2010年02月02日
今更ですが.11
調べる度に嫌悪感が高まり、少し調べるのを控えようかと思います。
鳥居著「色分け花図鑑 桜草」のサイブタイトルは『名前の由来と品種がわかる』なのに
内容があまりにもいい加減で解説文も画像も信頼おけないことが
調べが進むほどに実感していくからです。
私だって昨年から園芸品種に興味を持ちだした初心者で、
鳥居著「色分け花図鑑 桜草ー名前の由来と品種がわかるー」を愛読した一人です。
今になってみると、知識が無いから信じて鵜呑みしてしまった自分が情けなく、
誤った知識を植え込まれ、毒されてしまった桜草愛好者が居るのかと思うと、可哀想でなりません。
同時に東京のさくらそう会が恐ろしい教団のようにもみえ、古典園芸桜草の未来を心配してしまいます。
サクラソウ127園芸品種の葉緑体DNA型(ハプロタイプ)『品種識別、親子関係、由来に関する情報』
ハプロタイプ P
旭の袂 長花柱花 江戸中期 (寛政~文化) 「王昭君」現存品と同
舞扇 長花柱花 江戸後期 古い記録では「舞扇子」と記載
鋸峯 長花柱花 大正?
小桜源氏 短花柱花 江戸中期(寛政~文化) 野性的
窓の梅 等花柱花 昭和38年 尾崎康一
梅ヶ枝 2倍体 長花柱花 江戸後期
寿 2倍体 長花柱花 ?
春湖 2倍体 長花柱花 大正13年 西田信常
戦勝 2倍体 長花柱花 昭和初年 戸田康保 「墨田の花火」と実生兄弟
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旭の袂(あさひのたもと) P 長花柱花 江戸中期 (寛政~文化) 「王昭君」現存品と同
(鈴鹿159ページ「旭の袂」:表移紅本紅中輪)
(鳥居39ページ「旭の袂」:長柱花 江戸後期 (寛政~文化年間・1789-1818年)類似品種掲載無し。
もっとも古い品種のひとつで、桜草栽培初期の姿をよく残しており、たいせつに伝えたい品種。「王昭君」の名で存在したものは同品種。)
『桜草栽培初期の姿』とは、どういう姿なのであろう。
花型?、花形?、花容?。実に抽象的な表現で、根拠はないのではないのか。
鳥居著『色分け花図鑑 桜草』を読む時には、惑わされないよう注意が必要である。
(鈴鹿161ページ「王昭君」:表白裏薄桃色大輪)
(鳥居「王昭君」当然掲載無し)
鳥居氏と東京のさくらそう会は「旭の袂」と「王昭君」は異名同品種という見解のようだが、
鈴鹿著「日本のサクラソウ」を読めば『表白裏薄桃色大輪』と書かれており、画像を見る間でもなく違う品種だと判る。
鳥居著「色分け花図鑑 桜草」には「旭の袂」の画像しか掲載されていない。
画像が無くとも説明文に『同品種』と書かれてあれば、普通の人は「そうなんだ。」と素直に思い込んでしまう。
鳥居著『色分け花図鑑 桜草』は、見る時にも、惑わされないよう注意が必要である。
これは憶測だが、鳥居氏と東京のさくらそう会は
「富士越(90ページ)」のように、「実は二代目で、初代が枯れたのちに、再び命名されたものとされる。」と、
『〜されたものとされる』という憶測を語るかもしれない。
『現存するのは実は2代目の「王昭君」で、「王昭君」の名で存在した初代とは違う。』と言うかもしれない。
「母の愛(64ページ)」のように、「もうひとつ別品種が存在するので、まちがいがあった疑いも残る。」と言うかもしれない。
「初烏(42ページ)」のように、
「かつてはこれが初桜の名で存在したが、この品種は別に本物があり、記録を調べて「初桜(100ページ)」に相当するこが判明した。」と
勝手に品種を間違えていたことを、さも歴史の過ちのように語るのかもしれない。
もっと大胆に、古典園芸の歴史を無視して「これはさくらそう会での見解ですから、正しいのです。」と言い張るかもしれない。
鳥居著『色分け花図鑑 桜草』はさくらそう会50周年記念事業で生まれた本だから、内容が会因りのものであっても悪いわけではないから、正論である。
いずれにせよ、鳥居著『色分け花図鑑 桜草』を読むときも見るときも、注意が必要で、内容は全て鵜呑みにしては行けない。
掲載された画像が正統な品種で、品種の基準だなんてとんでもない話し。バイブル視してはいけない。
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舞扇(まいおうぎ) P 長花柱花 江戸後期 古い記録では「舞扇子」と記載
(鈴鹿「舞扇」掲載無し)
(鳥居36ページ「舞扇」:長柱花 江戸後期 類似品種 初鳥 天晴。
株は小さいが、花つきがよく、まだ、あどけない踊り子のような感じで、江戸時代の花の趣きをよく表している。
古記録では「舞扇子」と表現されている。)
鳥居氏の言葉使いは時々変で、このような本がどうして研究の参考文献になるのか理解に苦しむ。
鳥居氏は「表現」と書かいているのに、
『品種識別、親子関係、由来に関する情報』では記載 と書かれている。
なぜ本城氏は論文で「記載されている」と書き換えたのだろう。
研究内容に直接関係はないけど、こんな学位論文あるだろうか。
出典元があるなら、鳥居氏と本城氏は、古記録を証すべきだ。
鳥居氏はよく『時代の花の趣き』と書かれるが、抽象的なごまかしに聞こえる。
「旭の袂」のとき『桜草栽培初期の姿』という表現をしたが、
ここ「舞扇」では『江戸時代の花の趣き』だという。
江戸時代の花の趣きとは、どういうものをさすのか?
