2007年05月19日
立川町東興野 自生地探訪
どんな園芸種が庄内に在るのかを知るべく、軽い気持ちで訪れたのだが、今まで見たことがない園芸種があった。藤島町の阿部月山子さんと関係が在るのかもしれないと考え、取り合えず、「これは園芸種だよの?」「どうやって入手したな?」と尋ねてみると、「‘コレ’は、園芸種だ」「こんなは某Aさんから貰ったな」という返答だったが、‘コレ’という言い方が気になった。
「コレは園芸種ということは、他にもあんなが?」と尋ねると、撤収作業で多忙なこともあり、某Aさん宅へ行くよう勧められる。某Aさん宅にいくと、数鉢の日本桜草があったが、「全部園芸種で、昔、珍しいのを通信販売で仕入れたんだ」とのこと。そして「荒鍋地区の大滝婆さんが、東興野地区から採ってきた天然を持っているはずだ」と驚きの情報をくれた。これは行くしかない。
と、そこに偶然大滝婆さんが登場。ラッキー。さらにこの大滝婆さん、「東興野地区から採ってきた日本桜草見っでってか? よし、行ぐが。」と言うが早いか、さっさと自転車に乗って自宅へ向かいだした。慌てて車に乗って後ろを付いていく。今年で88歳だという大滝婆さん、行動も決断も早いが、自転車も速かった。
大滝婆さんの庭の隅の木陰に、隠れるようにピンクの日本桜草が咲いていた。「これは20年以上前、知人に誘われ何かを採りに東興野地区に行き、偶然みつけたな」だそうだ。
裏庭には立川野草愛好会の頒布会で購入したという白の日本桜草も植えられていた。今まで出逢った方々と違い、他の植物の葉に覆われて、葉を掻き分けないと判らない場所に育っており、新鮮だった。日本桜草って、本来こんな風に自生していたのかしら。ドキドキした。
「東興野地区のどの辺?」と尋ねると「その時に1度行ったきりだし、その時にやっと1株みつけだけなので、もう無いと思うぞ。んだども行てみっが。んだば行くが。」ということになり、私の車で行ってみることにした。「山の奥の、フキの葉っぱの影に咲いてたんだ」「あの辺だがもしんね。」「んね。此処でね。隣の山だがも知んね」とアクティブに動き回り案内してくる大滝婆さんは、88歳である。
大滝婆さんは「山の中で見だんだ」「そんげ高くない場所で、比較的平坦な場所があり、そこで見だ」と言って山の上に登ろうとするが、日本桜草はそんな場所にはない。谷筋だろうと思い、歩いていく。元もと東興野地区から添津地区は自生の可能性があると考えていた地域の一つであった。添津地区にはゴルフ場が出来たが、ゴルフ場が出来たということは、比較的平坦な山であり、添津地区には二枚貝が生息している。清川地区は湧き水がコンコンと湧いていた地区だから清い川、清川となったと聞いたことがある。東興野地区から添津地区の山間には葦原が残っており、沢というか、染み出した水が葦原を形成しているのだ。
「此処でね。隣の山だがも知んね」と言った隣りの山の麓に、フキが生えている小さな谷間があった。つい最近までシイタケ栽培をしていたのだろう、ホダ木が朽ちて、フキやミズに覆われていた。「こげた感じの平たい所だったから、此処だがもしんね」「美味そうなミズだごど」と言いながら大滝婆さんがミズとフキ採りを始めた。
象潟の三船さんは「杉林の中に竹林があり、そこに咲いていた」と男鹿半島にある日本桜草の自生地を話してくれた。此処も杉林に覆われた谷間である。フカフカする平たい台地を奥へ進むと、一段低い処に僅かな沢筋があり水が流れていた。水は、扇状地の平たい台地の下を伏流しているのだった。
ミズとフキ採りをしている大滝婆さんが「此処だのー」と言った。此処の日本桜草はシイタケ栽培に利用され絶滅したであろう。しかし、20年前までは自生していたんだと思うと、感慨深い想いが込み上げてきた。“日本桜草は庄内平野一帯に咲いていた。”そんな思いに囚われてきた。来年のGWは、フィールドワークになりそうです。(^^)