2011年05月26日

平田町楢橋の自生地

庄内地方は最上川右岸と左岸に別れ、
気象庁では最上川右岸を庄内北部、左岸を庄内南部と呼んでいます。
庄内南部の桜草の自生地はだいたい判りましたが、庄内北部が今ひとつ判りません。

昔、平田町砂越に在る水土里ネット大町溝の人が、
私の庄内白を見て「お、桜草だの。」と言ったのを覚えています。
そこで、相沢川と水路がある楢橋地区へ出掛けてみました。

楢橋地区を見て回っても桜草をみかけません。
楢橋という橋のたもとで畑仕事の爺さんがいたので、庄内白の鉢を手に訊ねてみました。
「桜草を知っていますか?」と訪ねると、
「わがる(=知ってるよ)。」と開口一番言うではありませんか♪

「前は、そっちゃ堰があって、そこで咲いっだもんだ。水気ある日陰でねど咲かね花だった。」
と下図の赤い矢印方向を差して話してくれました。
「この水路沿い(楢橋という橋が掛かる灌漑用水路沿い)じゃなくて、向こうに堰があったの?
 この水路沿いには桜草は咲いていなかったの?」
と訪ねると
「この水路は、今は1本だけど、
 昔は山本堰、大町溝、飛鳥堰と言って
 対岸の家のところまで3本列んで流れていて
 ここから大きく向こうの幼稚園に曲がっていき
 幼稚園の裏を流れていたもんだ。」
と話してくれ、
「桜草なの、何処にでも咲いていたもんだ。」「白もあった。」
と言い、話している内に段々思い出してきたようで
「昔は紫もあった」と下図の紫の矢印方向を差して言いました。

田島紅など紅色の花が終わり頃になると紫色になるので
「紫ではなく、濃い赤でしょ?」と尋ねると
「濃い赤といえば濃い赤だの。」とのこと。
楢橋という橋のことも
「あれは昭和10年に完成したんだ。渋谷建設が作ったんだ。」
などと話し始め
「詳しいですね。」と言うと
「そこで生まれ育ったんだもの。」
と橋のたもとの家を差しました。
お名前と年齢を尋ねたら、今井コウシロウさん80歳。
またしても80歳です。

故安野悌治先生はご存命であれば今は94歳と5ヶ月。
故菅原デンスケ先生とは尋常高等学校の同級生というから、同い年でしょうか。
故斎藤教頭先生はご存命であれば85歳?
荒鍋の大滝あばちゃん、90歳?
遊佐町漆曽根の婆ちゃん、83歳。
八重幡ヨシコ婆ちゃん、80歳。
三瀬の婆さんも80歳。

「やっぱり80歳なんですね。
 80歳以上の人の昔の風景と
 80歳以下の人の昔の風景は、違うものですか?」
と聞くと
「違うの。今の人なの桜草のことなど知らねんだろの。」
とのこと。

90-80歳の方々は異口同音に
桜草はあちこちに群生していたと言います。
一般的に出逢う人の年齢は70-60歳なので
見て育った自然環境が違うようです。
『昭和40年代初頭の田んぼの基盤整備で桜草の自生地が消滅した』
という事が定説の如く信じていましたが、それ以前に何かが遭ったんでしょう・・・。

そういえば遊佐町漆曽根の婆ちゃんが言ってましたね、
「昔はみんな井戸だった。」って。
田んぼの基盤整備より先に行われた水道や下水のインフラ整備で
桜草の自生地が消滅したのかもしれませんね。
桜草は、スズメやツバメ、メダカやドジョウのように
人里近くで、人間の生活に寄り添って生きていたのかもしれないですね。
荒川の自生地も、野焼きなどで人の手が加わってできた場所ですから。

今井爺さんの紫(敢えて言うなら庄内紅)もあったとの証言は新発見でした。
平田町にも庄内赤と庄内白が多く見受けられ(園芸品種も数種類ありました)、
今井爺さんが言われたように、自生地が在ったと思われます。


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