2010年02月03日

今更ですが.13

サクラソウ127園芸品種の葉緑体DNA型(ハプロタイプ)『品種識別、親子関係、由来に関する情報』
ハプロタイプHは22品種もあるので、今回は後編11品種を調べました。

【ハプロタイプ H 前編】(後編は2-4倍体品種)
蛇の目傘 長花柱花 江戸中期 (寛政~文化)
千鳥貝 長花柱花 江戸後期
妙智力 長花柱花 江戸後期
夕栄  長花柱花 江戸後期 野性的、段咲きになりやすい
飛竜  長花柱花 江戸後期 「錦葉集」に同品
錦葉集 長花柱花 江戸後期 「飛竜」現存品と同品
花大将 長花柱花 江戸後期 「木枯」の紅花品;易変因子による花色変異(絞り、縞)のうち紅一 色のもの
母の愛 長花柱花 大正12年頃 永井誠也
母の恵 長花柱花 昭和10年頃
墨田の花火 長花柱花 昭和初年 戸田康保 「戦勝」と実生兄弟
前代未聞 2倍体 短花柱花 江戸後期

【ハプロタイプ H 後編 2-4倍体品種】
松の雪 2倍体 長花柱花 江戸後期 (天保)
万才楽 2倍体 長花柱花 ?
蜃気楼 2倍体 長花柱花 ?  昭和57年
朝日  2倍体 長花柱花 明治? 伊藤重兵衛 濃紅かがり弁平咲き
玉珊瑚 2倍体 短花柱花 明治?
紅女王 2倍体 短花柱花 明治20年頃 荒井与左衛門
羅生門 2倍体 短花柱花 江戸後期? 「墨染衣」現存品、「墨絵の竜」と同品
白鷲  3倍体 長花柱花 江戸後期
鈴の音 3倍体 長花柱花 江戸後期 「玉宝山」「銀月の名」現存品と同品
目白台 3倍体 短花柱花 昭和2年頃  戸田康保 他種との交雑品とも言われるがその可能性は低い
緋の重 4倍体 短花柱花 昭和57年 塚越豊 「緋の袴」から変化

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松の雪 H 2倍体 長花柱花 江戸後期 (天保)
(鈴鹿153ページ「松の雪(12ページに画像在り)」:(花の)大きさは「柳の雪」「春の雪」には及びません。)
(鳥居66ページ「松の雪」:長柱花 江戸末期 類似品種 青葉の笛。青柳染は同品種。)


(鈴鹿「青柳染」159ページ 白地緑紋大輪)
(鳥居「青柳染」記述無し)


(鈴鹿146ページ「春の雪(16ページに画像在り)」:白地に美しい緑絞りの大輪で、少しかがり弁のようになります。
 「松の雪」より大きく、横向きに咲き、名花の1つですが。繁殖力が弱いのが欠点です。古花の1つ。)
(鳥居「春の雪」記述無し)


(鈴鹿「柳の雪」記述無し)
(鳥居「柳の雪」66ページ:緑斑が消えやすく、まったくなくなると、ただの広桜弁となってしまう。
確かな緑斑入りの株を持つ人は少ない。)
『色分け花図鑑 桜草』を含め、確かに緑斑無しや不鮮明な花の画像が多かった。↓



鳥居氏と東京のさくらそう会は、
「青柳染」は「松の雪」と同品種と広言していますが、同品種とした理由は広言されていません。説明が一方的すぎます。
また、なぜ「松の雪」という品種名を採用し、「青柳染」という品種名を抹殺しようとするのでしょう。
何処かの古記に「松の雪」の方が先に掲載されていたのでしょうか?

【コメント欄より引用】
「柳の雪」など緑に斑が入るのは、ヴィールスのせいで、緑色と弁先の不整形が特徴です。
しかも年に寄って、作柄の違いによって斑の出方や弁先が大きく変わります。
どの品種も元々は別のものだったのでしょうが、罹病してからは似たり寄ったりで区別は出来ません。
どれか一つ斑入り種として持っていればいいものです。

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万才楽 H 2倍体 長花柱花 ?
(鈴鹿145ページ「万歳楽」)
(鳥居96ページ「万才楽(まんざいらく)」:長花柱花 昭和初期か 類似品種記述無し)



