2010年02月09日

今更ですが.17

サクラソウ127園芸品種の葉緑体DNA型(ハプロタイプ)『品種識別、親子関係、由来に関する情報』
最後となったハプロタイプ γ は、61品種もあるので、数回に分けて記していきたいと思います。
今回は短花柱花と等花柱花の12品種を掲載します。
調べるといても、もはや惰性です。

ハプロタイプ γ
牡丹獅子  短花柱花 江戸後期 「乙女の袖」現存品と同品
銀孔雀   短花柱花 明治 「露の衣」現存品と同品
枝珊瑚   短花柱花 江戸後期
雨中の桜  短花柱花 明治
若藤    短花柱花 明治?
四季の峰  短花柱花 大正?
藤の里   短花柱花 昭和30年頃 尾崎哲之助
山下白雨  短花柱花 昭和58年 鳥居恒夫
朱鷺の雛  等花柱花 江戸後期
誰が袖   等花柱花 明治? 「産衣」と同品
衣通姫   短花柱花 明治?
小笹の雪  等花柱花 大正5年頃 永井誠也

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牡丹獅子 γ 短花柱花 江戸後期 「乙女の袖」現存品と同品
(鈴鹿166ページ「牡丹獅子」:紅摑(つかみ)垂咲大輪)
(鳥居90ページ「牡丹獅子」:短柱花 江戸末期 類似品種記載なし。浅かがり波打ち広弁狂い抱え咲き。花はよくそろって育てやすく、よくふえる。)
(鈴鹿156ページ「乙女の袖」:表移白裏紅の抱え咲き広弁最大輪。豪華な花であるため、一般的に人気がある。性質も上部であるから比較的作りやすい。)
(鳥居「乙女の袖」記載なし)

鈴鹿氏の解説を読むと、鳥居氏「牡丹獅子」と主張している花こそ「乙女の袖」ではないのか。
「前代未聞」と「木枯」の時も長花柱花と短花柱花が鈴鹿氏と真逆だった。
鳥居氏の主張には根拠が無いので確証されておらず、古典園芸であるさくらそうでは古い記述が基本ではあるまいか。
此処まで調べてきて、鳥居氏と東京のさくらそう会が『BはAと同品種』という同定に、多いに疑問を持つに至っている。

今更ですが.17


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銀孔雀 γ 短花柱花 明治 「露の衣」現存品と同品
(鈴鹿162ページ「銀孔雀」:表白裏薄色大輪。)
(鳥居56ページ「銀孔雀」:短柱花 明治後期 類似品種「綾波」。「露の衣」の名で伝わっていたものは同品種。)

(鈴鹿「綾浪」:表白裏薄色中輪。)
(鳥居136ページ「綾波」:僅長柱花 明治中期か 類似品種「銀孔雀」。
 このような淡い紫桃色の微粉を流した霧のような花の色を、桜草では昔から薄色(うすいろ)と呼んできた。)

正直、鳥居氏の解説を読むまで、“薄色”のことを知りませんでした。
鈴鹿128ページ「サクラソウの花色」の項には
『花の色は、各人その見た感じによってその表現もいくぶん異なることがあります。』と書かれ
その例えの1つに“薄色”があるだけで、具体的な色彩の記述はありません。
とはいえ、鈴鹿氏が書かれたように、『花の色は、各人その見た感じによってその表現もいくぶん異なる』ようで
鈴鹿氏は「銀孔雀」を表白裏薄色大輪と表現しています。

「綾波」の解説の中で、鳥居氏が唐突に花色の解説をしているのが引っ掛かり
『これは鳥居氏に何か下心がある』と感じて調べたら、
“薄色”の意味と、鈴鹿氏が「銀孔雀」を表白裏薄色大輪と表現していた事に気づいた次第ですが
さすが鳥居氏、言葉巧みなマジシャンである。鳥居著「色分け花図鑑 桜草」を読み返すと、
135ページ「薄色の花」の項では“薄色”という表現ばかりで、
他の項では“薄色”を使用せず、「明るい」「暗い」「濃い」「淡い」のみであった。
『花の色は、各人その見た感じによってその表現もいくぶん異なる』のが極自然なことですから
“薄色”だけ定義付けした上で品種を紹介するのは如何なのでしょう。
鳥居氏と東京のさくらそう会は、独自に勝手に定めた基準判断の1つに、“薄色”があることは解りました。
鳥居氏と東京のさくらそう会において『薄蛇の目』は“薄色”の花かもしれませんが、私にはそうは思えません。
(鈴鹿160ページ「薄蛇の目」酔白平咲中輪。)←酔白とは言えて妙。鈴鹿氏の見識の広さか。(^^)

web上に「露の衣」の画像なし

今更ですが.17


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枝珊瑚 γ 短花柱花 江戸後期
(鈴鹿160ページ「枝珊瑚」)
(鳥居21ページ「枝珊瑚」:短柱花 江戸末期 類似品種「神通力」「丹頂」。)

