦澤さんの木枯は、仙台さくらそう会の初代会長佐々木三郎氏から譲渡された品だそうです。
その佐々木氏は昭和35年頃から桜草栽培を始め、
今鳥居氏が世話人代表を努めているさくらそう会から入手した苗らしいです。
その木枯が短柱花であったことは、大変興味深いことです。
『色分け花図鑑 桜草』には
「青柳染めは松の雪と同じなので、松の雪で統一する」
といった暴言も記載されていますが、桜草は古典園芸です。
古くから伝わっていることを後世に伝えていくのも愛栽者の努めと考えます。
『色分け花図鑑 桜草』を鵜呑みにして、名札を書き換える事だけは止めましょう。


鳥居恒夫氏が世話人代表を務める東京のさくらそう会のHPのリンク先より
類似品種 #068木枯&#111前代未聞
http://www5f.biglobe.ne.jp/~m-a-yo/ruiji0068kogarasi-111zenndaimimon.html

  


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2012年05月26日

新庄市の石川さん

新庄市山野草会の展示会を見た後に
2011年06月07日『新庄市に桜草愛栽家』に載っていた石川さんのお宅を訪ねてみました。



聞けば10年程前に『日本らしい植物を育ててみたい』と思い立ち、タキイ種苗より50品種を購入したそうです。
それから枯らしてしまったりして、現在何品種残っているか分らないそうで、拝見すると同じ品種が幾鉢もありました。
花は撮影するほど咲き乱れていませんでしたので、今回は写真は無し。
雪月花、花車、銀世界、七賢人が多く在りました。

山野草会など、園芸愛好会に属さず個人で楽しまれているとのことなので
新庄市山野草会の桜草は、他の方が持ち込まれたようです。

品種管理は故斎藤教頭先生と同じで、鉢に番号札を差し、
ノートに番号と品種名を記して行っているそうです。
「私は品種名を書いた名札だけを差して栽培しています。」
と話すと
「やはり黒い名札でですか?」と訊ねられたりしたので、
鈴鹿冬三著『日本サクラソウ』を参考に栽培なされていると感じました。
書籍の影響は大いと感じると同時に
鳥居恒夫著『色分け花図鑑桜草』に因る誤った認識が与える悪影響を改めて危惧してしまいました。





  


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2012年05月26日

新庄市山野草展

2012年05月19日『新庄市山野草展 本日開催』で紹介した
新庄市山野草会の展示会へ行ってきました。

桜草の苗は小さな(2号?)ポットに2-3芽詰め込まれ、300円。
苗は低温にやられ黄色く、葉数は少なく小さく貧弱。おまけに品種不明品では買う気がおきません。
以前、駒止に岩戸神楽と間違った名札を差しておられたので指摘したところ
「品種なんてどうでもいいんだ。ウチらは花を愛でるのだから。」と言われた事がありましたけど
山野草会の会員が、山野草の愛栽者が集う場所で、品種名を蔑ろにすることは論外でしょう。
展示会に合わせて育成するのは大変でしょうけど、もう少し愛情をかけていただけましたら幸いです。

頒布販売コーナーは大変な混みようなので撮影できませんでしたが、展示会場は空いてました。




上記は私では同定できませんでした。
下記は、新庄市山野草会で多く栽培されている風車と矢口さん宅救助苗に多く含まれていた前代未聞。



  


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2012年05月17日

八雲と天晴 抜き取り

2012年05月12日『八雲と天晴 混入』で紹介しましたように
八雲と天晴の中にそれぞれ混入してましたので、抜き取りました。

八雲の中に天晴と、もう一つ品種不明が混入してました。
八雲の中から抜き取った天晴は、
『103.金綾台、104.佰美姿、105.泥中の玉、106.夕日紅』の#103金綾台を花車として抜き取った空き地へ植えました。
八雲の中から抜き取った品種不明は、
『95.鞍馬 96.雲井の鶴 97.妙智力 98.唐舟』の#98唐舟を花車として抜き取った空き地へ植えました。
天晴の中に混入しいた八雲1芽は、上記2芽を抜き取った八雲の空き地へ植え戻しました。  
タグ :同定

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2012年05月17日

品種紹介 石山寺

今年の開花期は、同定作業に追われて花を楽しむ暇もなく、終わりを迎えました。残念です。
見頃を迎えた『石山寺』が、綺麗に撮影できたのでを紹介します。

  

タグ :同定

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2012年05月17日

宮城県の野生種

GW期間中に仙台市野草園で開催された さくらそう展に出品されていた宮城県の野生品種2品。
いずれも仙台さくらそう会の浦澤さんからの苗です。
浦澤さんが一番最初に触れた桜草が亘理郡山元町の深山で、この花がきっかけとなり桜草に魅了されたそうです。


浦澤さんが釜房ダム建設現場から救助してきた苗で、釜房として譲渡したのですが、
譲渡先の方が「釜房地区は川崎村に在るから」との理由で、勝手に川崎赤と改名して栽培してしまっている品。


仙台市野草園では、浦澤さんたち仙台さくらそう会から寄られた宮城県内の野生種を、名札に寄贈者の名前を記して栽培していました。

  


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