2007年09月06日

ミョウガの中で

安野悌次先生宅へ日本桜草を見に行ってきました。柿の葉は生い茂り、日本桜草が咲いていた場所はミョウガに覆われていました。ミョウガを掻き分け日本桜草を探してみましたが、ありませんでした。

悌次先生が言うには「家族が入ってミョウガを取っているから、踏まれているでしょうし、無いでしょうね。」「どうも日本桜草は、他の草と共存しているようですの。」とのことでした。

柿畑とも言える環境ですから、毎日水やりなど行われていませんが、土は程良く湿っていました。花が終わった後は、陽射しの遮へいと程良い湿り気が大切なようです。

  


Posted by さくら at 07:19Comments(2)日本桜草07

2007年06月27日

庄内田川の岩浪さん

農業関係の仕事に携わっている庄内田川の岩浪さん宅にも、ピンクの日本桜草が咲いているのを思い出しました。庭の岩垣と側溝脇にちょこっと咲いています。


岩浪さんに訊ねても「庭のことは婆さんやってるもんだから、俺わがらね。」と言われてしまいますが、何か知ってると睨んでいます。(^^;

「日本桜草の群生地が、云々」と日本桜草のことを(一方的に)色々話していると、岩浪さんが吹き出し笑いをして「日本桜草なんか群生するわけないじゃないか。ポツらポツらと、この位の大きさで点在して咲くんだ。」と証言しました!

やっぱり農業関係の仕事に携わっている人たちは、なにかしら知ってます。岩浪さんは、何処で見たかは「忘れだ」と言って教えてくれませんが、岩浪さんは要チェックです。(^^)  


Posted by さくら at 08:05Comments(0)日本桜草07

2007年06月09日

遊佐町サクラソウ保存会

6月8日、遊佐町サクラソウ保存会の方々の集まりに参加。遊佐図書館に植えられた日本桜草の花壇の草取りの後に、中央公民館で懇親会。遊佐町サクラソウ保存会とは遊佐町山野草会の方々で、酒が進むにつれて山野草栽培の苦労話がバンバン飛び出してきて、大変ためになり、楽し時間を過ごしてきました。

遊佐町サクラソウ保存会の事務局をされている遊佐図書館長の東海林さん以外とは初めてお逢いするので、自己紹介と日本桜草を求めてきた今までの経緯を話しました。すると「(うんうん)杉山アヤコ先生の〜。」と数名がうなずき、訊ねると「遊佐で学校の先生してだんだもの」と言い、「杉山アヤコ先生は結城先生という方から日本桜草を貰ったそうなんです」と言えば「結城ミツル先生だの」「結城先生も遊佐の先生だもの」と言われてビックリです。

しかも、私へ日本桜草を譲ってくださった故斎藤教頭先生に関しても、「斎藤だれだろの〜?」「タダオだがの?」「んでねの、タダオ先生は植木やてねけもの」「んだばタダシだが?」「タダシ先生だがもの」などと故人の名前がスラスラでてくるのです。

今まで櫛引町の日本桜草が酒田市に持ち込まれたと考えていたのですが、グラついてしまいます。でも、70歳前後の方々が、これだけ覚えているということは、今後他所でも話しが聞かれる可能性を感じて、遣る気が出てきました。

日本桜草に関して言うと、遊佐町にも自生していたそうです。大楯集落の所に群生していて「葦原の中とかに咲いてたんだよ、オレ見てるもの!」「んだ、んだ。」という方々もいれば、「オレは見てねんども、そこのを貰たんだ」という人もいました。

「誰から貰ったんですか?」
「あど故人だから」
「誰です?」
「ん・・・○△□さんだ」

年輩の方なのでカツレツが悪くて聞き取れないでいたら、東海林さんが「ほれ、菅原ツネオさんだ」と教えてくれました。会員の方々の何名かは、家で白い日本桜草もあるそうですし、故菅原ツネオさん宅の庭でも咲いているそうなので、来年は訪ねてみようと思います。  

