2010年02月02日

『庄内白』の芽

譲渡するため『庄内白』と『庄内紅』を掘り出しました。
この時期の芽を見るのは初めてですが、
『庄内白』には大きく立派な芽がついていました。
『庄内紅』の方は昨年の育ちの悪さの影響でしょうか、芽が小さめでした。

  


Posted by さくら at 19:20Comments(0)日本桜草10

2010年02月02日

今更ですが.12

サクラソウ127園芸品種の葉緑体DNA型(ハプロタイプ)『品種識別、親子関係、由来に関する情報』
ハプロタイプHは22品種もあるので、今回は前編11品種を調べました。

【ハプロタイプ H 前編】(後編は2-4倍体品種)
蛇の目傘 長花柱花 江戸中期 (寛政~文化)
千鳥貝 長花柱花 江戸後期
妙智力 長花柱花 江戸後期
夕栄  長花柱花 江戸後期 野性的、段咲きになりやすい
飛竜  長花柱花 江戸後期 「錦葉集」に同品
錦葉集 長花柱花 江戸後期 「飛竜」現存品と同品
花大将 長花柱花 江戸後期 「木枯」の紅花品;易変因子による花色変異(絞り、縞)のうち紅一 色のもの
母の愛 長花柱花 大正12年頃 永井誠也
母の恵 長花柱花 昭和10年頃
墨田の花火 長花柱花 昭和初年 戸田康保 「戦勝」と実生兄弟
前代未聞 2倍体 短花柱花 江戸後期

【ハプロタイプ H 後編 2-4倍体品種】
松の雪 2倍体 長花柱花 江戸後期 (天保)
万才楽 2倍体 長花柱花 ?
蜃気楼 2倍体 長花柱花 ?  昭和57年
朝日  2倍体 長花柱花 明治? 伊藤重兵衛 濃紅かがり弁平咲き
玉珊瑚 2倍体 短花柱花 明治?
紅女王 2倍体 短花柱花 明治20年頃 荒井与左衛門
羅生門 2倍体 短花柱花 江戸後期? 「墨染衣」現存品、「墨絵の竜」と同品
白鷲  3倍体 長花柱花 江戸後期
鈴の音 3倍体 長花柱花 江戸後期 「玉宝山」「銀月の名」現存品と同品
目白台 3倍体 短花柱花 昭和2年頃  戸田康保 他種との交雑品とも言われるがその可能性は低い
緋の重 4倍体 短花柱花 昭和57年 塚越豊 「緋の袴」から変化

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

蛇の目傘 H 長花柱花 江戸中期 (寛政~文化)
(鈴鹿152ページ「蛇の目傘」:寛政、文化年間の古花。暑さにやや弱い。)
(鳥居116ページ「蛇の目傘」:突出長柱花 寛政~文化年間(1789-181年)類似品種記載無し。
 根茎は野性的で淡桃色の中太の芽が必ず双頭状にでる。)



品種毎に花や葉、花茎に違いがあるように、根茎の芽にも違いがあるらしいが、子細を述べているサイトはない。
そのため鳥居氏に反論のしようもないのだが、
『根茎は野性的』という意味が判らない。『根茎はいかにも園芸品種的』という言い方もあるのだろうか。
『中太の芽』といわれても、芽に大中小があるというのだろうか。あるなら基準を示してほしい。
『必ず双頭状にでる。』というが、“必ず”と断言して良いものだろうか。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

千鳥貝 H 長花柱花 江戸後期
(鈴鹿164ページ「千鳥貝」)
(鳥居99ページ「千鳥貝」:長柱花 江戸末期。類似品種記載無し。)



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

妙智力 H 長花柱花 江戸後期
(鈴鹿166ページ「妙智力」)
(鳥居92ページ「妙智力」:長柱花 江戸末期。類似品種記載無し。
 株も小形なので、陳列すると目立たないが、小鉢に植えて咲かせると、当時の評価を理解出来る。
『法華経』の経文の『観音妙智力』に由来する名か。)



小鉢に植えて咲かせると理解できるという『当時の評価』とは、何を語ろうとしているのだろう。
当時とは、いつの時代で、誰の評価を差すのかが、全く示されていない理解し難い文章だ。
品種名の由来に関しても『〜か。』と憶測を述べているに過ぎない、いい加減な説明。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

