2014年09月27日

災害と公益

今年に入り北海道の新聞社と提携を組んだのか、北海道ネタが増えた山形新聞は姑息だ。
まるで朝日新聞社か某国かの如き振るまいを思わせる。

山形新聞 >>県内ニュース 2014年09月26日
最上小国川ダム反対有志が抗議声明 漁協幹部と県を批判
http://yamagata-np.jp/news/201409/26/kj_2014092600498.php



酒田市に公益文化大学ができた時から『どうして庄内で「公益」なんだろう?』と疑問に感じていた。
公益文化大学が造られた由来の1つとして、何所ぞの石碑に「公益」という文字が掘られていたからと聞いたが、
ずっと理解できずにいたが、昨今の災害をみて自分なりの答えを見出せた気がしている。

庄内地方と最上地方で魚類調査を行う時、農道や林道は行き止まりにならないが、置賜はことごとく行き止まりになる。
行き止まりの先には道があるのに僅か数mだけ道が無い。しかも道幅は狭く路肩は撫肩で、Uターンスペースはない。
軽トラでもギリギリの車幅で、水路に架かる橋も狭く、
周辺の地形から察して行動するが、庄内地方と最上地方で培った勘はことごとく外れ、『なんで?』状態。
なぜ、この数メートルを通さないのか、どうして道が無いのか全く理解できない。


白竜湖など酸欠の汚染沼だし、素堀の水路などは網も入れたくないほどヘドロで臭く、生き物の気配はなく調査に二の足を踏んでしまう。
農道は狭く轍ぎりぎりの路肩は撫肩で、水路は素堀で水は淀み、畦は子供が造ったのか思うほど幅が狭く脆弱。


日本魚類学会の先生達が庄内平野を探訪され異口同音に「水路の張り巡らされ方が凄いね」と言うのだが
先人の知恵だけではなく、これ全て「公益」の精神の賜物だったのだと、今更ながらに気づいた。
置賜の農家も自分の耕作地をちょっと減らして提供すれば、川幅も用水路も畦道も農道も、広くなったはずなのだ。
平成の市町村大合併でも内陸は1つも市町村合併が行われなかったが、
JAは合併し、インフラ事業に関して広域事業団が造られた。
危機は感じていても、おらほの物を手放すのは嫌なようだ。災害、財政、誰かが助けるものらしい。滑稽な話しである。
物をき忘れた地域も在るようだが、庄内平野そのものが「公益」の賜物なのだと、しみじみ感じる今日この頃である。  


Posted by さくら at 04:00Comments(3)その他14