Posted by さくら at 08:19Comments(0)日本桜草07

2007年06月05日

大鳥集落 埼玉の桜草

朝日村大鳥地区で山に詳しい方に、駄目もとで「日本桜草って知ってる?」と尋ねたら、「ウチにあるよ」と言われビックリ。「日本の日本桜草だよ?!」と言うと「そうだよ。ウチのは埼玉からもってきた奴だけど、庭に咲いてるよ」とこと。
6月4日に訪問して見てみたら、まだ咲いてました。大鳥地区は開花時期も遅いんですね。  

Posted by さくら at 08:34Comments(0)日本桜草07

2007年05月25日

Google検索『日本桜草 蔵王』

山形県で唯一自生地が残っていることになっている蔵王の日本桜草。
何も知らないので、『日本桜草 蔵王』で検索してみた。
結果、蔵王の自生地は判りませんでした。
やはり蔵王も‘昔は自生していた’だけなのでしょうか。

山形県内には流通していませんし一度も見たことがない
関東以南で広く認知されている日本サクラソウの野生品種『やまがた』。
これって、山形県の野生品種という意味での品種名『やまがた』だと推測するのですが
山形県人が知らない。
山形県で見た事がない。
山形県の野生種なのに自生地が判明できない。
そんな野生品種って、存在するのでしょうか?

まるで中国が、日本の地名を勝手に商標登録してしまい、
日本が知らぬ間に、中国で主流になってしまっている昨今の商標登録侵害のように
山形県人である私には、見て取れるのですが、野生品種『やまがた』って何ですか?
山形蔵王に自生地は存在するのですか?

蔵王山麓にある少年自然の家付近で撮影したそうですが、白は明かな園芸種。
http://kamosika.web.infoseek.co.jp/hana/hana002.htm

  

Posted by さくら at 09:20Comments(0)日本桜草07

2007年05月22日

NPO鶴岡淡水魚夢童の会 岡部夏雄氏

5月21日、NPO鶴岡淡水魚夢童(ゆめわらべ)の会の岡部夏雄氏とお逢いしてきた。2007/05/10にアップした野中地区のめだかの学校を訪れた時、相手をしてくれた女性が「夢童の会が、どうのこうの、云々」と言っていたので、尋ねてみたら、「日本桜草を寄贈したのは、鶴岡自然調査会の水野重紀氏である」と教えてもらった。

そして岡部夏雄氏より4月14日に庄内日報に掲載された『絶滅危惧種 サクラソウ復活へ 南庄内水と緑の環ネットワーク「親株」の情報求める』記事を教えられた。他に山形新聞にも載ったらしい。

最初に断って措きますが、私は上記新聞記事活動と思想に一切関与していません。メダカやホタルのように、日本桜草を自然保護運動のシンボルとして利用するつもりは毛頭ありませんし心外です。

日本桜草が庄内に自生していたのか否か=在来種なのか移入種なのかを知りたいだけでした。庄内に日本桜草が自生していたことを知った今は、日本桜草を栽培している人でも日本桜草と知らずに栽培している人やプリムラやマラコイデス、クリンソウを桜草と思い込んでいる人も少なくないので、知らせて歩きたいとは考えていますよ。でも、それを自然界に移植しようという思想はありません。

日本桜草の花は散り、これからは葉っぱばかりになるので、調度良い機会です。これからは生態系や環境保全への想いも語ってみたいと思います。


閑話休題
岡部夏雄氏から、「今ある青龍寺川の流れは、河川改修された人工流程だよ」と教えられた。記憶が定かではないが、と前置きされた上で、「中橋地区を流れていたのは、とのじま川という名前だったと思うが、今は無い」そうです。

これで合点がいきました。2007/05/10にアップした余目町の記事の中で、「私、下山添の出身だ」と語ってくれた方が、「今はもう無くなった川だけども」と言ったんです。私はてっきり用水路のことだと思っていたのですが、とのじま川のことだったんですね。川が在ったとは知りませんでした。