夕栄 H 長花柱花 江戸後期 野性的、段咲きになりやすい
(鈴鹿167ページ「夕栄」)
(鳥居94ページ「夕栄」:長柱花 江戸末期 類似品種 飛燕 濡燕 朝日潟。段咲きとなりやすい)

『今更ですが.10』ハプロタイプ G『飛燕』で書いたので此処では割愛。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

飛竜 H 長花柱花 江戸後期 「錦葉集」に同品
(鈴鹿「飛竜」記述無し(飛竜という文字がない))
(鳥居「飛竜」掲載無し(飛竜という文字はあるけど項が無い))



錦葉集 H 長花柱花 江戸後期 「飛竜」現存品と同品
(鈴鹿156ページ「錦葉集」)
(鳥居25ページ「金葉集」:僅長柱花 江戸末期 類似品種 錦錦鳥。
 名は勅撰和歌集の『金葉集』にちなむ。鋭いかがり弁から金葉を連想したのであろう。)
(鈴鹿156ページ「錦葉集」)
(鳥居24ページ「錦錦鳥」:僅長柱花 江戸末期 類似品種 金孔雀 金葉集。)

鳥居氏の勝手な憶測には呆れるばかりである。
鳥居氏が世話人代表を務める東京のさくらそう会の会員は、なんとも思っていないのだろうか。理解に苦しむ。

浪華さくらそう会長山原氏旧Blog『日本桜草』
2008年03月17日 桜草栽培史16 銘鑑訂補拾遺1
※近年「錦葉集」を「金葉集」と書く向きがあるようであるが、
何十年も使ってきた「錦葉」の名を変える必要はまったくない。 
http://blog.livedoor.jp/yamaharasakura/archives/50515713.html

大城氏もこういう処は抜け目無く『「錦葉集」に同品』と書かれており、笑える。
しかし、筑波大学農林技術センターでは鳥居氏にならって「金葉集」と表記。
類似品種は鳥居氏の主観だろうけど、「錦葉集」と「錦錦鳥」は似てるかなあ?



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

花大将 H 長花柱花 江戸後期 「木枯」の紅花品;易変因子による花色変異(絞り、縞)のうち紅一 色のもの
(鈴鹿147ページ「前代未聞」の項に、「木枯」の記述あるのみ。)
(鳥居147ページ「花大将」:類似品種 小田巻。花の中の大将という意味。)
(鳥居147ページ「木枯」:類似品種 前代未聞。)
(鳥居39ページ「小田巻」:短柱花 昭和前期か 類似品種 花大将。古い記録はなく、昭和前期の実生花を考える。)


「花大将」の品種名の由来が、『花の中の大将という意味』では、あまりにも直訳過ぎるでしょ。
今更ですが.9』の「絞竜田」の項で「落葉衣」を語り、「木枯」と「花大将」についても記述したので、此処は割愛するが
続きは同じハプロタイプHの2倍体『前代未聞』をご覧ください。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

母の愛 H 長花柱花 大正12年頃 永井誠也
(鈴鹿165ページ「母の愛」:白大輪鋸歯弁)
(鳥居64ページ「母の愛」:長柱花 垂れ咲き 大正12(1923)年 永井誠也発表 類似品種 喰裂紙 白滝 山下白雨。

今更ながら.10』喰裂紙の項で書いたので、割愛。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

母の恵 H 長花柱花 昭和10年頃
(鈴鹿「母の恵」記述無し)
(鳥居101ページ「母の恵」:長柱花 1941年頃。大鐘あぐり女史の実生花。)



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

墨田の花火 H 長花柱花 昭和初年 戸田康保 「戦勝」と実生兄弟
(鈴鹿164ページ「墨田の花火」:昭和元年戸田子爵実生)
(鳥居29ページ「墨田の花火」:僅長柱花 昭和初(1927)年頃 戸田康保発表。類似品種 戦勝 金陵台 心意気。
 「戦勝」と兄弟実生で、同時に発表された。)

「今更ながら.11」ハプロタイプPに『戦勝』が在りました。
実生兄弟でありながらハプロタイプが違うなんて、どういうこと?
植物学的に『実生兄弟』とは、どういう意味なのかしら。

