2013年12月19日

深谷鉢と高鴨神社の土

鳥居恒夫氏が世話人代表を務めている東京のさくらそう会は、深谷鉢を奨励しています。
深谷鉢は内側も釉薬が塗られており、鉢底穴も指1本で塞げるほど小さく
保水性が高いというか、乾燥対策なのだろうと感じました。
しかし、多くの桜草栽培者は夏場に用土が蒸れて根腐れ対策に苦慮されていますから、
排水性と通気性が劣る深谷鉢は桜草栽培には不向きではないのかと、かねがね考えています。

さて先日、興味深いメールを知人からいただきましたので、紹介します。
知人は京都在住で菊栽培を行っており、腐葉土も自分で作っておられ、今春から桜草栽培を始めました。
そして5月には高鴨神社で新規に苗を購入したのですが、残念ながら枯らしてしまったという内容です。
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 こちらもこの前の土日曜日に植え替えました。増えたもの2〜3割、消えたもの2種、生きているのか死んでいるのか分らないもの2種、後は現状維持でした。消えたもの1種と死んでいるのか生きているのか分らないもの2種が今年、高鴨神社から購入したものでした。大事に育てたつもりだったのですが残念な結果になってしましました。
 反省としては栽培環境の違いが一番だったのではないかと考えています。高鴨神社は山の上で夏でも涼しかったのではないでしょうか。開花時期が京都では3月中旬からだったのに比べ高鴨神社では5月からでした。それと用土。買ってきた苗の用土はほとんど養分のない土でしたし、それにあわせた土にしたもので肥料不足が原因ののような気がします。液肥も与えていたのですが礫のような用土だったので肥料を蓄えることもできなかったと思います。芽を増やす為には肥料を蓄えられるような用土、赤玉土+腐葉土を主体としたものがよいのではないでしょうか。
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このメールを読んで、一つの憶測が浮びました。
高鴨神社は明治初頭に東京から桜草の苗を購入して栽培が始まり、その栽培方法は親子三代に渡り伝承され、今でも受け継がれていると考えられます(菊の熱心な栽培者たちは落葉を集めて自分で腐葉土を作って栽培をしているように、昔からの方法を行っていれば、毎年赤玉土や鹿沼土などの用土を購入しなくて済みますしね)。一方東京では、というか全国的に園芸の用土は自前で作らず園芸店で購入するようになりました。師匠から伝承された用土作りが存在したと思えるのですが、鳥居恒夫氏のような諸先輩方が現代の事情に合わせた用土を広めてしまった気がします。

しかし、そこに大きな勘違い=矛盾があるように思えるのです。
孫半斗鉢は元々は壺ですから裏側も釉薬が塗られており、孫半斗鉢を模して作らせた深谷鉢も様式を模して裏側に釉薬を施したと思われます。前記しましたが深谷鉢の鉢底穴は指で塞げるほど小さく、これも孫半斗鉢を模したのでしょう(孫半斗の壺は柔くもろかったと聞きますから、大きく開口できなかったでしょうしね)。表裏釉薬を施し、鉢底穴も小さいことから孫半斗鉢は保水性を重視していると推察するのですが、このような保水性を重視の鉢に高鴨神社の用土なら相性が良いと感じます。

一方、深谷鉢のより以前に製作された関西の尾崎哲之助氏と越智英一郎さんの鉢、伝市窯の鉢底穴は大きく、排水性が高いです。これは当時既に赤玉土が使用されており、菊栽培と朝顔栽培の経験から現代の用土に合わせて施した結果ではないのでしょうか。形を真似て保水性が高い深谷鉢に、赤玉と腐葉土が入った現代の用土を使うから、夏場に蒸れてるのは当然ではないのでしょうか。

現代のノウハウしか知らなかった菊栽培経験者の知人は、桜草栽培の経験が無かったゆえに高鴨神社の桜草の用土を『こういうモノなんだ』と、なんら疑うこともなく現代のノウハウで栽培してしまったため、枯らしてしまったのではないでしょうか。用土作りと鉢選びは、自分の手間の掛け方と栽培場所の環境と、その地域の気象条件を加味して選ぶ必要があるようです。


上記とは関係ありませんが、深谷鉢に関する記事が在りましたので、紹介します。
石田精華園Blog 園主の日記
2013年1月25日 桜草鉢と加藤製陶所 -埼玉県深谷市 桜草鉢の加藤製陶所へお訪ねしました。-
http://www.ishidaseikaen.com/webshop/user_data/katouseitou.php

2020年12月24日野崎和生さんがコメントを下さいました。
貴重な話しでもあり、少しでも多くの方に知って頂きたく、本文の方へ掲載させてもらうことにしました。
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私は、昭和40年後半(正確な年度は覚えておりませんが)浪華さくらそう会へ入会しました。
当然、桜草の栽培も始めており、今日まで3度の転居や人生の変遷を得ながら桜草の趣味を続けております。
記事で、鈴鹿冬三さんの用土のことが記述されておりましたので、
私が40年後半から昭和53年ころまで、植え替え時期に高鴨神社へお手伝いに行っておりましたので、当時のことをお知らせします。

主の用土は、高鴨神社近くの山土である真砂土を小型ダンプで購入され、その用土を篩い分けしみじんも抜いておりました。
底土は小指の先くらいの粗めでしたが、みじんを抜いた土というより粗めの砂に腐葉土を少々混ぜておられました。
私のお手伝いは、真砂土のふるい分けや、鉢を洗うことなど雑用係でした。
高鴨神社は境内に池もあり、湿度もあるからと用土のことを説明されましたが、
5月の開花時は午前中にしおれるほど水はけがよかったです。根はきれいでしたね。思い出です。
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桜草愛好者の植え替え風景をSNSなどで拝見すると、根が黒く短い個体が多いので、地域の気候風土を用土が合ってないんだと感じています。
ところが高鴨神社では、しおれるほど水捌けが良くても根が綺麗だったのなら、用土が合っていたと考えられ、地域差を再認識させられました。
高鴨神社では鉢の下に受け皿を敷いていたのも、そのためだったのですね。お話を伺い合点がいきました。  

Posted by さくら at 19:00Comments(0)日本桜草の育て方