2010年02月08日

今更ですが.16

サクラソウ127園芸品種の葉緑体DNA型(ハプロタイプ)『品種識別、親子関係、由来に関する情報』
最後となったハプロタイプ γ は、61品種もあるので、数回に分けて記していきたいと思います。
まずは長花柱花16品種を掲載します。

ハプロタイプ γ
萩の上風  長花柱花 ?
銀世界   長花柱花 江戸中期 (寛政~文化)
高砂染   長花柱花 江戸中期(寛政~文化) 「綾千鳥」と同品
薫る花風  長花柱花 江戸後期 (天保)
化粧の舞  長花柱花 江戸後期 「霞の衣」と同品
甘泉殿   長花柱花 江戸後期 「漢泉殿」とも書く。「清見潟」は同品
所縁の袖  長花柱花 江戸後期 「強勇競」「雲井鶴」現存品と同品
手拍子   長花柱花 江戸後期 「雨後の月」現存品と同。野生の白花に近い。
三国紅   長花柱花 江戸後期 野生品に近い
槇の尾   長花柱花 江戸後期?
九十九獅子 長花柱花 江戸後期
由加里の袂 長花柱花 明治?
桃園    長花柱花 明治?
夕陽紅   長花柱花 大正7年頃 田村景福
上絞    長花柱花 昭和初年 大鐘あぐり 「土佐の海」現存品は同品
春告鳥   長花柱花 昭和57年認定 尾崎康一

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萩の上風 γ 長花柱花 ?
(鈴鹿165ページ「“萩”の上風」)
(鳥居「“萩”の上風」記述無し)荻の上風
(鳥居139ページ「“荻”の上風」:長柱花 明治中期 類似品種記載なし。
 「“萩”の上風」の名で通っていたが、出典は和歌や謡曲にあり、「“荻”の上風」に訂正した。
 『和漢朗詠集』に「秋はなを夕まぐれこそただならぬ荻の上風萩の下露」と歌われる。「萩の下露」の名で存在するものは同品種。)

埼玉県花と緑の振興センターは「“萩”の上風(はぎのうわかぜ)」
筑波大学農林技術センターでは「“荻”の上風(おぎのうわかぜ)」。
ハプロタイプ β「折紙附」の項でも触れたので、割愛。

鳥居氏は『(桜草の命名由来の多くは)出典は和歌や謡曲にある』という慣例から
「“荻”の上風」という一文をみつけたことで『これだ!』と思い込み訂正したとしか思えない。
『「大須磨」は、先に「小須磨」が在ったので、命名された』というのも勝手な思い込みだし
鳥居氏が改名行為を行ってしまう動機の多くは根拠がなく、
世話人代表として担いでいる東京のさくらそう会は、みずからも由来などを検証されてみては如何であろう。

「萩の下露」という品種が存在するのか否か、私は判りませんが、
桜草の命名由来の出典の多くが和歌や謡曲にあるならば、「荻の上風」と「萩の下露」が異名同種であるだろうか。
と同時に、もし「萩の下露」が存在する品種なら、鳥居氏の言われるように「荻の上風」が正しいと感じる。
しかし鳥居氏は、『出典は和歌や謡曲にある』という書いているだけで、『和漢朗詠集』とは書いていない。
「萩の下露」は「荻の上風」と同品種である理由として『和漢朗詠集』を掲げているに過ぎない。
このあたりの文章は、さすが鳥居氏、巧みである。

今更ですが.16


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銀世界 γ 長花柱花 江戸中期 (寛政~文化)
(鈴鹿154ページ「銀世界」)
(鳥居57ページ「銀世界」:長柱花 江戸後期(寛政~文化年間・1789-1818年) 類似品種「富士の雪」)

(鈴鹿165ページ「富士の雪」)
(鳥居65ページ「富士の雪」:長柱花 江戸末期 類似品種記載なし。)
「銀世界」の類似品種に「富士の雪」があり、「富士の雪」の類似品種に記載が無いのはどうしてだろう。
類似品種は鳥居氏の主観で述べているのは理解しているが、類似しているなら相互関係であるべきだと思うのだが・・・。

