2010年02月02日

今更ですが.12

サクラソウ127園芸品種の葉緑体DNA型(ハプロタイプ)『品種識別、親子関係、由来に関する情報』
ハプロタイプHは22品種もあるので、今回は前編11品種を調べました。

【ハプロタイプ H 前編】(後編は2-4倍体品種)
蛇の目傘 長花柱花 江戸中期 (寛政~文化)
千鳥貝 長花柱花 江戸後期
妙智力 長花柱花 江戸後期
夕栄  長花柱花 江戸後期 野性的、段咲きになりやすい
飛竜  長花柱花 江戸後期 「錦葉集」に同品
錦葉集 長花柱花 江戸後期 「飛竜」現存品と同品
花大将 長花柱花 江戸後期 「木枯」の紅花品;易変因子による花色変異(絞り、縞)のうち紅一 色のもの
母の愛 長花柱花 大正12年頃 永井誠也
母の恵 長花柱花 昭和10年頃
墨田の花火 長花柱花 昭和初年 戸田康保 「戦勝」と実生兄弟
前代未聞 2倍体 短花柱花 江戸後期

【ハプロタイプ H 後編 2-4倍体品種】
松の雪 2倍体 長花柱花 江戸後期 (天保)
万才楽 2倍体 長花柱花 ?
蜃気楼 2倍体 長花柱花 ?  昭和57年
朝日  2倍体 長花柱花 明治? 伊藤重兵衛 濃紅かがり弁平咲き
玉珊瑚 2倍体 短花柱花 明治?
紅女王 2倍体 短花柱花 明治20年頃 荒井与左衛門
羅生門 2倍体 短花柱花 江戸後期? 「墨染衣」現存品、「墨絵の竜」と同品
白鷲  3倍体 長花柱花 江戸後期
鈴の音 3倍体 長花柱花 江戸後期 「玉宝山」「銀月の名」現存品と同品
目白台 3倍体 短花柱花 昭和2年頃  戸田康保 他種との交雑品とも言われるがその可能性は低い
緋の重 4倍体 短花柱花 昭和57年 塚越豊 「緋の袴」から変化

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蛇の目傘 H 長花柱花 江戸中期 (寛政~文化)
(鈴鹿152ページ「蛇の目傘」:寛政、文化年間の古花。暑さにやや弱い。)
(鳥居116ページ「蛇の目傘」:突出長柱花 寛政~文化年間(1789-181年)類似品種記載無し。
 根茎は野性的で淡桃色の中太の芽が必ず双頭状にでる。)

今更ですが.12


品種毎に花や葉、花茎に違いがあるように、根茎の芽にも違いがあるらしいが、子細を述べているサイトはない。
そのため鳥居氏に反論のしようもないのだが、
『根茎は野性的』という意味が判らない。『根茎はいかにも園芸品種的』という言い方もあるのだろうか。
『中太の芽』といわれても、芽に大中小があるというのだろうか。あるなら基準を示してほしい。
『必ず双頭状にでる。』というが、“必ず”と断言して良いものだろうか。

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千鳥貝 H 長花柱花 江戸後期
(鈴鹿164ページ「千鳥貝」)
(鳥居99ページ「千鳥貝」:長柱花 江戸末期。類似品種記載無し。)

今更ですが.12


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妙智力 H 長花柱花 江戸後期
(鈴鹿166ページ「妙智力」)
(鳥居92ページ「妙智力」:長柱花 江戸末期。類似品種記載無し。
 株も小形なので、陳列すると目立たないが、小鉢に植えて咲かせると、当時の評価を理解出来る。
『法華経』の経文の『観音妙智力』に由来する名か。)

今更ですが.12


小鉢に植えて咲かせると理解できるという『当時の評価』とは、何を語ろうとしているのだろう。
当時とは、いつの時代で、誰の評価を差すのかが、全く示されていない理解し難い文章だ。
品種名の由来に関しても『〜か。』と憶測を述べているに過ぎない、いい加減な説明。

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夕栄 H 長花柱花 江戸後期 野性的、段咲きになりやすい
(鈴鹿167ページ「夕栄」)
(鳥居94ページ「夕栄」:長柱花 江戸末期 類似品種 飛燕 濡燕 朝日潟。段咲きとなりやすい)

『今更ですが.10』ハプロタイプ G『飛燕』で書いたので此処では割愛。

今更ですが.12


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飛竜 H 長花柱花 江戸後期 「錦葉集」に同品
(鈴鹿「飛竜」記述無し(飛竜という文字がない))
(鳥居「飛竜」掲載無し(飛竜という文字はあるけど項が無い))