鈴鹿氏は『謡曲中からの日本サクラソウ品名』の項で「万歳楽」を紹介されており
『高砂』『難波』『春栄』『関寺小町』の中に登場する「万歳楽」が、命名由来ということになる。
国語辞典で「万歳」とひいてみると、『えぼし姿でつづみを打ち新年を祝う歌舞。また、それをする芸人。』と記してあった。
一方、名前の由来と品種がわかる『色分け花図鑑 桜草』には、「万才楽」の命名由来は一言も記されていない。

「万歳楽」と「万才楽」が異種同品か否かは私には判らないが、
『まんざい』という読みをする漢字には『万歳』と『漫才』がある。
日本サクラソウが伝統の古典園芸であるなら、『万歳』であり、品種名も「万歳楽」ではなかろうか。

サクラソウの栽培歴も浅く、文化歴史にも疎い私でさえ推察可能な過ち?に
東京のさくらそう会の会員の方々は気づかないのだろう。
見慣れない『万才』という漢字に、なにも疑問を感じなかったのだろうか。
世話人代表の鳥居氏の権限が恐ろしくて、誰も発言できないのだろうか。

別に私は鳥居氏と東京のさくらそう会が憎くて、
徹底的に鳥居氏と東京のさくらそう会関連の書籍などを粗探しをして、このようなことを書いているわけではない。
大城氏が研究サンプルとして、恐らくは無作為に選んだであろう127品種を
大城氏が参考文献とした2冊の本を使って見比べているだけのことなのだ。その点をご理解いただきたい。

若輩者の私が言うのもおこがましいことだが、品種名を勝手に変えてしまうことが、許されない事である。
仮にも『図鑑』と銘打った書籍で、あってはならない誤りである。
学位論文の参考資料とはいえ品種名が違って良いわけはないが、
「参考文献に書かれたいた通りに記しただけです。」と言われては、反論のしようもない。
大城氏が、そこまでの言い訳を考えて掲載したとは思いたくはないものだ。

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蜃気楼 H 2倍体 長花柱花 ?  昭和57年
(鈴鹿163ページ「蜃気楼」)
(鳥居116ページ「蜃気楼」:僅長柱花 江戸後期(寛政〜文化年間) 類似品種 鈴鹿山。日数がたつと紅紫色に変わってゆく。)


(鈴鹿163ページ「鈴鹿山」)
(鳥居117ページ「鈴鹿山」:短柱花 江戸末期 類似品種 蜃気楼。おとなしい単純な花形で、花つきよくそろい、草姿も整った普及品。)


桜草の栽培経験が浅い私ですが、「鈴鹿山」が普及しているとは感じず、とても普及品とは思えません。
勝手に鳥居氏が語ったいるだけではないでしょうか。

『品種識別、親子関係、由来に関する情報』の作出年代が昭和57年となっています。
鳥居著「さくらそう」1985年には、『昭和57年認定』とでも記載していたのでしょうか。

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朝日 H 2倍体 長花柱花 明治? 伊藤重兵衛 濃紅かがり弁平咲き
(鈴鹿148ページ「朝日」:伊藤重兵衛氏の作出)
(鳥居19ページ「朝日」:長柱花 明治40(1907)年発表 類似品種記載無し。
 明治40年に『櫻草銘鑑』が出された折りに、新品種として発表された。)

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玉珊瑚 H 2倍体 短花柱花 明治?
(鈴鹿150ページ「玉珊瑚」:江戸時代からの稀品)
(鳥居30ページ「玉珊瑚」:短柱花 明治中期か 類似品種記載無し。)

鈴鹿氏が『江戸時代からの稀品』と記しているのに対して、
鳥居氏は『明治中期か』と曖昧なことを述べている。鳥居氏はいい加減だなあ。

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紅女王 H 2倍体 短花柱花 明治20年頃 荒井与左衛門
(鈴鹿166ページ「紅女王」)
(鳥居35ページ「紅女王」:短柱花 明治20(1887)年頃 荒井与左衛門発表 類似品種 十二単。 )

「花大将」の時のように「紅の花のなかの女王という意味」と解説していませんね。


類似品種「十二単」に関する記述は、ハプロタイプ γの時に改めて書きますので、此処では割愛します。



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羅生門 H 2倍体 短花柱花 江戸後期?  「墨染衣」現存品、「墨絵の竜」と同品
(鈴鹿146ページ「羅生門」:表は底白、薄紫にやや薄桃色をおびた感じのボカシで、裏は藤紫、抱え咲大輪。)
(鳥居123ページ「羅生門」:短柱花 江戸末期 類似品種記載無し。「墨絵の竜」の名で記録が存在し、現在のものは同品種。)