今更ですが.16


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高砂染 γ 長花柱花 江戸中期(寛政~文化) 「綾千鳥」と同品
(鈴鹿「高砂染」記載なし)
(鈴鹿164ページ「高砂」:表白地緑紋裏淡紅大輪)
(鳥居150ページ「高砂染」:長柱花 江戸末期 類似品種記載なし。
 花弁の裏側は桃色、表は白色で弁先に緑色の斑が入る。この緑斑を高砂の松に見立てた名か。
 めすらしいことに3色花ですが、緑斑が出ない株もあり、よく出る株を残すようにする。
 「綾千鳥」の名で栽培されているものは同品種。)
(鈴鹿「綾千鳥」記載なし)

鈴鹿氏に「高砂染」は記載されていないが、「高砂」なら在る。花の特徴からして同品種と思われる。
鳥居氏は此処でも勝手に改名してしまっていた。
『木枯』なのに『木枯絞り』と名札をさしてた方も居られたが、『木枯』の存在を知っているから誤りに気づけたが、
「高砂」と「高砂染」を(「手中の玉」と「酒中の玉」も?)、誰が改ざんされた異名同種と気づくだろうか。
(「木枯」に「木枯絞り」と名札をさしていた人もおり、新種なのか誤りなのかすら、判らない事例が多い。)
鳥居著「色分け花図鑑 桜草」のサブタイトルは、『名前の由来と品種がわかる』だが、
名前そのものが勝手に改名されていたら、誰も正しい由来をさぐることはできないわけで、これは誤りではなく偽装である。
私は『品種識別、親子関係、由来に関する情報』を調べているだけで
名前の由来と品種同定を行っているわけではないので、これは誰かに行ってもらいたい。
さくらそうの現物を見て全品種をやってほしい分けではない。
東京のさくらそう会認定品種を調査すれば解決する問題なので、此処は会に自浄していただきたい。鳥居氏がご存命の内に。

「高砂染」なる品種の由来を『この緑斑を高砂の松に見立てた名か。』と書かれているが、似たような事を「青葉の笛」でも述べている。
桜草の品種命名の出典元の多くが和歌や謡曲にあるならば、見た目の主観をもった憶測を由来として書くのは、ごまかしではではないのか。

『緑斑が出ない株もあり、よく出る株を残すようにする。』と書かれているが
浪華さくらそう会長山原茂氏が
『今更ですが.13』ハプロタイプ H「松の雪」の項に寄せてくださったコメントを此処にも掲載しておきます。

「柳の雪」など緑に斑が入るのは、ヴィールスのせいで、緑色と弁先の不整形が特徴です。
しかも年に寄って、作柄の違いによって斑の出方や弁先が大きく変わります。
どの品種も元々は別のものだったのでしょうが、罹病してからは似たり寄ったりで区別は出来ません。
どれか一つ斑入り種として持っていればいいものです。

web上に「綾千鳥」の画像なし

今更ですが.16


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薫る花風 γ 長花柱花 江戸後期 (天保)
(鈴鹿161ページ「薫る花風」:鴇色大輪)
(鳥居142ページ「薫る花風」:長柱花 江戸末期 類似品種「旭鶴」。) 

(鈴鹿159ページ「旭鶴」:紅底白大輪(現存している「旭鶴」とは異なる)
(鳥居142ページ「旭鶴」:長柱花 明治中期 類似品種「薫る花風」。
 もとの名は「入日の灘」であったが、いつごろか「旭鶴」の名で流布した。) 
(鈴鹿160ページ「入日の灘」:朱鷺色大輪)

現存している「旭鶴」は「入日の灘」と判っているなら、これこそ訂正するべきであり、
違うと判っていながら流布し続ける東京のさくらそう会は、どういう了見であろう。

今更ですが.16


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化粧の舞 γ 長花柱花 江戸後期 「霞の衣」と同品
(鈴鹿「蝶遊」「化粧の舞」の記述なし)
(鳥居「蝶遊」「化粧の舞」の記述なし)
埼玉県花と緑の振興センター「サクラソウ保存品種一覧」に「化粧の舞」は掲載されていました。

