2007年04月11日

鶴岡市砂田町

鶴岡市砂田町、即身物を安置されている南岳寺の近所に住む知人Oさんの奥さんは、園芸が趣味というほどではないが、植物を大切に育てていた。砂田町がまだ田んぼだった頃に、いち早く住居を構えたご家族なので、ご近所との交流も深いと思い、思い切って日本桜草の件を尋ねてみた。

実は、日本桜草を求めて庄内中を探し巡っていることは、周囲に話さずに、独りで適当に地道に過ごしてきていた。だって『なんのために?』『どういう意義があるの?』と逆に尋ねられても答えられないし、『あなた変わってますね』と言われたショックは大きかったからだ。30代後半の男が、日本桜草を探しているだなんて、おかしいでしょ。求めるモノは漠然としているし、恥ずかし訊ねるのが怖かったんです。

Oさんの奥さんに訊ねると、意外な答えが返ってきた。
「それ○○さんが育てている草でねがの。」
「こげだ大きさで、ピンクのちいせ花咲かすなんね?」
ビックリです。\(◎o◎)/!

○○さんの家は、Oさん宅の僅か三軒隣り。速攻○○さん宅を訪れることにしました。駐車場を通ると玄関前にピンクの日本桜草が数鉢有りました。やりました、我が家以外で初めて日本桜草を発見しました!

お話しを聞くと、『30-40年ほど前に櫛引町丸岡から貰ってきた。』『白は知らない。』『或る程度鉢が一杯になるまで増えると、枯れ始めて、徐々に少なくなってしまい、今はこれだけにしかない。植え替えしないとダメかな。』と話してくれました。

遂に新情報ゲットです。ヒントは櫛引町丸岡。そして鉢植えは徐々に枯れる。言われてみたら、ウチの日本桜草も30-40年ほど前で、時期が妙に合います。増えもせず、ず〜っと一鉢のままです。日本桜草は繁殖力旺盛な植物のはずですから、ちきんと手入れしてあげないといけないようです。  

Posted by さくら at 13:57Comments(0)日本桜草07

2007年04月10日

新庄市の山野草展

山形県で一番ブラックバスが生息しているのが鮭川村と真室川町。灌漑用水の溜池がとても多いのだ。また、鮭川村と真室川町を流れる鮭川水系は渓流釣りのメッカである。鳥海山麓の沢筋には軽石帯もあり、水捌けは良い。神室山や月山など、登山も盛んな地域なので、日本桜草がみつかる可能性は高い。

そんな時、新庄市で『日本桜草と山野草展』が開催さることを知った。これはチャンスだ。さっそく駆け付けたところ、園芸種が数鉢あるだけだった。でも山野草の会が催す展示会なので、なにか情報があるかもしてないと思い、取り合えず「これは園芸種ですよね。野草というか、自生している日本桜草じゃないですよね?」と尋ねてみた。

私が声をかけた方は日本桜草に詳しくないということで、数名の方が集まってきた。さほど広い会場ではないので、年輩のお爺さんお婆さんたちに囲まれて、私は目立ってしまった。人数以上の視線を感じながら改めて尋ねてみるが、桜草と日本桜草の違いにも気付いてくれないので、順序立てて尋ねていった。『展示している日本桜草は園芸店(鶴岡の阿部園芸店と言ってた気がする)で買った。』『日本桜草は新庄市周辺で見かけたことはないので、自生していないだろう』ということだった。

最後に会場で「自生地を調べて何になるの?」「あなた変わってますね」と言われ、悔しさと戸惑いが脳裏を駆け巡った。庄内に、山形県に、日本桜草は自生しているのだろか。教頭先生からもらった1株の日本桜草は、私に何を伝えてくれるのだろう。  

Posted by さくら at 11:21Comments(0)日本桜草07

2007年04月10日

櫛引町、その他

飽海郡区に加え、羽黒町、朝日村、藤島町でも日本桜草を見ることは出来なかったが
教頭先生は確かに「鶴岡から採ってきた」と言っていた。
他の地域で可能性がある所が在るとしたら、何処だろう・・・。

