2012年03月04日

孫半土鉢.7

2012年02月19日『桜草の育て方.4-1』で紹介した
ブラタモリ 2012年2月9日放送 『 街の樹木・植物 』に出ていた画像を紹介します。
四季花くらべの内 嘉永6(1853)年出版(嘉永6年=黒船来航=第13代将軍誕生=幕末の江戸時代後期)。



鈴鹿冬三著『日本サクラソウ』昭和51(1976)年
 このものにのみ利用された面白い鉢があり、今日に伝わってきたのが、この孫半土です。
鳥居恒夫著『色分け花図鑑 桜草』2006(平成18)年
 江戸時代中期(中略)当時はまだ、量産の植木鉢が無く、
 小形のものは孫半斗鉢と呼び、植木鉢に活用して、いろいろな草木が植えられていた。

此処でも先達に噛み付いています。
江戸時代は全て手作りですから何をもって量産の植木鉢と呼ぶのか分りませんが
艶やかなな鉢で賑わっていたようです。



鈴鹿氏は桜草にのみ利用された面白い鉢が孫半土鉢だと書いていますが、
↓これが匣鉢(さや)ではないのでしょうか。匣鉢でないなら、量産の植木鉢。



古典園芸の画像をネット上でみつけました。
しかし桜草は『連』という閉鎖的な組織で栽培されていましたからでしょうか
描かれていません。



孫半土鉢は、今の時代なら、渋くて落ち着いた味わいある鉢と言えますけど
江戸中期から後期の趣味としては、時代の波に乗ってなく、地味過ぎやしませんか?

みな立派な鉢ですよ。

千葉県立中央博物館 デジタルミュージアム
浮世絵に見る江戸時代の園芸
http://www.chiba-muse.or.jp/NATURAL/special/ukiyoe/iwasatop.htm

第7回 江戸時代の花たち 書物に見る江戸時代の園芸文化
解説:小笠原亮(伝統園芸植物研究家・雑華園文庫主人)
http://www.aboc.co.jp/nature/flowermuseum/07.html


今回調べて感じたことは
江戸時代に桜草鉢は発展し損ね、実は今が熟成期なのではないか。ということです。
江戸時代に量産の植木鉢が無かったから孫半土鉢を使ったのではなく、
桜草が『連』により普及していなかったので、鉢が作られなかっただけ。
代用で使った孫半土鉢は栽培に悪くなかったから、そのまま使い続けた。
桜草の孫半土鉢は伝統ではなく、熟成しなかった古典園芸ではないのか。
鉢の選択が増えた現代で、孫半土鉢に固執する愛栽者が少なく、
全国的には香炉型や伝市鉢の丸形を使う方が多いのは、その現れではないでしょうか。
そんなことを感じたシリーズでした。  


Posted by さくら at 06:00Comments(0)日本桜草12桜草の鉢