2008年10月29日

本当だけど嘘

昨夜の掲載で、私『西通川にメダカは居なかった。』と書きましたが、西通川には以前からメダカは居ました。どういうことか説明する前に、西通川を簡単に説明させてもらうと、1601年に米など物資を運ぶために造られた、日向川と月光川を結んだ運河が西通川なんです。

上記の説明を聞けば、1本の川のように受け取れますが、
実は西谷地地区の橋の下で流れが分断されており、繋がっていません。

西谷地地区から月光川へ流れる北側は
月光川土地改良区の管轄で、
月光川から取水された水が流れおり、月光川水系になります。
西谷地地区から日向川へ流れる南側は
日向川土地改良区の管轄で、
日向川から取水された水が流れおり、日向川水系になります。

つまり西通川は、水源と流れる方向が違う2本の川(水路)なんです。



説明がややこしくなるので、西谷地地区から月光川へ流れる北側を北西通川、西谷地地区から日向川へ流れる南側を南西通川と、此処では勝手に呼ばせてもらいますが、月光川水系の北西通川には西遊佐小学校が放流するまでメダカは居なかった。でも日向川水系南西通川にはメダカは居ました。と私は言っているのです。

でも現実は、河川名は西通川一つなので、南西通川で採捕したメダカを「西通川のメダカです」と呼んでも、嘘ではありません。でも、その説明を受け取った側の心情としては、北西通川のメダカ=日向川水系のメダカを月光川水系のメダカと解釈してしまっているわけで、虚偽ですよね。その結果、善意の環境偽装を招いたと私は危惧しているわけです。

私の勝手な呼称を用いて説明すると、西遊佐小学校の総合学習は「命あふれる北西通川にしたい」となります。西通川という名称は、土地改良区の管轄も違うわけですから、区別できるよう変更するのも一考ではないでしょうか。


タグ :メダカ

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この記事へのコメント
西通川って運河として造られた川だったんですか。
水系が違うのも、地元に住んでいながら全然知りませんでした。
勉強になりました( ..)φメモメモ
Posted by はらほろはらほろ at 2008年10月29日 17:39
はらほろさん、こんばんわ。
寒くて動きたくない今日この頃ですが、
西谷地地区の橋下を見てみて下さい。
なかなか見られない事なので、変に感動します。
アヒルとか流してみたくなります。(^^;
Posted by さくらさくら at 2008年10月29日 23:02
はてな?
私は幼少の頃、貴殿がおっしゃるところの「北西通川」の近所に住んでいましたが、川でよくメダカ採りをして遊んだものでした。
昭和45年頃です。
その頃は居たのに、その後絶滅した、と言うことでしょうか???
そもそも、分水しているとはいえ、南には居て北には居ない、なんてあるものでしょうか?????
Posted by 元遊佐町民 at 2009年06月08日 18:15
元遊佐町民さん、
昔の話しはとても貴重で、書き込みくださりありがとうございます。

>>その頃は居たのに、その後絶滅した、と言うことでしょうか???

時代が違うので確認出来ない現実があり、今の私は何とも言えませんが
私たちが調査した時にはメダカは確認されませんでした。
失礼な返信になりますけど、
朝日村では、小さな魚=メダカと称していましたので、
メダカ採りされていた魚は、本当にメダカなのかも、確認したい処です。

>>南には居て北には居ない、なんてあるものでしょうか?????

ありますよ。 昔は知りませんけど、今はそうです。

月光川水系は独特の生態系があるのですが、流域が短く
昭和40年代の基盤整備事業で、環境が大きく変わってしまったので
元遊佐町民さんのような方々の昔の話しは、とても参考になります。
洗沢川にはサクラマスが遡上していましたし、無斑点岩魚も居たそうです。
高瀬川はアメマスの宝庫でした。今は川の流れそのものが改修されてしまいました。
熊野川にもアメマスやサクラマスが遡上して、
月光川はアブラハヤがたくさんいました。
某集落から某集落にかけての沢にはカジカとハナカジカが居たそうですが
今では確認できません。
元遊佐町民さんのような方々の昔の話しは、
何か形に残して置くべき貴重な財産だと感じています。

遊佐には福寿草が自生していたようですし、
私も自生していたはずだと感じています。
遊佐の自然は生物多様性に富んだモノだったと感じていますが、
多くが、今と成っては憶測の域を脱せず、残念に感じています。

ときに、元遊佐町民さんの時代に、ホトケドジョウは居たでしょうか?
太く短いドジョウで、クソドンジョとか呼ばれていました。
Posted by さくらさくら at 2009年06月08日 19:45
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