例えば、二倍体が生まれて三倍体へ、そして四倍体へというふうに、
桜草の花は人工的に試行錯誤を経て、順を追って変化してきた分けではない。
お米のように食味とニーズに合わせて作出された分けでもなく
色々なDNAがあり、そこから作出されてきたので、『時代ごとの特徴』は無いと思う。
鳥居氏の言葉使いは巧みで、マジシャンのようにまやかしで心を掴む。
(鈴鹿「初鳥」掲載無し)
(鳥居42ページ「初鳥」:短柱花 江戸末期 類似品種 こぼれ紅。かつてはこれが初桜の名で存在したが、この品種は別に本物があり、記録を調べて「初桜(100ページ)」に相当するこが判明した。)
「旭の袂」と「王昭君」、「初鳥」と「初桜」を、どうして間違うのでしょう?
(鈴鹿159ページ「天晴」:紅底曙白大輪筒白)
(鳥居47ページ「天晴」:突出長柱花 江戸末期 類似品種記載無し。)
(鈴鹿「こぼれ紅」掲載無し)
(鳥居51ページ「こぼれ紅」:短柱花 2005年認定 伊丹清発表 類似品種 初鳥。)
実物を見比べたら花の大きさや花容、花型の違いで区別できていると思うのだが
上記の画像のように同じ品種の花を見比べても、なんか色々混ざっているように感じた。
品種識別、親子関係、由来に関する情報』から脱線し、また、私がいうべきことではないのだが、
鳥居著「色分け花図鑑 桜草」を参考にしているという某サイトで掲示されている桜草の花の画像は、
他のサイトと明らかに違う品種の花の画像が、高い確立で掲示されていことに気がついた。
400種類を栽培されている方をもってしても、品種の取り間違いは起こるようで、
正しい品種保持の難しさを、改めて感じさせられた。
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鋸峯(きょほう) P 長花柱花 大正?
(鈴鹿「鋸峯」掲載無し)
(鳥居145ページ「鋸峯」:長柱花 昭和前期 類似品種記載無し。)
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小桜源氏 P 短花柱花 江戸中期(寛政~文化) 野性的
(鈴鹿「小桜源氏」掲載無し)
(鳥居148ページ「小桜源氏」:短柱花 江戸後期(寛政~文化年間・1789-1818年)。類似品種記載無し。
かつて「桜源氏」と呼んでいたが、正しくは「小桜源氏」だった。)
(鈴鹿「桜源氏」掲載無し)
珍しく過去の過ちを公表している。鳥居氏とさくらそう会を通して流布しているかもしれないので、要チェックだ。
web上で「桜源氏」の画像は一枚しかみつけられなかった。
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窓の梅 P 等花柱花 昭和38年 尾崎康一
(鈴鹿140ページ「窓の梅」:尾崎康一氏の作出 昭和38年選出。)
(鳥居45ページ「窓の梅」:同長花 1982年認定 尾崎康一氏発表 類似品種 梅が枝。)
鳥居著「色分け花図鑑 桜草」は東京のさくらそう会50周年記念事業で出版された、さくらそう会の会報であり、
会の認定品種しか掲載しておらず、図鑑などとはおこがましいにもほどがある。
尾崎康一氏の作出として昭和38年選出という事実がありながら、
鳥居著「色分け花図鑑 桜草」では作出年代と示しながら、さくらそう会認定年を記載している。
これは作出者と読者を愚弄する行為といえる。図鑑と銘打つなら、もっと客観的に事実を書くべきであろう。
本城氏も、作出年代だけキチンとしているところは、抜け目がない。
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梅ヶ枝 P 2倍体 長花柱花 江戸後期
(鈴鹿154ページ「梅が枝」:繁殖力がやや劣り、過湿になると根腐れを生じやすい。)
(鳥居21ページ「梅が枝」:僅長柱花 江戸末期 類似品種 窓の梅。性質は強く、云々。)
関西と関東の気候風土の違いもあると思われるが、「梅が枝」を栽培する際には、過湿に注意しないといけないようだ。
【梅が枝には、「梅が枝」と関西系「本梅が枝」が存在する。】
山原氏の旧Blog『日本桜草』2007年03月28日と
くまさんのBlog『草花好きのひとりごと』さくらそう‘梅が枝’、
Blog『趣味でさくらそう』さんの‘梅が枝’のサイトを覗くと、
「梅が枝」には関西系梅が枝=本梅が枝が在ると紹介されています。
鳥居著「色分け花図鑑 桜草」には、東京のさくらそう会認定品種しか載っていないため、記述すらない。
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寿 P 2倍体 長花柱花 ?