『今更ですが.14』ハプロタイプ γ「霞の衣」の項に記したので、割愛。
(鈴鹿161ページ「霞の衣」)
(鳥居40ページ「霞の衣」:僅長柱花 江戸末期 類似品種掲載なし。)

web上に「蝶遊」の画像なし。

今更ですが.16


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甘泉殿 γ 長花柱花 江戸後期 「漢泉殿」とも書く。「清見潟」は同品
(鈴鹿143ページ「甘泉殿」:『謡曲中からの日本サクラソウ品名』)
(鳥居97ページ「甘泉殿」:僅長柱花 江戸末期 類似品種「東鑑」「百夜車」。
 「漢泉殿」とも書かれたが、意味を考えると「甘泉殿」でなくてはならない。清見潟の名で存在したものは同品種。)
(鈴鹿162ページ「漢泉殿」:裏桃色表白大輪)
(鈴鹿162ページ「清見潟」:裏薄紅色表白大輪)
(鈴鹿143ページ「清見潟」:『謡曲中からの日本サクラソウ品名』)

浪華さくらそう会長山原茂氏のBlogより
桜草栽培史2009年03月25日21:27
桜草栽培史36 染植重と柴山政富
それでは『桜草名寄控(前半)』にあり、さらに『桜草比競』にも載っている品種を見ると、
「秋風楽」「青海原」「一天四海」「横笛」「江天明鶴」「緋の袴」【「漢泉殿」】「薄化粧」「花車」などがある。
http://blog.livedoor.jp/yamaharanookina/archives/854153.html

古典園芸であるのに、なにゆえ勝手な解釈で品種名表記を訂正してしまうのか、理解に苦しむ。
東京のさくらそう会は、どういう了見でいるのだろう。

鈴鹿氏は「漢泉殿」と「清見潟」をキチンと分けて表記されている。
一方的に同品種と断言する鳥居氏の記述は、乱暴すぎるようだ。

(鈴鹿155ページ「東鑑」:花立ちはよいが、性質、繁殖力ともにやや弱い。)
(鳥居73ページ「東鑑」:短柱花 江戸末期 類似品種「甘泉殿」「百夜車」。)

(鈴鹿166ページ「百夜烏(ももやがらす)」)
(鳥居105ページ「百夜車(ももよくるま)」:短柱花 江戸末期 類似品種「甘泉殿」。
 「百夜烏」と呼んでいるところもあるようだが、花が車のように見えるので、「百夜車」で認定した。
 名は絶世の美人・小野小町の元へ深草少将が百夜通をしたという伝説をふまえたもの。)

「“萩”の上風」と「“荻”の上風」、「漢泉殿」と「甘泉殿」は、解らなくもないが、
『花が車のように見えるので、「百夜車」で認定した。』などとは言語道断、呆れてしまう。

花の大将だから「花大将」。
花が車のように見えるので、「花車」というのも解らなくもないが、
花が車のように見えるので、「百夜車」というのは無理がある。
それに、鳥居氏の品種名「百夜車」と名前の由来の合っていない。
小野小町に車といえば牛車ですから、夜な夜な通う姿は「百夜烏」でしょう。

いずれにせよ、勝手に品種名を変えてしまう行為は許せない。
鳥居氏個人も悪いが追従している東京のさくらそう会はもっと悪い。
「さくらそう会では「百夜車」と認定しただけ。」などという言い訳は通じない。
古典園芸のさくらそうの未来を思ってくれるなら、自浄努力で、是正していただきたい。

web上に「清見潟」の画像なし。
インターネットが普及して、私もそうだがweb上に紹介されている花の画像を参考に同定を行ってしまうのだが、
さくらそうの書籍が現在は鳥居著「色分け花図鑑 桜草」しかないこともあり
誤った情報に気づかず画像を掲載してしまっている場合が多いと考えられ、
誤った情報が蔓延して、それが正しいと思い込んでしまっているのかもしれない。
web上でさくらそうの花を集めて並べてみても、正しいのか誤りなのかさえ判らない。
品種に関する知識を得たいと願う人は、浪華さくらそう会へ入会するのが一番だと思う。
東京のさくらそう会は、「BはAと同品種」と広言しながら
品種Bの画像が無いのだから、我々は言われるがまま信じるしかない。
それならば、品種Bが存在する会の方が、公正であるといえるのだから。

