2012年03月11日
今更ですが. '12-4
2012年03月05日『今更ですが. '12-3』に書いた、「立田の夕」と「竜田の夕」を調べてみました。
『桜草見立相撲』文久元年(1861年)
龍田姫
龍田ノ舌?
龍田川
龍田錦
農業世界 昭和15(1940)年11月号付録 櫻草の作り方:上原梓 佐々木尚友共著
36-42P:絞り立田
18P:溝口伯爵実生:龍田錦
加藤亮太郎著『日本桜草』加島書店(昭和34(1959)年5月)
桜草花品全文化9(1812)年
61P:竜田川
桜草写真
63P:立津田
桜草花形帳 安政年間(1854-1859年13-14代将軍)
64P:竜田姫
68P:溝口伯爵 竜田錦
82P:立田川
84P:絞り立田
89P:立田川
226P:絞立田 立田姫の絞り入り
232P:立田川
232P:竜田川
232P:立田錦
232P:立田の夕
鈴鹿冬三著『日本サクラソウ』NHK出版(昭和51(1976)年5月)
桜草花品全文化9(1812)年 第11代将軍徳川家斉 1868年慶応4年明治元年
118P:桜草写真 立津田
119P:竜田川
132P:竜田姫
謡曲中からの日本サクラソウ品名
144P:竜田川 竜田 逆矛
144P:竜田姫 竜田
163P:絞竜田
鳥居恒夫著『色分け花図鑑 桜草』学研 2006(平成18)年2月
149P:竜田の夕:絞竜田の紅無地になったもの。
奈良では川の地名でありながら、立田川と竜田川が両方使われているとか。
なので桜草も、立田川と竜田川どちらでも良いらしいです。
ただ、新しい問題と遭いました。
加藤亮太郎著『日本桜草』では、立田姫の絞り入りが絞立田 と記載されているのに
鳥居恒夫著『色分け花図鑑 桜草』では、絞竜田の紅無地が竜田の夕だと書かれています。
立田姫の絞り入りが絞立田で、絞竜田の紅無地が竜田の夕???
どちらが正しいのか判りませんけど、絞りが先に存在するのはおかしいと感じます。
緋鯉から白や黒が混じった錦鯉が生まれることは理解できますが、
白や黒が混じった錦鯉から生まれた紅無地の個体が緋鯉という理屈は変ですからね。
加藤亮太郎著『日本桜草』を読みますと
現在鳥居恒夫氏が世話人代表を務めています東京のさくらそう会を立ち上げられた大山玲瓏氏、
(『(大山玲瓏氏は)『農業世界』の名編集長といわれらただけに、云々。』世界のプリムラより)
農業世界 昭和15年11月号付録 櫻草の作り方の著者である佐々木尚友氏などと交流があったことは明白であり
小石川植物園の松崎直枝氏たちが実際園芸雑誌にまとめた720種に及ぶ品種解説は
出所、文献や作出者などをも明記された貴重な資料であり、基本とすべきものであります。
と書いています。
『桜草見立相撲』文久元年(1861年)
龍田姫
龍田ノ舌?
龍田川
龍田錦
農業世界 昭和15(1940)年11月号付録 櫻草の作り方:上原梓 佐々木尚友共著
36-42P:絞り立田
18P:溝口伯爵実生:龍田錦
加藤亮太郎著『日本桜草』加島書店(昭和34(1959)年5月)
桜草花品全文化9(1812)年
61P:竜田川
桜草写真
63P:立津田
桜草花形帳 安政年間(1854-1859年13-14代将軍)
64P:竜田姫
68P:溝口伯爵 竜田錦
82P:立田川
84P:絞り立田
89P:立田川
226P:絞立田 立田姫の絞り入り
232P:立田川
232P:竜田川
232P:立田錦
232P:立田の夕
鈴鹿冬三著『日本サクラソウ』NHK出版(昭和51(1976)年5月)
桜草花品全文化9(1812)年 第11代将軍徳川家斉 1868年慶応4年明治元年
118P:桜草写真 立津田
119P:竜田川
132P:竜田姫
謡曲中からの日本サクラソウ品名
144P:竜田川 竜田 逆矛
144P:竜田姫 竜田
163P:絞竜田
鳥居恒夫著『色分け花図鑑 桜草』学研 2006(平成18)年2月
149P:竜田の夕:絞竜田の紅無地になったもの。
奈良では川の地名でありながら、立田川と竜田川が両方使われているとか。
なので桜草も、立田川と竜田川どちらでも良いらしいです。
ただ、新しい問題と遭いました。
加藤亮太郎著『日本桜草』では、立田姫の絞り入りが絞立田 と記載されているのに
鳥居恒夫著『色分け花図鑑 桜草』では、絞竜田の紅無地が竜田の夕だと書かれています。
立田姫の絞り入りが絞立田で、絞竜田の紅無地が竜田の夕???
どちらが正しいのか判りませんけど、絞りが先に存在するのはおかしいと感じます。
緋鯉から白や黒が混じった錦鯉が生まれることは理解できますが、
白や黒が混じった錦鯉から生まれた紅無地の個体が緋鯉という理屈は変ですからね。
加藤亮太郎著『日本桜草』を読みますと
現在鳥居恒夫氏が世話人代表を務めています東京のさくらそう会を立ち上げられた大山玲瓏氏、
(『(大山玲瓏氏は)『農業世界』の名編集長といわれらただけに、云々。』世界のプリムラより)
農業世界 昭和15年11月号付録 櫻草の作り方の著者である佐々木尚友氏などと交流があったことは明白であり
小石川植物園の松崎直枝氏たちが実際園芸雑誌にまとめた720種に及ぶ品種解説は
出所、文献や作出者などをも明記された貴重な資料であり、基本とすべきものであります。
と書いています。
鳥居恒夫氏とさくらそう会は、桜草の伝統を守り
小石川植物園の松崎直枝氏たち残した資料を基本として受け継いでいるのでしょうか?
鳥居恒夫氏たちは小石川植物園から真の緋の衣を発見したと公言していますが、本当でしょうか?
真の緋の衣を発見したことを理由に、従来の緋の衣を舞子の旭に改名しましたが、それで良いのでしょうか?
さくらそう会の会員たちは、頒布苗さえ入手できたら、それで良いのですか?