安野悌次先生は「青龍寺川の郷土誌には、日本桜草のことは何も書かれていないので、ビックリしました。」と話してくれたことがあり、私の調査に無関係だと思い込んでしまってましたが、位置関係を知るためにも、勉強するべきですね。反省。


また、昭和13年3月1日に発刊された『山形縣の淡水魚(1938)』橋本賢助著を見せて貰いました。私は、日本桜草が生息していた河川環境は、イバラトミヨやホトケドジョウ、シマドジョウ、スナヤツメの生息環境と同じと感じており、そういう意味で『山形縣の淡水魚(1938)』は参考になりました。イバラトミヨの生息地に余目町も含まれていました。


  

タグ :

Posted by さくら at 07:25Comments(2)日本桜草07

2007年05月22日

八幡町貝沢地区と升田地区

5月21日、日向川上流八幡町貝沢地区と升田地区で、日本桜草のことを尋ねてみたが、知らないとのこと。クリンソウだけはあった。プリムラ・マラコイデス(メラコイデス/西洋サクラソウ/和名オトメサクラ(乙女桜)、ケショウサクラ(化粧桜) )は此処にもあり「これが桜草でしょ?」と言われた。

升田地区金四郎商店には昔からお世話になっており、日向川沿いに日本桜草は自生していなかったと思うのですが、否定する材料もなく・・・。  

Posted by さくら at 07:21Comments(0)日本桜草07

2007年05月19日

立川町東興野 自生地探訪

5月18日、立川野草愛好会主催の山野草展を見に行ってきた。午後に行ったら既に撤収作業中で、盆栽を軽トラックに積んでいる処だった。荷台には日本桜草も数鉢積まれていたが、園芸種ばかりだった。

どんな園芸種が庄内に在るのかを知るべく、軽い気持ちで訪れたのだが、今まで見たことがない園芸種があった。藤島町の阿部月山子さんと関係が在るのかもしれないと考え、取り合えず、「これは園芸種だよの?」「どうやって入手したな?」と尋ねてみると、「‘コレ’は、園芸種だ」「こんなは某Aさんから貰ったな」という返答だったが、‘コレ’という言い方が気になった。

「コレは園芸種ということは、他にもあんなが?」と尋ねると、撤収作業で多忙なこともあり、某Aさん宅へ行くよう勧められる。某Aさん宅にいくと、数鉢の日本桜草があったが、「全部園芸種で、昔、珍しいのを通信販売で仕入れたんだ」とのこと。そして「荒鍋地区の大滝婆さんが、東興野地区から採ってきた天然を持っているはずだ」と驚きの情報をくれた。これは行くしかない。

と、そこに偶然大滝婆さんが登場。ラッキー。さらにこの大滝婆さん、「東興野地区から採ってきた日本桜草見っでってか? よし、行ぐが。」と言うが早いか、さっさと自転車に乗って自宅へ向かいだした。慌てて車に乗って後ろを付いていく。今年で88歳だという大滝婆さん、行動も決断も早いが、自転車も速かった。

大滝婆さんの庭の隅の木陰に、隠れるようにピンクの日本桜草が咲いていた。「これは20年以上前、知人に誘われ何かを採りに東興野地区に行き、偶然みつけたな」だそうだ。






裏庭には立川野草愛好会の頒布会で購入したという白の日本桜草も植えられていた。今まで出逢った方々と違い、他の植物の葉に覆われて、葉を掻き分けないと判らない場所に育っており、新鮮だった。日本桜草って、本来こんな風に自生していたのかしら。ドキドキした。




「東興野地区のどの辺?」と尋ねると「その時に1度行ったきりだし、その時にやっと1株みつけだけなので、もう無いと思うぞ。んだども行てみっが。んだば行くが。」ということになり、私の車で行ってみることにした。「山の奥の、フキの葉っぱの影に咲いてたんだ」「あの辺だがもしんね。」「んね。此処でね。隣の山だがも知んね」とアクティブに動き回り案内してくる大滝婆さんは、88歳である。

