2007年05月17日
酒田市本楯.3
もう目の前は小野寺商店さんである。今朝見つけたお宅〜土門爺さん宅〜小野寺商店さん(杉山先生宅)〜今見つけた白い日本桜草のお宅〜ピンクの日本桜草のお宅まで、全部で500mも離れていない。今朝見つけたお宅〜土門爺さん宅なんて、ほとんど隣り同士。小野寺商店さん〜今見つけた白い日本桜草のお宅〜ピンクの日本桜草のお宅だって、100mほどしか離れていない。なんで直ぐに見つけられなかったのか、不思議である。
今見つけた白い日本桜草のお宅を訪問すると、ピンクも白も、酒田市刈屋地区の方から貰ったという。ほんの僅かではあるが、遊佐町に近づいた。これは遊佐町産の白なのだろうか。(^^;
小野寺商店さんで缶コーヒータイム。杉山アイコ先生は85-86歳。脳卒中で長期入院中。「訪問しても何も話せないよ(行くの止めなさい)」と言われる。安野悌次先生は90歳と5ケ月。安野先生と旧制中学校の同級生である故菅原デンスケ先生といい、私の調査がもっと早ければ、自生地について詳しく知ることができたでしょうに、なんとも残念です。
2007年05月17日
酒田市本楯.2
急な林道を登って山へ入っていく。この段階で日本桜草は無いと確信した。林道の行き止まりには小さな沢筋があり、ミズバショが生えていた。白い花が辛うじて残っている程度で、もう終わっている。土門爺さんは、陽当たりの良い斜面をきょろきょろ見渡しているが、そういう箇所に日本桜草はない。
花も見つからず、このまま直ぐに帰るのは土門爺さんに申し分けないので、ちょっと山菜採りをする。昔のホームゲレンデにやってきた土門爺さんの目が冴え、タケノコとアイコ、ウドと次々見つける。小1時間で十分な量な採れた。
途中、斜面に白い花を見つける。土門爺さんは、これを勘違いしていたそうです。楽しいドライブでした。(^^)
2007年05月17日
酒田市本楯.1
土門時計店の爺さんが、『日向川上流で何の花か判らないけど、ピンクや白の花を見た』と話してくれたので、昨日、土門爺さんを誘って日向川上流へ行ってみることにした。本楯地区へ入り、土門爺さんの直ぐお隣りさん宅の路地に、白とピンクの花が見えた。色合いから日本桜草だ。本楯地区には脳卒中で長期入院中の杉山アイコ先生がピンクの日本桜草を持ち込んでいるが、白は無いはずだ。
訪ねてみると、裏庭でご夫婦で庭いじりの最中だった。「日本桜草のことお伺いしたいのですが・・・」と話しかけても、「わがんね〜。わがんね〜」と、警戒と面倒臭さから裏庭から出て来てくれない。私も勇気を振り絞って厚かましさを乗り越え訪問しているのであって、これで退いてしまっては、再び訪問する勇気が湧いてこなくなる。喰い下がった。
その甲斐があり、ご夫婦して近づいて話しができるようになった。私の熱意が通じたものとポイジティブに捉える。日本桜草は奥さんが栽培していた。
「ピンクは昔からあった。こんだな何処さでも在んなんねな。」と言うので「そんなことはありません、云々」と返していると、思い出したらしく「白はの、何年か前、随分昔に駅東の方から分けてもらったんだ」と話してくれた。駅東なら、クリンソウと勘違いしならも日本桜草を栽培している方がいる旭新町の隣りである。
その他、日本桜草のことを色々と話した。『ピンクは昔からあった。こんだな何処さでも在んなんねな。』という言葉が気になり、遊佐町からの移植かもしれないと思った私は、遊佐町サクラソウの会のことも話した。すると今まで聞き役だったご主人が、「遊佐の菅原なにさんだって?」と反応した。「菅原ツネオさんと菅原デンスケさんです」というと、「んだ、んだ。デンスケさんの。デンスケさんは本楯小学校の校長先生だったんだよ」とのことだった。小野寺商店さんも土門爺さんも、そんなこと一言も言ってなかった。