2007年05月22日
NPO鶴岡淡水魚夢童の会 岡部夏雄氏
5月21日、NPO鶴岡淡水魚夢童(ゆめわらべ)の会の岡部夏雄氏とお逢いしてきた。2007/05/10にアップした野中地区のめだかの学校を訪れた時、相手をしてくれた女性が「夢童の会が、どうのこうの、云々」と言っていたので、尋ねてみたら、「日本桜草を寄贈したのは、鶴岡自然調査会の水野重紀氏である」と教えてもらった。
そして岡部夏雄氏より4月14日に庄内日報に掲載された『絶滅危惧種 サクラソウ復活へ 南庄内水と緑の環ネットワーク「親株」の情報求める』記事を教えられた。他に山形新聞にも載ったらしい。
最初に断って措きますが、私は上記新聞記事活動と思想に一切関与していません。メダカやホタルのように、日本桜草を自然保護運動のシンボルとして利用するつもりは毛頭ありませんし心外です。
日本桜草が庄内に自生していたのか否か=在来種なのか移入種なのかを知りたいだけでした。庄内に日本桜草が自生していたことを知った今は、日本桜草を栽培している人でも日本桜草と知らずに栽培している人やプリムラやマラコイデス、クリンソウを桜草と思い込んでいる人も少なくないので、知らせて歩きたいとは考えていますよ。でも、それを自然界に移植しようという思想はありません。
日本桜草の花は散り、これからは葉っぱばかりになるので、調度良い機会です。これからは生態系や環境保全への想いも語ってみたいと思います。
閑話休題
岡部夏雄氏から、「今ある青龍寺川の流れは、河川改修された人工流程だよ」と教えられた。記憶が定かではないが、と前置きされた上で、「中橋地区を流れていたのは、とのじま川という名前だったと思うが、今は無い」そうです。
これで合点がいきました。2007/05/10にアップした余目町の記事の中で、「私、下山添の出身だ」と語ってくれた方が、「今はもう無くなった川だけども」と言ったんです。私はてっきり用水路のことだと思っていたのですが、とのじま川のことだったんですね。川が在ったとは知りませんでした。
安野悌次先生は「青龍寺川の郷土誌には、日本桜草のことは何も書かれていないので、ビックリしました。」と話してくれたことがあり、私の調査に無関係だと思い込んでしまってましたが、位置関係を知るためにも、勉強するべきですね。反省。
また、昭和13年3月1日に発刊された『山形縣の淡水魚(1938)』橋本賢助著を見せて貰いました。私は、日本桜草が生息していた河川環境は、イバラトミヨやホトケドジョウ、シマドジョウ、スナヤツメの生息環境と同じと感じており、そういう意味で『山形縣の淡水魚(1938)』は参考になりました。イバラトミヨの生息地に余目町も含まれていました。
そして岡部夏雄氏より4月14日に庄内日報に掲載された『絶滅危惧種 サクラソウ復活へ 南庄内水と緑の環ネットワーク「親株」の情報求める』記事を教えられた。他に山形新聞にも載ったらしい。
最初に断って措きますが、私は上記新聞記事活動と思想に一切関与していません。メダカやホタルのように、日本桜草を自然保護運動のシンボルとして利用するつもりは毛頭ありませんし心外です。
日本桜草が庄内に自生していたのか否か=在来種なのか移入種なのかを知りたいだけでした。庄内に日本桜草が自生していたことを知った今は、日本桜草を栽培している人でも日本桜草と知らずに栽培している人やプリムラやマラコイデス、クリンソウを桜草と思い込んでいる人も少なくないので、知らせて歩きたいとは考えていますよ。でも、それを自然界に移植しようという思想はありません。
日本桜草の花は散り、これからは葉っぱばかりになるので、調度良い機会です。これからは生態系や環境保全への想いも語ってみたいと思います。
閑話休題
岡部夏雄氏から、「今ある青龍寺川の流れは、河川改修された人工流程だよ」と教えられた。記憶が定かではないが、と前置きされた上で、「中橋地区を流れていたのは、とのじま川という名前だったと思うが、今は無い」そうです。
これで合点がいきました。2007/05/10にアップした余目町の記事の中で、「私、下山添の出身だ」と語ってくれた方が、「今はもう無くなった川だけども」と言ったんです。私はてっきり用水路のことだと思っていたのですが、とのじま川のことだったんですね。川が在ったとは知りませんでした。
安野悌次先生は「青龍寺川の郷土誌には、日本桜草のことは何も書かれていないので、ビックリしました。」と話してくれたことがあり、私の調査に無関係だと思い込んでしまってましたが、位置関係を知るためにも、勉強するべきですね。反省。
また、昭和13年3月1日に発刊された『山形縣の淡水魚(1938)』橋本賢助著を見せて貰いました。私は、日本桜草が生息していた河川環境は、イバラトミヨやホトケドジョウ、シマドジョウ、スナヤツメの生息環境と同じと感じており、そういう意味で『山形縣の淡水魚(1938)』は参考になりました。イバラトミヨの生息地に余目町も含まれていました。
Posted by さくら at 07:25│Comments(2)
│日本桜草07
この記事へのコメント
岡部社長、がんばってるよの~。
赤川のあちこちに「炭」沈めたり、魚が住みやすいようにと
「もっこう」沈めたり・・・
釣り好きの人間にはありがたい。
赤川のあちこちに「炭」沈めたり、魚が住みやすいようにと
「もっこう」沈めたり・・・
釣り好きの人間にはありがたい。
Posted by どぜお at 2007年05月22日 22:19
岡部さんは、釣り人や川漁師が獲っても獲っても魚が減らないような川を造ってあげるのが、夢なんだそうです。「放流は無意味だ。海をみてみたらいい。アワビもサザエも、何十年も毎年放流し続けているが、増えてないだろ。他に問題があるんだよ。」と加茂水族館の村上館長も言ってました。
鮭の遡上や鮎簗場を見て、放流事業が自然保護に繋がる有効手段の一つだと勘違いしている釣り人や一般市民が多いと思いますが、生息できる環境造りが、大切なんですよね。
鮭の遡上や鮎簗場を見て、放流事業が自然保護に繋がる有効手段の一つだと勘違いしている釣り人や一般市民が多いと思いますが、生息できる環境造りが、大切なんですよね。
Posted by さくら at 2007年05月23日 08:41