戦勝 P 2倍体 長花柱花 昭和初年 戸田康保 「墨田の花火」と実生兄弟
(鈴鹿164ページ「戦勝」:昭和元年戸田子爵実生)
(鳥居29ページ「戦勝」:僅長柱花 昭和初(1927)年頃 戸田康保発表。類似品種 墨田の花火 金陵台 心意気。)



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

前代未聞 H 2倍体 短花柱花 江戸後期
(鈴鹿147ページ「前代未聞」:この花と同一のものに有名な「木枯」(短柱花)があるが、差異は長柱花と短柱花だけの差であるといわれています。)
(鳥居149ページ「前代未聞」:短柱花。江戸末期。「木枯」と間違えている人が実に多いが、短柱花であること、草丈が低いことで見分けられる。)
(鳥居147ページ「木枯」:長柱花。江戸末期。「木枯」と間違えている人が実に多いが、短柱花であること、草丈が低いことで見分けられる。まったく紅無地になったものを「花大将」と呼ぶ。)
(鳥居147ページ「花大将」:長柱花。江戸末期。「木枯」が紅無地になったもの。)

今更ですが.8』『今更ですが.9』でも書きましたが
鈴鹿氏は「木枯」を(短柱花)と記載していますが
鳥居氏は「前代未聞」が(短柱花)と主張しています。
古典園芸であるなら、古い記述が正しいと思います。


『品種識別、親子関係、由来に関する情報』と関係無い話しですが、『木枯絞り』という名札の画像がありました。
新品種なのか判りませんが、『木枯+絞り』というのは如何なものでしょう。
東京のさくらそう会系の展示会で品種名が曖昧な鉢が入賞するというのも、おかしな話しです。
向上心に満ちあふれている桜草栽培初心者がこれを見たら、そういう品種だと思い込んでしまいます。
花の艶やかさに罪はないのですが、正しい品種が伝わらないのは、残念に思えます。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

  


Posted by さくら at 19:08Comments(2)日本桜草について

2010年02月02日

今更ですが.11

サンプルとなった127品種中、まだ100品種以上残っていますが、
調べる度に嫌悪感が高まり、少し調べるのを控えようかと思います。
鳥居著「色分け花図鑑 桜草」のサイブタイトルは『名前の由来と品種がわかる』なのに
内容があまりにもいい加減で解説文も画像も信頼おけないことが
調べが進むほどに実感していくからです。

私だって昨年から園芸品種に興味を持ちだした初心者で、
鳥居著「色分け花図鑑 桜草ー名前の由来と品種がわかるー」を愛読した一人です。
今になってみると、知識が無いから信じて鵜呑みしてしまった自分が情けなく、
誤った知識を植え込まれ、毒されてしまった桜草愛好者が居るのかと思うと、可哀想でなりません。
同時に東京のさくらそう会が恐ろしい教団のようにもみえ、古典園芸桜草の未来を心配してしまいます。

サクラソウ127園芸品種の葉緑体DNA型(ハプロタイプ)『品種識別、親子関係、由来に関する情報』
ハプロタイプ P
旭の袂 長花柱花 江戸中期 (寛政~文化) 「王昭君」現存品と同
舞扇  長花柱花 江戸後期 古い記録では「舞扇子」と記載
鋸峯  長花柱花 大正?
小桜源氏 短花柱花 江戸中期(寛政~文化)  野性的
窓の梅 等花柱花 昭和38年 尾崎康一
梅ヶ枝 2倍体 長花柱花 江戸後期
寿   2倍体 長花柱花 ?
春湖  2倍体 長花柱花 大正13年  西田信常
戦勝  2倍体 長花柱花 昭和初年 戸田康保 「墨田の花火」と実生兄弟

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

旭の袂(あさひのたもと) P 長花柱花 江戸中期 (寛政~文化) 「王昭君」現存品と同
(鈴鹿159ページ「旭の袂」:表移紅本紅中輪)
(鳥居39ページ「旭の袂」:長柱花 江戸後期 (寛政~文化年間・1789-1818年)類似品種掲載無し。
 もっとも古い品種のひとつで、桜草栽培初期の姿をよく残しており、たいせつに伝えたい品種。「王昭君」の名で存在したものは同品種。)

『桜草栽培初期の姿』とは、どういう姿なのであろう。
花型?、花形?、花容?。実に抽象的な表現で、根拠はないのではないのか。
鳥居著『色分け花図鑑 桜草』を読む時には、惑わされないよう注意が必要である。