(鈴鹿「寿」掲載無し)
(鳥居「寿」:長柱花 昭和前期か? 類似品種 京鹿子 京撫子。
花形は大きな五角形に見え、細かく切れた弁から、寿の字画を連想したものらしい。)
『寿の字画を連想したものらしい。』とは、誰が連想したというのだろう。
これも鳥居氏の勝手な憶測ですよね。
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春湖 P 2倍体 長花柱花 大正13年 西田信常
(鈴鹿163ページ「春湖」:大正十三年西田信常氏作)
(鳥居「春湖」掲載無し)
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戦勝 P 2倍体 長花柱花 昭和初年 戸田康保 「墨田の花火」と実生兄弟
(鈴鹿164ページ「戦勝」:昭和元年戸田子爵実生)
(鳥居29ページ「戦勝」:僅長柱花 昭和初(1927)年頃 戸田康保発表。類似品種 墨田の花火 金陵台 心意気。
花形、花色から軍旗を連想した名称と思われる。)
(鈴鹿164ページ「墨田の花火」:昭和元年戸田子爵実生)
(鳥居29ページ「墨田の花火」:僅長柱花 昭和初(1927)年頃 戸田康保発表。類似品種 戦勝 金陵台 心意気。
「戦勝」と兄弟実生で、同時に発表された。)
(鈴鹿162ページ「金陵台」:紅爪白小輪)
(鳥居25ページ「金陵台」:突出長柱花 江戸末期 類似品種 戦勝 墨田の花火 心意気。
金陵とは南京の古名で「南京小桜(32ページ)」の実生のなかから生まれたものと考えられる。)
(鈴鹿「心意気」掲載無し)
(鳥居50ページ「心意気」:僅長柱花 1997年認定 伊丹清発表 類似品種 戦勝 墨田の花火。)
鳥居「戦勝」
鳥居著「色分け花図鑑 桜草」のサブタイトルは「ー名前の由来と品種がわかるー」なのに、『〜と思われる。』と憶測が述べられているに過ぎない。
鳥居「金陵台」
『金陵とは南京の古名』で、「金陵台」は「南京小桜」の実生と考えられるそうだが、
「色分け花図鑑 桜草」32ページ「南京小桜」では、『南京とは小さくて可愛らしいものにつけられた形容である』と書いており、つながりを感じない。
しかし今、改めて読み返すと、「南京小桜」の品種名の由来であるとは書いてはいない。
鳥居氏の文法は巧く、マジシャンのようにタネがあり、実が無い。
参考までに
上段「舞扇」の項
(鳥居51ページ「こぼれ紅」:短柱花 2005年認定 伊丹清発表 類似品種 初鳥。)
(鳥居50ページ「心意気」:僅長柱花 1997年認定 伊丹清発表 類似品種 戦勝 墨田の花火。)
鳥居氏や東京のさくらそう会と伊丹清氏は、親密な関係なのだろうか。
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浪華さくらそう会の会員や山原氏のような桜草愛好者になると、
鳥居著『色分け花図鑑 桜草ー名前の由来と品種がわかるー』など、その内容に呆れるばかりで
話題にするにもアホくさいということで無視されるのかもしれないが、
桜草に魅せられたばかりの向上心ある無知な者には最高の本(図鑑)である。
先人からの知識を得て、立派な花を咲かせようと貪欲に読みあさるのだが
確証もない憶測ばかり述べられているとは露知らず、全てを信じて鵜呑みしてしまう。
判断材料を持ち合わせていないのだから。判断能力が欠落していて当然であろう。
私自身、これを書きながら初めて真実を知っている次第である。
鳥居著『色分け花図鑑 桜草ー名前の由来と品種がわかるー』は
一つ一つの内容は素晴らしく、納得しながら読んで観て楽しめる本だと思う。
でも、他と見比べたみたとき、記述は根拠の無い憶測談であることに気づく。
素晴らしい図鑑だと思い込んでいたのに、図鑑でもなんでもなく、
さくらそう会が独断で勝手に認定した品種を載せただけの、会報誌であることに気づく。
私は『品種識別、親子関係、由来に関する情報』を調べたかっただけなのに
調査結果をBlogに書くと、どうしても鳥居氏と東京のさくらそう会への苦言になってしまう。
正直、私は若輩者ではありますが同じ桜草愛好者の1人として書いていて楽しくないし、
後味悪くて疲れるので、もう止めようかと思うのですが、
今回のように「旭の袂」と「王昭君」、「初鳥」と「初桜」、のような
こういう間違いが潜んでいることに出遭ってしまうと、
影響力が大きい巨頭の著書なだけに『やはり止めるわけにはないかないな。』と改めて考えてしまう次第です。