大滝婆さんは「山の中で見だんだ」「そんげ高くない場所で、比較的平坦な場所があり、そこで見だ」と言って山の上に登ろうとするが、日本桜草はそんな場所にはない。谷筋だろうと思い、歩いていく。元もと東興野地区から添津地区は自生の可能性があると考えていた地域の一つであった。添津地区にはゴルフ場が出来たが、ゴルフ場が出来たということは、比較的平坦な山であり、添津地区には二枚貝が生息している。清川地区は湧き水がコンコンと湧いていた地区だから清い川、清川となったと聞いたことがある。東興野地区から添津地区の山間には葦原が残っており、沢というか、染み出した水が葦原を形成しているのだ。

「此処でね。隣の山だがも知んね」と言った隣りの山の麓に、フキが生えている小さな谷間があった。つい最近までシイタケ栽培をしていたのだろう、ホダ木が朽ちて、フキやミズに覆われていた。「こげた感じの平たい所だったから、此処だがもしんね」「美味そうなミズだごど」と言いながら大滝婆さんがミズとフキ採りを始めた。

象潟の三船さんは「杉林の中に竹林があり、そこに咲いていた」と男鹿半島にある日本桜草の自生地を話してくれた。此処も杉林に覆われた谷間である。フカフカする平たい台地を奥へ進むと、一段低い処に僅かな沢筋があり水が流れていた。水は、扇状地の平たい台地の下を伏流しているのだった。




ミズとフキ採りをしている大滝婆さんが「此処だのー」と言った。此処の日本桜草はシイタケ栽培に利用され絶滅したであろう。しかし、20年前までは自生していたんだと思うと、感慨深い想いが込み上げてきた。“日本桜草は庄内平野一帯に咲いていた。”そんな思いに囚われてきた。来年のGWは、フィールドワークになりそうです。(^^)  


Posted by さくら at 05:54Comments(0)日本桜草07

2007年05月19日

櫛引町丸岡地区

5月18日、一番最初に訪れた時にピンクの日本桜草を見せてくれた、安野悌次先生宅へ白い日本桜草を届ける際に立ち寄った方に、#1のプランターの白い日本桜草を置いてきた。

此処まできたので、安野悌次先生宅を訪問。私が持っていった白い日本桜草はプランターのままだったが、水遣りが足りないようで、葉がしおれていた。中田地区には、安野悌次先生以外にも、1軒だけ白い日本桜草を栽培している家があるそうで、先日先生が見に行ったところ、「1輪だけ咲いていたが園芸種のようだった」「息子さんが群馬から持ってきたようですの」とのこと。  

Posted by さくら at 05:42Comments(0)日本桜草07

2007年05月17日

酒田市本楯.3

土門爺さんを自宅へ届け、帰路につく。小野寺商店さんの家の前を通り過ぎた時、杉山先生のことを尋ねてみようと思い立ち、Uターン。と、その時ピンクの日本桜草を発見。でも此処は小野寺商店さんの近所である。杉山先生か小野寺商店さんに分けてもらったのだろ。そのまま通過。と、その時、今度は白の日本桜草発見!!

もう目の前は小野寺商店さんである。今朝見つけたお宅〜土門爺さん宅〜小野寺商店さん(杉山先生宅)〜今見つけた白い日本桜草のお宅〜ピンクの日本桜草のお宅まで、全部で500mも離れていない。今朝見つけたお宅〜土門爺さん宅なんて、ほとんど隣り同士。小野寺商店さん〜今見つけた白い日本桜草のお宅〜ピンクの日本桜草のお宅だって、100mほどしか離れていない。なんで直ぐに見つけられなかったのか、不思議である。

今見つけた白い日本桜草のお宅を訪問すると、ピンクも白も、酒田市刈屋地区の方から貰ったという。ほんの僅かではあるが、遊佐町に近づいた。これは遊佐町産の白なのだろうか。(^^;




