2011年01月18日

vol4. 山原茂.2

浪華さくらそう会の会長である山原茂氏は、
自身のBlog『日本の桜草と美術』の中で、繰り返し主張されている事項が幾つかあります。
その1つが、「大和神風」の品種名が「神風」に変えられている。という主張です。
山原氏は事ある度にこの件について述べておられますが
此処では自身のBlogに掲載された2ツを紹介したいと思います。
・2007年02月19日『桜草の品種改名について
・2010年04月27日『大和神風は大和神風ー改名してはならない

山原氏は上記サイトで、下記の旨を述べられています。
・「大和神風」の品種名が「神風」に変えられている要因は、鳥居著『色分け花図鑑 桜草』の影響であるらしいこと。
・「神風」への改名にそれなりの納得しうる理由があるのだろうか。
・最初に「神風」と名付けられたという証拠はどこにもない。
・本当に「大和神風」の元の名が「神風」であったかどうかである。

それでは、山原氏が要因と指摘されている鳥居著『色分け花図鑑 桜草』を見てみましょう。
『色分け花図鑑 桜草』(2006年2月20日初版 学習研究社)は
さくらそう会世話人代表を務める鳥居恒夫氏が
さくらそう会世話人と会員の協力のもと出版された著書です。

鳥居著『色分け花図鑑 桜草』81ページ
『神風(じんぷう)』の項には、下記のように解説されています。
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『神風(じんぷう)』荒井与左衛門発表
花弁の裏側は濃桃色で糸覆輪、表は曙白。
東京駒込の植木屋・塚万(荒井)の植木鉢に自然に生じたとされ、
現在では西王母より自然にできた四倍体とされている。(中略)。
豪快な花容から神風と名付けられ、のちに大和神風となったが、原名に戻して認定した。
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閑話
明治時代は駒込が多く存在するので、東京駒込という住所は明治時代通用しない。
住所には、府県名と町村名、町名と番地が続くが、
東京駒込では府県名の後に町名を書いたようなもので、市町村名が抜けている。
現代人は「東京駒込」と聞いただけで、知ってる気になって読み流してしまいがちですが
(「山形県本町」と言ってるのと同じことで、「山形県山形市本町」という意味にはなりません。)
しかも明治時代、東京は東京府であり、現在の駒込という地名と必ずしも同一しないのです。
図鑑というジャンルの書籍なのですから、
住所をはしょり、書籍に適当に掲載することは間違であり、あるまじき行為です。

閑話休題
さらに『神風 さくらそう』でネット検索してみると
Blog『いいおしめりですね』へ寄せた山原氏のコメント絡みで、3ツもヒットしました。山原氏、熱いです。(笑
・2010年05月18日『「大和神風」と「神風」という名前の「さくらそう」
・2010年04月27日『さくらそうの名前・品種名
・2010年04月25日『さくらそうの「神風」の花が咲いた
Blog『いいおしめりですね』を運営されておられる塾長さんも
鳥居著『色分け花図鑑 桜草』に書かれたことと同じ趣旨を述べられてますが、
「大和神風」と「神風」の花容が古典園芸の資料と違うことは認識されています。
しかし、それでも是正しようとしない姿勢は悲しくも情けなく、
これが桜草愛好者の一般的見識と対応なのでしょうか。

「大和神風」と「神風」のように、品種名に関する事を問題視されている人は
ネット上には山原氏以外は居られないようで、残念に思います。

また、鳥居著『色分け花図鑑 桜草』が要因とされる
「大和神風」と「神風」の品種(品種名)の問題は、
園芸愛好者の問題の粋を越えているように思えます。

2010年02月09日『今更ですが.18』で紹介した
『鳥居恒夫著『さくらそう』日本テレビ放送網株式会社 (1985年)(昭和60年4月17日発行3990円)』
を参考文献とした本城正憲氏の
『筑波大学大学院 生命環境科学研究科 生物圏資源科学専攻 博士(農学)学位論文』
『サクラソウ集団における遺伝的多様性の保全 に関する分子生態遺伝学的研究』
には、
神風 γ 4倍体 短花柱花 明治 荒井与左衛門 「西王母」の自然4倍体
と書かれています。