(鈴鹿161ページ「王昭君」:表白裏薄桃色大輪)
(鳥居「王昭君」当然掲載無し)
鳥居氏と東京のさくらそう会は「旭の袂」と「王昭君」は異名同品種という見解のようだが、
鈴鹿著「日本のサクラソウ」を読めば『表白裏薄桃色大輪』と書かれており、画像を見る間でもなく違う品種だと判る。
鳥居著「色分け花図鑑 桜草」には「旭の袂」の画像しか掲載されていない。
画像が無くとも説明文に『同品種』と書かれてあれば、普通の人は「そうなんだ。」と素直に思い込んでしまう。
鳥居著『色分け花図鑑 桜草』は、見る時にも、惑わされないよう注意が必要である。




これは憶測だが、鳥居氏と東京のさくらそう会は
「富士越(90ページ)」のように、「実は二代目で、初代が枯れたのちに、再び命名されたものとされる。」と、
『〜されたものとされる』という憶測を語るかもしれない。
『現存するのは実は2代目の「王昭君」で、「王昭君」の名で存在した初代とは違う。』と言うかもしれない。
「母の愛(64ページ)」のように、「もうひとつ別品種が存在するので、まちがいがあった疑いも残る。」と言うかもしれない。
「初烏(42ページ)」のように、
「かつてはこれが初桜の名で存在したが、この品種は別に本物があり、記録を調べて「初桜(100ページ)」に相当するこが判明した。」と
勝手に品種を間違えていたことを、さも歴史の過ちのように語るのかもしれない。
もっと大胆に、古典園芸の歴史を無視して「これはさくらそう会での見解ですから、正しいのです。」と言い張るかもしれない。
鳥居著『色分け花図鑑 桜草』はさくらそう会50周年記念事業で生まれた本だから、内容が会因りのものであっても悪いわけではないから、正論である。

いずれにせよ、鳥居著『色分け花図鑑 桜草』を読むときも見るときも、注意が必要で、内容は全て鵜呑みにしては行けない。
掲載された画像が正統な品種で、品種の基準だなんてとんでもない話し。バイブル視してはいけない。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

舞扇(まいおうぎ) P 長花柱花 江戸後期 古い記録では「舞扇子」と記載
(鈴鹿「舞扇」掲載無し)
(鳥居36ページ「舞扇」:長柱花 江戸後期 類似品種 初鳥 天晴。
 株は小さいが、花つきがよく、まだ、あどけない踊り子のような感じで、江戸時代の花の趣きをよく表している。
 古記録では「舞扇子」と表現されている。)

鳥居氏の言葉使いは時々変で、このような本がどうして研究の参考文献になるのか理解に苦しむ。
鳥居氏は「表現」と書かいているのに、
『品種識別、親子関係、由来に関する情報』では記載 と書かれている。
なぜ本城氏は論文で「記載されている」と書き換えたのだろう。
研究内容に直接関係はないけど、こんな学位論文あるだろうか。
出典元があるなら、鳥居氏と本城氏は、古記録を証すべきだ。

鳥居氏はよく『時代の花の趣き』と書かれるが、抽象的なごまかしに聞こえる。
「旭の袂」のとき『桜草栽培初期の姿』という表現をしたが、
ここ「舞扇」では『江戸時代の花の趣き』だという。

江戸時代の花の趣きとは、どういうものをさすのか?
例えば、二倍体が生まれて三倍体へ、そして四倍体へというふうに、
桜草の花は人工的に試行錯誤を経て、順を追って変化してきた分けではない。
お米のように食味とニーズに合わせて作出された分けでもなく
色々なDNAがあり、そこから作出されてきたので、『時代ごとの特徴』は無いと思う。

鳥居氏の言葉使いは巧みで、マジシャンのようにまやかしで心を掴む。


(鈴鹿「初鳥」掲載無し)
(鳥居42ページ「初鳥」:短柱花 江戸末期 類似品種 こぼれ紅。かつてはこれが初桜の名で存在したが、この品種は別に本物があり、記録を調べて「初桜(100ページ)」に相当するこが判明した。)

「旭の袂」と「王昭君」、「初鳥」と「初桜」を、どうして間違うのでしょう?

