2013年05月18日
開花状況 駄温鉢.9 木枯
浦澤さんからいただいた木枯。
鳥居恒夫氏(東京のさくらそう会)とは関係ない所から、昭和50年代に入手したとのこと。
鳥居恒夫氏(東京のさくらそう会)とは関係ない所から、昭和50年代に入手したとのこと。
鳥居恒夫氏は自身の著『色分け花図鑑 桜草』P149前代未聞の項に
前代未聞は短柱花であり木枯と間違えて栽培している人が実に多いという旨を述べているが、本当だろうか。
桜草は古典園芸であり伝承されてきた植物なのに、東京は震災や空襲でなんども大きな被害を受けている。
一方で、東京の愛栽者から桜草を入手した関西地方には、高鴨神社に代表さるように、長く伝承されいる。
鳥居恒夫氏は前代未聞を短柱花とされているが、鳥居氏以外の先人の書物では前代未聞は長柱花となっている。
鳥居恒夫氏は高鴨神社や浪華さくらそう会などとも会合を重ねた上で、前代未聞を短柱花とされたのだろうか。
私にはそのような情報も噂も聞こえてこない。
鳥居氏は何を根拠に「木枯と間違えて栽培している人が実に多い」と広言するのだろう。
木枯と前代未聞を間違えて栽培していた人は、鳥居氏ではないのだろうか。
自分が所有する個体の価値観を高めるために、悪意を持って伝承をあやめたのではないのか。
春の雪を広めたこと然り。『色分け花図鑑 桜草』の行間から、そう感じられる。
色々な人に「前代未聞は本当に短柱花なのですか?」と訊ねると
「解らない。判らないけど鳥居さんがそう言っている。」と毎回同じ答えが返ってくる。
『色分け花図鑑 桜草』に記載されているのは事実だけど、
それは前代未聞は短柱花である真実の証拠ではない。
事実は真実ではないので鵜呑みできないのに、誰も深く考えていないのが残念だ。
鳥居氏と東京のさくらそう会の広言に、桜草愛栽者の善意に付け込む悪意を感じてしまう。
上記の他に下記画像の、矢口さん宅救助苗=新庄山野草会経由の前代未聞も調べたが、短柱花だった。
Posted by さくら at 16:00│Comments(0)
│日本桜草13