小野寺商店さんで缶コーヒータイム。杉山アイコ先生は85-86歳。脳卒中で長期入院中。「訪問しても何も話せないよ(行くの止めなさい)」と言われる。安野悌次先生は90歳と5ケ月。安野先生と旧制中学校の同級生である故菅原デンスケ先生といい、私の調査がもっと早ければ、自生地について詳しく知ることができたでしょうに、なんとも残念です。  


Posted by さくら at 08:41Comments(0)日本桜草07

2007年05月17日

酒田市本楯.2

土門爺さんをピックアップして日向川上流へ向かう。山菜採りの背負子まで持ってきている土門爺さんは「日本桜草はわからねんども、云々」と何度も言う。私が過大な期待を持って現地へ向かっているのではないかと気にされているようだ。こっちこそ、突然誘い出して申し訳ない。

急な林道を登って山へ入っていく。この段階で日本桜草は無いと確信した。林道の行き止まりには小さな沢筋があり、ミズバショが生えていた。白い花が辛うじて残っている程度で、もう終わっている。土門爺さんは、陽当たりの良い斜面をきょろきょろ見渡しているが、そういう箇所に日本桜草はない。

花も見つからず、このまま直ぐに帰るのは土門爺さんに申し分けないので、ちょっと山菜採りをする。昔のホームゲレンデにやってきた土門爺さんの目が冴え、タケノコとアイコ、ウドと次々見つける。小1時間で十分な量な採れた。

途中、斜面に白い花を見つける。土門爺さんは、これを勘違いしていたそうです。楽しいドライブでした。(^^)


  


Posted by さくら at 08:16Comments(0)日本桜草07

2007年05月17日

酒田市本楯.1

魚の調査でも植物の調査でも、生息している証明は簡単ですが、生息していない証明は難しいです。採捕・採取すれば生息の証明は出来ますが、採捕・採取できなかっただけで『生息はしていない』とは断定できないからです。昨日本楯地区では、改めて認識させられました。


土門時計店の爺さんが、『日向川上流で何の花か判らないけど、ピンクや白の花を見た』と話してくれたので、昨日、土門爺さんを誘って日向川上流へ行ってみることにした。本楯地区へ入り、土門爺さんの直ぐお隣りさん宅の路地に、白とピンクの花が見えた。色合いから日本桜草だ。本楯地区には脳卒中で長期入院中の杉山アイコ先生がピンクの日本桜草を持ち込んでいるが、白は無いはずだ。

訪ねてみると、裏庭でご夫婦で庭いじりの最中だった。「日本桜草のことお伺いしたいのですが・・・」と話しかけても、「わがんね〜。わがんね〜」と、警戒と面倒臭さから裏庭から出て来てくれない。私も勇気を振り絞って厚かましさを乗り越え訪問しているのであって、これで退いてしまっては、再び訪問する勇気が湧いてこなくなる。喰い下がった。

その甲斐があり、ご夫婦して近づいて話しができるようになった。私の熱意が通じたものとポイジティブに捉える。日本桜草は奥さんが栽培していた。

「ピンクは昔からあった。こんだな何処さでも在んなんねな。」と言うので「そんなことはありません、云々」と返していると、思い出したらしく「白はの、何年か前、随分昔に駅東の方から分けてもらったんだ」と話してくれた。駅東なら、クリンソウと勘違いしならも日本桜草を栽培している方がいる旭新町の隣りである。

その他、日本桜草のことを色々と話した。『ピンクは昔からあった。こんだな何処さでも在んなんねな。』という言葉が気になり、遊佐町からの移植かもしれないと思った私は、遊佐町サクラソウの会のことも話した。すると今まで聞き役だったご主人が、「遊佐の菅原なにさんだって?」と反応した。「菅原ツネオさんと菅原デンスケさんです」というと、「んだ、んだ。デンスケさんの。デンスケさんは本楯小学校の校長先生だったんだよ」とのことだった。小野寺商店さんも土門爺さんも、そんなこと一言も言ってなかった。