金峰山・母狩山。母狩山は険しいので無いだろう。金峰山周辺には無かった。湯田川温泉から熊野長峰、五十川から庄内小国川、温海川に鼠ヶ関川はどうだろう。いやいや登山と釣りで遊んできた場所である。無いと断言はできないが、今まで見かけるこは無かった地域だから、無いだろう。

あと考えられるのは内川水系だけである。鶴岡市立図書館に所蔵されいる文献の挿絵を見ると、当時の内川と堀は水量が豊かで深く、子供達が潜って魚を獲っていたようだから、軒先に日本桜草が咲いていた可能性はある。

庄内は田んぼであるから、平野部の用水路周りも見過ごせない。沼がある平田町や余目町も怪しい。平田町の大町溝や各所のポンプ場周りに自生している可能性ある。でも最近は草苅が徹底されているからなあ・・・。まあ、今後も気長にのんびり探していこう。そう自分に言い聞かせた。  

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2007年04月10日

藤島町ふじの花まつり

藤島町のふじの花まつりは藤島体育館で開催されている。その会場の片隅に日本桜草が展示されていた。羽黒・櫛引・朝日、そして鶴岡に接する田川郡のヘソともいえる地域だけに、一瞬期待したのだが、展示されていた日本桜草は園芸種であった。展示されている鉢は今年植え替え作業を行ったばかりの鉢で、若干貧弱に感じた。そのなかに、品種というより町名っぽい名札を指したピンクの日本桜草もあり、野生種っぽい。

ふじの花まつりなのに、なぜ日本桜草が展示されていたのか。その分けは近く紹介する。お楽しみに!  

Posted by さくら at 10:32Comments(0)日本桜草07

2007年04月10日

朝日村

朝日村は梵字川水系と大鳥川水系に大きく二分できる。大鳥川水系は高低差が少なく大鳥集落へ続く。荒沢ダムが出来る前までは、泡滝ダムまで鮎が遡上してきたというから驚く。大鳥集落は鉱山として栄えた時があるので期待していたが、日本桜草は無かった(鉢植えのクリンソウはあった)。

鱒淵から八久和川ダム旧集落跡地も探ってみたが、無かった。仮に自生していたとしても、今の八久和川ダム周辺は山菜採りのメッカと化しているので、既に盗掘され絶滅しているであろう。

残るは大網地区・田麦地区である。湯殿山ホテルや田麦荘さんなど、地域に根付いた方々から出逢った叔母さんたちに聞き取り調査を行うと、「桜草は昔は有った」と言う。よくよく話しを聞いてみると、咲いていた場所が溜池の脇だったり花茎が大きかったりして、クリンソウである可能性が高い。

しかし、大網地区では、溜池や堀に藻エビやスジエビを放して飼育し、鯛釣りの餌として出荷してきたので、里との交流が盛んで、持ち込まれている可能性は否定できない。事実、田麦荘から湯殿山スキー場へ向かう途中にある除雪センター脇の道路下=釣り堀の向かいに有った溜池(現在は埋め立てられてしまって無い)にはイバラトミヨが生息しており、青龍寺川水系の方々と交流があったと推察できるので、桜草も持ち込んでいる可能性は高いのだが・・・。

日本桜草はGWに花を咲かせる。GW頃の山は山菜採りと農作業で忙しい。イバラトミヨは春に生まれ、秋に大きくなる。藻エビやスジエビも秋口に需要が高まる。その頃日本桜草は葉も無く地中で休眠中である。大網地区の方が日本桜草を見る機会はあっただろうか。移植されている可能性は低い気がする。そんな分けで朝日村に日本桜草は・・・無いと思う。

朝日村大鳥地区では5件ほどのお宅の庭に日本桜草は咲いているそうですが、少なくもと2件は他からの持ち込みで自生物ではありません。花色はピンクと白があるそうです(私は、白は未確認)。  

