2010年01月15日

今更ですが.2

2009年12月13日『アユ学』で紹介しました、
東北大学名誉教授の谷口順彦氏著『アユ学 アユの遺伝的多様性の利用と保全』(築地書館)を読んでみますと
マイクロサテライトDNAやミトコンドリアDNAなどから、各地各河川の遺伝的類縁関係が判っているようです。

今更ですが.2

2010年01月09日『同一の遺伝子型』で紹介しました、
本城正憲 著『サクラソウ集団における遺伝的多様性の保全 に関する分子生態遺伝学的研究』でも
各地のサクラソウや園芸品種の遺伝的類縁関係が判っているようですが、
数値で表記されているだけなので素人には難解で、私には解読不可能。
『アユ学』のように系統図で示してもらえたり、
仮称『庄内白』を、DNA分析してもらえたら良いのですが、それは叶わぬ夢。
今は、山原氏が歴史見解を記されたBlogカテゴリー『桜草栽培史 』が頼りです。(^^)
山原氏のBlog『日本の桜草と美術』『日本桜草』。

仮称『庄内白』が庄内在来の品種なら、庄内地方だけに在って当然。と納得です。
しかし、もし『庄内白』が園芸品種だとしたら、全国各地に存在するはずです。
と同時に庄内地方には、もっと多くの園芸品種が流入したはずです。
山形県の場合、園芸品種が持ち込まれたとすれば、お城が在った米沢や山形市、鶴岡市。
日本一の大庄屋と言われた本間さまの港町酒田市に残っていてよいはずなのに、在りません。

2007年04月16日『俳人 阿部月山子』で紹介した阿部さんは
自宅で500鉢ほど日本桜草を栽培していながら、
『庄内白』を知らずに(白の存在に気づかずに)いました。
庄内で『庄内白』と『庄内紅』を30-40年間栽培している人は大勢居ますが、その人たちの所に園芸品種は在りません。
一方、阿部さんの日本桜草栽培年数は知りませんが、多くの園芸品種を栽培されていながら、『庄内白』を知らなかった。

私に『庄内白』を譲渡してくださった故斎藤教頭先生は、
最初に『庄内白』を入手され、その数年後に鶴岡の小学校女性教諭から『庄内紅』をもらって、
それからサカタのタネの通販を利用して園芸品種を購入するようになり
最後には100種類以上の日本桜草を所有するようになった。と、奥さんが話してくれました。
サカタの種社の通販スタイルは『10品種当社選択で幾ら』という販売方式だったため
日本桜草の品種を選んで注文することは出来なかったそうです。
そのため、所有済みの品種が混ざることも多く、届いた芽を見ては故斎藤教頭先生は一喜一憂。
毎年注文して、コツコツと品種を増やしていったそうです。

何も知らず、『庄内白』と『庄内紅』を30-40年間以上栽培している人たち。
たくさんの園芸品種を所有しながら、『庄内白』を知らなかった阿部さん。
100種類以上の園芸品種を所有した故斎藤教頭先生の最初は『庄内白』だった。
2007年05月08日『遊佐町サクラソウの会.1』に記した故菅原デンサクさんは、
『庄内白』を所有していた。と故安野悌次先生が生前語ってくれました(2007年05月07日『安野悌次先生』)。
菅原デンサクさんの庭には、今でも『庄内白』と『庄内紅』が咲いています。

故斎藤教頭先生は学校の生徒に日本桜草の芽を分けていたほどですから
余剰苗は同僚の先生たちに分けていたかもしれません。
遊佐町には“庄内白”の他に白い日本桜草が2種類在り、
1ツは画像は無いのですが、かがり弁(たぶん雪月花)。
もう1ツは画像はあるのですが、判別つきません(下記画像)。
でも、この2種類は、遊佐町以外ではみかけません。

今更ですが.2

庄内地方は、
頑張れば何とか独りででも見て回れる(調査できる)広さですし
三方を山に、残りの一方が海という、囲われた土地でもあるので、
調査しやすいと感じています。
あとは圏外を調べるだけです。


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