今更ですが.12


錦葉集 H 長花柱花 江戸後期 「飛竜」現存品と同品
(鈴鹿156ページ「錦葉集」)
(鳥居25ページ「金葉集」:僅長柱花 江戸末期 類似品種 錦錦鳥。
 名は勅撰和歌集の『金葉集』にちなむ。鋭いかがり弁から金葉を連想したのであろう。)
(鈴鹿156ページ「錦葉集」)
(鳥居24ページ「錦錦鳥」:僅長柱花 江戸末期 類似品種 金孔雀 金葉集。)

鳥居氏の勝手な憶測には呆れるばかりである。
鳥居氏が世話人代表を務める東京のさくらそう会の会員は、なんとも思っていないのだろうか。理解に苦しむ。

浪華さくらそう会長山原氏旧Blog『日本桜草』
2008年03月17日 桜草栽培史16 銘鑑訂補拾遺1
※近年「錦葉集」を「金葉集」と書く向きがあるようであるが、
何十年も使ってきた「錦葉」の名を変える必要はまったくない。 
http://blog.livedoor.jp/yamaharasakura/archives/50515713.html

大城氏もこういう処は抜け目無く『「錦葉集」に同品』と書かれており、笑える。
しかし、筑波大学農林技術センターでは鳥居氏にならって「金葉集」と表記。
類似品種は鳥居氏の主観だろうけど、「錦葉集」と「錦錦鳥」は似てるかなあ?

今更ですが.12


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花大将 H 長花柱花 江戸後期 「木枯」の紅花品;易変因子による花色変異(絞り、縞)のうち紅一 色のもの
(鈴鹿147ページ「前代未聞」の項に、「木枯」の記述あるのみ。)
(鳥居147ページ「花大将」:類似品種 小田巻。花の中の大将という意味。)
(鳥居147ページ「木枯」:類似品種 前代未聞。)
(鳥居39ページ「小田巻」:短柱花 昭和前期か 類似品種 花大将。古い記録はなく、昭和前期の実生花を考える。)

今更ですが.12

「花大将」の品種名の由来が、『花の中の大将という意味』では、あまりにも直訳過ぎるでしょ。
今更ですが.9』の「絞竜田」の項で「落葉衣」を語り、「木枯」と「花大将」についても記述したので、此処は割愛するが
続きは同じハプロタイプHの2倍体『前代未聞』をご覧ください。

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母の愛 H 長花柱花 大正12年頃 永井誠也
(鈴鹿165ページ「母の愛」:白大輪鋸歯弁)
(鳥居64ページ「母の愛」:長柱花 垂れ咲き 大正12(1923)年 永井誠也発表 類似品種 喰裂紙 白滝 山下白雨。

今更ながら.10』喰裂紙の項で書いたので、割愛。

今更ですが.12


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母の恵 H 長花柱花 昭和10年頃
(鈴鹿「母の恵」記述無し)
(鳥居101ページ「母の恵」:長柱花 1941年頃。大鐘あぐり女史の実生花。)

今更ですが.12


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墨田の花火 H 長花柱花 昭和初年 戸田康保 「戦勝」と実生兄弟
(鈴鹿164ページ「墨田の花火」:昭和元年戸田子爵実生)
(鳥居29ページ「墨田の花火」:僅長柱花 昭和初(1927)年頃 戸田康保発表。類似品種 戦勝 金陵台 心意気。
 「戦勝」と兄弟実生で、同時に発表された。)

「今更ながら.11」ハプロタイプPに『戦勝』が在りました。
実生兄弟でありながらハプロタイプが違うなんて、どういうこと?
植物学的に『実生兄弟』とは、どういう意味なのかしら。

戦勝 P 2倍体 長花柱花 昭和初年 戸田康保 「墨田の花火」と実生兄弟
(鈴鹿164ページ「戦勝」:昭和元年戸田子爵実生)
(鳥居29ページ「戦勝」:僅長柱花 昭和初(1927)年頃 戸田康保発表。類似品種 墨田の花火 金陵台 心意気。)

今更ですが.12


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前代未聞 H 2倍体 短花柱花 江戸後期
(鈴鹿147ページ「前代未聞」:この花と同一のものに有名な「木枯」(短柱花)があるが、差異は長柱花と短柱花だけの差であるといわれています。)
(鳥居149ページ「前代未聞」:短柱花。江戸末期。「木枯」と間違えている人が実に多いが、短柱花であること、草丈が低いことで見分けられる。)
(鳥居147ページ「木枯」:長柱花。江戸末期。「木枯」と間違えている人が実に多いが、短柱花であること、草丈が低いことで見分けられる。まったく紅無地になったものを「花大将」と呼ぶ。)
(鳥居147ページ「花大将」:長柱花。江戸末期。「木枯」が紅無地になったもの。)