Posted by さくら at 10:27Comments(0)日本桜草07

2007年04月09日

誤った記述

今回Blogに記載するにあたり、改めて『玉川寺 クリンソウ』と検索してみたところ
荘内日報社が玉川寺のクリンソウを紹介した荘内ニュースフラッシュがヒット。

2003年05月30日の記事は『クリンソウはサクラソウ科の多年草。』と記載していましたが、
2005年05月27日の記事では『クリンソウはサクラソウの多年草。』と、‘科’を端折って記載されていました。

マスコミが『クリンソウ=サクラソウ』と受け取れる表現を使ってはマズイですよね。
お爺さんやお婆さんが「玉川寺に桜草があるそうだよ」と言う分けです。  

Posted by さくら at 12:14Comments(0)日本桜草07

2007年04月09日

羽黒町

まずは羽黒町に在る玉川寺に行ってみた。玉川寺の庭はクリンソウで有名で、開花の時期にはテレビや新聞に必ず紹介される場所。クリンソウと桜草は違うし開花の時期からして違うので、当てにしていなかったが、「桜草だって聞いたよ」「桜草もあるそうだよ」というおばちゃんたちの声がある以上、行ってみることにした。玉川寺のはやはりクリンソウだった。

日本桜草の開花は4月下旬からGWであり、5月下旬に咲くクリンソウとは開花時期からして違う。でも、百聞は一見に如かず。玉川寺を訪れてみて『花をみてみないと、調査にならない』ということを実感した。その後も挫折しない程度に適当に聞き取り調査と現地探索を続けていくことにした。

庄内柿の産地である櫛引町たらのきだいスキー場周辺の丘陵地帯から朝日村方面(宝谷・松根・岩本)には沢筋が多いので期待していた。日本桜草は、カタクリやスイセン、たんぽぽ、菜の花のように群生するはずである。自生していれば農家の方が自宅周辺に移植してたりするはずなのだが、朝日村方面で残念ながら情報は得られなかった。古くから地域住民が集う松ケ岡開墾場や黒川能周辺、羽黒町馬渡集落や椿出・相模も同様で、『この辺ではないのかもしれない』と見切りを付けた。  

Posted by さくら at 12:04Comments(0)日本桜草07

2007年04月09日

インターネットで得たヒント

残念ながらインターネット上には、野生種の日本桜草について詳しく紹介されたサイトはありませんでしたが、花の画像はピンクが主でした。でも、教頭先生が園芸部員7名に配った日本桜草は全部白でした。ということは園芸種なんでしょうか。否、1972-1973年頃は園芸というより植木という言葉が一般的で、盆栽や菊が主流でした。山野草などの草は、自然界から採ってくるのが当時は常であり、日本桜草が売っていたとも買う人が居たとも思えません。仮に販売していて購入したとしても、白い日本桜草は、たくさんある園芸種の中で地味すぎます。『白い日本桜草』は、一つのキーワードになりそうです。

インターネット上で日本桜草の生育の特性を知りました。
日本桜草は河原の葦原の中に自生し、葦が芽吹く前に芽を出し葉を広げ花を咲かせる。
葦が芽を出し成長して葉を広げると、日陰になるので、日本桜草は冬眠ならぬ夏眠に入り枯れる。
梅雨に川は増水して河原に新しい土を盛り上げ、秋になり枯れた葦の葉は地表を覆います。
日本桜草は土と葦に埋められてしまわないよう根茎を地表に向けて伸ばすので、栽培の時には増し土が必要。
以上のことから庄内地方での自生地の目星をつけました。

私は庄内地方北部の鳥海山麓をベースに遊んできて、日本桜草と出逢えませんでした。
鳥海山麓の月光川や日向川は大きな石がゴロゴロなので、自生地向きではないようです。
教頭先生は庄内地方南部の「大山から採ってきた」と言いました。
葦原が広がり砂礫の川というと、赤川水系です。取り敢えず羽黒町と朝日村から調べてみることにしました。  