  


Posted by さくら at 08:03Comments(0)日本桜草07

2007年05月15日

酒田市本町

5月14日、先日見つけたお宅を訪ねてみた。平成14年に某接骨院から分けてもらった株だという。色々話しをさせてもらい、余目町の話しをしたら「あら、某接骨院さんも余目出身だから、余目産かもしれない」とのことでした。

白は、「去年はプランター一杯に咲いたんだけど、今年はこれしか咲かない」と言ってました




ピンクの日本桜草のプランターの下記画像の花を良く見て下さい。
画面中央の花と、右側と左側の花、違うでしょ。
画面中央の花は、花びらの縁が白く縁取りされ、花びらも太いです。
3品種あることを伝えたら驚いていました。


  


Posted by さくら at 07:55Comments(0)日本桜草07

2007年05月15日

秋田県象潟町

5月14日、象潟町へ行くと、三軒ほどで、ピンクの日本桜草が目に付いた。一軒目はお留守で、二軒目の三船さん宅を訪ねてみた。話し好きな方で、色々話しを聞けました。

庭には色々な園芸種が咲いていました。日本桜草の自生地を探している旨を伝えると「男鹿半島にあるけど、採っちゃ駄目よ。遠くから双眼鏡で監視しているから。」と教えてくれました。

なんでも、TDKに園芸愛好家の集まりがあり、月に一回秋田県内の野山を散策したり、年に数回、手持ちの苗や株、種の頒布会を行っており、それで日本桜草を入手しているそうです。私は遊佐町との交流を期待したのですが、それはないそうです。




  


Posted by さくら at 07:31Comments(0)日本桜草07

2007年05月14日

降矢川 三瀬

5月13日、矢引峠?を越えて降矢川沿いに三瀬に向かっていると、ピンクの日本桜草を見つけた。数輪の小さな鉢だった。止まろうかどうしようか悩んでいると、新たにピンクの日本桜草のプランターが目に止まった。今日で三日連続。三度目の正直、訪ねてみることにした。


初老のお婆さんが出てきてくれた。「誰から貰ったかは分からないけど、日本桜草なら、みんな分けあっているから、三瀬でなら何処にでもある。」とのこと。

すると「白もあんなやの。」と言う。庭に出て白も見せてもらう。確かに庄内在来の白である。この白は去年もらったのだという。三瀬では『何処にでもある』けど、「白は少ね」そうです。

庄内在来の日本桜草の話しを色々話し、安野悌次先生のことを話すと、「安野先生の。わがるよ。」と言ったので驚いた。このおばさん、櫛引町出身なんだそうです(集落未確認)。でも「櫛引で日本桜草はみたことないのー。」とのこと。




色々と日本桜草の話しをしていたら、「お向かいにも分けてあげたんだよ」と言った。でもお向かいには日本桜草はない。どれを桜草と言っているのかと思ったら、プリムラのマラコイデス(メラコイデス)であった。

「これは日本桜草じゃないです」と言うと、「こんな桜草だよ。んでねなが!?」と大変驚いました。「こんな、種で増えでんだろ?」「んだ、これは種でいっぺ増える。」ということで、日本桜草ではありません。

園芸店やホームセンターなどで、プリムラを西洋桜草と称して販売したので、これも西洋桜草と称したか、俗称ケショウザクラ、オトメザクラとも呼ばれているそうですから‘桜草’と思い込んでいたのでしょう。

強風の中を外で長いこと話し込んでいたので、おばさんが寒そうで、これ以上の話しは出来ませんでした。降矢川〜三瀬には、これ以外にもありそうですね。  


Posted by さくら at 08:41Comments(0)日本桜草07

2007年05月13日

酒田市緑ヶ丘2丁目

5月12日、玄関先にピンクの日本桜草を発見。今回も素通り。でも、その時に此処が酒田市緑ヶ丘2丁目であることに気付きました。故斎藤教頭先生の家が在る町内です。にわかに気持ちが高ぶってきました。