今更ですが.16


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所縁の袖 γ 長花柱花 江戸後期 「強勇競」「雲井鶴」現存品と同品
(鈴鹿167ページ「所縁の袖」:表移白裏薄桃色大輪)
(鳥居「所縁の袖」:僅長柱花 江戸末期 類似品種記載なし。
 花弁の裏側は桃色ぼかし、表は白くわずかに染出し。やわらかな大花で弁先が少し折れる。葉はふくらみがあって、特色がある。
 雲井鶴、雲井、強勇競の名で存在したものは同品種。)

(鈴鹿「強勇競」記載なし)
(鈴鹿「雲井鶴」記載なし)
(鈴鹿「雲井の鶴」162ページ:桃色表白抱咲大輪)

鳥居氏は「所縁の袖」の葉に特色があると言う。鈴鹿氏が花容の解説しか記されていないのが残念だが
「雲井鶴」「雲井」「強勇競」が「所縁の袖」と同品種である証明に成ってはいない。
勉強不足で恐縮だが「強勇競」という品種名も初めて知ったが、web上に画像は見当たらない。
「同品種なんだから、存在しない。」と言われては、どうしようもないのだが、
同品種であるというなら、東京のさくらそう会公式HPででも公開して、証明してみせて頂きたい。
こういう展開は鳥居氏の文才炸裂というところであろうか。主張した者勝ちを容認するわけにはいかない。古典園芸なのだから。

「由加里の袂」もそうだが、品種が違うように感じるのは、さくらそうの花の撮影の難しさゆえだろうか?
鳥居氏と東京のさくらそう会は、独自の勝手な判断で同定して同品種に扱いしいるが、やはり同品種ではない気がする。
同品種とされている「雲井鶴」「強勇競」の画像もバラバラだし、同品種を問う以前に
鳥居氏と東京のさくらそう会の同定と品種認定のあり方に問題がある。

今更ですが.16

今更ですが.16


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由加里の袂 γ 長花柱花 明治?
(鈴鹿167ページ「由加里の袂」:裏藤色表白大輪)
(鳥居130ページ「由加里の袂」:長柱花 明治後期か。類似品種「思いの儘」。
「所縁の袖」と区別するために由加里の袂と表記することにしている。)

そんな品種名の由来は無いでしょう。
「表記することにしている」のは鳥居氏と東京のさくらそう会の勝手な判断であり
鳥居氏と東京のさくらそう会が「由加里の袂」という漢字表記を定めたわけでもないはず。
確かに読みは同じでも、漢字の意味を考慮すれば、理解できうる品種名ではないのだろうか。

鳥居氏と東京のさくらそう会は、古典園芸であるさくらそうの品種名を、なんと心得ているのであろうか。軽視するのも甚だし限りである。

(鈴鹿149ページ「思いの儘」:天保年間の作出といわれ、その花色、花容は優雅の一語につきる名花です。性質繁殖力ともに弱く、暑さには弱いので注意を要します。)
(鳥居128ページ「思いの儘」:短柱花 江戸末期 類似品種「由加里の袂」
 野生種に対し、最も進化をとげたものということできる。性質が弱く、毎年続けてよい芽ができないのが欠点。)

『野生種に対し、最も進化をとげたもの』と言える根拠は何処にあるのですか?
さくらそうの花としての“進化”とは、なんですか?
巧みに適当なことを書くのは止めてほしいものです。

左画像=埼玉県花と緑の振興センター。中央画像=東京のさくらそう会。右画像=筑波大学農林技術センター。
上の段=「由加里の袂」。下の段=「思いの儘」なんですが、
埼玉県花と緑の振興センターと、東京のさくらそう会&筑波大学農林技術センターの画像を見比べと、違う品種のように感じます。
東京のさくらそう会は、独自に勝手な判断で同定してしまっているので、「間違いではない」と主張されるのでしょうね。

今更ですが.16


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手拍子 γ 長花柱花 江戸後期 「雨後の月」現存品と同。野生の白花に近い。
(鈴鹿164ページ「手拍子」白大輪)
(鳥居64ページ「手拍子」:長柱花 江戸末期 類似品種記載なし。「雨後の月」の名で存在したものは同品種。)
(鈴鹿160ページ「雨後の月」白大輪)

