今更ですが.9

さくら

2010年01月28日 19:05

サクラソウ127園芸品種の葉緑体DNA型(ハプロタイプ)『品種識別、親子関係、由来に関する情報』
ハプロタイプ α
連鶴   短花柱花 明治?
絞竜田  2倍体 長花柱花 江戸後期 絞り、縞が安定せず紅色無地のものを「竜田の夕」と呼ぶ
南京小桜 2倍体 短花柱花 江戸中期 (享保)  最も古い、野性的

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連鶴(ツレヅル) α 短花柱花 明治?
(鈴鹿「連鶴」:記載無し)
(鳥居63ページ「連鶴」:短柱花 明治中期 類似品種: 白蜻蛉。)



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絞竜田(シボリタツタ) α 2倍体 長花柱花 江戸後期
(鈴鹿163ページ「絞竜田」:シボリタツタ)
(鳥居149ページ「絞竜田」:長柱花 江戸末期 類似品種: 落葉衣。絞りがよく出ると見事だが、紅無地になることも多く、これを「竜田の夕」と呼んで区別する。)
竜田の夕(たつたのゆうべ)
(鈴鹿「竜田の夕」:掲載無し)
(鳥居149ページ「竜田の夕」:長柱花 江戸末期 類似品種: 京鹿子 京撫子。「絞竜田」の紅無地になったもの。竜田とは紅葉の名所の竜田川のこと。「絞竜田」から変化したので、このように表現。)
(「京鹿子」:鈴鹿162ページ 鳥居 23ページ 割愛)
(「京撫子」:鈴鹿162ページ 鳥居 40ページ 割愛)

鳥居氏は限られたスペースの中で『竜田とは紅葉の名所の竜田川のこと。』と命名の由来を上手に述べていますが、
今イチ意味が判りません。紅葉の名所の竜田川地区で作出されたのでしょうか。それとも地名にあやかったという意味でしょうか。
いやいや、そもそも記載された由来事由は本当なのでしょうか。
鈴鹿著『日本サクラソウ』謡曲中からの日本サクラソウ品名の項144ページには
『竜田川:竜田 逆矛』『竜田姫:竜田』とありますが、「絞竜田」と「竜田の夕」の記載はありません。
出典は他にあるのでしょうか?
まさか「同じ竜田だから、命名由来も同じであろう」という鳥居氏の根拠無き憶測ではないでしょうね。




落葉衣(おちばころも)
(鈴鹿151ページ「落葉衣」:(オチバゴロモ)鴇色地に紅絞切り弁平咲中輪で、小絞りのものや、砂子絞り、ときには無地花も出ます。絞り系統のものは、はっきりと固定していないものが多いので、このような変化がみられるが、他の絞り系のものと比べて可憐です。人気品種ですが、性質はやや弱い、江戸時代の古花。(鴇色=トキ色=朱鷺色のことらしい。))
(鳥居147ページ「落葉衣」:短柱花 江戸末期 類似品種: 記載無し。絞りの葉は易変遺伝子によるので、時には真っ赤な花が咲くこともあり、よい絞りの株を維持するために、赤無地の株は淘汰しなくてはならない。)

今更ですが.8』【前代未聞 2倍体 短花柱花 江戸後期】にも記載しましたが、
(鈴鹿著147ページ「前代未聞」:この花と同一のものに有名な「木枯」(短柱花)があるが、差異は長柱花と短柱花だけの差であるといわれています。)
(鳥居著149ページ「前代未聞」:短柱花。江戸末期。「木枯」と間違えている人が実に多いが、短柱花であること、草丈が低いことで見分けられる。)
(鳥居著147ページ「木枯」:長柱花。江戸末期。「木枯」と間違えている人が実に多いが、短柱花であること、草丈が低いことで見分けられる。まったく紅無地になったものを「花大将」と呼ぶ。)
(鳥居著147ページ「花大将」:長柱花。江戸末期。「木枯」が紅無地になったもの。)
とそれぞれ書かれており、鳥居氏の主張では、「木枯」が紅無地になったものが「花大将」です。

「絞竜田」の紅無地になったものが「竜田の夕」。
「木枯」が紅無地になったものが「花大将」。
なのに「落葉衣」の赤無地の株は無名扱いで、しかも、どうして淘汰しなくてはいけないのでしょうか?
理由が解りません。とても乱暴な主張であり記述に思えるのですが、
それに同調している東京のさくらそう会の会員は、不思議に思わないのでしょうか。
そもそも「淘汰しなくてはいけない」などと記述する意味はなく
下衆な私は、これも鈴鹿氏への当てつけに思えてなりません。



竜田姫(タツタヒメ)
(鈴鹿157ページ「竜田姫」:移り白、地紅絞りのかがり平咲中輪。弁幅は広く縦の絞りが多く出る。花茎は剛直。
(鳥居「竜田姫」:掲載無し)
「絞竜田」「竜田の夕」とは関係無いのかしら。



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南京小桜 α 2倍体 短花柱花 江戸中期 (享保)  最も古い、野性的
(鈴鹿149ページ:現存しているサクラソウの品種中最古のもの(享保時代)といわれています。)
(鳥居32ページ:江戸中期(享保年間・1716-36年といわれている。)。以下、長文ゆえ省略。)

鳥居氏の南京小桜の説明は「色分け図鑑桜草」の中でももっとも広く説明されている品種になっている。
私は『品種識別、親子関係、由来に関する情報』を調べているので、深く追求しませんが、
鳥居氏の南京小桜説明の中に記載されている『櫻草作傳法』と『地錦抄附録』について
浪花さくらそう会長の山原氏が自身のBlog『日本の桜草と美術』の中で
『櫻草作傳法』と『地錦抄附録』について書かれているので、鳥居氏の解釈を留意しながら読み比べると、面白いです。

山原氏のBlog『日本の桜草と美術』
カテゴリ桜草栽培史 2008年07月11日
桜草栽培史18 江戸での桜草栽培状況について(再)
カテゴリ桜草栽培史 2008年07月15日
桜草栽培史19ー江戸での桜草栽培状況について(再々)

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