(鈴鹿163ページ「神通力」)
(鈴鹿28ページ「神通力」:僅長柱花 江戸末期 類似品種「枝珊瑚」「胡蝶の舞」「秀美」
 「神通力」の名前からは作出者の自信のほどを知ることができる。)

「心意気」の項でも同じことを記載している。

(鈴鹿「丹頂」記載なし)
(鳥居31ページ「丹頂」:僅長柱花 江戸末期 類似品種「枝珊瑚」「神通力」。
 花の美しさでは最高のもので、江戸時代以来、名花として伝わる。繁殖力は旺盛とはいえず、所有者も少ない。
 丹頂鶴からの連想か。「丹鳥」と書かれたこともある。)

品種由来の項は素直に感動して読めたが、名花であるなら、もっと普及しているはず。
なんのことはない、所有者が少ないことを良いことに、鳥居氏の鉢自慢話しではないか。

今更ですが.17


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雨中の桜(うちゅうのさくら) γ 短花柱花 明治
(鈴鹿155ページ「雨中の桜」)
(鳥居76ページ「雨中の桜」:短柱花 明治中期 類似品種記載なし。)

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若藤 γ 短花柱花 明治?
(鈴鹿133ページ「若藤」:『サクラソウの品種を選ぶには』の項「弱いもの」)
(鳥居125ページ「若藤」:短柱花 昭和前期か。記録は見当たらないが、戦前より存在した。)

大城氏記載の『明治? 』は、鳥居著「さくらそう」1985年にでも記載されていたのか?
鈴鹿氏は『サクラソウの品種を選ぶには』の項「弱いもの」として
三保の古事、大和神風、楊柳の笛、若藤の4品種を挙げている。
此処まで色々調べて書いてきて、栽培してみたいと思うようになった。

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四季の峰 γ 短花柱花 大正?
(鈴鹿「四季の峰」記載なし)
(鳥居97ページ「四季の峰」短柱花 昭和前期か 類似品種記載なし。実物が伝わっていた品種で、どこにも記録がない。)

実物と共に名札も伝わっていたのだろうか。
『どこにも記録がない』のは、「四季の峰」という品種名が間違いということで、調べれば該当する品種があるのでは?
でももし実物と共に名札も伝わってきたとするなら、そのまま大切に伝えていくのが良い選択だと思う。
しかし、此処までの鳥居氏と東京のさくらそう会の有様をみてきて、勝手に命名したような気がしてならない。

大城氏記載の『大正? 』は、鳥居著「さくらそう」1985年にでも記載されていたのか?

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藤の里 γ 短花柱花 昭和30年頃 尾崎哲之助
(鈴鹿140ページ「藤の里」:藤色抱咲きの大輪で美しい)
(鳥居132ページ「藤の里」:短柱花 1982年認定 尾崎哲之助発表 類似品種「真如の月」)

(鈴鹿163ページ「真如の月」:表白裏淡桃色つかみ咲大輪)
(鳥居61ページ「真如の月」:僅長柱花 江戸末期 類似品種「藤の里」)

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山下白雨 γ 短花柱花 昭和58年 鳥居恒夫
(鈴鹿「山下白雨」掲載なし)
(鳥居69ページ「山下白雨(さんかはくう):短柱花 1997年度認定 鳥居恒夫発表 類似品種「喰裂紙」「母の愛」。
 古花の「喰裂紙」より大輪で、少し遅く咲き、長く楽しめる。繁殖は中程度だが、確実にふえ、「喰裂紙」を育てる人が少なくなった。)

「丹頂」もそうだが、自己顕示欲の凄さを感じる。
以下、2010年01月30日『今更ですが.10』ハプロタイプ G「喰裂紙」で記載したので割愛。
http://nihonsakurasou.n-da.jp/e129938.html

以前も書いたが、研究の趣旨からこのような新しい品種をサンプルとする必要はあったのだろうか?
遣らないよりは遣った方が良いし、これからも園芸品種のハプロタイプを調べてほしい。

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朱鷺の雛 γ 等花柱花 江戸後期
(鈴鹿151ページ「朱鷺の雛」:表白裏薄鴇色のつかみ垂れ咲きの大輪で、鴇色系の代表的作品。江戸時代からの名花で、丈夫ですが、暑さにやや弱いです。)
(鳥居144ページ「朱鷺の雛」:僅長柱花 明治中期か 類似品種記載なし。広桜弁、つかみ咲き、垂れ咲き。花弁の裏側は淡いとき色、表は純白色。
 弱そうに見えるが、繁殖力も強く、よい芽を育てれば咲きそろう。「手弱女(たおやめ)」の名で呼ばれていたものは同品種。)