毎回思うのだが、なぜ同品種と断定したのか、同品種とされた鉢の画像も無く、そこの根拠が示されていない。
DNA分析結果、同品種と同定されたなら納得とが、勝手に同品種としてさくらそう会が認定して
古典園芸である品種名を黙殺し、消滅させてしまって良い分けはない。

『野生の白花に近い。』という記述は、鈴鹿著「日本サクラソウ」と鳥居著「色分け花図鑑 桜草」には無いが
大城氏が主観を述べているとは思えないので、鳥居著「さくらそう」に記載されているのかもしれない。

web上に「雨後の月」の画像なし。

今更ですが.16


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三国紅 γ 長花柱花 江戸後期 野生品に近い
(鈴鹿163ページ「三国紅」紅大輪)
(鳥居27ページ「三国紅」:僅長柱花 江戸末期 類似品種「日の丸」「御幸」。野生品に近いが、3倍体という。)

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槇の尾 γ 長花柱花 江戸後期?
(鈴鹿166ページ「槇の尾」:紅大輪)
(鳥居91ページ「槇の尾」:長柱花 明治中期 類似品種「人丸」)

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九十九獅子 γ 長花柱花 江戸後期
(鈴鹿157ページ「九十九獅子」:名花の1つであるが、繁殖力はやや劣る。)
(鳥居31ページ「九十九獅子」:突出長柱花 江戸末期 類似品種「紅かがり」)

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桃園 γ 長花柱花 明治?
(鈴鹿153ページ「桃園」:桃色系の最大輪の見事な花である。明治年間の作といわれる。)
(鳥居93ページ「桃園」:僅長柱花 明治後期 類似品種「井筒」。)

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夕陽紅 γ 長花柱花 大正7年頃 田村景福
(鈴鹿120ページ田村景福氏の項「夕陽紅」)
(鳥居45ページ「夕陽紅」:僅長柱花 大正7(1918)年ごろ 田村景福発表 類似品種「玉珊瑚」)

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上絞 γ 長花柱花 昭和初年 大鐘あぐり 「土佐の海」現存品は同品
(鈴鹿「上絞」記載なし)
(鳥居153ページ「上絞」:長柱花 昭和初年頃大鐘あぐり発表 類似品種なし。)
(鈴鹿165ページ「土佐の海」:雪白波状丸弁抱咲大輪)
(鳥居「土佐の海」記載なし)

昭和初年 大鐘あぐり女史作出命名の「上絞」と、「土佐の海」なる現存品が同品種であるとは、鈴鹿&鳥居両著に記載は無かった。
web上に「土佐の海」の画像なし。

今更ですが.16


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春告鳥 γ 長花柱花 昭和57年認定 尾崎康一
(鈴鹿「春告鳥」記載なし)
(鳥居46ページ「春告鳥」:僅長柱花 1982年認定 尾崎康一発表 類似品種「春裳」)

(鈴鹿「春裳」記載なし)
(鳥居46ページ「春裳」:短柱花 1982年認定 峰岸優発表 類似品種「春告鳥」)

大城氏の研究趣旨は、野生種とのDNA関係をさぐるためだったはず。
恐らく無作為に127品種をサンプルにしたとは思うが、
このような新しい品種を調べる意味はあったのだろうか?

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この記事へのコメント
今更ながらご苦労さんです。
「荻の上風」について申し述べます。これは鳥居さんのいう通りです。「荻の上風」という品種があり、それが荻と萩の字が似ていること、さらに地味な荻より古くから親しまれて来た萩を使い出して「萩の上風」となったようです。名前の原義からして「荻の上風」がいいようです。これについては浪華の会誌35号に東京の松田豊司さんが古典を引用して考証されています。なお「萩の下露」という品種は別に記録されていて、「荻の上風」と同品ではないと思います。
「高砂染」について申し述べます。色花にヴィールスが入ると普通では萎縮症状が出ます。ところがヴィールスにより緑斑が入りながら萎縮しない品種があり、それが選択されて固定されたのが「高砂染」のような三色花です。
Posted by 山原茂 at 2010年02月09日 22:09
山原さま、いつもご教授いただきありがとうございます。
『今更ながら』は、こんなつもりでスタートした分けではないので
もはや遣っつけ仕事となっています。自分で書きながら嫌になってます。(^^;