(鈴鹿159ページ「天晴」:紅底曙白大輪筒白)
(鳥居47ページ「天晴」:突出長柱花 江戸末期 類似品種記載無し。)
(鈴鹿「こぼれ紅」掲載無し)
(鳥居51ページ「こぼれ紅」:短柱花 2005年認定 伊丹清発表 類似品種 初鳥。)





実物を見比べたら花の大きさや花容、花型の違いで区別できていると思うのだが
上記の画像のように同じ品種の花を見比べても、なんか色々混ざっているように感じた。
品種識別、親子関係、由来に関する情報』から脱線し、また、私がいうべきことではないのだが、
鳥居著「色分け花図鑑 桜草」を参考にしているという某サイトで掲示されている桜草の花の画像は、
他のサイトと明らかに違う品種の花の画像が、高い確立で掲示されていことに気がついた。
400種類を栽培されている方をもってしても、品種の取り間違いは起こるようで、
正しい品種保持の難しさを、改めて感じさせられた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

鋸峯(きょほう) P 長花柱花 大正?
(鈴鹿「鋸峯」掲載無し)
(鳥居145ページ「鋸峯」:長柱花 昭和前期 類似品種記載無し。)




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

小桜源氏 P 短花柱花 江戸中期(寛政~文化)  野性的
(鈴鹿「小桜源氏」掲載無し)
(鳥居148ページ「小桜源氏」:短柱花 江戸後期(寛政~文化年間・1789-1818年)。類似品種記載無し。
 かつて「桜源氏」と呼んでいたが、正しくは「小桜源氏」だった。)
(鈴鹿「桜源氏」掲載無し)



珍しく過去の過ちを公表している。鳥居氏とさくらそう会を通して流布しているかもしれないので、要チェックだ。
web上で「桜源氏」の画像は一枚しかみつけられなかった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

窓の梅 P 等花柱花 昭和38年 尾崎康一
(鈴鹿140ページ「窓の梅」:尾崎康一氏の作出 昭和38年選出。)
(鳥居45ページ「窓の梅」:同長花 1982年認定 尾崎康一氏発表 類似品種 梅が枝。)


鳥居著「色分け花図鑑 桜草」は東京のさくらそう会50周年記念事業で出版された、さくらそう会の会報であり、
会の認定品種しか掲載しておらず、図鑑などとはおこがましいにもほどがある。
尾崎康一氏の作出として昭和38年選出という事実がありながら、
鳥居著「色分け花図鑑 桜草」では作出年代と示しながら、さくらそう会認定年を記載している。
これは作出者と読者を愚弄する行為といえる。図鑑と銘打つなら、もっと客観的に事実を書くべきであろう。

本城氏も、作出年代だけキチンとしているところは、抜け目がない。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

梅ヶ枝 P 2倍体 長花柱花 江戸後期
(鈴鹿154ページ「梅が枝」:繁殖力がやや劣り、過湿になると根腐れを生じやすい。)
(鳥居21ページ「梅が枝」:僅長柱花 江戸末期 類似品種 窓の梅。性質は強く、云々。)

関西と関東の気候風土の違いもあると思われるが、「梅が枝」を栽培する際には、過湿に注意しないといけないようだ。


【梅が枝には、「梅が枝」と関西系「本梅が枝」が存在する。】
山原氏の旧Blog『日本桜草』2007年03月28日
くまさんのBlog『草花好きのひとりごと』さくらそう‘梅が枝’
Blog『趣味でさくらそう』さんの‘梅が枝’のサイトを覗くと、
「梅が枝」には関西系梅が枝=本梅が枝が在ると紹介されています。
鳥居著「色分け花図鑑 桜草」には、東京のさくらそう会認定品種しか載っていないため、記述すらない。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

寿 P 2倍体 長花柱花 ?
(鈴鹿「寿」掲載無し)
(鳥居「寿」:長柱花 昭和前期か? 類似品種 京鹿子 京撫子。
 花形は大きな五角形に見え、細かく切れた弁から、寿の字画を連想したものらしい。)

『寿の字画を連想したものらしい。』とは、誰が連想したというのだろう。
これも鳥居氏の勝手な憶測ですよね。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

春湖 P 2倍体 長花柱花 大正13年  西田信常
(鈴鹿163ページ「春湖」:大正十三年西田信常氏作)
(鳥居「春湖」掲載無し)