Posted by さくら at 07:57Comments(2)日本桜草07

2007年04月08日

西洋桜草と園芸種と野生種

山歩きと釣りが趣味となり、趣味に没頭しながらも、『日本桜草は野草で何処かに自生しており、いつか出逢えるはず』と信じて過ごしてきましたが、或るとき、自分の日本桜草以外と、全く出逢っていないことに気付き始めました。

漠然と『日本桜草を見ないなあ』と感じ始めてから、園芸好きな方と出逢う度に日本桜草のことを尋ねることが多くなりましたが、情報を得ることはできませんでした。また、教頭先生が言った「鶴岡市の大山」の大山公園周辺でも発見できず、周囲の植生から考えて『大山に自生地はない』と確信するようになりました。

インターネットが1.44から2.88になりISDL・ADSLに変わって、とても便利になりました。ふと思い出して‘桜草’で検索してみると・・・驚きました。桜草には、西洋桜草(プリムラ)と日本桜草があったのです。私はインターネットを通して、西洋桜草と日本桜草が存在することを知るのです。

インターネット上には園芸種の日本桜草の画像が何枚も掲載されていましたが、私が栽培してきた“日本桜草”の画像がありません。どうやら野生種の日本桜草のようです。野生種であるなら、私の日本桜草は庄内の在来種ということになります。然るに自生地と出遇わないし、それを知る人もいない。でも教頭先生は「採ってきた」と語った。これはどういうことだろう。私の関心は一気に高まっていくのでした。  

Posted by さくら at 11:29Comments(0)日本桜草07

2007年04月07日

日本桜草との出逢い

私は旧琢成小学校(現在の酒田市立図書館・文化会館)に入学。2年生か3年生の時に、一週間に1時限だけ、授業の中にクラブ活動が行われるようになり、私は園芸部に入りました。当時、家の周りでは菊の栽培が盛んで、わんぱく小僧だった私は近寄るだけで怒鳴られていました。大人だけが作れる菊の大菊1本仕立や3本仕立の鉢を、園芸部に入ると作れると知り入部しました。

園芸部の顧問は教頭先生で、部員は男性3名(同級生)、女性4名(先輩)だった気がします。クラブ活動2回目の日に教頭先生が「これを育ててみなさい」と言って黒いビニールポットに入った苗を全員に配りました。それが日本桜草でした。初めて見る日本桜草がもっと欲しくなり「先生、これ何処っから採てきたな?」「鶴岡市の大山だが?」と尋ねたところ、うなずいて答えてくれました。

日本桜草はグングン生長して小さくて可憐な花を咲かせ、私は魅了されました。日本桜草は菊と同じく根が伸びて株分けして繁殖するのですが、クラブ活動での菊栽培の経験が役立ち、秋には根を掘り起こして縁の下に仕舞い、春には株分けして植える行為を繰り返し、数鉢まで増やしました。しかし、私も成長するにしたがい徐々に園芸から遠さかり、登山や釣りなどアウトドアに興じるようになり、掘りかえして株分けなども遣らなくなりました。春になると庭の片隅で咲く日本桜草をみつけては『今年も咲いているな。よし、よし。』と眺めるだけになっていきました。

木造だった旧琢成小学校が、道路をはさんだ向かい側の旧光ケ丘小学校と合併して、今の琢成小学校に統合される以前の、1972-1973年頃の話しです。  

Posted by さくら at 17:01Comments(2)日本桜草07

2007年04月07日

はじめまして

ハンドルネームは‘さくら’と可愛らしいのにしましたが、
庄内で日本桜草を育てている40過ぎのオヤジです。
庄内地方の日本桜草の情報を得たくてBlogを開設しました。
日々の観察記録と備忘録を兼ねて随時画像をアップしつつ、
日本桜草への想いを語ってみたいと思います。
みなさんからの日本桜草情報もお待ちしております。
これからお付き合いのほど、宜しくお願いします。
  

Posted by さくら at 12:40Comments(3)その他07