(鈴鹿148ページ「墨絵竜」:表紫紅色底曙白裏藤紫広弁抱え咲き大輪。
 安政年間の「墨絵竜」は、本藤色かがり咲中輪となっていますが、現在種はこれとはことなります。)
(鳥居「墨絵竜」記載無し)


(鈴鹿「墨染(スミゾメ)154ページ」:紅紫色底曙白重桜弁浅抱え咲き。)
(鳥居「墨染」記載無し)
(鈴鹿「墨染衣」164ページ)
(鳥居「墨染衣」記載無し)
web上に「墨染衣」の画像無し。

鈴鹿氏に因ると、「羅生門は羅生門」。「現在の「墨絵竜」と安政年間の「墨絵竜」は別品種。」ということですね。
鳥居氏の説明を読んでも、「羅生門」と「墨絵の竜」の関係が良く解りませんが
大城氏の『「墨染衣」現存品、「墨絵の竜」と同品 』と合わせて考えてみると
「墨染衣」と呼ばれていた品種は「墨絵の竜」のことであり、「羅生門」のことである。ということなんでしょうね。
鳥居著『色分け花図鑑 桜草』のサブタイトルは『名前の由来と品種がわかる』ですが、チンプンカンプンです。
同品であるなら根拠を示して、なぜ、その品種名の方が選択されたのかも、説明してほしいものです。

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白鷲 H 3倍体 長花柱花 江戸後期
(鳥居163ページ「白鷲」白最大輪)
(鳥居60ページ「白鷲」:僅長柱花 江戸末期 類似品種記載無し。)

「今更ながら.19」白鷹参照のこと。

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鈴の音 H 3倍体 長花柱花 江戸後期 「玉宝山」「銀月の名」現存品と同品
(鈴鹿156ページ「君が代」の項: 「光輝殿」には2種類あって、
1つは伊藤重兵衛氏の銘鑑に出ているもの(裏薄紅表白切咲中輪)、
1つは、「鈴の音」「日高の浦」などと呼ばれている「光輝殿」で、
ここにいう「君が代」は伊藤重兵衛氏の銘鑑に記載のもので、花茎は後者に似ているが、花はそのいずれにも属さないからあきらかに別品である。
ちなみに、「光輝殿」については、前者の伊藤重兵衛氏が後者より優品であることを附記しておく。)

鈴鹿氏は『「鈴の音」&「日高の浦」=「光輝殿」』ということですね。

(鈴鹿「鈴の音」記載無し)
(鳥居98ページ「鈴の音」: 僅長柱花 江戸末期 類似品種「瑶台の夢」「光輝殿」。
「光輝殿」の名で呼ばれることもあるが、別に真物があるので間違い。玉宝山、銀月などの名で存在するものは同品種。

大城氏は【銀月の名】と書いているが、鳥居氏は【銀月】と書いている。どういうこと?

(鈴鹿163ページ「光輝殿」)
(鳥居79ページ「光輝殿」:短柱花 江戸末期 類似品種「鈴の音」「目白台」。
 この名称にはふたつの品種が存在したが、現存したものを真物として認定した。)

もう片方は現存しないから、手元に在るこれが真物の「光輝殿」と決めて良いわけはない。
生き物の場合、50年間見つかっていない場合に、絶滅とする定めがあるように
現存する証明よりも、現存しない証明を示すことは非常に困難である。
鳥居氏と東京のさくらそう会は、現存しない事を証明してほしい。一方的な断定はやめていただきたい。
考察の深さで鳥居恒夫氏は、鈴鹿冬三氏に遠く及ばないようだ。




(鈴鹿120ページ田村景福の項「瑶台の夢」)
(鳥居95ページ「瑶台の夢」: 僅長柱花 大正7(1918)年 田村景福発表 類似品種「鈴の音」「真如の月」
 瑶台とはお月様のことで、白い大きな花を月に見立てたもの。瑤台では間違い。)
『埼玉県花と緑の振興センター』サイトで『謡台の夢』