直ぐに別の場所で白い日本桜草を発見。でも、一緒に咲いているのは在来種のピンクとは違う色合いですし、白い日本桜草も妙に白い。花弁が白いんです、つまり園芸種。

そういえば誰かさんは「緑ヶ丘2丁目にある園芸店から日本桜草を購入した」と言ってたような。取り合えず写真を1枚。




帰宅して、写真をみていたら、白が3種類、ピンクが1種類、合計4種類の寄せ植えのようです。




2010年、この日本桜草は故斎藤教頭先生から譲渡されたモノと知りました。
  


Posted by さくら at 08:55Comments(0)日本桜草07

2007年05月12日

遊佐町十里塚

道路沿いの家に、ピンクの日本桜草の鉢植えがありました。『オッ』と思い目線をそっちへ向けたら、隣りの家にもありました。遊佐町でピンクの場合は遊佐町立図書館が譲渡先でしょうから、昨日同様立ち寄らずに通過しました。今期の調査は終了という思いがあり、モチベーションが低下したようです。

でもね、実際、日本桜草も持たずに、唐突に他人の家を訪問するのは、結構辛いんですよ。(^^;  

Posted by さくら at 07:37Comments(0)日本桜草07

2007年05月11日

つながった!?.2

本楯地区の小野寺商店さんへ行くと「日本桜草の兄ちゃんがきた(^^)」と迎えてくれた。譲渡した白い日本桜草は綺麗に咲いており、喜ばれた。






「日本桜草は、やはり庄内に自生していたことが解りました。櫛引町中田地区に、元教育長も勤められたという安野悌次先生が居られて、この方は90歳と5ケ月ということですが、元気でかくしゃくとされた方で、庭で日本桜草を育ててまして、云々」と話していたら、小野寺商店のおばちゃんが唐突に話し始めました。

「杉山先生も85・・・う〜ん、80歳を越えて今はずっと入院してるけど、この先生はの、若竹町の結城先生から譲てもらての、庭で大事に育でてだんどもの、入院してしまての、今は誰も住んでねぐで、日本桜草は消えてしまたなやのー。」と、貴重な話しを聞かせてくれました。

「杉山先生って、此処さ日本桜草を譲ってくれた、向かいの先生のごどが?」「んだ。結城先生はウチの親戚での、もう亡くなって、息子さんは東京さ住んでで、若竹町さは別の人が住んでんながいの」とのこと。酒田市若竹町といえば、私に日本桜草をくれた故佐藤教頭先生と同じ町内じゃないですか!?

酒田市若竹町に住んでいた故斎藤教頭先生。
御成町に住んでいた故小林先生。
本楯地区に住んでいた現在長期入院中の杉山先生。
そして今回第四の先生として浮上した故結城先生。

故佐藤教頭先生と故結城先生は同じ町内。
杉山先生は故結城先生から日本桜草を譲渡された。

つながったかな。(^^;

白い日本桜草が咲いている今のウチに、逢えるものなら現在長期入院中の杉山先生をお伺いしたいものです。  


Posted by さくら at 07:53Comments(2)日本桜草07

2007年05月11日

つながった!?.1

以前、川で出逢った漁協のオヤジさんから、『八幡町市条の小笠原時計店の小笠原さんとの遊び仲間で、本楯地区に植木に詳しい方がいる』と教えてもらったことを思い出した。本楯地区で植木鉢が多い家は記憶にあったのだが、そこは土田時計店だった。お邪魔してみる。

「日本桜草って、草なんだろ?」「おれは木だば詳しんども、草だば判んねの。」とのこと。「小笠原さんが『日本桜草なら裏山にいっぺ咲いでる』と言ったもんだからの、訪ねてきたんだ。」と言うと、「おれは(名前が)判らないけど、可憐な花なら見たことがある。ピンクとか白とか、午前中陽が当たり、午後になると日陰になる場所に咲いてるんだ。毎年んだの〜、今頃咲くんだ。」「日向川の上流さ行てみれ。」と、オヤジさんが情報をくれた。

