2011年01月14日

vol.1 鳥居恒夫

桜草が古典園芸なら、不変のまま後世に伝え残すことも現代の務めと若輩ながら想うわけでして、先人の書物は貴重な資料であり財産でもあります。

若輩者の私には2006年2月に発行されたさくらそう会世話人代表鳥居恒夫著『色分け花図鑑 桜草』(学習研究社)と、昭和51年(1976年)5月初版浪華さくらそう会の会長を努めた鈴鹿冬三著『日本サクラソウ』(NHK出版)の2冊は、現在入手できる先輩の教えの書であり後世に残る貴重な資料のひとつです。

桜草の園芸品種栽培を始めたばかりの私にとって、綺麗な画像が満載の『色分け花図鑑 桜草』を手にした時の歓びは大きく、四六時中暇さえあれば眺めていたほどです。一方、文字ばかり多くて古くさい言い回しと内容の『日本サクラソウ』は、桜草の園芸品種栽培を始めたばかりの私にとって難解で面白くなく、正直いって、購入後に読み返すとは思えず、再三悩みました。桜草のことを書くBlog管理者として仕方無く購入したというのが本音です。

ところが、心情は徐々に大きく変化します。
この図鑑と称す『色分け花図鑑 桜草』は、眺めている内は大変良かったのですが、読解しようとすると腑に落ちない一文が多々表れます。

桜草の園芸品種栽培経験が非常に浅い私でさえ疑問に感じる解説文が多く、栽培者として先輩にあたる鈴鹿冬三氏を蔑む姿と代々の栽培者に対する畏敬の念を行間に感じないのです。さくらそう会画像協力の図鑑であるべき処に私的な感情が書かれているように思えます。

図鑑として画像優先ということもあり、充分な解説を掲載できないということもあるでしょうが、断定するに到った経緯と根拠が述べられていないのことが、非常に残念でなりません。ゆえにその解説を鵜呑みにはできませんし、『日本サクラソウ』と読み比べるだけでも、違う見解をみつけることができます。例えば前代未聞。鈴鹿冬三氏は『日本サクラソウ』の中で前代未聞を長柱花、類似品種の木枯を短柱花と記載していますが、鳥居氏は『色分け花図鑑 桜草』で全く逆の説明をしています。当然木枯の芽変わり紅単色の花大将にも影響が及び大事態です。先輩である鈴鹿冬三氏の主張=古い本の内容を否定されるのなら、鳥居氏とさくらそう会は何らかの形で根拠を示すべきでしょう。

鈴鹿冬三氏は奈良の高鴨神社の宮司を務めた方で、『日本サクラソウ』を読みますと、鈴鹿冬三氏の義父である鈴鹿義一氏は、京都の勧修寺氏を通じて、東京府巣鴨上駒込染井の常春園伊藤重兵衛氏から大正初期以降から約250品種を購入し、現在に伝わると書かれています。本文には大正13年3月(1912年)の請求書と領収書の写真が紹介されています。

『日本サクラソウ』に購入した品種の目録は記載されていませんが、古い品種のひとつである前代未聞が伊藤重兵衛氏から伝わったと推察するのは容易なことではないでしょうか。『日本サクラソウ』は1976年初版ですから、鈴鹿家=高鴨神社では江戸で代々植木屋を営んできた常春園の桜草を64年受け継いできたことになります。ちなみに鳥居恒夫氏は1938年生まれで1952年(昭和28年)さくらそう会創立以来の会員。

さくらそう会世話人代表鳥居恒夫氏は、『色分け花図鑑 桜草』の巻頭でこの本を『現代の桜草銘鑑ということができる。』と自画自賛され、『信頼して利用していただきたいと思う。』と書いているが、到底信頼おけない内容なのである。写真集としては素晴らしい本ですが、図鑑としては後世に残してはいけない悪書であり、図鑑とするなら誤った情報を後世に伝えないためにも即刻廃盤とすべき本でしょう。

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