(鈴鹿「玉宝山」162ページ)
(鳥居「玉宝山」記載無し)
web上に「玉宝山」の画像無し。

(鈴鹿「銀月の名」「銀月」記載無し)
(鳥居「銀月の名」「銀月」記載無し)
web上に「銀月の名」「銀月」の画像無し。

(鈴鹿「日高の浦」記載無し)
(鳥居「日高の浦」記載無し)
web上に「日高の浦」の画像無し。

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目白台 H 3倍体 短花柱花 昭和2年頃  戸田康保 他種との交雑品とも言われるがその可能性は低い
(鈴鹿146ページ「目白台」:昭和初期、東京目白台の戸田康保子爵の作出で、地名にちなんで命名されました。
 洋種プリムラ・オブコニカに似た花形で、以前からうわさされた品種で、裏淡紅色重弁平咲きの大輪で厚弁。)
(鳥居65ページ「目白台」:短柱花 昭和2(1927)年頃  戸田康保発表 類似品種掲載無し。
 花弁は厚く、それぞれ重なりあい、茎は太く、葉も強直で園芸種のプリムラ・ポリアンタのような花容となる。
 他種との交雑種とも考えられたが、否定されている。3倍体である。
 発表者の住居が目白台(東京都豊島区)にあったことから、この名がある。芽変わりの紅花品に「唐紅」がある。)


(鳥居50ページ「唐紅」:短柱花 2005年認定 宮本米吉発表。
 「目白台」の芽変わりとして出現したが、紅色となったために、隠されていた目が現れた。3倍体。
 植物の変異の実例として評価され、認定品種に加えられた。)


【コメント欄より引用】
「唐紅」については、「目白台」に内包されていた紅色の色素が大きく出現したということでしょう。

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緋の重 H 4倍体 短花柱花 昭和57年 塚越豊 「緋の袴」から変化
(鈴鹿140ページ塚越豊氏の作出「緋の重」:以前に、筆者の花友である佐賀県の同氏に送った「緋の袴」から葉変わりが、昭和三十三年に出来、同四十年まで観察した結果、同氏の依頼により、筆者が命名したものである。)
(鈴鹿51ページ「緋の袴」の項:「緋の袴」が重弁になったものが「緋の重」で、これは、佐賀県の花友塚越豊氏に以前お送りした「緋の袴」の葉変わりが、昭和33年にでき、40年まで観賞した結果、同氏の依頼により著者が命名したものです。)

(鳥居34ページ「緋の重」:短柱花 昭和57(1982)年認定 塚越豊発表。類似品種「緋の袴」。現代の新品種としては育てにくいが、云々。)
(鳥居34ページ「緋の袴」:短柱花 江戸末期 類似品種「緋の重」。可愛らしく、人気がある。)

ここでも『図鑑』の記述としては不要な一文。
『名前の由来と品種がわかる』とサブタイトルで謡いながら、由来を書かず、正確な作出年代が解っていながら、
東京のさくらそう会の品種認定した年代を表記するとは、如何なる所存であろうか。
大城氏も、直接研究、否、学位論文に関係無い事とはいえ、鳥居氏の記載通り記述するというのは、如何なものであろう。
参考文献に鈴鹿著『日本サクラソウ』も使っているのだから、調べてて知っていたであろうに、失礼な話しである。
また、鳥居氏の言う『現代』とはいつからなんだろう。そして『現代の新品種』とは、どの品種たちを差すのであろう。
鳥居氏は、どこまでも鈴鹿氏を意識した憎まれ口を叩かずにはいれない性格のようだ。


【コメント欄より引用】
「緋の重」については4倍体ということを言っておくべきでしょうね。

そうでした。私としたことが、迂闊にも見落としていました。って、
栽培経験浅く4倍体品種を所有も栽培したこともないのですが、山原氏のBlogを拝読しますと、
4倍体品種「大和神風(やまとかみかぜ)(鳥居氏は「神風(じんぷう)」81ページ))」を鉢に植えた4芽全部を綺麗に4本咲かせる事は難しく
山原氏をもってしても過去に数回しかないとのこと。

栽培の難易度は、鳥居著『色分け花図鑑 桜草ー名前の由来と品種がわかるー』の主旨と無関係と言えるが、
『「緋の重」は『4倍体だから育てにくい(栽培は難しい)』と書かれたら、
アドバイスとしては親切だし、それが正しいと思う。
鳥居氏は保身のため、巧みな文才を発揮して、見栄を張ったか。

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Posted by さくら at 21:08Comments(2)日本桜草について