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

戦勝 P 2倍体 長花柱花 昭和初年 戸田康保 「墨田の花火」と実生兄弟
(鈴鹿164ページ「戦勝」:昭和元年戸田子爵実生)
(鳥居29ページ「戦勝」:僅長柱花 昭和初(1927)年頃 戸田康保発表。類似品種 墨田の花火 金陵台 心意気。
 花形、花色から軍旗を連想した名称と思われる。)
(鈴鹿164ページ「墨田の花火」:昭和元年戸田子爵実生)
(鳥居29ページ「墨田の花火」:僅長柱花 昭和初(1927)年頃 戸田康保発表。類似品種 戦勝 金陵台 心意気。
 「戦勝」と兄弟実生で、同時に発表された。)
(鈴鹿162ページ「金陵台」:紅爪白小輪)
(鳥居25ページ「金陵台」:突出長柱花 江戸末期 類似品種 戦勝 墨田の花火 心意気。
 金陵とは南京の古名で「南京小桜(32ページ)」の実生のなかから生まれたものと考えられる。)
(鈴鹿「心意気」掲載無し)
(鳥居50ページ「心意気」:僅長柱花 1997年認定 伊丹清発表 類似品種 戦勝 墨田の花火。)




鳥居「戦勝」
鳥居著「色分け花図鑑 桜草」のサブタイトルは「ー名前の由来と品種がわかるー」なのに、『〜と思われる。』と憶測が述べられているに過ぎない。
鳥居「金陵台」
『金陵とは南京の古名』で、「金陵台」は「南京小桜」の実生と考えられるそうだが、
「色分け花図鑑 桜草」32ページ「南京小桜」では、『南京とは小さくて可愛らしいものにつけられた形容である』と書いており、つながりを感じない。
しかし今、改めて読み返すと、「南京小桜」の品種名の由来であるとは書いてはいない。

鳥居氏の文法は巧く、マジシャンのようにタネがあり、実が無い。

参考までに
上段「舞扇」の項
(鳥居51ページ「こぼれ紅」:短柱花 2005年認定 伊丹清発表 類似品種 初鳥。)
(鳥居50ページ「心意気」:僅長柱花 1997年認定 伊丹清発表 類似品種 戦勝 墨田の花火。)
鳥居氏や東京のさくらそう会と伊丹清氏は、親密な関係なのだろうか。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

浪華さくらそう会の会員や山原氏のような桜草愛好者になると、
鳥居著『色分け花図鑑 桜草ー名前の由来と品種がわかるー』など、その内容に呆れるばかりで
話題にするにもアホくさいということで無視されるのかもしれないが、
桜草に魅せられたばかりの向上心ある無知な者には最高の本(図鑑)である。

先人からの知識を得て、立派な花を咲かせようと貪欲に読みあさるのだが
確証もない憶測ばかり述べられているとは露知らず、全てを信じて鵜呑みしてしまう。
判断材料を持ち合わせていないのだから。判断能力が欠落していて当然であろう。
私自身、これを書きながら初めて真実を知っている次第である。

鳥居著『色分け花図鑑 桜草ー名前の由来と品種がわかるー』は
一つ一つの内容は素晴らしく、納得しながら読んで観て楽しめる本だと思う。
でも、他と見比べたみたとき、記述は根拠の無い憶測談であることに気づく。
素晴らしい図鑑だと思い込んでいたのに、図鑑でもなんでもなく、
さくらそう会が独断で勝手に認定した品種を載せただけの、会報誌であることに気づく。

私は『品種識別、親子関係、由来に関する情報』を調べたかっただけなのに
調査結果をBlogに書くと、どうしても鳥居氏と東京のさくらそう会への苦言になってしまう。
正直、私は若輩者ではありますが同じ桜草愛好者の1人として書いていて楽しくないし、
後味悪くて疲れるので、もう止めようかと思うのですが、
今回のように「旭の袂」と「王昭君」、「初鳥」と「初桜」、のような
こういう間違いが潜んでいることに出遭ってしまうと、
影響力が大きい巨頭の著書なだけに『やはり止めるわけにはないかないな。』と改めて考えてしまう次第です。

  


Posted by さくら at 19:07Comments(0)日本桜草について