きっとベテランのさくらそう栽培者や、浪華さくらそう会さんの会報を読み続けておられる方にとっては、まさに「今更なにを・・・」なんだと思いますし、私自身勉強不足だということも感じながら書いています。

残り25品種(だったかな)、また過ちがあれば、ご指導のほど宜しくお願いします。

あ、最後に、「高砂染」と「高砂」は異名同品種ですか?
それとも別の品種になるのでしょうか?
Posted by さくらさくら at 2010年02月09日 22:28
「高砂」について調べたところを述べます。
常春園(伊藤重兵衛家)の「櫻草銘鑑(明治40年版)」では
 〈高砂…表白地緑絞裏淡紅〉とあり、鳥居本「高砂染」同じです。もとは「高砂」だったものが、いつ誰が「染」を付けたのか分りません。これこそ元の「高砂」に戻すべきかもしれませんね。
私もこの両者について、あなたの指摘で調べることが出来ました。有難いことです。
Posted by 山原茂 at 2010年02月10日 18:10
山原さま、
わざわざ調べて回答くださり、ありがとうございます。
嬉しいお言葉までたまわり恐縮ですが、
それ以上に『やっぱり鳥居氏は!』という気持ちでいっぱいです。
鳥居氏は、さくらそうを古典園芸と広言して図鑑を執筆されるなら、
古記録を重々調べ、先人の功績と品種名を尊重して書いてほしいものです。

せっかくなので、もう1つ質問させてください。
鈴鹿著「日本サクラソウ」120ページ、溝口正直伯爵の項、作出命名の中に
「掌中の玉」とありますが、これは「手中の玉」のことですよね?
私はこれを見て知るまで、「手中の玉」が正式だと思い込んでましたが
「御國の誉」を「御国の誉」、
「万歳楽」を「万才楽」と
簡単な漢字で表記しているのと、同じ過ちということでしょうか?
Posted by さくらさくら at 2010年02月10日 19:50
山原さま、
鈴鹿著「日本サクラソウ」120ページ、田村景福氏の項、作出命名の中に
「手中の玉」と記載されているのを思い出しました。
同名異種なですね。申し訳ありませんでした。
Posted by さくらさくら at 2010年02月10日 22:03
お尋ねにお答えします。
「掌中の玉(しょうちゅうのたま)」は溝口正直氏の作出花、
「手中の玉(しゅちゅうのたま)」は田村景福氏の作出花です。
なお「酒中の玉」というのも記録にあります。
Posted by 山原茂 at 2010年02月10日 22:32
山原さま、
同名異種で3品種もあるとは驚きです。
古典園芸の奥深さを知る思いです。
ご教授くださりありがとうございました。

重ね重ね『教えて君』で恐縮ですが、また教えてください。
先ほどアップした「今更ながら.19」でのことですが、「初桜」は誰の作出品種なのでしょうか?
大城氏には『昭和30年 高木勇 自然に結実』とあり、
鳥居氏は『大正年間 永井誠也発表』と記載されていました。
鈴鹿氏では記載されていませんでした。
Posted by さくらさくら at 2010年02月11日 12:18
お尋ねにお答えします。
「初桜」は鈴鹿さんの『素人日本さくらそう』(ひかりのくに)には‘作出者は知らない’とあります。
鳥居氏の言う通りかも知れませんが、出典は知れません。
なお高木勇氏のものは「初姿」という名前です。
先の「掌中の玉」「手中の玉」「酒中の玉」は異名3品種と心得ます。
Posted by 山原茂 at 2010年02月11日 20:08
山原さま、
今回も勉強になりました。ありがとうございます。
また、何度も質問ばかりでスミマセンでした。

鳥居氏だけの記述(主張)は今までたくさん見てきましたので
鈴鹿氏が‘作出者は知らない’と記されていたということだけで十分す。
合点がいき、大変スッキリいたしました。

それにしても大城氏は、どこから得たことを書いたのでしょうね。
鳥居氏と東京のさくらそう会は、
学者先生さえも混乱させてしまっているということかしら。
Posted by さくらさくら at 2010年02月11日 22:46
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