『日向川の上流』といえば、本楯地区の高橋さんが「採ってきた」と話していた場所である。偶然の一致だろうか。このままオヤジさんと日向川へ向かえば問題は一気に解決する。でも流石に今日はそれは出来ない。

『日向川の上流』に玉簾の滝で有名になった升田地区がある。そこに斉藤金四郎商店さんがあり、以前からよくお世話になってきた。もちろん日本桜草の相談もしているが、「知らない」と言われた。八幡町観音寺地区は園芸が盛んだし、園芸種の日本桜草が少しあった。色々と、来年以降の課題だな。  

Posted by さくら at 07:47Comments(0)日本桜草07

2007年05月10日

余目町にて - 櫛引町下山添 -

鶴岡市野中地区から三川町を通り余目町家根合を抜け街中へ向かう途中、畑にピンクの日本桜草を発見。庄内の原種に似ていたが、花が終わっていたので判断できない。聞けば町のホームセンター『コメリ』から買ってきたとのこと。

車を止めたことで、近所では園芸種の日本桜草とも出合えた。庄内在来の花ばかりではいけないと思うようになり、園芸種も撮影してみた。



↑画像の底白の花は、画像だけで品種をどうのこうの言えませんが、
似た花が本楯地区と酒田市十里塚地区に在りました。
ホームセンターか園芸店で、過去に販売されたのかもしれません。

余目町の街中の某所に、以前から白い日本桜草が咲いているのは知っていたので、#9のプランター白い日本桜草を持って、そこを訪れてみた。奥さんが対応してくださり、10年ほど前に余目町内の方から譲ってもらったとのこと。白い日本桜草は私のと同じに見えました。「欲しい人には分けてあげている」そうで、ご近所でもプランター一杯に咲いていました。

白の他に、園芸種である花びらの縁が白いピンクの日本桜草も咲いていたので、そちらを撮影してきました。上記園芸種の日本桜草は、見たとおりの色合いで写ってますが、こちらのピンクの園芸種の日本桜草はどうしても紫色に写ってしまいます。実物はピンクなんです。




もう1軒、余目町の街中の某所を#9の白い日本桜草を持って訪ねてみました。奥さんが笑顔で対応してくれ、開口一番「日本桜草のー。昔は川辺の葦原さ咲いてたけよのー。」というのでビックリしました。

「その川は何処ですか?」
「何処って言われてものー」
「何年くらい前ですか?」
「何年前って・・・もう50年も前でねんだろが。(笑)」
「その川は何処ですか?」
「何処って・・・櫛引だんども(^^; 」
「丸岡ですか?」
「!」「あんた櫛引わがんの?」


此処の奥さんは櫛引町下山添の出身で、枯れた葦原に春になると咲くピンクの日本桜草が綺麗で、それで覚えていたそうです。

その川(水路)は埋め立てられて、もう無いそうです。

奥さんいわく、辺り一面ピンク色という群生ではなく『枯れた葦原にポコ、ポコっと塊になって咲いていて、目立つなやの。』ということです。

更に驚いたことに、安野悌次先生を知っており、息子さんと同級生だったそうです。丸岡地区の上の地域の人は、高齢な方でも日本桜草を知らないというのに、丸岡地区の下の地域の人と下山添の人は記憶にあるというのですから、驚きです。50-40年前までは、自生していたんですね。




現在栽培中のピンクと白の日本桜草は、余目町の方からもらったそうです。誰からもらったのか、そこまで突っ込んで聞けませんでしたが、ホームセンターでも販売されてますし、町民全員が知り合いという感じの町でしたから、余目町の日本桜草は、譲渡による譲渡で町内中に広まっているようです。町のあちこちで見かけられて、嬉しい気持ちになれました。  


Posted by さくら at 08:18Comments(0)日本桜草07