今更ですが.8』『今更ですが.9』でも書きましたが
鈴鹿氏は「木枯」を(短柱花)と記載していますが
鳥居氏は「前代未聞」が(短柱花)と主張しています。
古典園芸であるなら、古い記述が正しいと思います。

今更ですが.12

『品種識別、親子関係、由来に関する情報』と関係無い話しですが、『木枯絞り』という名札の画像がありました。
新品種なのか判りませんが、『木枯+絞り』というのは如何なものでしょう。
東京のさくらそう会系の展示会で品種名が曖昧な鉢が入賞するというのも、おかしな話しです。
向上心に満ちあふれている桜草栽培初心者がこれを見たら、そういう品種だと思い込んでしまいます。
花の艶やかさに罪はないのですが、正しい品種が伝わらないのは、残念に思えます。

今更ですが.12


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この記事へのコメント
さくらそうのことを愛されていることがヒシヒシと伝わってくる記事をいつも読まさせて頂いております。
私も埼玉県在住でさくらそうを10年位前から育てているもので、さくらそうの会も埼玉、東京、浪華の3つに所属させて頂いています。
いろいろな形で集めた園芸種も250種を超え、鉢数も500を超えて冬になると週末や休みは全て植替えという日々です。品種を集めて行くと毎年必ず、間違った品種を見つけます。昨年もいくつかありました。その中で困るのが、間違っているんだけど、花は大好きだから置いておきたいというものです。でも本当の名前は分からない、あるいは3つくらいある候補のうちのどれかという状態です。その際には鳥居先生の本やインターネットなどを見ています。でもなかなか同定できません。
さくらさんが仰っている通り、拠り所が欲しいというのは私も同感です。ただ、これを鳥居先生の図鑑も含めて、どれかの文献に頼るというのは無理だと思います。いくつかの資料を見て判断するしかないのではないでしょうか?
さくらそうは既に全国にいろいろな形で普及しています。実生や交配で新たな品種はどんどん作られています。このような状態の中で正しい情報の質と量を高めようとすると、Wikipediaのような形でさくらそうの図鑑を作るしかないのかという気がします。複数の説がある場合にはそれを併記していきながら、最後は誰かの決定的な意見で正しい説を決めるしかないのではないでしょうか。この際にも写真で正しい色を表現できないこと、肥料の具合で色が変わること、咲き始めと咲き終わりでは色が違うこと、短柱花などの同定も悩むケースがあることなど、不確定要素がいろいろあることを考慮しながらやっていかなければなりません。非常に大変そうです。

さくらそうの会も埼玉、東京、浪華とすべて全く違う雰囲気だと思います。東京は鳥居先生の力が非常に大きいのも事実ですし、私も含めて「認定」ということに違和感を覚える方も多いと思います。一方で鳥居先生のさくらそうに対する貢献が非常に大きいことも事実です。
浪華の雰囲気には非常に憧れています。埼玉在住のため、浪華の会合などには出席できないのですが、山原先生のブログや廣田さんのブログなどを読ませて頂くと東京とは全く違った形で会が運営されているのが良く分かります。

さくらそうに関して、いろいろな知識や情報をなるべく正しい形で同好の志が共有でき、高めていけると良いですね。
Posted by moonprimula at 2010年02月03日 13:07
moonprimula さん、コメントありがとうございます。
私は故斎藤教頭先生から頂戴した桜草が、庄内の野生種なのか園芸種なのか、それを確かめたくて調べているだけなので、鳥居氏や東京のさくらそう会を非難するつもりは毛頭ありませんが、2冊の本の中味だけで、こんなにも多くの食い違いがあると知り、驚いています。
こちらでは実物を見る機会が少ないので、品種の同定は譲渡先の名札とインターネットが頼りです。画像を見比べても写真で相違点を知るには無理があり、実際自分で育てて見比べないと感じ取れないんだろうなあと思っています。しかしながら、moonprimula さんのように、たくさんの品種を栽培されていても、同定が困難だとは、改めて桜草の難しさを知る思いです。
でも、本当の悩みは
花の美しさに変わりはない、ということですよね。捨てられない。(笑)

若輩者ですので、良きに悪しきに、今後ともコメント宜しくお願いします。
Posted by さくらさくら at 2010年02月03日 23:20
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