(鈴鹿164ページ「手弱女」:表白裏薄鴇色大輪)
(鳥居「手弱女」記載なし)

鳥居氏と東京のさくらそう会は、どこにも記録は無いが実物が伝わっているとして「四季の峰」を認定しているが、
品種名と花が正しいか否か確認が取れていない状況で認定したことになる。
「手弱女」は「朱鷺の雛」の同品種ということだが、記録を根拠に同品種であると同定したのか?
「手弱女」は「朱鷺の雛」の同品種ということだが、同品種なのに、なぜ品種名に「朱鷺の雛」を選択したのか?
一方、鈴鹿氏はキチンと区別して表記している。
「朱鷺の雛」:表白裏薄鴇色のつかみ垂れ咲きの大輪
「手弱女」:表白裏薄鴇色大輪
古典園芸である桜草の先人の記述を、何を根拠に否定したのか、鳥居氏と東京のさくらそう会は、その根拠を示すべきだ。

大城氏は『江戸後期』だが、鳥居氏は『明治中期か』となっている。また、大城氏では「手弱女」は同品種と記載していない。
鳥居著「さくらそう」1985年では『江戸後期』で、同品種と同定されていなかったのではないのか。

今更ですが.17


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誰が袖(たがそで) γ 等花柱花 明治? 「産衣」と同品
(鈴鹿「誰が袖」記載なし)
(鳥居82ページ「誰が袖」:同長花 明治中期 類似品種「雨中の桜」。基部の細い広桜弁、狂い抱え咲き。
 緻密でゆったりとした絹地のような感覚から、この名前が生まれたのではないのか。「産衣」の名で存在したものは同品種。)

(鈴鹿160ページ「産衣」:表白裏薄桃色白斑入狂咲大輪)
(鳥居「産衣」記載なし)

鳥居氏の花形説明文『基部の細い広桜弁、狂い抱え咲き』から思うと、
初産の母親が、初孫を得た両親にそっと赤ん坊を差し出して、寝顔をみせようとする姿を連想してしまう。「産衣」という品種名には合点がいく。
鳥居氏は「誰が袖」という品種名からの憶測だが、私は鳥居氏の花形説明文からの憶測であるが、
言葉を選ぶ先人が、「誰が袖」と「産衣」を混同するとは思えない。
鈴鹿氏に「誰が袖」の記載はなかったが、「産衣」を読むと、異名同種とは思えない。

今更ですが.17


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衣通姫 γ 短花柱花 明治?
(鈴鹿144、164ページ「衣通姫」)
(鳥居82ページ「衣通姫」:短柱花 明治中期か 類似品種「人丸」「槙の尾」。謡曲からの出典か。)

『謡曲からの出典か』とはなんたる言いぐさ。鳥居氏は品種由来をきちんと調べていないようだ。

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小笹の雪 γ 等花柱花 大正5年頃 永井誠也
(鈴鹿「小笹の雪」記載なし:122ページ『大正時代以降のサクラソウ愛好家』「永井誠也氏が約600種、(中略)作出命名しました。」)
(鳥居55ページ「小笹の雪」:同長花 大正5(1916)年頃 永井誠也発表 類似品種記載なし。
 江戸時代の天保年間(1830-44年)の著作と考えられる『櫻草作傳法』には、薄黄小輪という花の記載がある。
 黄色の花の色素を持たない桜草では、この品種の程度のものであったのではないかと推察される。)

(鈴鹿115ページ「江戸時代のサクラソウに関する記述」の項:水野元勝著(延宝9年、1681年)『花壇綱目』「桜草花薄色白黄あり小輪咲三月の時分也。云々。」(中略)。ところが、ここで少し気になることは、記載中に、黄という字が見えますが、日本サクラソウには現在黄花はありません。はたして当時あったかどうかという、ことです。天保の頃には、井出の里、あるいは金花山という品種が記載されていることから推測しますと、あるいはあったのかもしれません。)

「薄蛇の目」を酔白と趣ある表現をした鈴鹿氏の文を読み
『ほお〜。』と素直に感嘆し、イワヒバの品種名を連想してアレやコレや想像して楽しめましたが、
『この品種の程度のもの』と表記する鳥居氏の文には、味がないと感じ、興醒めしました。

永井誠也氏独りで約600種も作出命名したとは驚き。
他にも有名な愛好者も居るわけで、品種名だけでも何千も在って当然なのですね。
だからといって勝手に改名や異種同名扱いして良い道理はどこにもない。

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