昭和60年 (1985年)4月17日発行鳥居著『さくらそう』を
私は見た事が無いので、「神風」が4倍体である旨が、掲載されているか否か分りませんけど
平成18年(2006年)2月10日発行鳥居著『色分け花図鑑 桜草』110ページ『品種改良の方法と倍数体』の項に
『4倍体の神風(西王母から自然に生じた)』と記載されてあります。
学術的に「神風」が4倍体であると表記した資料は、
平成17年(2005年)3月25日本城正憲氏が学位授与された、上記の博士(農学)学位論文だけなので
鳥居氏はそこから出典してきたのでしょう。
しかし、
昭和51年(1976年)5月1日初版 鈴鹿冬三著『日本サクラソウ』
142ページ日本サクラソウの倍数体品種についての項をみますと
『四倍体 大和神風 以上昭和四十八年大阪府立大学遺伝育種研究室山口聰氏発表』と掲載されているのです。
(参考までに昭和48年=1973年)


「神風」に関しては、読み方には違いが見受けられます。
鳥居著『色分け花図鑑 桜草』81ページでは『神風(じんぷう)』ですが
浪華さくらそう会の会長を努めた鈴鹿冬三著『日本サクラソウ』には
162ページ「神風」(かみかぜ):白狂咲大輪
166ページ「大和神風」(やまとかみかぜ・やまとじんぷう):表曙白裏桃色垂咲巨大輪)
と書かれています。

そして大変興味深いことに
vol3. 農業世界十一月号付録』で紹介した
昭和15年11月1日発行『農業世界十一月号付録 桜草の作り方』(博文館)
『上原梓・佐々木尚友 共著 栽培秘訣 桜草の作り方』
でも、
P219に「神風(かみかぜ)」白狂咲大輪と掲載されています。
また此処が肝心なのですが
P249に「大和神風(やまとかみかぜ)」巣鴨の梅栽培家塚万の鉢の中に生じたと伝う。
(明治年間)(西王母の実生か田村氏談)。と田村景福氏の談話が掲載されています。
因に、
「神風(かみかぜ)」の出典元は京都園芸クラブ誌、柴山政愛氏、溝口正直伯爵。
「大和神風(やまとかみかぜ)」の出典元は京都園芸クラブ誌、田村景福氏。

此処まで書けば結論は明白。
なんのことはない、山原氏の主張は正しく、
昭和15年11月1日発行『農業世界十一月号付録 桜草の作り方』(博文館)
を読めば全て解決じゃないですか。
「神風」への改名しうる事由も理由も証拠もない。
「神風」と「大和神風」は、最初から全くの別モノだったのです。
誰も「神風」を「大和神風」に改名していないし、史実も存在しない。
最初から「神風」は「神風」であり、「大和神風」は「大和神風」だったのです。

「神風」は白狂咲大輪であり、それ以外で
現在「神風」として栽培されている品種は
全て「大和神風」だということです。

それにしても、鳥居氏は品種名の乗っ取り(すり替え)が得意なんですね。
自然絶種した富士越や無礼講と同様に、花をすり替える詐術行為を行い、
古花である「神風」のおいては読み方さえも『かみかぜ』から『じんぷう』に変えてしまった。
しかも荒井与左衛門は植木屋ではなく梅栽培家。住所記述もいい加減。
桜草愛好者と読者をたぶらかす鳥居恒夫氏の文法使いは全く巧みで詐欺紛いです。

それと同時にさくらそう会の会員の方々にも、
鳥居氏の説明に何も感じていないのかと、大きな疑問を抱いてしまいます。
世話人制度度にオンブに抱っこで言われるがまま鵜呑みにして疑うことを知らず
まるでさくらそう会は世話人の私設組織になりさがっているかのように感じます。
それとも世話人代表の意見には、誰も反論できないシステムに成っているのでしょうか。
「大和神風」は「大和神風」。この事は、古い資料を読めば直ぐに解決した話しです。
さくらそう会は素敵なHPも有しておられるのですから、
世話人は資料を広く公開され、会員同士の意見交換を活発に行われた方が、宜しいのではないでしょうか。
さくらそう会の世話人と会員の皆様には、招いた混乱を払拭し、古典園芸の桜草の未来への貢献をお願いします。

山原氏は2010年06月12日Blogに書かれた『浪華さくらそう会幹事会』の中でも、さくらそう会への義憤を述べています。
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・名前の変更は許されないことである。
考えれば考えるほど東京のさくらそう会の所業(大和神風を神風などに)の自分勝手さに憤りを覚える。広く意見を聞くわけでもなく,浅はかな理由で変更し,全体に通知するわけでもなく、いわば自分たちの考えが絶対として押し付けているのである。
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そして最後に、こうも言っています。
「広くいろんな人と桜草談義がしたいものである。」と。  

Posted by さくら at 19:00Comments(13)日本桜草について